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イーピゲネイア( =Ifigevneia)
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 「強き者たちの母」の意で、タウロス〔クリミア半島南西部〕においてアルテミスに仕えた女大祭司。タウロスでは、異邦人はすべて女神アルテミスの生贄にされ、切り落とされた生贄の首は十字架に釘づけにされた。イーピゲネイアがアガメムノーンの娘になり、冷酷な父親の手で海へ生贄に捧げられたという神話は、「野蛮な伝承を隠しておきたいという神話記者たちの願望」の結果であると考えられている[1]。イーピゲネイアにはいくつかの異名があり、その1つがヘカテーだった。


[1]Graves, G. M. 2, 78.

Barbara G. Walker : The Woman's Encyclopedia of Myths and Secrets (Harper & Row, 1983)



 イーピゲネイアの伝承には、野蛮な伝承はつとめて隠そうとする神話作者たちの心づかいが明らかに見てとれる。……それらの隠された要素のなかには、イーピゲネイアの殺害にたいするアルテミスのアガメムノーンヘの復讐とか、兄弟パラメーデースPalamhvdhVを殺害されたオイアタスOi[acの、おなじくアガメムノーンヘの復讐などがある。もとの神話は、およそ次のようなものであったろう。

 ギリシアのトロイア遠征隊がアウリスの港に嵐を避けたとき、アガメムノーンは仲間の隊長たちに説得されて、娘のイーピゲネイアを魔女として殺害した。イーピゲネイアを巫女としてもちいていたアルテミスは、アガメムノーンにこのおのれへの侮辱にたいする罪をつぐなわせた。すなわち、アルテミスはアイギストスに力をかして、帰国したアガメムノーンを除かせ、殺害させたのである。おなじくアルテミスの示唆をうけて、オイアクスもまたオレステースに、こう申しでた。 — スカマンドロス河を埋めたてた土地へ案内してあげよう。そこではアテーナーオレステースをまもってくれるだろうから、エリーニュスたちの追跡からのがれられるだろう、と。ところが、オイアクスは途中プラウローンにたち寄ったので、オレステースはそこで人々の罪の身がわりとなるその年の「パルマコス」に指名され、アルテミスの処女の巫女に喉をかき切られて死んだ。事実、オイアクスはデルポイエーレクトラ一に会ったとき、オレステースはイーピゲネイア — イーピゲネイアというのはアルテミスの別称だったらしい — によって生贄にされたのだと、その真相を語っている。

 後代の家父長制になってからのギリシア人には、この神話は好まれなかったであろう。オレステースのかわりにメネラーオスMenevlaoVアルテミスの復讐の対象に仕たてものが、ポティウスによってつたえられている。彼ら後代のギリシア人たちによると、アガメムノーンは殺人の罪を犯さなかったし、アルテミスゼウスの意志にさからったのではないというのだ。たしかに、アルテミスはイーピゲネイアを救い、犠牲をつかさどる巫女にすべく連れ去ったが — その連れ去った先はプラウローンではなく、残忍なタウロス人の土地だった。そして、この残忍なタウロス人たちの所業について責任を問うことはできないというのである。また、アルテミスはあきらかにオレステースを(このことのために、どんなギリシア人の生贄も)殺さなかったばかりか、オレステースアポッローンの命令でタウリスの女神像をギリシアへもちかえるのを助けてやりさえしたというのである。(グレイヴズ、p.621-622)


画像出典:Nancy WarrenのIphigeneia。
<http://www.nancywarren.com/StudioOnePainting5.htm>