古代ローマの三相一体の運命の女神には多くのFortuneのつく添え名があった。すなわちフォルトゥーナ・プリミゲニア(初子)、フォルトゥーナ・ミュリエプリス(女たちの女神)、フォルトゥーナ・スクリプンダ(物を書く運命)、フォルトゥーナ・レゲア(支配権の女神)、ボナ・フォルトゥーナ(幸運)あるいはマラ・フォルトゥーナ(悪運)であった。
フォルトゥーナ・アウグスティは皇帝の統治権の基盤とされていた。ローマ人は、皇帝の個人的霊魂を支配しているフォルトゥーナにかけて誓った。シーザーたちは「寝ているときとか、旅の途中とかでも、つねに女神の黄金像を前に置いていて、死ぬときは後継者にその像を託した。Tyche Bassileo (統治の運命)を翻訳した Fortuna Regiaの名のもとに女神に呼びかけたのであった」[1]。
ギリシアのテュケーはフォルトゥーナに相当した。テュケーが守護天使に似た、一個人に所属する運命の女神であったときには、霊魂phsycheあるいは精animaであった。ローマ名のフォルトゥーナはVortumna (年を回す者)、すなわち天界の星の車輪と運命の因果応報の車輪を回す太母の系統を号|いているのかもしれない[2]。
アガタ(情げ深い幸運)という名前のもとに、運命の女神はヘビ-夫のアガトデーモン(やさしい運命の守り神)と結びつけられていた[3]。5世紀に作られたオルペウスの鉢の上では、アガトデーモンが死神の装いをして、女神の隣りに現れて、「真夜中が訪れる頃、円周を半分まで回って……右手に死の眠りのケシの茎をもって、下方に回っていった」[4]。この場合には、フォルトゥーナとその夫は穏やかな死のあとに訪れる、幸運な生活を表した。女神のお気に入りは、よく「幸運の島」と呼ばれる、西の果てに位置する女神の楽園に行った。
女神の「時の魔法の車輪」の上では、奇数は女神にとって神聖な数で、偶数は夫にとって神聖な数とされていた。古代ローマの宗教的祭典は奇数の「女性の」日に定められていた。それが「男性の」日より吉兆だと思われたからである[5]。
その運命の車輸が、お祭り騒ぎのときの「運命の車輪」として世俗化されると、フォルトゥーナは賭博師の守護女神になって、幸運の女神Lady Luckと名前を変えられた。イングランドでは女神はportuneと呼ばれる妖精-生物に変えられた。この妖精はウマに道を間違わせたり、旅人を迷わせたり、いろいろないたずらをした[6]。女神が他の形になったときもそうだったが、この妖精も悪霊に変えられた。
Barbara G. Walker : The Woman's Encyclopedia of Myths and Secrets (Harper & Row, 1983)
ローマの本来は豊穣多産の女神。For-tunaのfor-はferre《もたらす》と同語源とされている。しかし彼女の崇拝はセルウィウス・トゥリウスServius Tulliusによってローマにもたらされたものと伝えられ、ローマ以外に彼女の崇拝は古くよりあり、とくにプライネステPraeneste〔ローマの東、現パレストリナ〕では予言の女神として古い時代から神域をもっていた。
のち、彼女はギリシアの運命の女神テュケーと同一視されるにいたった。(高津春繁『ギリシア・ローマ神話辞典』)