Cross(十字架)

cross_latin.gif

 ラテン十字架(パッションクロスとも言う)が今ではキリスト教の主要なシンボルとなっているが、6世紀まではキリスト教美術には現れていなかった[1]。キリスト教の時代より遥か昔においては、この十字架は、ヨーロッパや西アジアにおいては、異教のシンボルであった[2]。初期キリスト教徒たちは、それが異教のものであったために、排斥さえした。3世紀のキリスト教会の神父であったミヌキウス・フェリクスは、キリスト教徒たちがラテン十字架を崇拝することに憤慨して、次のように言った。「お前たち、それでは異教徒ではないか。木の十字架を崇拝するなんて、それはまさに異教徒のすることだ……お前たちの記章や旗や標識と言えばただぴかぴかの美しい十字架だけではないか。そしてお前たちの勝利の記念品はただの十字架だけではなく、その上に人間を乗せている」[3]

 太古の昔から、十字架に人形を吊したものが畑に立てられて、穀物を守った。現代でも見られる案山子はこうした生贄呪術(その人形はその血が大地を実り豊かにすると考えられた聖王を表すものであった)の名残りである。実際には案山子を立ててもカラスを脅すことはない、と農夫たちは皆知っていても、その人形が棄てられることは決してなかった[4]

 十字架はまた男性のシンボルでもあり、男根を表す「生命の樹」であった。そのため、女性性器を表す円、または楕円形と一緒の形になる(聖婚を表す)ことも多かった。男性を表す十字形と女性を表す球体が一緒になると、それはエジプトの「護符ネフェル」、すなわち至福の護符(性的調和の護符)となった[5]

cross_latin.gif いわゆるケルトの十字架は腕木のところに輪が交叉しているものであるが、それは、ヒンズー教徒にキアクラKakraとして知られている性的一致を表す男根と女陰のしるしに相当するものであった[6]。古代のケルト十字架で今なお存在しているものもあるが、それらは明らかに男根的要素を示している。その先端に尿道がリアルについているものさえある[7]

 コロンブス以前の南北アメリカ大陸の美術を見ると、そこでも十字架は神の愛と死を表していた。救世主が自分の十字架をかついでおり、それはキリスト教のそれと全くよく似た像であった[8]

 十字架がいつキリスト教と結びついたか、正確なところは誰も知らない。イエスの初期の像を見ると、それは十字に乗っているイエスではなく、仔ヒツジを連れているウシル〔オシーリス〕のような、また。ヘルメースのような「よき羊飼い」の姿であった。cross_latin.gif後世になると、さまざまな十字架がキリスト教のシンボルとして用いられることになった。ギリシア十字架と言われる縦横同じ長さの十字架もあれば、X型の聖アンデレの十字架、かぎ十字架、グノーシス派のマルタ十字架、太陽十字架(ヴォータンの十字架)、取っ手のついた十字架(エジプトの輪つき型十字形ankhが発展したものウェヌス〔ヴィーナス〕の十字架とも言われる)などいろいろあった[9]

 ギリシア人は、この十字架は「クリストスやサラーピス崇拝にはよく使われた」[10]と言った。アセト〔イーシス〕崇拝の銘板を見ると、アセト〔イーシス〕の姿は一方の手に十字架を、もう一方の手にはハスの種子を入れる容器を持った姿で描かれている。それらは男性生殖器と女性生殖器を表すものであった[11]。アセト〔イーシス〕のであったサラーピスはプトレマイオス王に化身した。ダミエッタ・ストーンには、「救世主プトレマイオス」という文字に続いて十字架があった。敬虔なるキリスト教徒の学者たちが、この文字はやがてキリストが現れることを現実に予言したものであると主張したことがあった[12]

cross_latin.gif ラテン十字架ではなくて、頭のないT字型の十字架をキリストのエンブレムとした時期があった。異教徒であったドルイドから借りてきたものであったのかもしれない。彼らはオークの木の枝を払って、2本の大きな枝を先端につけ、それで人間の腕を表したT字型十字架を作った。これがタウThau(神)であった[13]

 T字型十字架は聖なる日のしるしであった。聖なる日とは十字架発見の日であった。それは、エルサレムにあったアプロディーテーの神殿の地下聖堂で、コンスタンティヌス1世の母親であるヘレナが、イエスが掛けられた本当の十字架を発見したことを祝う日であった[14]

 ラテン十字架に取って代わられたのちは、一般に、T字型十字架は聖ピリポが掛けられた十字架であるとされた。ピリポはプリュギアでT字型十字架に掛けられたと考えられている。彼はそこでドラゴンの姿をした神マルスを退治しようとした[15]。このことはT字型十字架が五月祭の日のしるしであったことを意味する。それというのも、キリスト教会はその日を聖ピリポの日としたからである。そしてドルイド教のタウThauが五月柱と混同されることになった。

 イエスが掛けられた本当の十字架が発見されたということは、ヘレナがその生涯を終えたずっとのちになって、初めて人々の耳に入ったことであった。ヘレナが発見したのは西暦328年であるということであったが、そのような重大事件であるにもかかわらず、それを当然記録しなけれぱならないと思った年代記作者は、当時、1人もいなかったのである。伝説によると、アプロディーテーの神殿でヘレナは3本の十字架を発見したが、どれがキリストが掛けられた十字架で、どれが2人の盗賊が掛けられたものであったか、わからなかったという。そこでヘレナは死体を1つ連ばせて、3本の十字架の上に順に乗せてみた。キリストが本当に掛けられた十字架の上に乗せられると、その死体は飛び起きて生き返ったという。これに代わる話として、イエスが掛けられた本当の十字架は「死に近づいている貴婦人」の健康を、即座に、回復させたという話もある[16]

 キリスト教会筋もまた、ヘレナが「聖なる釘」と、INRI(「ユダヤ人の王、ナザレのイエス」の意)という罪標を発見したが、その罪標は紛失してしまって、1000年以上もの間行方不明であった、と言った。1492年に、その罪標はローマの聖十字架教会で、奇跡的にも、再発見された。罪標はそこにずっとあったものと思われた。教皇アレクサンデル3世はそれが本物であることを間違いなく証明する教皇教書を発した[17]

 イエスが掛けられた本当の十字架が発見されたということは、中世において、とてつもない力を発揮した。それは、それまでヨーロッパのさまざまなキリスト教会で、本当の十字架の砕片であるとして、多くの破片が崇拝されていたが、十字架の発見によってそれらの破片が本物であるということになったからである。奇跡を行う本当の十字架の木はあまりにも多かった。カルヴァンによると、それらを集めると優に船いっぱいになるほどであったという[18]

 その本当の十字架は、エデンの園に「生命の樹」として生えていた木と同じ木で作られたものである、とキリスト教会では発表した。生命の樹はアダムが運び出して、太祖たちが順にそれを守り通した(大洪水のときにはノアの方舟に積みこまれた)。それは、救世主が現れたときに、彼を十字架刑にするためであった、という。グノーシス派の資料ではそれに加えて、エディプス・コンプレックス的な工夫がこらされた。すなわち、イエスの十字架はイエスの父、大工のヨセフが組み立てたものであった、という。更に、その十字架が立てられたのは、生命の樹がかつて生えていたまさにその場所であったともいう。キリスト教会は、生命の樹が「十字架の木になったのであるから、死んでもまた甦る」と言った。こうした馬鹿馬鹿しい話が、中世においてずっと、盲信的に、信じられていたのである[19]

 男性の生殖器は、今なお、アラブ人は「生命の樹」と呼んでいる。十字形は男性生殖器を図形で表す最古のもののうちの1つであった。キリスト教徒の間でも、十字架が男根を象徴するという認識は、少なくとも、幾分かはあった。コーンウォール地方のサンクリードで、大昔に、十字架刑が行われたが、そのとき、1本の槍が聖なる(女陰を表す容器)に垂直に立てられ、睾丸の形に似たうず巻き状の物が2つ、槍の柄につけられた[20]。十字架形が迷路模様の中に入っていく図は、西方の男根-女陰シンボルの最古のものの1つで、新石器時代初期にまでさかのぼる。女性を表すうず巻模様の真ん中を十字形が貫いている図形は、有史以前の岩壁彫刻に見られるが、それはクレータ島にも、コーンウォール地方のティンタジェルにも、フィンランドのウィール島にも、またシャルトル大聖堂にもある[21]

 十字架が男根を意味するということは、そう意識していようといまいと、今世紀においても見られる。『ウェイク』という雑誌を見ると、1950年の詩に次のようなものがある。「キリストよ。私はあなたの勃起した男根である十字架の周囲を歩いてきた。あなたの男根は、祈りの空に、10億の人間を生んだ。彼らはひたすら謙虚に生きてきたのです」[22]

 いわゆる「信仰の時代」において、農夫たちは、キリスト教会側の人々が望んだほど、十字架に対してひたすら謙虚であったわけではなかったと思われる。「呪われたる狩人たち」、あるいは「弓を射る魔術師たち」というある血盟団は、いつも、道端にある十字架をぶちこわしていた。十字架に3本の矢を続けて射込むと、弓の手がすばらしくあがる、と信じていたからであった[23]。彼らは太古の狩猟の神が持っていた男根を表す三叉のほこと、キリストのシンボルである十字架とを、対比させたのであった。point.gifTrident.。 今日では、十字架は宝石品になることが多い。太古の時代に十字架はなお守りの呪力があるとして用いられたが、今日、十字架が宝石品として用いられているといういうことは、太古の時代と全く変わらずにお守りとして機能しているということを証明しているようなものである。


[1]H. Smith, 188 ;Cumont, O.R.R.P., 109.
[2]Budge, A.T., 336.
[3]Doane, 345.
[4]de Lys, 42.
[5]Budge, E.M., 59.
[6]Baring-Gould, C.M.M.A., 355.
[7]de Paor, pl. 37.
[8]Campbell, M.I., 175.
[9]Jung, M.S., 43.
[10]Baring-Gould, C.M.M.A., 355.
[11]Knight, D.W.P., 50.
[12]d'Alviella, 15.
[13]Elworthy, 103-4.
[14]J.H.Smith, C.G., 322.
[15]Brewster, 221, 226.
[16]de Voragine, 274.
[17]Budge, A.T., 343-44.
[18]Kendall, p.122.
[19]Male, 153.
[20]Baring-Gould, C.M.M.A., 613.
[21]Hitching, 237.
[22]Ellis, 112.
[23]Kramer & Sprenger, 150.

Barbara G. Walker : The Woman's Encyclopedia of Myths and Secrets (Harper & Row, 1983)