Z


ゼピュロス(ZevfuroV)

Zephyros.jpg

 ギリシアの風の精で、北風の神ボレアースが雌ウマを孕ませると考えられていたように、女性や動物の雌を受胎させる力があった。ギリシアの男根神は、彫刻やお守りには「の尾をもつ風」として表されることが多かった。子宮に気、息、または風を吹きこんだ者が生まれた子の父親であるという考えは、ギリシア特有のものではなかった。これは父権制初期の諸宗教に共通の考え方であり、その宗教の教えによれば、男の大霊(Oversoul)〔宇宙に生命を与え、また全人類の霊魂の根源をなす神〕は「気」にすぎない。
 point.gifSoul.


Barbara G. Walker : The Woman's Encyclopedia of Myths and Secrets (Harper & Row, 1983)



 大修館『神話・伝承事典』は、ゼピュロスを「北風」と間違っているが、ゼピュロスは、トラーキアの洞窟に住む「西風」の神。

 北風BorevaV雌馬を孕ませることができるように、ゼピュロスも女性や動物の雌を受胎させる力があり、ハルピュイアのひとりポダルゲーPodavrgh〔「早足」の意〕によって、アキッレウスの戦車を牽く神馬バリオスBalivoVとクサントスXavnqoVとの父となった。

 地中海人にとって、西風は、樹に花を咲かせ、実りをもたらす春風である。

多産な畑は生命に溢れ、暖かな西風のそよぎに
野はその胸をひらき、しっとりとした湿り気がすべてを満たす。
若草は新生の太陽に安んじてその身を委ね、
葡萄の若枝は、南風の襲来も、また、烈しい北風に
空を追われてくる嵐をも恐れることなく、
勢いよく芽をふき、ことごとく菓を広げる。
わたしは思う、世界が生まれつつあったときも、
毎日、このような陽が輝き、このような情景が見られたのだと。
その時は春であった。
(ウェルギリウス『農耕詩』II. 330-338)

 ギリシア地方の風は、……南から暑さを運ぶノトス(NovtoV)、ときおり雪や電を降らす北からの冷いボレアス(BorevaV)、西から吹く暑いゼピュロス(ZevfuroV)、南東から暑さと乾燥をもたらすエウロス(Eu\roV)、さらに7末から吹き始める北からのエテーシア(ejthsivai)、冬から春にかけて北から吹き、渡り鳥の渡来をつげる鳥風とも呼ばれオルニシアス(ojrniqivai a[nemoi)その他である。けれども古代ギリシアで最も注意されたのは、始めの四つである。

 へーシオドスの『神統記』によれば、ゼピュロス、ボレアース、ノトスの三つはいい神だが、エテーシアは人に災いをもたらす悪い神である。彼によれば、夏も終りに近づくと、ノトスが吹き始め、やがて秋の雨が降り始める。そして冬がくると、激しいボレアースが吹きつのる。これは大西洋からの西風が、東方の冷い高気圧にぶつかって南下するものだが、ホメーロスもへーシオドスも、トラーキア(ギリシア本土の北東)の山頂に発源するものとした。これが吹くと地上には霜がおり、海を波立たせ、森をうならせる。であるから、へーシオドスはこれが吹きすさぶ前に、農作業を終えるように勧めている。擬人化されたボレアースは、恐ろしい風貌で、服を厚く着込み、丈夫な半長靴をはき、最も粗暴である。「イソップ物語」の中で太陽と覇を競い、強風を吹きつけて旅人の着物をはがそうとしたのが、この風である。

 今日の研究によれば、これが吹きつのるところでは、木は風の方向に曲り、植林しようとしても、幼苗が根こそぎ吹き飛ばされて不可能である。したがって農地は激しい風蝕を受けている。このように強暴な風も、ヘーロドトス(c. 484c. 420BC.)によれば、ペルシアの侵攻からギリシアを守った神風でもあった。

 春が近づくと、北からオルニシアスが吹き、渡り鳥が渡来する。穀作物が実り始めるころ西風が穀作物をなびかせ、大海原を波立たせる。ホメーロスはゼピュロスをこう描いているが、ヘーシオドスによれば、収穫を終えて日蔭でご馳走を食べ、ブドウ酒を飲んでくつろぐときに吹く爽やかな風である。

 エテーシアは「年」を意味するエトス(e[toV)からきた言葉で、東部地中海では周年吹く重要な風である。ペルシア、アフガニスタン、北西インドをおおう低気圧帯に向って吹きつける風で、5半ばから9中旬まで吹き続ける。

 南東から吹くエウロスは苦い顔で頭半分を衣でおおった老人である。これが吹くと暑くなるが、これは今日のシロッコ(Sirocco)である。北アフリカ、パレスティナ、シリアなどの砂漠から吹く南、南東、ときに東からの乾いた熱風で、1〜2日吹き続く。多くは夏に吹くが、冬吹く場合は冷風である。(岩片磯雄『古代ギリシアの農業と経済』p.14-16)


[画像出典]
Zephyros and Hyakinthos
Attic red figure cup from Tarquinia, circa 480 BCE.
Boston Museum of Fine Arts.

 ゼピュロスは男性であるから、間違わないよう。
 彼は美少年ヒュアキントスに思いを寄せたが、ヒュアキントスアポッローンの愛童ゆえ、ゼピュロスの想いに応えなかった。アポッローンが円盤投げを楽しんでいたとき、アポッローンの投げた円盤は西風のいたずらで、愛童ヒュアキントスに命中し、ヒュアキントスはあえなく亡くなった。