プリュギアのロバの耳をした王。「触れるものを黄金に変える手」を持つと信じられていた。これがのちに価値の低い金属を黄金に変える能力として錬金術の民間伝承に引き継がれた。「ロバの耳をしたセト」の祭儀に見られるように、ロバの耳はかつては神の力のしるしであったために、図像に明確に描かれた。しかし古代ギリシアの神話はこの王の耳を嘲笑している。
Ass.
Barbara G. Walker : The Woman's Encyclopedia of Myths and Secrets (Harper & Row, 1983)
小アジアのプリュギアの伝説的な王。彼はそこにシーレーノスがつねに訪れる庭をもっていた。ミダースはシーレーノスを捕えるべく、庭の泉に酒を混ぜておいて、彼を酔わしめ、彼が目がさめた時に、その智を自分に伝えることを求めた。その内容は古代において問題となっていたが、アリストテレースは人生は苦難であり、生れることは災いであると言ったと伝え、またアイリアーノスは、この世界の外にエウセベースEusebes《敬虔な》とマキモスMachimos《戦の》の二大国があり、前者の住民は幸福に一生を送り、笑いのうちに世を去り、後者の住民は武装して生れ、−生を戦闘に暮すが、両者ともに金銀をわれわれが鉄を有するごとくに所有し、富み栄えている。この両民族があるときこの世界訪問を思い立ち、オーケアノスを渡って、この世のなかでもっとも幸福な民族であるヒュペルボレイオス人の国に到着して、その憐れなさまを見て、また自分の国に戻ったという話をしたと伝えている。
また別の所伝では、シーレーノスがはぐれて、捕えられた時に、彼を歓待したので、シーレーノスはミダースになにごとでも望みをかなえてやると言った。王は自分が触れた物がすべて黄金となることを欲した。この望みはかなえられたが、王が食べようとする物がすべて黄金となり、空腹に耐えかねて、ディオニューソスに救いを求めた。神は彼にパクト一口スPaktolos河の源で身を潔めることを命じた。このためにこの河には東金が流れているという。
またパーンとアポッローンが音楽の競技をした時に審判者となった彼は、パーンに勝利を与えた。アポッローンは怒って彼の耳が愚かであるとて、耳をロバの耳に変えた。王はプリュギア帽の下にこれをかくしていたが、王の床屋がこれを知り、人に話したくてたまらないが、王の怒りを恐れて、地に穴を掘り、穴の中へ王の秘密を話して、その上に土をかけておいたところ、そこから葦が生え、風にそよいで秘密を語った。(『ギリシア・ローマ神話辞典』)
ミダースは、モスキア人(「子牛の人々」)、あるいはムシュキ人の王であるミターと同一人物とみなされているが、さもありそうなことに思われる。このモスキア人というのは、前第二千年紀のなかごろトラーキアの西部、のちのマケドニアにあたる地域を占拠していたボントス出身の人々のことである。彼らは前1200年のころヘレースボントスを渡り、小アジアにいたヒッタイト人の勢力をうち破り、彼らの首都プテリアを占領した。「モスキア人」という名前は、おそらく神聖な暦年の精である雄の子牛の信仰に関係があるのであろう。ミダース所有のばら園だとか彼の出生にかんする話は、ばらとゆかりのふかい狂乱のアプロディーテーの信仰となんらかの関係があるように思われる。手にふれるものがことごとく黄金にかわるという話は、ミター王朝のゆたかな富とパクト一口ス河から産出する砂金を説明するために、あとから考えだされたものであろう。それから、アテーナイの喜劇にはミダースがおそろしく長い耳をもったサテュロスの姿で登場するので、ここからロバの耳の神話が生れたのだとふつうにはいわれている。
しかし、ロバは彼の恩人のディオニューソス この神は天の星々のあいだに二頭のロバの像をおいた(ヒュギーヌス『詩的天文学』第二書・二三) の神獣であるから、もとのミダースはロバの扮装をするのをよろこびとしていたのかもしれない。さきの方に二つのロバの耳のついている葦づくりの笏は、エジプトの王朝に関係のあるすべての神々が手にもっていた王権のしるしであるが、これはもともとロバの耳をした神セトが彼らの万神殿を支配していた時代の名残りであった。前第二千年紀のはじめごろのヒュクソスの王たちの力で一時的に復活するまでは、セト神の勢いはひどく衰えていた。しかしヒッタイト人は、ヒュクソスたちにひきいられた北方攻略の大軍の一部だったのだから、ロバの耳をしたミダースがセトの名においてヒッタイト帝国の統治権を要求したとしても、すこしもふしぎではない。王朝が確立する以前には、セトは一年の後半を統治し、彼の兄弟で前半の精であるオシーリス その象徴が雄牛である を毎年殺していたのだった。事実、彼らは自分たちの姉妹、月の女神のイーシス好意をえようとして永遠にいがみあっているおなじみの仇敵同士の双生児なのである。
ミダースの床屋の話の出典になった図像は、おそらくロバの王の死をえがいてあったのであろう。王者の力のやどる太陽の光線にかたどった彼の頭髪が、サムソンの頭髪のように刈りとられ、切りおとされた彼の首がアンキューラ市を侵入からまもるために穴のなかに埋められていたのであろう。葦は二重の意味をもつシンボルで、十二番目の月にゆかりの「木」として、彼の身辺に死の影が迫ってきているという警告の神託をあたえると同時に、彼の後継者を王位につかせもするのである。雄牛の血にはつよい魔力がひそんでいるので、これを飲んでも身体をそこなわないというのは、大地母神につかえる巫女たちだけであった。しかも、これがオシーリスの血であってみれば、ロバの王にはとりわけ有害だったわけであろう。(グレイヴズ、p.407-408)