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back.gif第4巻・第7章


Xenophon : Hellenica



第4巻






第8章



[1]
 さて、陸上での戦闘は以上のようにして戦われた。他方、以上のことがすべて行われている間に、海上や海沿いの諸都市では何が生じたかを今度は述べるつもりだが、諸作戦のうち、言及に値するもののみを記述して、語るに値しないものは省略しよう。そこで、先ず第一に、パルナバゾスとコノンについていえば、海戦でラケダイモン人たちに勝利した後〔 第3章10節以下〕、島嶼へも海沿いの諸都市へも廻航し、ラコニケの総督たちを追い出し、自分たちはアクロポリスを壁囲いすることもなく、自治権を有するものと認めるといって諸都市を元気づけた〔BC 394〕。

[2]
これを聞いた人たちは悦び、称賛し、外人税をパルナバゾスのもとに熱心に送った。というのも、コノンがパルナバゾスに次のように教えたからである、――そういうふうにすれば、すべての都市はあなたの友邦となるだろう、しかし、奴隷化したがっていることがはっきりすれば、と彼は言った、一つ一つの都市が多大な難儀となるに充分であるばかりか、ヘラス人たちまでもが、それを察知すれば、一致団結するのではないかという危険性がある、と。

[3]
そこでパルナバゾスはこのことを聞き入れた。そしてエペソスに下船し、コノンには、三段櫂船40艘を与えて、セストスまで謁見に来るよう言いつけ、自分は、陸路、自分の支配地へ向かった。というのも、デルキュリダスが、――この人物は以前からも彼に敵意をもっていたが〔 第3巻 第1章 9節以下参照〕、海戦が起こったとき、たまたまアビュドスにいて、他の総督連中が〔任務を〕放棄したのとは異なり、アビュドスを確保し続け、ラケダイモン人たちに対する友邦関係を保たせていた。というのも、彼はアビュドス人たちを呼び集め、次のようなことを言ったのである。

[4]
 「おお、諸君、今こそ、以前からも友であるあなたがたが、われわれラケダイモン人たちの都市に善行者たるの実を示すことのできるときである。というのも、繁栄しているときに信頼に足る者に見えるのは、何ら驚くべきことではない。しかし、友たちが災禍に見舞われたときに、確かな者として実を示す人たちがいるが、これこそ全時間にわたって記憶さるべきことだからである。よしんば、われわれが海戦に打ち負かされたとしても、だからといって、われわれがもはや何ほどのものでもない、などということはない。いや、いうまでもなく、以前からも、アテナイ人たちが海を支配していたときも、わが国は、友たちには善くし、敵には仇を成すに充分な国であったのだ。たしかに、他の諸都市は好機に乗じてわれわれから離反するであろうが、それだけますます、あなたがたの都市は、より大きな信頼に足る者としての実を示しうるのだ。だが、もしも、陸上からも海上からもこの地を攻囲されるのではないかと、この点を恐れている人がいるなら、よく考えていただきたい、――ヘラスの艦隊はいまだ海上にいないが、異邦人たちが海を支配しようと企てようものなら、それはヘラスが容認するはずがない。したがって、〔ヘラスは〕自分を守るために、あなたがたの同盟者になるであろうということを」。

[5]
 彼らはこういう内容を聞いて、不本意にではなく、熱心に聴従した。そして、到来する総督たちは友好的に受け入れ、退去した〔総督たちの〕方は呼びにやった。他方、デルキュリダスは、多くの有為の人士がこの都市に集まってきたので、セストス――アビュドスの対岸、8スタディオン足らず隔たっていた――にも渡って、ラケダイモン人たちのおかげでケルソネソスに土地を所有している者たち〔 第3巻 第2章 10節〕を集め、また、エウロペの諸都市から追放された総督たち、こういった者たちをも受け入れて、こう言った、――あなたがたも落胆するにはおよばない、初めから大王のものであるアシアの中にさえ、 テムノス(大きくはない都市)もあれば、 アイガイもあり、他にも住むことのできる土地が大王に服してはいないということをよく考えて〔落胆するにはおよばない〕。「とにかく」と彼は主張した、「セストス以上に強力な、しかし攻囲されがたい、いかなる地域をあなたがたは手にしえようか? もしもこの地が攻囲されるとしたら、艦船をも陸戦隊をも必要とするだろう」。
 これらの人たちにも、こういった内容のことを言って、恐慌に陥ることを防いだのであった。

[6]
 対してパルナバゾスは、アビュドスとセストスとがこのような状態なのを見出して、ラケダイモン人たちを追い出さなければ、おまえたちと戦争を始めると彼らに宣告した。だが、聴従しなかったので、コノンには彼らが海を航行するのを阻止するよう攻撃態勢をとらせ、自分はアビュドス人たちの土地を荒らした。だが、屈服させるところまでには至らなかったので、自分は家郷へと引き上げ、コノンには、ヘレスポントス周域の諸都市を懐柔して、春までにできるかぎり多くの艦隊が集められるようにと命じた。なぜなら、〔パルナバゾスは〕自分が受けてきた仕打ちゆえに、ラケダイモン人たちに対して怒っており、彼らの土地に赴いて可能なかぎり報復することを最優先にしていたからである。

[7]
このような情勢のもとで冬は過ぎた。春になると同時に〔BC 393〕、多くの艦船を完全艤装し、外人部隊を雇い入れ、パルナバゾスは、彼とともにコノンも、島嶼を通過して メロス島へ、そして、ここを発進基地にして、ラケダイモンへと航行した。そして先ず第一に ペライ(1)に寄航してその土地を荒らし、次いで他にも海沿いの都市に上陸しては、できるかぎりの仇を成した。しかし、その土地の港の無さ、〔敵の〕来援のこと、糧秣の少なさを恐れて、すぐに方向を転じて引き上げ、キュテラ島の ポイニクウスに投錨した。

[8]
 キュテラ人たちの都市を領有していた者たちは、総攻撃で攻略されるのではないかと恐れて、城壁を放棄したので、休戦の申し入れを受けて彼らがラコニケ領に撤退することを認め、自分はキュテラ人たちの城壁を補修して、守備隊と、アテナイ人 ニコペモスを総督として キュテラに残置した。これを為したうえで、コリンティアのイストモスにも寄航し、同盟者たちに向かって、戦争に熱心になり、信頼に足る人士たる実を大王に示すよう督励し、ありあわせの金銭を彼らに残置した上で立ち去り、家郷へと引き上げた。

[9]
ところで、コノンが次のように言った、――自分に艦隊を持たせてくれれば、経費は島嶼に得、また祖国に帰帆して、アテナイ人たちの長壁とペイライエウスをめぐる城壁とを再建すれば、ラケダイモン人たちにいかほどの損害を与えられるかわからぬくらいだ、と彼は言った。
 「これによってこそ」と彼は主張した、「あなたはアテナイ人たちに恩恵を施した者、ラケダイモン人たちに対しては報復をはたした者となりうる。なぜなら、彼らがそのために最多の辛苦を払った目的を、やつらにとって無効となすのだから」。
 パルナバゾスはこれを聞いて、彼をアテナイへ特派することに熱心となり、おまけに城壁再建の金銭まで彼に持たせたのである。

[10]
 彼〔コノン〕は到着すると、城壁の大部分を再建したが、自分の乗組員を提供したばかりか、大工たちにも石工たちにも報酬を払い、他にも何か必要なものがあれば、彼が出費した。しかしながら、城壁の一部は、アテナイ人たち自身や、ボイオティア人たちや、他にも諸都市が、すすんで築城に協力したものであった。しかしながらコリントス人たちは、パルナバゾスが残置した金銭によって艦船を艤装し、 アガティノスを艦隊指揮官に任命し、アカイアおよびレカイオン周辺の入り江に制海権を打ち立てた。これに対して、ラケダイモン人たちも反撃航行したが、これを指揮したのは ポダネモス(1)であった。

[11]
しかし、この人物は、ある突撃が起こったさいに戦死し、さらに副官(epistoleus)だった ポッリスは深手を負って帰ってしまったので、ヘリッピダスがこの艦船を引きとった。しかしながら、コリントス人 プロアイノスは、アガティノスの艦船を引き継いだのだが、リオンを放棄した。そこでラケダイモン人たちがこれを引き継いだ。その後、テレウティアスがヘリッピダスの艦隊の任に赴き、今度はこの人物が入り江を再び制圧した。

[12]
 さて、ラケダイモン人たちは、コノンがアテナイ人たちの城壁を大王からの金銭で再建したのみならず、艦隊も大王からの〔金銭〕で給養し、島嶼ばかりか、大陸にある海沿いの諸都市もアテナイ人たちの方へ懐柔しているということを耳にして、考えた〔BC 392〕、――このことを大王の将軍であるティリバゾスに教えたら、うまくすれば ティリバゾスを自分たちの味方に付けられるか、あるいは、少なくともコノンの艦隊を給養するのをやめさせられる、と。こう判断して、 アンタルキダスをティリバゾスのもとに派遣し、相手にこのことを教えるとともに、大王と自国との和平を実現すべしとの任務を与えた。

[13]
しかし、それと知ったアテナイ人たちも、コノンにつけて使節団―― ヘルモゲネスディオンカリステネスカリメドン――を対抗して派遣する。さらにまた、同盟者たちからも使節団を〔送るよう〕同時に呼びかけた。そこでボイオティア、コリントス、アルゴスからも出席した。

[14]
かしこに着くと、アンタルキダスがティリバゾスに向かって言った、――大王と自国との和平を求めてやってきた、しかもこの和平たるや、大王の欲しておられる類のものである。すなわち、アシアにあるヘラス諸都市をめぐってラケダイモン人たちは大王と張り合うつもりはなく、島嶼のすべてとその他の諸都市とが自治権を有するものとなれば自分たちはそれで満足である。「しかるに」と彼は主張した、「こういった条件にわれわれは乗り気であるのに、なにゆえ大王はわれわれに対して戦争を仕掛けたり、金銭を費消したりするのか。というのも、大王に向かって出兵することは、――われわれが嚮導せざるかぎりは、アテナイ人たちにとっても不可能であり、また、諸都市が自治権を有するものであるかぎりは、われわれにとっても不可能なのだから」。

[15]
 ティリバゾスにとっては、アンタルキダスの言葉は聞いて強く満足させるものであった。しかし対立者たちにとっては、それは言葉にすぎなかった。なぜなら、アテナイ人たちは、諸都市や島嶼が自治権を持てば、 レムノスイムブロススキュロスを奪われるのではないかと、成約を恐れていたし、テバイ人たちは、ボイオティアの諸都市を自治権を有するものとして手放すよう強要されるのではないかと〔恐れていたし〕、アルゴス人たちは、このような成約や講和が成立したら、自分たちの欲すること――コリントスをアルゴスとして領有すること〔 本巻 第4章 6節〕――ができなくなると考えたからである。それゆえ、この和平はかくして不首尾に終わり、各人家郷へと引き上げた〔BC. 392/1冬〕。

[16]
 しかしながら、ティリバゾスは、大王〔の意向を〕無視してラケダイモン人たちに味方するのは自分にとって安全でないと考えた。それでも、ひそかに金銭をアンタルキダスに与え、艦隊がラケダイモン人たちによって艤装され、アテナイ人たちとその同盟者たちとが和平をもっと期待するようにさせようとし、また、コノンを、大王に対して不正し、ラケダイモン人たちの言ったことは真実だとして、幽閉した。かくしたうえで、大王のもとに参上し、ラケダイモン人たちの言った内容と、コノンを不正者として逮捕した旨とを言上し、すべての事柄をどう処置すべきかお伺いをたてた。

[17]
すると大王は、ティリバゾスが内陸の自分のところに来たので、 ストルウタスを海浜の件に関して処理するために下向させた〔BC 391〕。ところでこのストルウタスは、アテナイ人たちと同盟者たちとに強く心を寄せていた。大王の領土がアゲシラオスによってどれほど害悪を被ったか覚えていたからである。他方、ラケダイモン人たちは、ストルウタスが自分たちに対しては敵対的で、アテナイ人たちに対しては友好的なのを見て、彼に対する戦争目的でティブロンを派遣した。彼〔ティブロン〕は、〔アシアに〕渡ると、エペソスならびに、マイアンドロス平原にある諸都市――プリエネ、レウコプリュス、アキレイオン――を発進基地にして、大王の領地を奪略・蹂躙した。

[18]
 しかし、時が経つうちに、ストルウタスは、ティブロンが援軍行動のたびに無秩序で侮った態度なのを見届けて、騎兵たちを平原に派遣し、急襲して、包囲し、何でも可能なものを持ち去るように命令した。他方、ティブロンは、たまたま朝食後から横笛吹きのテルサンドロスといっしょに円盤投げをしていた。というのは、 テルサンドロスは、善き横笛吹きであるばかりか、ラコニケぶっていたものだから、実力の点でも張り合っていたからである。

[19]
対してストルウタスの方は、救援者たちが無秩序であるばかりか、その最前線が少数であるのを見て、多数の、戦闘態勢をとった騎兵たちを率いて出現した。そしてティブロンとテルサンドロスとを最初に殺した。この者たちが斃れたので、その他の部隊も背走し、〔彼らは〕追撃して多数を打ち倒し、彼らのうち友邦まで逃れて助かった者もいたが、〔助かった〕大多数は、援軍行動と気づくのが遅かったために、〔陣地に〕取り残されていた者たちであった。というのは、この時もそうだが、〔ティブロンは〕援軍行動だと下知することもなく援軍行動を行うことしばしばであったからである。そしてこの件は以上のような結果に終わったのであった。

[20]
 さて、ロドス人たちのうち、民衆によって放逐された連中がラケダイモンへやってきたとき、アテナイ人たちがロドスを屈服させ、あれほどの軍備力を確立するのを看過するのは、価値あることではないと教えた。そこでラケダイモン人たちは、民衆が制すればロドス全体がアテナイ人たちのものとなるであろうが、富裕層が〔制すれば〕自分たちのものとなるであろうと判断して、彼らのために艦船8艘を艤装して、艦隊指揮官に エクディコスを任命した。

[21]
さらに、これらの艦船に乗せて、 ディプリダスをもいっしょに急派し、彼にはアシアに渡って、ティブロンが受け取っていた諸都市を確保し、生き残りの部隊を収容し、他にも、可能なところがあれば、そこから掻き集めて、ストルウタスとの戦争を続けるよう命令した。そういうわけで、ディプリダスはそのとおり実行し、他にもいろいろ手に入れたが、ストルウタスの娘を娶った ティグラネスまで、サルディスへの行軍中に、妻ともども略取し、多くの身代金をとって解放してやった。そのおかげで、その場ですぐに〔兵士たちに〕報酬を払うことができたのであった。

[22]
この〔ディプリダスという〕人物は、魅力の点ではティブロンに劣らず、むしろもっと自制心強く、やり手の将軍であった。なぜなら、身体の快楽が彼を制するなどと言うこともなく、自分のたずさわっている仕事、これをやりとげるのが常だったからである。
 他方、エクディコスの方は、クニドスに航行したが、ロドスの民衆がすべてを押さえ、地上も海上も――自分の所有する2倍の艦船で――制圧したと聞いて、クニドスでおとなしくしていた。

[23]
ラケダイモン人たちは、あらためて、彼の所有する軍備力が少なすぎて、友たちを益することができないと感じたので、テレウティアスに命じた、――彼がアカイアやレウコス周域の入り江に保有している〔 11節参照〕艦船12艘とともに、エクディコスのもとに廻航し、彼〔エクディコス〕を送り返す一方、自分は、友となることを望んでいる者たちの世話をし、敵国人たちに何でも可能な害悪を加えるよう。そこでテレウティアスは、サモスに到着すると、そこから艦船7艘をわがものに加え、クニドスに航行し、エウディコスは家郷へ〔航行した〕。

[24]
さらに、テレウティアスはロドスに航行したが、すでに艦船27艘を率いていた。ところが、航行中、 エピアルテスの子 ピロクラテスが、エウアンドロスと共闘するために、三段櫂船10艘とともにアテナイからキュプロスに航行しているのと遭遇し、全艦を拿捕したが、これはどちらの側にとっても自分に正反対なことをしでかしたことになる。なぜなら、アテナイ人たちは大王を友としながら、大王に戦争を仕掛けようとするエウアゴラス(1)に共闘部隊を派遣したのであり、テレウティアスは、ラケダイモン人たちは大王の敵であるにもかかわらず、大王との戦争目的で航行している者たちを壊滅させたのであるから。さて、クニドスに引き上げ、取得したものを売りさばき、今度はロドスに到着すると、自分たちに心を寄せる者たちを救援した。

[25]
 対してアテナイ人たちは、ラケダイモン人たちが再び海上の支配権を打ち立てようとしていると考えて、 ステイリア区のトラシュブウロスを艦船40艘とともに対抗特派した〔BC 390春〕。彼は出帆後、ロドス救援は差し控えたが、それはこう考えたからである、――自分がラケダイモン人たちの友たちに報復するのは容易ではない、なぜなら、〔相手は〕城壁をもっているうえに、テレウティアスが艦船とともに彼らの同盟者として居座っているのだから、また、自分たちの友たちが敵国人たちの支配下に入ることもあるまい、なぜなら、〔友邦は〕諸都市を保持しているばかりか、その数もはるかに多く、しかも、とにかく闘いは制したのだから、と。

[26]
そこで、ヘレスポントスに航行したが、刃向かうものは誰もいなかったので、国家にとって何か善いことがあればやり遂げたいと思った。まさにそういうときに、先ず第一に、オドリュサイ人たちの王である アメドコスと、海上を支配せんとしているセウテスとが互いに党争していると知って、彼らを和解させ、アテナイ人たちの友にして同盟者となしたが、それは、これらのものが友となれば、トラケの支配下に住んでいるヘラス諸都市は、アテナイ人たちにますます心を寄せるだろうと信じたからである。

[27]
こういったこと、および、アシアにおける諸都市が、大王がアテナイ人たちと友であったために、美しい状態になったので、ビュザンティオンに航行し、ポントスから出航してくる〔船舶に対する〕「十分の一」税〔 第1巻 第1章 22節参照〕を請け負わせた。また、ビュザンティオン人たちを寡頭制から民主制支配へと変革させた。その結果、ビュザンティオン人たちの民衆は、アテナイ人たちが可能なかぎり多数国内にいるのを見てもうるさがることはなかった。

[28]
 こういったことをやり遂げ、カルケドン(2)人たちをも友として引き寄せたうえで、ヘレスポントスの外へと出航した。そして、レスボスの諸都市が、ミュティレネ人たちを除いて、すべてラコニケ贔屓なのに出くわし、それらのいずれにも赴くことなく、ミュティレネで自分の艦船からの重装歩兵400と、ミュティレネに庇護を求めていた諸都市の亡命者たちとを組織し、さらに、ミュティレネ人たち自身の中で最強の者たちをも加えて、希望を抱かせたのである、――ミュティレネ人たちには、自分が諸都市を取得できたら、彼らはレスボス全島の指導者となれるだろうと、また亡命者たちには、いっしょに諸都市の一つ一つに立ち向かうなら、全員が祖国へ復帰するに充分なものとなろうと、さらにまた艦上戦闘員たちには、レスボスを自国の友邦としてわがものに加え、金銭を有り余るほど多く手に入れる者となろう――と、こういったことで元気づけ、組織すると、これをメテュムナ攻撃に引率した。

[29]
しかしながら、 テリマコス――おりしもこの人物がラケダイモン人たちの総督であった――は、トラシュブウロスが攻撃してくると聞いて、自分の艦船の艦上戦闘員たち、メテュムナ人たちそっくり、および、ミュティレネ人たちの亡命者たちでたまたま現地にいた連中などを率いて、国境地帯へ迎撃に向かった。かくして闘いが起こり、テリマコスはその場で戦死し、その他の者たちは敗走途中に多くが戦死した。

[30]
こういう次第で、〔トラシュブウロスは〕諸都市のあるものたちを引き寄せ、降伏しなかった諸都市からは将兵たちのために財貨を掠奪し、ロドスへ到着することを急いだ。そして、そこでも軍隊をできるかぎり最強にすることができるよう、他の諸都市から金の徴収をし、 アスペンドスに到着すると、 エウリュメドン河に投錨した〔BC 389〕。そして、彼がアスペンドス人たちからすでに財貨を受け取ったにもかかわらず、将兵たちが田舎で何か不正を働いたために、アスペンドス人たちは怒って、夜襲をかけて、彼を幕舎の中で撲殺した。

[31]
 トラシュブウロスという人は、善き人士との評判すこぶる高い人であったにもかかわらず、その最期はかくのごとくであった。しかしながらアテナイ人たちは、彼の代わりに アギュリオスを選んで、艦隊のために急派した。他方、ラケダイモン人たちは、ポントスから〔出航してくる船舶〕に対する「十分の一」税〔権〕が、ビュザンティオンでアテナイ人たちによってすでに売り払われ、〔アテナイ人たちは〕カルケドン(2)を領有しており、その他のヘレスポントスの諸都市も、パルナバゾスがそれらの友であるため、〔アテナイに〕良好な関係にあることを察知して、干渉すべきだと判断した。

[32]
もちろん、彼らがデルキュリダスを非難する点は何らなかった。けれども、 アナクシビオスがうまくやって――監督官たちは彼の友であったので――、自分が総督としてアビュドスへ出航することに成功した。そこで、資金と艦船を取得できれば、と彼は約束した、アテナイ人たちとの戦争も続行できようし、その結果、ヘレスポントスの一件がやつらにとって美しく運ぶこともあり得ない、と。

[33]
そこで彼ら〔ラケダイモン人たち〕は、三段櫂船3艘をも、外人部隊1000人分の資金をも与えて、アナクシビオスを急派した。彼は到着するや、陸上では、外人部隊を集め、アイオリス人たちの諸都市のいくつかをパルナバゾスのもとから引き離し、アビュドス攻撃に出兵した諸都市には逆攻めをかけ、進撃して彼らの土地を荒らした。他方、艦船は、自分の手持ちのものに加えて、他にアビュドスからの3艘も完全艤装し、どこかでアテナイ人たちないしその同盟者たちの商船のようなものを拿捕すれば、〔これを〕曳航した。

[34]
しかし、アテナイ人たちはこれを察知し、ヘレスポントスでトラシュブウロスが自分たちのためにうちたててくれた事柄〔 本章 第4-5章参照〕が潰されるのではないかと恐れて、イピクラテスに、艦船8艘と軽楯兵およそ1200とを率いさせて、反撃に急派した。ところでその大部分は、コリントスで彼が指揮した連中であった。というのは、アルゴス人たちがコリントスをアルゴスとして合併したとき、彼らはそんな連中は必要ないと主張したのであった。というのも、アルゴスびいきの連中の何人かを彼が殺害したからであった。そういうわけで、彼はアテナイに引き下がり、たまたま家郷にいたのであった。

[35]
さて、ケルソネソスに到着すると、最初は、アナクシビオスとイピクラテスとは略奪部隊を繰り出して互いに戦った。だが、時が経つうちに、イピクラテスは、アナクシビオスが傭兵たちや麾下のラコニケ人たちとともに、また、アビュドスの重装歩兵200とともに、アンタンドロスに去ったのを察知し、また、アンタンドロスを友邦として味方に付けてしまったとも聞いて、〔アナクシビオスは〕アンタンドロスで守備隊を立て直してから再び引き返して、アビュドス人たちを家郷に連れ帰る気だろうと予想し、夜の間に、アビュドスの最も無人の地に渡り、山に登って待ち伏せをした。さらに、自分を運んだ三段櫂船には、夜明けと同時に、内陸のケルソネソス沿いに航行するよう命じた、――いつものとおり、金の徴収のために出航したと思われるためにである。

[36]
これらのことを実行した彼は、〔予想に〕欺かれることなく、アナクシビオスは引き返してきたが、言われているところでは、その日、卜兆(うらかた)は彼にとって〔吉と〕あらわれなかったにもかかわらず、これを蔑ろにしたという、――それは、友邦を通って友邦へと行軍するということ、また、出会った者たちから、イピクラテスはプロコンネソス方面に引き返したと聞いたからであるが、それで彼はよりいっそう油断して行軍したのであった。

[37]
にもかかわらず、イピクラテスは、アナクシビオスの軍隊が平地にたどり着くまでは、〔伏兵を〕立ち上がらせなかった。そして、アビュドス人たちの先頭がすでに クレマステ平野――そこには彼らの金鉱がある――にたどり着き、しかしその他の部隊は下り坂に後続し、さらにアナクシビオスはラケダイモン人たちとともに今まさに下ろうとしているとき、この時にイピクラテスは伏兵を立ち上がらせ、駆け足で彼に突進した。

[38]
かくてアナクシビオスは、助かる望みはないと悟り――自分の部隊は長く狭い道に延びきっているのを眼にし、この急斜面では、先陣が自分を助けるのははっきりと不可能と考えたからであるが――、とりわけ、待ち伏せを目の当たりにしたために全員が打ちのめされているのを眼にして、まわりの者たちに向かって彼は言った。  「諸君、わたしにとってはここで死ぬのが美しい、しかし君たちは、敵と合戦する前に、助かることに真剣になりたまえ」。

[39]
こう言って、楯持ちから自分の楯を受け取ると、闘って戦死した。しかしながら、彼の愛童(paidika)もそばに留まり、さらに、ラケダイモン人たちのうち、諸都市からいっしょに同行したおよそ12人の総督たちも闘ってともに戦死した。しかしその他の者たちは敗走中に斃れた。相手は〔アビュドス〕市域まで追撃した。そして、その他の者たちのうち、およそ200、アビュドス人たちの重装歩兵約50も殺された。こういったことをやり遂げたうえで、イピクラテスは再びケルソネソスへと引き上げたのであった。
                           1997.07.12. 訳了。
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