ライオン(Lion)〔Gr.levwn

 ギリシアやローマでは、たいていは太陽神のシンボルとされていたが、中東やエジプトでは、女神と関連づけられる方が普通だった。イシュタル、アスタルテー、キュベレーなどは、ライオンにまたがったり、あるいはライオンを馭したりした。バスト・ヘ(ウ)ト=ヘル〔ハトホル〕は「雌ライオンのスフインクス」で、「破壊者」のシンボルだった。バスト・ヘ(ウ)ト=ヘル〔ハトホル〕は、ローマにおける彼女の同格神ヤヌス・ヤナと同じように、前方と後方を向いた双頭のライオンの姿をしていた。双頭のライオンは「時」のシンボルであり、象形文字では「昨日と今日のライオン」 xerefu and akeruだった[1]

 先史時代のブリトン人の王国は、その国の初期の女王の1人ライオネス(または、レオノイス)にちなんで命名された。この女王はアーサー王の物語にはリオノルスの名で登場した。マーリンが住んでいた町(アーサー王の宮廷があった所と言われている)は、「ライオンの住みか」の意のカールレオンだった。ライオンは英国諸島に土着の動物ではなく、したがって、英国のライオンは輸入されたトーテムだった。ライオンとヘビは、聖なる1年(四季)の上昇する精霊と下降する精霊とを表しており、異教の十二宮ではライオンがヘビのあとにきた[2]

 英国の「ライオンの支配者たる女王」は、ローマの硬貨を媒介にして英国に到来したのかもしれない。ローマの硬貨には、アウグストゥスの時代から、「神々の太母」(キュベレー)が2頭のライオンを左右に従えて玉座についている姿が表されていた。この太母は城壁冠をかぶっており、この城壁冠はサクソン人の間では神格を表すエンブレムになった。ライオンの女王は、ある詩の中で次のように描かれていた。「この天界の処女神はライオンにまたがっている。彼女は、穀物を実らせる者、法律の考案者、都市の創建者である。彼女の御恵みによって、幸いなるかな、人間は神々を認識する。したがってこの女神は、神々の母、平安、美徳、ケレス、シリアの女神であり、彼女が持っている天秤で生活と法律を比較計量している」[3]


[1]Budge, E. L., 61.
[2]Graves, W. G., 270.
[3]Vermaseren, 75, 138.

Barbara G. Walker : The Woman's Encyclopedia of Myths and Secrets (Harper & Row, 1983)



一般〕 ライオンは力強く、至上の動物で、太陽と目も眩むばかりの光のシンボルである。「百獣の王」ライオンはその地位に固有のさまざまな長所と短所を持つ。一方でまさしく〈力〉、〈知恵〉、〈正義〉の化身であっても、他方では逆にその倣慢と過信から、己れの力に目が眩み己れの光でめしいとなった、庇護者たらんとして暴君になり果てた〈父親〉、《支配者》、《君主》のシンボルとされる。したがってライオンは感嘆に値するものであると同様に、耐え難いものとされる。ライオンの持つ数多の象徴的意味はこの両極の間で揺れ動く。

正のイメージ〕 クリシュナは「動物たちの中のライオン」である、と『バガヴァッド・ギ一夕ー』はいう(10、30)。プッダは「釈迦族のライオン」である。キリストは「ユダ族のライオン」である。

 シーア派教徒が賛美する、ムハンマド(マホメット)の女婿アリーはアッラーのライオンであり、それゆえイラン国旗には冠を戴いたライオンが印されている。偽ディオニシウス・アレオバギタによれば、神学が若干の天使にライオンの姿を与える理由は、ライオンの形姿が聖なる知性の権威と抗し難い力とをよく伝えるからである。「この至高の、激越なる、不屈の努力」は神の威厳を模倣するためであり、また天使たちに与えられるこのいとも崇高なる秘密とは、「神性と天使たちとの交渉の痕跡を不躾な視線から敬度に隠すことにより」神の神秘を威厳の闇で包み隠すためのものである。それはちょうど猟師に追われて逃げるとき自分の足跡を消すといわれるライオンの場合と同じである。『黙示録』を見ると、天の玉座を取り巻く4つの「前にも後にも一面にがある生き物」の内、第1の生き物はライオンの姿に描かれており、『エゼキエル』1、4-15では、ヤハウェの車輪が「燃える炭火の輝くような」4つの生き物とともに現れ、その生き物はそれぞれが4つの顔を持ち、その内の1つは獅子の顔である。

 ギリシア人とペルシア人からインドを奪回し再統一した仏教徒の王アショーカ(紀元前232年没)の紋章は、「真理は勝利する」というモットーとともに、車輪の形をした台座の上に背中合わせに描かれた3頭のライオンの画像を持っていた。それは今日でもインドの大紋章となっている。この3頭のライオンは王の仏教的熱情から考えて、〈トリピタカ〉すなわち、経、律、論の「三蔵」とよばれる仏教聖典を象徴するとともに、〈トリラトナ〉すなわち《仏》(創始者ないし覚者)、《法》(仏法)、《僧》(教団)の「三宝」をも象徴するものであろう。

 正義のシンボルであるライオンは、それゆえに物質的あるいは精神的な力の保証となる。したがってそれは多くの神々の乗用動物ないし玉座の役目を果たすとともに、ソロモンやフランス王の王座、中世の司教の高座をも飾る。ライオンはまた《審判者》キリストのシンボルである上、《博士》キリストのシンボルでもあるので、書物か巻物を持っている。同じ見地から、ライオンが福音史家マルコのエンブレムにもなることは知られている。『創世記』49、8から始まって聖書全篇を通じて問題とされる「ユダ族のライオン」は、キリストという名のもとに立ち現れる。ユダ族から出たライオンが「勝利を得たので、7つの封印を開いて、その巻物を開くことができる」と『黙示録』5、5はいう。中世のイコノグラフィーではもっとはっきりと、ライオンの頭部と前部がキリストの神性に対応し、後部(その相対的「弱さ」により前部と対照をなす)がその人性に対応する。

 ライオンはまたプッダの玉座に使われる。また、〈デーヴィー(女神)〉の1様相である《クブジーカー》の玉座にも使われる。

 ライオンはシャクティの力、〈神聖なエネルギー〉の力である。それは《ナラシンハ》(人獅子)に化身して、力と勇気、悪と無知の破壊者となる。至上の力にして、また《ダルマ(正義)》の力でもあるライオンは、「中央の」至高のブッダである《ヴァイローチャナ》に対応し、また大智の体現者である〈文殊菩薩〉にも対応する。プッダが「獅子吼する」のは、ヴェーダの〈プリハスパティ〉と同様である。「彼が会衆に〈ダルマ(法)〉を説く様は、獅子が吼えて百獣を恐れさせる威力にたとえられる」(『南伝大蔵経増上部』5、32)。それは法の力、その衝撃と覚醒の力、その空間と時間における伝播を表す。

 ヒンズー教のイコノグラフィーはまた《御言葉》の発顕である雌ライオン〈シャルドゥラー〉にも触れているが、これは〈マーヤー〉の恐るべき様相、発顕力を示している(BURA、COOH、CHAV、DANA、DEVA、DURV、GOVM、GUEM、GUER、EVAB、KRAS、MALA、MUTC、ORIC、SECA)。

 こうした素晴らしさに溢れたライオンの役割はヨーロッパからアフリカまであまり変わらない。バンパラ族もその悠揚迫らざる力に打たれて、ライオンを「神聖なる《知》」のアレゴリーとし、伝統的社会秩序において祭司=学者に次ぐ高い位階を与えた。

leon.jpg

負のイメージ〕 しかしこの〈泰然たる不動の力〉も、それがもはや重視されなくなると、その短所を、民衆の知恵も神秘家や哲学者も見逃しはしなかった。かくして現代の女性解放とともに、「立派で寛大なライオン」は、自分の力がまったく不完全であることを知らぬか、知らぬ振りをする「男性優越主義の男」になり下がった。このことから想起されるのは、専横な意志と無統制の力とのシンボルとしてのライオンの「怒りっぽい欲望の烈しさ」に関する聖ファン・デ・ラ・クルス(十字架の聖ヨハネ)の考察である。これは〈シヴァ〉が足をかけている、盲目的〈貪欲〉のシンボルとしての「腹の出たライオン」に通じる。この盲目性は〈キリスト〉のシンボルとしてのライオンから、これも聖書中に出てくる〈反キリスト〉のシンボルとしてのライオンへと直結する。精神分析ではこのライオンはときに、退廃した社会的欲動(専制君主として君臨しその権威と力を容赦なく押しつける性向)のシンボルとされよう。しかしライオンの獅子吼と大きく開いた口はまったく別の象徴的意味(もはや太陽と光にではなく闇と冥界にかかわる意味)をも喚起する。この人を不安に陥れる光景の中ではライオンも、多くの神話に登場する「ワニ」のような、太陽を夕暮れにばくりとくわえ取り、明け方に吐き出す冥界の神々と似てくる。エジプトでも事情は同じで、ライオンはしばしば番に背中合わせに描かれた。2頭のライオンは、1頭が東もう1頭が西と、それぞれ反対の地平を眺めているのであった。2頭のライオンはついに2つの地平と、地球の一方の端から反対の端までの太陽の運行とを象徴するにいたった。このように1日の推移を見守ることから、2頭のライオンは《昨日》と《明日》を表した。「そして太陽は《西のライオン》の口から《東のライオン》の口まで冥界を旅して、東のライオンの口から朝方よみがえったので、2頭のライオンは太陽の再生の基本的動因となった」(POSD、151)。もっと一般的にいえば、2頭のライオンは夜と昼の交替、努力と休息の交替がもたらす〈活力の再生〉を象徴した。

極東・日本〕 同様に極東でも、まさしく象徴的な動物であるライオンは、竜との深い類縁性を持ち、竜と同一視されることもある。ライオンは悪霊からの〈保護者〉の役割を果たす。日本ではライオンの踊り(獅子舞)が1月1日と若干の祝日に催される。それは通りから神殿の前、個人の家の中でも行われる。踊り手には楽師の伴奏がつく。踊り手はライオンの仮面(獅子頭)を着ける。1人が獅子頭をかぶり、2〜3の者が布の中でライオンの胴体を表現する。獅子頭は赤い。このライオン(獅子)は悪鬼を追い払い、家庭や村や町に健康と繁栄をもたらすとみなされている。

象徴・再生〕 ご覧の通り、上述した悪夢のような光景も最後には追い払われ、冥界における象徴的意味も逆転して、のイメージは再生の保証、つまり生のイメージに変わる。このことは他の文化圏においても見られ、「ライオンが周期的に雄ウシをむさぼり食う話は、何千年来、昼と夜、夏と冬という基本的な対立的二元性を表現している」(CHAS、53)。ライオンは太陽の回帰と、宇宙と生物のエネルギーの再生ばかりでなく、よみがえりそのものをも象徴するにいたるであろう。キリスト教徒の墓はライオンで飾られるであろう。「ライオンはそれだけで復活のシンボルなのである」(CHAS、278)。

黄道十二宮〕 〈獅子宮:7月23日〜8月22日〉

 黄道十二宮の第5宮である獅子宮は真夏に位置する。したがってそれは、その「主人」に当たる《太陽》の熱い光線を受けた自然の開花によって特徴づけられる。黄道十二宮の心臓である獅子宮は生きる喜び、野心、自尊心、上昇を表す。

 ライオンとともに我々は四大の《火》に立ち返る。しかし《自羊宮》から《獅子宮》へと、自然の基本要素である火が変容するにつれ、粗暴な動物的力、火花とか稲妻のような瞬時の絶対的力から、もっと拡張されて、最高潮の熱と光を発散する炎のような〈制御されて自由に使用しうる力〉へと成長する。また、我々は春の曙光から夏の真昼の壮麗な光へと移行する。この第5宮は至上の力、高貴な力のエンブレムである百獣の王という、威厳に満ちた被造物によって表象される。ライオンが《太陽》に結びつけられるのは、熱、光、輝き、権力、輝かしい貴族制といった様相のもとに生命の象徴体系をなすからである。それゆえライオンに当てられた意味区分とは高らかに響く無上の競技祝勝歌にも似て、命の火の輝きなのである。黄道十二宮の第5宮には最高の能力を持った性格が対応する。すなわち《熱情家》、行動への欲求と好みにつき動かされた意志的存在がそれで、この感じやすく活動的な人の力は規律正しく、目標を目指し、遠大な野心に奉仕する。それは生命を声を限りに歌い上げさせるために生まれ、至高の生きる理由を見出すために生まれた、強烈な自然で、その運命の天空によく響く調べを轟かす。この力は水平的広がりとして発揮され、現実主義、効力、具体的活力、肉体的存在の点でヘーラクレース的類型をもたらす。しかしその力はまた垂直的緊張としても示され、光の力が全面的に支配することを目指す、理念的なアポッローン的類型をももたらす。
 (『世界シンボル大事典』)


 画像出典:『死者の書』第17章。