キリストのトーテム・シンボルであり、その起源は、「過越の祭り」の際に、初子の仔ヒツジをヤハウェに生贄として捧げたユダヤ人の風習にあった。当初、ヤハウェは人間の初子の男子を生贄に要求したが(『出エジプト記』l3: 2)、やがてこの原始的な供犠に替わって、仔ヒツジが生贄に供されるようになった。
「神の仔ヒツジ」(アグヌス・デイ)となって、イエスは人類の初子の男子アダムの罪を購うと同時に、アダムを通じて全人類の罪を購うと考えられていた。教会の説くところでは、人類は「仔ヒツジ(イエス)の血で洗い清められ」なければならなかった。中世全体を通じて正統派の神学が主張したところによると、アダムは、ゴルゴタの丘のイエスの十字架が立てられたその同じ場所に埋葬されていたのであり、したがって、「仔ヒツジ-救世主」の血は、流れ落ちてその場所に浸透し、アダムの遺骸に救済をもたらしたという[1]。しかし、イヴの方はその場所に埋葬されておらず、神学者たちも、イヴの救済については何も語らなかった。
中世になると、アグヌス・デイという名称は、仔ヒツジの姿が刻印されているロウ製の大型メダルを指すようになり、このメダルは教皇庁によって売り捌かれた。 1471年の教皇大勅書によって、教皇庁はアグヌス・デイの独占販売権を確保した。この護符は大いに売れたが、それは、この護符が、神学者たちによって「神の御業」と定義されていた各種の破壊的な嵐から、人間の身を必ず守ってくれると宣伝されていたからだった[2]。要するに、「父なる神」の怒りから人間を守るために、「神の子」のカに祈りが捧げられたというわけである。
Barbara G. Walker : The Woman's Encyclopedia of Myths and Secrets (Harper & Row, 1983)
〔地中海・復活〕 地中海文明(遊牧民の文明だろうが定住農民の文明だろうが)が発展していくあらゆる段階において、今日、聖ヨハネの小羊と呼ばれる、最初に生まれた小羊は、汚れのない輝かしい純白さのゆえに、春の顕現として現れる。復活と、絶えず積み重ねねばならぬ死に対する生の勝利を具現する。この元型としての機能により、小羊は何にもまして贖罪の生贄に適し、自分の救済を確実にするために犠牲にしなければならない。その点でディオニューソス神の信徒は、他の多くの儀式や慣習の場合と同じように、後の偉大な3大天啓宗教を先取りする。レルネの底なし招から母を探して冥界に下ったディオニューソスが再び姿を現すようにと、「信徒は深淵に小羊を投げ込んだ。地獄の門の番人ビュラオコスをなだめるためである」(SECG、294)。
〔ユダヤ教〕 ユダヤ教の出現とともに、この象徴ははっきりした意味を持つようになる。小羊(もしくは雌ヒツジ)は初め〈ユダヤ人〉を象徴する。神の群れの成員で(『イザヤ』40、10?11)、ヒツジ飼い(政治指導者)に率いられて草を食べる(『エノク第一』89、12以下)。
「見よ、主なる神。
彼は力を帯びて来られ、
主はヒツジ飼いとして群れを養い、御腕をもって集め
小羊をふところに抱き、その母を導いて行かれる」
(『イザヤ』40、10-11)
このイメージは後にキリスト教が引き継ぐ(『ルカ』10。3;15、3以下;『ヨハネ』21、15r17)。
〔生贄〕 しかしとくに乳飲み小羊は、今日にいたるまでどんな事件によっても変わることなく、ユダヤ教徒からキリスト教徒、キリスト教徒からイスラム教徒までが、ありとあらゆる機会に供物として生贄に供する。とりわけ≪復活≫の場合がそうで、そのとき次々と、ユダヤ教の復活祭、キリスト教の復活祭、すなわち神の小羊であるキリストの死とよみがえり、およびイスラム教における断食の供犠が行われる。この最後の場合「クルバン」(=小羊)というのは、中東の日常語において愛情の籠もつた呼びかけとなり、真の友人に対する挨拶であって、「兄弟」と呼ぶのと変わりがない。
〔継承〕 この3種類のしきたりを詳しく研究すると、その象徴的な意味合いが引き継がれていることが明らかになる。ほんの細部にいたるまで継承されているのだ。たとえば、十字架に注がれたキリストの腰罪の血は、ユダヤ教徒が悪の力から家を守ろうとして、生贄にした小羊の救済の血を戸の縦枠やら横木に塗りつけるのと関係がなくもない。
バプテスマのヨハネがイエスの姿を目の当たりにして、「見よ、世の罪を取り除く神の小羊」(『ヨハネ』1、29)と叫んだとき、少なくとも部分的には確実に犠牲のテーマと結びついていた。『ペテロ第一』で表面に浮かび上がるのは、過越の祭りの調子なのである(1、18?19)。キリスト教徒が解放されたのは、その昔イスラエルがエジプトから解放されたのと同じで、小羊、つまりキリストの血によってである。
ヨハネ(19、36)とパウロ(『コリント第一』5、7)は、同じく、キリストの死は過越の祭りにおける小羊の生贄を完全に実現したものと断言する。
しかしながら原始キリスト教は、イエスを小羊になぞらえることによって、旧約聖書の別の預言にも結びつく。すなわち、イザヤ(53、とくに第7節)が救世主の苦しみを告げる謎めいた個所である。ここでキリストは屠殺場に連れて行かれる小羊のイメージに象徴される(『使徒行伝』8、32参照)。
〔キリスト〕 小羊は、『黙示録』ではシオンの山上、天にあるエルサレムの中心にいる・ゲノンは『バガヴァッド・ギーター』(15、6)における〈ブラーフマープラ〉(ブラフマーの町)の描写が、天にあるエルサレムとほぼ一致することから、小羊(agneau)とヴューダ教の〈アグこ神〉(Agni)との関連を示唆する。もっぱら音声上の類似による説(フランス語ではアニヨーと発音)だが、アグニ神は雄ヒツジの背にまたがるという裏づけもある。この類似は偶然ではあり得ない。というのは〈アグニ〉が「犠牲的」性格を持つほかに、両者とも生き物の中心に「光」として現れるからだ。この光は至上の認識を探究したあげく得られるものである。このようなヴェーダの火の神との比較は、小羊がそなえる太陽のように男らしく光り輝く側面を明らかにする。『黙示録』には、ライオンのような小羊の一面も示されている。キリストの意味で小羊の単語が28回も使われる。このギリシア語の単語が前の場合とはぴったり一致せず、また小羊が怒りを爆発させ(6、16以下)、戦って勝利を収める(17、14)ので、天体の象徴的意味(黄道十二宮の雄ヒツジ)の影響を見てとる解釈があり、当たっていなくもない。とにかく以前の象徴体系がまだ残っている。小羊は生贄にされ(5、6、9、12)、したがって供犠、あるいは過越の祭りの性格さえ帯びる。しかしここではこの象徴は、よみがえってたたえられるキリストを指す。だから新しい意味あいが見て取れる。すなわち、死(5、5?6)や悪の力(17、14)に打ち勝つ小羊、全能にして神々しく(5、7?9)、審判者(6、16以下)としての小羊である。
〔非キリスト化〕 象徴がどれもよく似ているせいで、宗教や信仰の混同が起こりそうなものだから、紀元692年にコンスタンティノープルで開かれた公会議では、キリスト教芸術はキリストを小羊でなく十字架で表すよう命じた。またキリストの周囲に太陽や月があってはならず、人間として表現することに決めた。
(『世界シンボル大事典』)