母権制社会トロイの女王で、「月の女神」ヘカテーの霊の体現者。ヘカテーとヘカベーは、同じ名に由来する二つの異形だった。ヘカベーの「娘たち」(巫女たち)は、カッサンドラの伝説からもわかるように、予言の能力と魔法をかける力とを持っていた。ヘカベー自身も、呪いをかけて効果をあげた。敵に捕らえられたとき、ヘカベーは、ヘカテーのトーテム獣で、マイラ、マラ、あるいはモイラ(「破壊的な運命」)と呼ばれる黒い雌イヌに姿を変えた[1]。オデュッセウスの漂泊の旅は、ヘカベーがかけた流刑の呪いのせいであり、彼が命を失わずにすんだのは、ひとえに、彼の妻である女神ペーネロペーが、ヘカベーの呪いに対抗するまじないをかけてくれたおかげだった。
Barbara G. Walker : The Woman's Encyclopedia of Myths and Secrets (Harper & Row, 1983)
[画像出典]オデュッセウスはヘカベーを戦利品として手にいれ、彼女をトラーキアのケルソネーソスへつれていった。ところが彼女は、彼らが野蛮で背信行為をするといってオデュッセウスやそのほかのギリシア人たちにひどい悪罵をあびせかけた。そのために、彼らは彼女を殺してしまうよりほかはなかった。彼女の霊魂は、ヘアテーに従うあのおそろしい黒い雌犬のうちの一匹になり、海にとびこんで、へレースポントスの方へ泳ぎ去った。彼女が埋葬された場所は、「雌犬の墓」とよばれている。別伝によると、ポリュクセネーがいけにえにされたのち、ヘカベーはポリュドーロスの死体が岸辺に漂着しているのを見つけた。婿のポリュメーストールが、プリアモスが教育費として支払っていた黄金のことで彼を殺害したのだった。彼女は、トロイアの廃墟にかくしてある財宝の秘密を教えるからと約束して、ポリュメーストールをよびだした。彼が二人の息子をつれて近づいていくと、懐から短剣をとりだして子どもたちを刺し殺し、ポリュメーストールの両眼をえぐりとった。彼女の怒りっぽい性格の結果だったが、アガメムノーンは老齢と不幸のせいだからと言って、これをゆるした。トラーキアの貴族たちは、槍や石を投げつけてヘカベーに復讐しようとしたが、彼女はマイラという雌犬に姿をかえて、陰気くさいうなり声をだしながら走りまわったので、彼らはあわてふためいて退却した。(グレイヴズ、p.966-967)