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アテーナー(=Aqhna: or =Aqhvnh〔後者はイオーニア方言の語形〕)

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 アテーナイの母神。「聖処女」、つまり処女アテーナーAthene Partheniaとしてその神殿パルテノンに祀られた。ギリシア・ローマ神話ではアテーナーは貞潔であるとされたけれども、より古い伝承ではアテーナーには何人かのがいた。へーパイストスパーンなどがそのであった[1]。アテーナーは男根神パッラスと結ばれた。パッラス・アテーナーの像パラデイオンは男根像で、古代ローマ後期の最大の物神であった[2]

 アテーナーは北アフリカからきた女神であった。リビアの三相一体の女神ネイト、メーティス、メドゥーサ、アナテーAnath、あるいはアト-エンナであった。ラルナックス-ラピトゥにある碑文では、この女神はギリシア語でアテーナー、フェニキア語でアナトという名前になっていた[3]。ヘレニック以前の神話によると、アテーナーはリビアのトリトニス(= 3女王たち)湖の子宮から生まれたという[4]。エジプト人は、ときに、アセト〔イーシス〕をアテーナーと呼んだ。アテーナーの意味は「私は自分から生まれた」であった[5]

 ギリシア神話によると、アテーナーは父ゼウスが母メーティスを呑みこんだのちに、ゼウスの頭から生まれた、となっている。メーティスは、すなわち、メドゥーサ(女性の知恵)で、以前は、人間を石に化してしまう力を備えたゴルゴネイオン(=アテーナーのヘビ髪の毛の仮面)がそのシンボルであった[6]ゴルゴーン、つまりゴルゴーンはアテーナーの破壊者の側面であった[7]。墓石の彫像、あるいは男根柱はゴルゴーンが「石に化した男性」で、おそらくそれはパルテノンの石柱と同一視されたことと思われる。

 パルテノンがキリスト教徒に占拠され、聖母マリアの神殿としてあらためて奉納されたのは、 5世紀あるいは6世紀の頃であった、という[8]


[1]Graves, G. M.1, 149.
[2]Dumézil, 323.
[3]Massa, 104.
[4]Graves, G. M. 1, 44.
[5]Budge, G. E. 1, 459.
[6]Larousse, 107.
[7]Knight, S. L., 130.
[8]Hyde, 61.

Barbara G. Walker : The Woman's Encyclopedia of Myths and Secrets (Harper & Row, 1983)



1 名称
 アテーナー、アテーナーのエーネー(エーナー)という語尾はミュケーネー、キューレーネーなどの都市名にも見られ、女神の名前は都市名に由来すると考えられる。クノッソス出土のミュケナイ時代の線形文字B文書にアタナ・ポティニィアというものが記されており(KN V.52)、これは「女主人アタナ」を意味する。もしこれがアテーナーを指すとすれば、その起源はかなり古いことになる (ただし異論もある。Burkert 1985: 43-44 参照)。

2 職能
 アテーナーが守護する職能の一つは糸紡ぎや機織りという羊毛を用いた女性の手仕事である。アテーナー・エルガネは毛織物の発明者で守護者である。また彼女自身機を織るとされる(『イーリアス』一四・一七八、『オデュッセイア』七・一一〇、二〇・七二)。しかしパンアテーナーイア祭でアテーナーに奉納される衣ペプロスに描かれるのは、巨人たちとの戦闘ギガントマキアである。彼女はまた職人の守護者で、戦車、馬の手綱(ビンダロス『オリュンピア祝勝歌』一三・六五、パウサニアース、二・四・一)、船(アルゴ船、アポロドロス、一・九・一六、『イーリアス』一五・四一二)、トロイアの木馬(『オデュッセイア』八・四九三)などの発明者とされる。オリーヴの木はアテーナーイが彼女の都市となったきっかけの 贈り物であるし、ペルシア軍の放火によってもその生命を失わなかったアクロポリスのオリーヴの聖樹(ヘロドトス、八・五五)は、アテーナーイの永続性の保証であった。パンアテーナーイア祭の競技の優勝者には、褒美としてオリーヴ油を詰めた瓶が贈られた。

 こうしたさまざまな職能を貫いているのは、文化という要素である。女性、職人、戦士などの適切な職能区分・階層化を可能にするものこそが文化であり、アテーナーであると考えられたのだろう。アテーナイの地を争ったとされるポセイドーンとアテーナーを対比してみれば、両者が自然と文化という対極をなしていることが明らかになる。ポセイドーンは野生の馬の守護者、海の波の支配者である。これに対して、アテーナーは馬を操る手綱や波を乗り切る船を発明する。また。ヘルメースが家畜の守護者、牧神なら、アテーナーは羊毛の加工技術の発明者である。アレースが戦いの狂気であるのに対して、アテーナーは勝利に必要な分別、冷静さを英雄たちに授ける。ゼウスに呑み込まれたアテーナーの母が「(狡猾な)知恵」を意味する名のメティスであったことを思い出せば、こうした性格づけも理解できる。

 アテーナーに特徴的な武具であるが多数ついた胸当て鎧のアイギス、アテーナーが代理母となるエリクトニオスを育てるケクロプスの娘たちの伝説、そしてアクロポリスで行われるアレポロイの儀式などに見るように、アテーナーはと関係が深い。はミュケナイ時代から家の守護神とみなされてきた。アテーナイの神話的王であるエリクトニオスとアテーナーの関係は、ミュケナイ時代の王と王宮の守護女神の関係に対応すると思われる。

3 アテーナーの姿の起源
 アテーナーは武装した姿で生まれてくる。戦闘において勝利した時には、勝利の与え手である神ゼウスに感謝してトロバイオンを立てたが(エウリビデス『フェニキアの女たち』一二五〇「貴殿は勝利の記念にゼウスの木像を立て」)、これには戦利品の兜、楯、槍が飾られた。ゼウスから武装した姿で飛び出してくるアテーナーとは、こうしたトロバイオンをモデルにしていると考えられる。欠けているのは、巨人族との戦闘で獲得したとされる胸当て鎧のアイギス である。アポロドロス(一・六・二、上掲)はそれを巨人パラスの皮とし、エウリビデス『イオン』(九八七-九七)は巨人ゴルゴの皮とするが、巨人の名前はパラス・アテーナーという名称あるいは後に英雄ペルセウスから贈られ、アイギスにつけられたというゴルゴンの頭(ゴルゴネイオン)に触発されたものだから、由来の違いは重要ではない。

 アイギス(「ヤギ」)という名前が示すように、儀礼としてはヤギ皮が用いられた。これについてはローマの好古家ウァロの発言が興味深い(『農事誌』一・二・二〇)。「ヤギの仲間はアテーナーへの供犠獣とされないが、これはオリーヴのためである。ヤギの食べたオリーヴの木は、その唾液が果実に有害なので実がならないとされるのである。このためヤギをアテーナーイのアクロポリスには入れないのだが、一年に一度だけは必要な供犠のために連れていく」。つまり、ヤギが犠牲獣として殺され、その皮が聖樹のオリーヴ、あるいはトロバイオン、あるいはアテーナーの像(これら三者は交換可能だし、同じ意味をもつ)に掛けられた可能性が考えられるのである。

 アテーナーの聖なるオリーヴ樹はバンドロセイオンにあった(パウサニアース、一・二七・二)。つまりエレクティオン=アテーナー・ポリアス神殿の隣である。アレポロイ祭は一年の最後のである六に行われるが、その数日前の一〇日頃にはプリュンテリア祭(「神像洗浄祭」)があり、古い木製のアテーナー・ポリアス像が行列によって海まで運ばれ、洗い清められ、新しい衣(ペプロス)を着せられたという(プルータルコス『アルキビアデス』三四)。

4 男性的アテーナー
 王宮の守護女神を前身とするアテーナーは男神とはなりえない。しかし彼女が体現する価値はきわめて男性的である。それはすでに見たように、古代ギリシアわけても前六-五世紀当時のアテーナーイに即していえば、文化的ということでもある。「男は文化、女は自然」という観念の発明者は古代ギリシア人であった。母なしで父から生まれ、処女神であるということは、女性としての束縛・限定から限りなく自由で、男性的価値観を体現できる象徴として解されるべきだろう。アイスキュロス『慈しみの女神たち』六六一では、「女神はかつて、母胎の闇に身の養いを受けたことはない」といわれ、また七三八以下でも、「私には生みの母というのは誰もありません。またよろずにつけ、男性に味方します。まあ、結婚の相手はごめんだけれども。心底からに、私は父親側ですから」といわれている。

5 生まれは大地からか、女からか
 民主政治都市国家アテーナーイにとって、市民とはすべて一定の資格を有する男性であり、互いに平等とされた。しかし女性は、市民の母や妻や娘であっても法律的には無力で、奴隷や異邦人や遊女( ヘタイライ〔複数形〕)とは異なる身分ではあっても、やはり男性のような「真の市民」ではなかった。市民(男)については、エウリビデス『イオーン』二九にもあるように、「地に生いつきの民(アウトクトネス)」ということが強調された。エウリビデスにはまた、断片のみが伝わる『エレクテウス』という作品があるが、その断片五〇には、エレウシース人との戦いに勝つために娘の一人を捧げることになったエレクテウス(上掲、アポロドロス、三・一五・四参照)の妻プラクシテアの言葉として、次のようにいわれている。「私はこの娘を犠牲に捧げます。国家にはこれほど相応しいものはありますまい。我等の民はどこか他の土地から移ってきたのではありません。我々はこの土地から生まれたのです。サイコロの気まぐれな目によって建設された他の国家は、他の都市から人々が移ってきたものです。他の土地からやって来て住んでいる者たちは、名目だけの市民で、真の市民ではありません」。またヘロドトス(七・一六一)には、「ギリシアの諸族のうち、最古の歴史を誇り、かつ住居を他に移したことのない唯一の部族たるアテーナイ人」とある。アリストバネス『蜂』一〇七六にも、「わしどもはアッテイカ人、唯一の正真正銘この地に生まれた者、男のなかの男の族だ」とある。

 このほか、政治家たちの演説においても、アテーナイ人は侵略によってこの土地を得たのではなく元来住んでいたのだから、他のギリシア人よりも一層由緒正しく、また皆同じ大地から誕生したのだから(大地から生まれ、アテーナーの子となったエリクトニオス王の子孫として)、生まれつき平等であると繰り返し述べられている。たとえばデモステネス(六〇・四-五)では、「彼らはこの土地生まれの子供たちである()と認められている。なぜなら人類すべてのうちで、彼らだけが生まれたその土地に住み続けているからだ。……彼らは由緒正しき権利により生まれた土地の市民なのである。この土地は我等の祖先の母なのである」といわれ、プラトーン『メネクセノス』(二三九a)では、「我々と我々の同胞は、皆が一人の母から生まれた兄弟であるがゆえに、お互いの奴隷であったり、主人であったりすることを当然であるとは考えない。むしろ自然における生まれの平等は、我々をして法における権利の平等を求めさせ、徳と思慮に由来する名声のほかには、何物によっても互いに他に服することのないようにさせているのである」といわれている。

6 女の必要性の無化の試み
 つまりアテーナイの男たちは大地から生まれたのであり、女から生まれたのではないという神話があったのだ。こうした大地から生まれた人間による建国の神話は、テーパイの貴族の家系スパルトイについても知られている(アポロドロス、三・四・一)。しかしアテーナイ神話によれば、大地から両親なしに誕生したアテーナイの原初王たち(ケクロプス、クラナオス、アンピクテュオン)はいずれも子孫を残していない。アテーナイの神話系譜イデオロギーは、大地からの誕生のみでは不十分と声明しているのである。さらに、守護女神アテーナーをアテーナイ人の祖先といかに結びつけるかという問題が生じる。アテーナーは処女であるが、アテーナイ人の母でなければならない。

 これを解決する神話が、エリクトニオスの誕生であると思われる。もともとへーパイストスが神話の一部をなしていたかは分からない。エリクトニオスはへバイストスの子ではなくアテーナーの子とされているし、アテーナイはへバイストスではなくアテーナーを守護神としているのだ。大地から生まれた子供がアテーナーによって彼女の擬似子宮とでもいうべき箱に収められ、養育されてアテーナイの神話的王として市民の祖先となるのが基本であり、ヘバイストスは付属的である。

 男のみが真の市民なのだから、アテーナイの女だけについての起源神話は存在しない。女はどこでも女なのだ。そこで女の起源としてはパンドーラー神話が流用される。つまり女は本質的に悪、必要悪と規定されているのである。しかし、現実問題としては女なしでは子孫は生まれない。大地から生まれたというイデオロギーと女から生まれるという現実との矛盾を、少なくとも最初の祖先については神話的に折衷することが必要となる。繰り返しになるが、それを解消するのが、男性的価値観を体現するアテーナーを処女のまま擬似母・養母として大地から生まれた元型的な神話王エリクトニオスの神話なのだろう。この形式で誕生することで、アテーナイはようやく子孫を残せる原初王をもつに至るのである。エリクトニオス以前の子孫を残せなかった諸王ではなく、エリクトニオスこそがアテーナイの王の原型であり、アテーナー・ポリアスとともにアクロポリスで祭祀を受けるに相応しいのである。(松村一男「女神とポリス:アテナとアテナイ」)