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2002年9月中旬 |
【9月19日(木)】
▼会社の帰りに最寄り駅でバスを待っていると、十代後半か二十代前半くらいの若い男が、だしぬけにケータイで話しはじめる。「仕事? 給料安いし辞めたわ。いま現場で警備員やってる。おまえは?」 大声である。そうかあ、このご時世に、給料安いし辞めたかあ。なんか頼もしいような情けないようなフクザツな心境である。若いということはいいことじゃのー。この若者がいずれなにかをやるために資金稼ぎをしているだけならいいのだが、続けて話を聴いていると、どうもジョブホッパーのような感じだ。仕事の内容がどうしたという話はまったく出ず、ひたすら給料と労働条件の話ばかりしているのである。ひとごとながらちょっと心配になる。こんな時代にジョブをホップできるなんて、この若者はたいへん恵まれていると言えるが、なーんか多芸多才でいろんな仕事をしているようには見えない。ただ若いだけなんである。おーい、十年や二十年、すぐ経ってしまうぞ。
【9月17日(火)】
▼小泉首相、北朝鮮を訪問。不謹慎きわまりないが、むかーし『タモリ倶楽部』(テレビ朝日系)でやってた「台湾日帰り旅行」という強行軍企画を思い出す。考えてみれば、東京からなら台湾よりも近いところに、あのような奇ッ怪な国があるのだ。
北朝鮮の反応には正直びっくり仰天である。あああああの国が自分の非を認めるとは(金正日が非を認めたわけじゃないが)、いやあ、長生きはするものだ。よっぽど二進も三進も行かなくなっとるんだろうなあ。それにしても、北朝鮮が示した拉致被害者の状況はショッキングだ。なにしろあの国のことだからほんとうかどうか怪しいものだが、ほんとうであっても不思議はないところがなんともやりきれない。なにが、「特殊機関の一部が妄動主義、英雄主義に走った」だ(媒体によって翻訳がちがうのだが、妄動ってのは主義だったのかね?)。これは日本の国会議員もよく覚えておかなくてはならない手だ。ヤバイ尻尾を切るときには、「一部の秘書が妄動主義、英雄主義に走った」と言えば、たいへんバカっぽくてよい。
▼ソフマップに寄って帰る。前にも書いたが、まったくあの千五百円のDVDってやつは曲者である。『ブレードランナー −ディレクターズカット−』と『さくや妖怪伝』を買ってしまう。『ブレードランナー』は「定番だし基本だしビデオを買ったしもう何度観たかわからんけど何度でも観るし買っておこう、千五百円だし」と買い、『さくや妖怪伝』は「まだ観てないし妖怪だし安藤希眼がいいし松坂慶子巨大化するし買っておこう、千五百円だし」と買う。「定番だし」の部分が怖い。そのうち、ビデオで持っているものを全部DVDで買い直してしまいかねないことになるのではないか。そんなもったいない。なんだか、セルロイドのレコードをCDで何枚も買い直したようなことになりそうな気がするのだ。理不尽だ。なにかの陰謀にちがいない。でもやっぱりDVDって便利だよなあ、台詞覚えるのに。
【9月16日(月)】
▼百十五歳になったという本郷かまとさんの誕生日だそうだ。いつも思うんだが、本郷かまとって、なんだか変身ヒーローみたいな名前だ。そう思うのは、おじさんおばさんだけか? あるいは、スターボーのメンバーみたいな気もする。そう思うのも、おじさんおばさんだけだろうな。
【9月15日(日)】
▼はて、プロバイダが提供している昨日のアクセスログを見ると、「電子メールがやってきた」に三百以上ものアクセスがある。どこかでウケたのかな。
▼注文していたDVD『戦闘妖精雪風 OPERATION 1』(原作:神林長平/監督:大倉雅彦/脚本:山口宏・多田由美・大倉雅彦/製作・著作:バンダイビジュアル・ビクターエンタテイメント・GONZO)が届いたので、さっそく観る。巷では激怒している人たちがけっこういるらしいので、なんだか妙な期待のしかたをしていることもたしかだが、『戦闘妖精・雪風〈改〉』『戦闘妖精・雪風 グッドラック』(神林長平、ハヤカワ文庫JA)の映像化となれば、なんとしても観ないわけにはいくまい。新作DVDってやつは非常に割高な感じがするけれど、まあ、趣味五割、業三割、仕事二割くらいのつもりで買う。
で、観た。うううーむ。空中戦はいい。うちは5.1チャンネルで楽しめる環境はなくただのステレオだが、音はいい。でも、これで初めて《雪風》に触れる人には、かなり説明不足では? 『戦闘妖精・雪風〈改〉』一冊分をバサバサ切り落として四十五分に詰め込んでいるんだから、説明不足になってもいたしかたないかもしれないが、もう少し機械の自走性とその不気味さみたいなもの、それがゆえの“機械のエロス”とでも言うべきものを途中で盛り込んでおいてほしかった。でないと、ラストの雪風の“復活”があんまり活きないのだ。『戦闘妖精・雪風〈改〉』の肝になる部分をアレンジした核ミサイル迎撃シーンも、原作をよくよく知っているおれには観ていて「キター!」という快感があったのだけれど、原作を知らない人にあのシーンの重要性がうまく伝わっているかどうかとなると、ちと首を傾げざるを得ない。「おいおい、核ミサイルなのに、こんなに(以下、省略)」と、ハードSF的に突っ込む人もいるだろう。人間のほうのドラマも、原作に比べてかなりウェットな感じ。まあ、これは原作の解釈の問題だから、さまざまなバージョンがあってもいいだろうし、ウェットなのを好む人もあろう。
原作の小説とは独立した映像作品と割り切れば、機械が躍動してるところはおれとしては楽しめた。全五巻予定のOVAだから、一巻めでツカまなきゃならないという要請がけっこうキツいだろうと思うんだな。それが原作ファンには裏目に出た印象が大だ。ロンバート大佐を非常に早い段階で出しているのは大いに評価できるし、その一事を以て、OVAではなにを中心にやろうとしているのかの推測はつく。ロンバート大佐は、将来書かれるであろう《雪風》第三弾できわめて重要な役割を担うにちがいないキャラクターである(と、おれは踏んでいる)。人間とジャムとの闘いを、その本質に関わる部分で大きく左右するポテンシャルを持っているのがロンバート大佐という特異な存在であり、《敵は海賊》シリーズのヨウ冥(例によってパソコンでは“ヨウ”が出ない)・シャローム・ツザッキィに匹敵する“意味”を持つキャラなのだ。
【9月14日(土)】
▼『THE LAST BOOKMAN ラスト・ブックマン』(とり・みき、田北鑑生/早川書房)を一気に読む。『DAI-HONYA ダイホンヤ』(とり・みき、田北鑑生/早川書房)の続篇だ。妙な考えオチの小ネタがいつもながらすばらしく、大笑い海水浴場である。一般ウケなどという薄っぺらなものを狙わないところがいい。このシリーズは、本好きというか、中でもサブカルチャーとしての“ホン”というものが好きな人でないと笑えないどころか、そもそもわからない類の作品である。だから、たいていのSFファン(活字系)にはウケるし、そもそもこんなものが隅々までわかってしまうおのれの性にさらに笑えるという寸法だ。『R.O.D』(倉田英之、集英社スーパーダッシュ文庫)のファンは必読でしょう。もっとも、ホン好きアクションとしては『R.O.D』よりずっと“濃ゆ〜い”けどね。
いやあ、しかし『ラスト・ブックマン』の“羊の立体視”のカットには笑った。ほんとにやってみたら壮観。両眼のあいだの長さより本の幅のほうが大きいので、これは交差法でないとうまく見えないはずだ。立体視本で相当修行した人じゃないとダメだろう。
【9月13日(金)】
▼むらむらとサンマの塩焼きが食いたくなり、会社の帰りに自宅最寄り駅前の居酒屋へ。たまには贅沢に外食でもしないと、精神的にも景気が悪くなってしまう。贅沢がサンマの塩焼きかという狭量な見解はこの際無視する。母が魚を焼く臭いをなによりも嫌うため、おれの家では焼き魚というのはめったに食えないのである。すでに焼いてある魚の切り身なら温め直すだけだから食えるのだが、それでもかなり種類が限られる。たまに、「おおお、今日は珍しくサンマの塩焼きか」と狂喜したら、なんとダイコンがなかったりする。母はとにかく魚の臭いが嫌いであり、サンマの塩焼きは生姜醤油で食うのがあたりまえだと思っているのだった。そんなもの、サンマの味がわからないやつが考えつきそうな邪道であることは言うまでもない。サンマの塩焼きはダイコンおろしに決まっているでしょうが! おまけに、ひどいときなど、バカな魚屋がワタを抜いていたりする。ワタのないサンマなど、クリープを入れないコーヒーのような(この喩えも最近あまり聞かないな)ものであろう。
というわけで、ほんとうにほんもののサンマの塩焼きが食いたいときは、決まって外で食うわけである。とくにこの店は、毎年秋口には非常によいサンマを出す。ワタも抜かない。ダイコンおろしだ。さあ、サンマが来た。例年よりもでかい。この段階で、おれはすでにブラック・ジャックになっている。消毒用のアルコールも準備オーケーだ。これは絶対日本酒、それも熱燗でなくてはならない。皿の一・四倍はある長身の患者であるから、やや変則的な術式で挑む。手術野が常に皿の中央部に来るように、患者を動かしながらのオペである。左半身を食べワタを食べ、右半身をほとんど食い終わったところで油断してしまった。鰓のあたりにもたくさんついていた肉をこそげ落とそうとしたらうっかり箸が滑り、あっというまもあらばこそ、患者の頭が離断してしまったのだ。くそーっ、ブラック・ジャック一生の不覚である。本間丈太郎先生の声が聞こえる――「人間がサンマの骨を自由にしようなんて、おこがましいとは思わんかね?」
皿を下げに来た店員と目が合わないようにする。サンマの頭が離断しているなんて、こんな不完全な手術を見られるのは、おれとしては非常に恥ずかしい。でも、うまかった。
【9月11日(水)】
▼あのテロから一年。報道はテロ一色だ。アメリカはいよいよイラクを叩くのか?
しかし、核兵器を保有した人類として、この一線を超えてしまっていいものかどうか、おれは非常に不安である。イラクがほんとうにヤバイかどうかをアメリカ一国が勝手に決めてしまうことに不安を覚える。先に叩かないとヤバイというのなら、アメリカは納得のゆく証拠をきちんと世界に向けて、せめて同盟国に向けては示すべきだろうが(国家中枢には示しているのかもしれんけど)、おれがアメリカ大統領だったら、これから戦争しようとしている相手に関して自分たちがどこまで掴んでいるかなんて絶対公開したくないだろう。ジレンマである。かといって、今後もアメリカが「あそこはヤバイので、わしらが先に叩く」と言うたび、はいはい叩いてくださいと承諾していいものかどうか。日本だって、いつ叩かれないともかぎらないわけだ。「第二次世界大戦で、日本とアメリカはどこと戦っていたの?」などと言っている若者もいるらしいので全然説得力ないかもしれんが、ミサイルが飛んできたりしないだけで、いまも現に日本はアメリカに叩かれまくっているし、そうした“爆弾が飛んでこない戦争”では、日々死者が出ていると言ってもいい。
たしかに、おれの中には、とっととフセイン政権をぶち壊してしまえ、金正日もぶち殺せ――と叫んでいる部分があるのだけれども、先制攻撃という一線を超えていいものかどうか、大いに悩んでいる。じゃあ、狂人どもが先に攻撃してくるのを指をくわえて見ていろというのかと言われると、ひとこともない。まあ、イラクや北朝鮮の暴走も怖いが、アメリカが暴走することもないように、ほかの国々で監視してゆかなければならないだろう。
なにしろ、ほんの六十年ほど前は、日本だって人類史上唯一核攻撃まで受けた筋金入りの悪の枢軸だったのだからな。
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