雄ヒツジ(Ram)

 雄ウシ、雄ジカ、雄ヤギとともに、男根神を具象化した「のある」動物たちの仲間。雄ヒツジはしばしば選ばれて、生贄という判然としない栄誉を受けて神に供された。そのため、人類のために、神である自らに捧げる生贄として、死んで行く神と同一視された。

 太陽神は、天界の雄ヒツジであるアリエス(牡羊座)と関連があった。雄ヒツジのアリエスは聖なる年の始まりを示し、 時が来ると死んで、そして新しいアイオーン(年の神)となって再生する。エジプト人はアリエスを、「雌ヒツジ、生殖力ある男性。愛の情熱をかき立てる聖なる男根、雄ヒツジの中の雄ヒツジ」であるアメン-ラーと呼んだ[1]

 「やぶに捕われた雄ヒツジ」は性的比喩であり、アブラハムの伝説上の故郷の「カルデア人の都ウル」では、よく用いられる宗教的表象であった。この「やぶに捕われた雄ヒツジ」は聖書にも、イサクの父アブラハムが、ヤハウェの命によって息子を祭壇の上に横たえ、生贄として捧げようとしたとき、イサクに代わって生贄となった雄ヒツジとして描かれている(『創世記』 22 : 13)。この物語は人間を生贄にする古代の風習から、動物の生贄を捧げるギリシア・ローマ時代の風習への推移を示している。これはまた、ゼウスに生贄を捧げるボイオティアの儀式において、王の息子の代わりに「金羊毛皮」の雄ヒツジを捧げたことにも示されている[2]。より古いミドラッシュ(古代ユダヤ人による旧約聖書注解聖書)に書かれたアブラハム-イサクの物語はやや異なっており、アブラハムは手を止めず、雄ヒツジは現れなかったと述べている。イサクは殺され、埋められ、3日目に甦ったという[3]

 雄ヒツジはイスラエルでは、「聖なる雌ヒツジ」であるラケルのとして神霊視された。聖書の物語によると、ラケルはのちに、イサクの化身であるヤコブと結婚した。ユダヤ人は、ヤハウェと同一視された雄ヒツジ神の初子の息子として、毎年過越の祭りに、仔ヒツジを生贄に供した。かつては聖書の神は雄ヒツジのをつけたが、のちには悪魔の頭につくものとなった。ヨシュアの祭司たちは勝利を招く呪術に雄ヒツジのを用い(『ヨシュア記』 6: 4)、彼らが戦場で聖なるヒツジに導かれたことを示している。


[註1]Budge, G. E. 2, 64.
[註2]Graves, 1, 226-27.
[註3]Ochs, 32.

Barbara G. Walker : The Woman's Encyclopedia of Myths and Secrets (Harper & Row, 1983)



ram.gif一般〕 血気盛んで、勇ましく、直観的で力強い雄ヒツジは、季節の春と同様に人生の春に、人間と世界を目覚めさせ、生命サイクルの再生を保証する生殖力を象徴する。このため、盲目的な頑固さと、熱情と寛大さは関連づけられる。

占星術〕 占星術師は、次のように理解している。毎年、321日の春分の日に、太陽が越えていく白羊宮は、動物的な力、あるいはむしろ活気ある力と火の宇宙的なイメージを表す。その力は、創造と破壊、盲目と反抗、混沌と冗長、寛大と至高を同時に持ち、中心点からあらゆる方向に広がる。その火の力は、根源的な活力の湧出や生命の原初の飛躍と同一視される。それとともに、こうした最初のプロセスには、純粋な生の衝動、急に現れ、すばやく、統御できない感情の放出、並外れた興奮、熱い息吹がある。。ヘルメースの伝承によると、神の御言葉の響きは、赤と金色であり、御言葉は、火星と太陽に似ていて、人間は、その御言葉に接する。御言葉は、騒がしく、激情的で、ほとばしり出て、本質的には攻撃的である。占星術師は、人の性格をそれぞれ黄道十二宮と一致させるが、その人が十二宮のに生まれただけでは十分ではない。十二宮のタイプに似るためには、そのに生まれたことが必要である。現代の性格学では、「白羊宮のタイプ」は、(感情的-括動的-視野が狭い)「怒りっぽさ」(コレリック)に属する。このタイプには、燃えるような生命力、騒ぎと緊張の中で全力で生きたい熱意、強い感動、激しい興奮、危険、手柄、活動しすぎる人生の浮き沈みがある。

 こうした特徴は、多くの神話、習慣、象徴的な図像の中で証明されている。

エジプト〕 こうして、エジプトの空気と豊饅の神、〈アメン〉は、後に〈ユピテル・アメン〉の名で改めて登場したが、ちょうど〈雄ヒツジを担った。ヘルメース〉のように、雄ヒツジの頭をしていた。アメンは肩にヒツジを担いで、動物の流行病を追い払うために、町のまわりを回って、病気を退けたので、ボイオティアの神殿に祭られ、ヒツジを担いだ神として名高い。

〔ギリシア〕 ドーリア人は、同じ牧人の儀式で、雄ヒツジの神、スパルタでも有名だった〈アポッローン・カルネイロス〉を崇拝していた。野獣を遠ざけ、家畜の群れを守り、ヒツジ飼いを訓練するためである。

キリスト教〕 たしかに、これらの地中海の儀式と信仰の起源は、良きヒツジ飼いキリストと肩に小芋や雄ヒツジを担いだキリストの数多くの図像にある。雄ヒツジは、「罪人の救いのために死に身を捧げる神の小羊の変形」になる。それはキリストだけでなく、「キリストの後とキリストの中に贖罪の手段としてを受け入れる教徒」のシンボルになる(CHAS、278)。これは火と血と再生する豊穣の象徴体系の純化の場合に限られる。

エジプト・信抑〕 こうした例は無限にある。古代エジプトの信仰によれば、陶器の型を作った陶工の神クヌムは、何にもまして、雄ヒツジの神、生殖のヒツジである。ミイラになった雄ヒツジが、多く発見された。「それらの中に生者の再生を保証する力があった。そのは、神や王にふさわしい魔法の冠の一部を構成していた。は、超自然から発する恐怖のシンボルそのものだった」(POSD、178)。

 ジャン・ヨヨットの記録では、「都市の支配者で豊穣の神、雄ヒツジの神殿にヒツジの像を捧げたメンデスの祭司は、自分の代わりに祈って貰うために巡礼に頼る。 — おお、聖なる大ヒツジを見に来るために、上流から下流に航海するあなたがたよ、この私の像のために、神に祈りなさい」(SOUP、20)。

一般〕 ガリアからブラック・アフリカ、インドから中国にいたる地域で、豊穣と生命原理そのものを介して、創造の火を、不死にも結びつけるシンボルのつながりが同じように崇められている。

インド〕 『ヴューダ』では、雄ヒツジは、火、とくに、聖なる火の管理者〈アグニ〉と関係がある。タントラ・ヨーガでは、四大の「火」に対応する〈マニプーラ・チャクラ=へそのチャクラ〉は、寓意としては、雄ヒツジである。最後に、『バースカラ・マントラ・ウパニシャッド』によると、賢明なインドラ神が、「最高原理の単一性」を教えたのは雄ヒツジに変身したためである。

「お前の幸福のために、私は、雄ヒツジに変わった。
お前は、安楽のために、戒律の道に着いた。
だから私の唯一の、本当の性質に達しなさい。
私は、旗、不滅です。
私は、万物の場所です。これは過去も今も将来もそうだろう」(VEDV、428)。

 雄ヒツジは、ヒンズーの神、北と「財宝」の守護者〈クヴューラ〉の乗り物でもあり、金羊毛を思い起こさせる。

ギリシア〕 しかし、金羊毛の探索が、とくに、精神的な宝、つまり英知の探索なら、探索は、多分、王による神明裁判でもある(ラムヌー)。

中国〕 古代中国では、雄ヒツジは、法的な神明裁判に加わっていて、一角獣と同じ役割を演じていた。同じ時代と文化領域で、雄ヒツジは、時折、仙人(葛由)の乗り物、さらに、インドのように、仙人自身が変身した姿でもある(GRAD、KALL、MALA、RENB)。

ブラック・アフリカ〕 ブラック・アフリカに関する他の証拠については、マルセル・グリオールの例を取り上げよう。雄ヒツジは、聖域の壁にはえたトウモロコシの穂を支配する。しっぽの先端は、旺盛な豊穣のシンボルのヘビの頭であり、農業の神の天上の雄ヒツジが描かれているのが見えた。

ヨーロッパ〕 ヨーロッパに戻れば、ガリアで雄ヒツジの頭のついた焼いた陶土と石で作られたたきぎ台が、数多く発見されたことに注目しよう。これは動物の火の象徴的意味と多産な家族を結びつける(CHAB、AGAC)。「金羊毛」についで、最初は同じ象徴的意味に由来するが、無数の習慣、伝承、図像の源泉として象徴的な価値を担うのは、雄ヒツジの「」である。その最も強いものが、おそらく、「豊穣の」である。

精神分析〕 現代の心理学と精神分析では、A・ヴィレルが、目の前に思い浮かぶように要約したので、雄ヒツジの重要さは認められている。「生殖用の」雄ヒツジの群れは、「攻囲された都市の城門と城壁を打ち倒し、社会の殻を打ち破る機械でもある。さらに、そのの螺旋状の形は、変化の思想を付け加え、あらゆる動物のV型のが喚起する開口と儀式の価値を高める。雄ヒツジは、通過儀礼を表している。雄ヒツジは、言葉と理性に恵まれている。雄ヒツジは精神と聖なる力、純化を象徴する。飛翔する毛は、金色である」(VIRI、174)。しかしながら、雄ヒツジの浸透力は、両面性を持つ。その力は、豊かに実らすと同時に、傷つけ、殺す。

占星術〕 白羊宮(黄道十二宮。321日-420日)

 白羊宮は、寒さから暑さ、から光への通過とともに、日の出に対応する。これはすでに指摘した金羊毛の「探索」と無関係ではない。

 白羊宮は、春分のすぐ後から30度の間に位置した、最初の黄道十二宮である。このとき、自然は、冬眠から目覚める。とりわけ、春の芽生え、衝動、男らしさ(これは火星の主な特徴だが)、エネルギー、独立、勇気を象徴する。自羊宮は、非常に積極的または、「男性的」な宮である。女児が誕生したとき、この宮が優勢であると、その強い影響は、女性にとって好ましくない。

 毎年、太陽を、321日から420日にかけて越えるが、白半宮は、原初的な火の性質に緊密に結びついたシンボルである。白羊宮は、炎が上がったとき、まず顕現した火が持っている荒々しい力を示す宇宙のイメージである。

 この場合の火とは、創造と破壊、盲目と反逆、雑然と冗長、豊穣と崇高を合わせ持ったような火で、中心から発して四方八方に拡散する。この火力は、本源的な生命力のほとばしり、生の本源的な躍動と1つになる。もともと火の勢いには、天然の粗暴な力、突発的で、衝撃的な手に負えない炸裂、度外れた激情、灼熱の爆風が混じる。色でいえば、赤や黄金といった言葉の響きに通じるところがあるし、星でいえば、火星や太陽と近い関係にある。本来、攻撃的で超男性的な言葉であって、荒く、性急で、激しい、逆巻くような、ひきつったような性格に呼応する。占星術では、人間の性格 を黄道十二宮の各宮に当てはめる。もちろん、誕生日を十二宮に対応した各に当てはめ、該当した自分の宮のタイプに性格が必ず似ていなければならないと規定しているわけではない。白羊宮のタイプは、現代の性格学では「怒りっぽい人」(感情的、積極的、単純な性格)に属する。このタイプは、燃えるような活力があって、生きる情熱は手綱が切れたようである。騒々しく、激しい本能の持ち主で、興奮しやすく、感情は激烈、生活力が旺盛なために、危険な目に会うこともあれば、勇猛果敢なときもある。いろいろ衝突することもある……。
 (『世界シンボル大事典』)