間歇日記

世界Aの始末書


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2000年4月下旬

【4月30日(日)】
▼あっ、なんてことだ。26日の日記で、ギャグをまちがえているのに気がついた。盗聴しとるのは、シャペロンちゃうがな、エシュロンやがな。一応、直しておきました。ギャグでまちがうとちっとも面白くないな。若年性痴呆ますます進行中。
▼西暦二千年問題対策で念のために買い貯めたミネラルウォーターが邪魔になってしかたがないから、そろそろ徐々に飲みはじめている。いやあ、うまいねえ。おれは典型的な古い日本人なので、金を払って水を買うなんてことがバカバカしくてしかたがない。よって、ふだんはミネラルウォーターなどめったなことでは買わない。味のついた飲料を買う。今回は、すでに買っちゃったものを食い潰しというか、飲み潰していっているだけであるから、さほどもったいないという気はしないのだった。しかし、毎日家でこんなうまい水を飲んで、癖になってしまうのが怖い。ミネラルウォーターしか飲めませんなんて柄ではないからな。大阪の食堂やらでよく出てくる黴の絞り汁としか思えぬ液体でも、喉が渇いていればそれなりにごくごく飲んでいる。できるだけ鼻から息をしないように飲むのがコツですな。
 よく考えてみたら、コップに水だけ注いでそれを飲むなどということをするのはひさしぶりだ。たいてい茶を飲んでいる。いやしかし、水ってうまいもんだったんだねえ。調子に乗って、アイアンキングのように水を飲みまくっている己が哀れである。なんだか身体が洗われるような感じで(そんなわけないのだが)、妙に気持ちがよい。ああ、おれも金を払って水を買うようなブルジョアになってしまうのだろうか。安全がタダじゃなくなってきたから、せめて水くらいタダで飲みたいものである。金払って買ってきた水を飲んで、それを大小便にして下水に流したらまた金を取られるなんて、あまりと言えばあんまりではないか。

【4月29日(土)】
▼連休初日だからというわけでもなく、なんの脈絡もないがとにかく「インドメン」マルちゃん)を食ってみる。なんじゃこりゃ。カップ焼きそばの麺にただただレトルトのカレーをかけてみましたというだけではないか。まずくはないが、さほどうまいというわけでもない。まあ、水準作といったところ。たいそうな広告企画ほどの作品だとは思われない。
 そもそもおれは、カップ麺にレトルト食品を使うのがあまり好きじゃないんだな。どうもインスタント食品の王道(いつそんなものができたのだ)から外れるような気がする。だって、レトルト食品って“ほんまもん”じゃないか。以前にも書いたが(1997年5月24日10月10日11月5日)、インスタント食品にはホンモノには真似のできないうまさを出してもらいたい。一流とは次元のちがう方法論で一流を超えるダンディズムが欲しい。それがマダム・フユキの思想である。どうもマルちゃんらしくないぞ、この作品は。

【4月28日(金)】
▼街を歩いていても、なんとなく空気がちがう。みな連休前でそわそわしているような感じなのだ。連休といえば、おれはもう“ど”がつく出不精であるから、家に閉じこもって積ん読や積みビデオ(?)を消化するのが常だったのだが、ここ数年は「SFセミナー」に出かけてゆくようになった。出不精というやつは、外に出る気になるまでの障壁が高いのであって、出てしまえばべつにどうということはない。こういうイベントでもないと、なかなか東下りの機会が作れないから、けっこうなことである。
 おれは人ごみが大嫌いだ。だが、人に会うのは嫌いではない。妙に人恋しくなることもあれば、とにかく生きている人間を目撃するのも厭だという気持ちになることもある。なにがなんだか自分でもわからないのである。とくに人に会う必要がないとなれば、一か月でも二か月でも家に閉じこもっていることができる。傍から見ればかなりアブナイやつだ。学生のころはそういうことができたのだが、さすがにいまは一か月家に閉じこもる機会が持てない。残念なことだ。たまには、またああいうことがやってみたいなあと思う。
 大学生だったころ、なにしろ夏休みは二か月もある。もう、やりたい放題である。やりたい放題、家に閉じこもっていることができた。アルバイトをしないとやってゆけない事情があったため、しかたなしに働きにだけは出ていたが、それ以外はほっとんど外へ出なかった。読む本だけはこつこつ買い貯めたものが山のようにある。いま思い返しても、あんなにしあわせな日々はなかったと思う。
 外に出なくてすむとなると、学生でなくてはできないことをやってみたくなる。おれは“自宅留学”と称して、極力日本語を遮断する生活というやつを試してみた。どっぷりと脳を英語漬けにするわけである。日本の大学ですらピーピー言いながら通っているのに、ほんものの留学なんぞできるわけがない。しかし、どーせ親の金で海外に遊びにゆくだけのボンクラ留学生どもには負けたくない気持ちもあり、ビンボー人にはビンボー人の方法があるとばかりにアホなことをやってみたのだ。
 まず、入ってくる情報は極力英語に限定する。テレビの二か国語放送はおれが高校生のときにはじまっており、大学生当時ともなるとかなり番組数も増えていたから、とにかく観まくる。そんなけっこうな機能がついたテレビなど持っていないので、テレビの二か国語放送が受信できるラジカセを使っていた。ニュースや天気予報もこれでこと足りる(もっとも、あれの英語はしばしば相当下手くそであるけれども)。新聞・雑誌・本も極力英語のものに絞る。辞書はウェブスターとオックスフォードしか引かない。ドイツ語の勉強にはドゥーデンの独英辞典しか使わない。日本語ですら知らない概念に遭遇しても、それは英語で理解するように努める。メモは英語でつける。ひとりごとは英語で言う。なにをするにしても効率が悪いことおびただしく、ストレスが溜まってゆく。ストレスの解消には音楽がよろしい。ただし、英語の歌詞のついた楽曲しか聴いてはならないのだ――傍から見てれば、完全な阿呆である。若いということは阿呆になれるということであり、それが若者の最大の強みであろう。ほとんど自分で自分を洗脳しているにも等しい苦行であるが、しんどいのは最初のうちだけで、だんだんマゾっ気が出てくるのが楽しくすらなってくる。半ば心理学の感覚遮断実験みたいなつもりで楽しんでいたのである。
 面白いことに、これをやっていると一時的に日本語がおかしくなってくるのがはっきりとわかる。母と意思疎通をする必要が生じたときや、夏休みだというのに人と会わねばならなくなったときなど、日本語をしゃべらなくてはならないとき(などと意識しているのは自分だけなのだ。アホである)に、それがわかるのである。「アナタハーカミウォーシンジマスカ?」みたいになるんじゃなくて、咄嗟に組み立てる日本語のセンテンスの“語順”がおかしくなってくるのだ。誰がどうするってのを先に言ってしまい、あとから理由や場所などの要素をつけ足すように言ったりする。嘘だと思うでしょうが、ほんとうなのである。もちろん、夏休みが終わるとすぐにもとに戻ってしまう(戻らなかったらたいへんだ)のだが、一時的現象としては、こういうことがたしかに起こる。人間の脳ってのは柔軟というか単純というか、あたりまえのことだが、やっぱり機械なんだよねえ。“しょせん機械”という意味で言っているのではない。機械だからこそ、これはすごい機械にちがいないと言っているのだ。

【4月27日(木)】
▼そういえば、このあいだ「NASA Science News」から面白そうなメールが来ていたなと、メーラのフォルダに振り分けてあったバックナンバーをチェックする。あったあった。“Where's the Edge? NASA's Advanced Space Transportation Program looks at ways to turn science fiction into reality.”とある。「SFが現実になる」などという大時代な言いまわしに愛嬌があってよろしい。むかしから「SFが現実になる」といった表現には、だからSFは用済みであるとでも言いたげな、SFに対する侮蔑が込められていることが少なくないのだが、この記事にはむしろ、現実に検討するに値することをむかしから描いてきたSFに対しての敬意すら込められているのがわかるからいいのだ。ちなみに、このニュースレターとウェブサイト、要するにNASAのコマーシャルみたいなネタが多いけど、素人にも楽しめる立派なポピュラー・サイエンス雑誌になっていて、とても政府機関が運営しているとは思えぬクオリティーである。
 そんでもって、件の記事そのものはあまり濃い内容ではないのだが、そこで紹介されている Advanced Space Transportation Program (ASTP) ってのがやたら面白い。要するに、次世代、次次世代、次次次世代の宇宙船を研究するプログラムである。二○四○年代の第四世代なんてのまで、いまから構想には入っているのだ。このあたりまで来ると、当然、恒星間の宇宙航行を前提にしていて、重力を操作するだの光速を超えるだの、それこそSF作家みたいなことを言っている。『飛翔せよ! 閃光の虚空(そら)へ』キャサリン・アサロ、中原尚哉訳、ハヤカワ文庫SF)の解説でもご紹介した Breakthrough Propulsion Physics (BPP) Program は、この第四世代の研究プログラムだ。アホらしいと思うか頼もしいと思うかは人それぞれだろうけど、アメリカという国には、国費でこういうことをやっている人々がいるのは事実である。親類縁者や近所の人にどう説明しているんだろうね。マクドナルドがどこかで娘の幼稚園の友だち一家に出会い、挨拶されるとする。「これはこれは、ジェーンちゃんのお父さんですか。いつもボブが遊んでもらっているそうで。なんでもNASAにお勤めだとか。やっぱりアレですか、スペースシャトル関係かなにかですか?」「いえ、光より速い宇宙船が作れるかどうかとか、そういったことをば……」「はあ……そそそれはすすすごいお仕事で。あは、あははは」などといったやりとりが日常茶飯事になっているのだろうか。
 まあ、大風呂敷を広げて夢をぶち上げておくアメリカ的な政治手法という側面もあるのだろうが、けっしてそればかりではあるまい。やっぱり本気で考えてはいるのだと思う。この国とだけは二度と戦争をしたくないものである。え? そこのキミ、知りませんか? むかし戦争したんですよ。
 「人類が初めて太陽系から出たのはずいぶん昔のことだ。主要国が資金と技術を供出して建造された恒星間宇宙船を、命名権をえたアメリカ人たちはとうぜんのようにエンタープライズと名づけ、世界中の心ある人々に溜息をつかせた」森岡浩之「パートナー」(井上雅彦監修・異形コレクション15『宇宙生物ゾーン』廣済堂文庫所収)にあるが、そりゃあ、アメリカ人はやるでしょう、きっと。鋭い洞察であると思う。でもおれは、シュヴァイツァーの伝記や『ブラック・ジャック』を読んで医者になったなどという人がけっこう好きである。子供になんの夢も与えられないような日本の社会作りに荷担してしまっている大人のひとりとしては、あまりアメリカ人の大風呂敷や脳天気を笑う気にはなれない。「いつか物質電送機を作るんだ」という子供がいたら、「そうか。がんばれよ」と言ってやりたいな。

【4月26日(水)】
▼おれはペペロンチーノが好きで、インスタントでも外食でもよく食う。じつにつまらないことであるが、ペペロンチーノを注文すると、伝票に「ペペロン」と書く店は多いのだろうか? いや、最近、ごく短いあいだにちがう店で二回も「ペペロン」に遭遇したため、ヘンに気になっているのだ。イタ飯レストランで注文するとき、ウェイターをテストしてやったら、面白いだろうな。「えーとほれ、あの、チョコレートの入ったちっこいシュークリームみたいな、きのこの山やのうて、えーと……」「ポポロンでしょうか?」「いやいや、ほれ、あちこちの通信を盗み聞きしているという……」「エシュロン?」「ちがうちがう、あれやがなあれ、意味があるのやらないのやらようわからん塩基配列の……」「……イントロン? お客様、そ、それは苦しいですな」「わかっとんにゃないけ、えーかげんに、せんかいっ!」とウェイターの胸を手の甲で叩くと、ちゃんとペペロンチーノを持ってきてこそ大阪のイタ飯屋である。

【4月25日(火)】
谷田貝和男さんの「夢の島から世界を眺めて」(2000年4月22日)で知った「あなたのホームページのお値段」って“診断もの”をやってみる。「あなたのサイトの値段は 79万円です」と出た。うーむ。適当に書き飛ばしているから、控えめに四百字詰め一枚五百円くらいで原稿料換算するとしても、もう少し値打ちないか? 量じゃない、内容だって? ごもっとも。
▼横浜の小学生誘拐事件で捕まった水谷雄一容疑者ってのが、またもや三十七歳Welcome to our generation!
〈SFマガジン〉6月号の「今月の執筆者紹介」で、永瀬唯氏が『コンピュータが死んだ日』(石原藤夫)に言及なさっているのを読み、わが意を得たりと膝を打つ。「あまりの先進性のゆえに発表当時は理解されず、あまりの予見性ゆえに現在はあたりまえな過去の未来としか思えぬ不幸を思う」とのことで、まさにそのとおりである。この作品、ディテールをあげつらうと、いまとなっては(いまだから)“笑える”ところすらちらほらあるのだが、本質を透視する“センス”(“知識”ではない)と、それがおのずともたらす予見力には驚嘆するばかりだ。なんだってこんな名作を、西暦二千年問題で騒いでいた去年のうちに復刊しなかったのかねえ。
 永瀬氏は“IT−SF”なんて言葉を使ってらっしゃるが、これ、なかなかいいよね。〈IT−SFコーナー〉ってのを書店に設けて、『ネットの中の島々(上・下)』(ブルース・スターリング、小川隆訳、ハヤカワ文庫SF)とかと一緒に並べておいたら、ビジネスマンが騙されて(べつに全然騙してないけど)買ってゆきそうだ。

【4月24日(月)】
4月9日の日記に、『「この日記を読んで、私は人生の意味を見つけた」なんてメールは来たことがない』と書いたところ、本上力丸さんから「私はあなたの日記を通読することで、人生の意味を悟りました」というメールが来た。軽い人生やな〜。いや、このツッコミの呼吸はなかなかよろしい。本上さんが立派な関西人になれる日も近いであろう。ところで、まなみさんはご親戚かなにかでしょうか?
 それはそうと、街でJALANAの広告を続けて目にすると、目が覚めたり眠くなったりで忙しい。“そそり系”“癒し系”とを意識してぶつけてるんだろうけど、本上まなみのほうがそそるよなあ。最近、女の話ばっかりしとるな。春になって、おれのハードウェアが発情してきたかな。

【4月23日(日)】
“三国人”騒動なんだが、大阪には、あれを“三国(みくに)に住んでる人”のことだと思っている若者がいるとかいないとか。それにしても石原都知事って人も懲りない人だね。最近なーんとなく、晩年の三島由紀夫がダブって見えているのはおれだけか? 暇ができたら『ダンヌンツィオに夢中』筒井康隆、中央公論社)でも読み返してみようかな。

【4月22日(土)】
▼先日、小学一年生の姪が耳に痛みを訴えてむずかるというので、妹があわてて医者へ連れていったところ、中耳炎だかなんだかよくわからないがとにかく膿が溜まっているらしく、下手をすると管を通さなくてはならない、たいへんだ、しばらく耳鼻科へ通わなくてはならない……という話を母がするものだから、なんじゃそれは、病名はなんじゃ、管って、なんの管をどこに通すのじゃと訊いてみても、やっぱりよくわからんという。妹が医者に聞いて病名を母に伝えたが母にはわからなかったのか、そもそも妹にも医者の言うことがわからなかったのか病名を訊いていないのか、とにかくこの二人が介在すると伝言ゲームのようでなにがなんだかさっぱりわからない。
 今朝、ふと思い立ってケータイの情報サービスの「健康相談室」というやつを利用してみた。耳鼻咽喉科のメニューから、話に聞く姪の症状に該当するものを選んでゆく。まあ、簡単な場合分けになっているだけだが、多少の参考にはなろう。どうやら滲出性中耳炎とやらが最も考えやすいとのことである。医者の言っていたのはこれではないのかと、ケータイで受信した簡易診断結果をそのまま妹のケータイ宛にメールで転送する。“滲出”という字が読めるのかどうかが不安だが、読めなきゃそれこそケータイで訊いてくるだろう。さっそくケータイがメール着信を知らせてきた。やけに早いなと受信してみると、ありゃ、これはエラーメールだ。先方のメールサーバがダウンしているようである。何度かやってみても結果は同じ。おやまあ、iモードばかりか、EZweb のメールまで朝から止まっておるのか。まったく最近のケータイはどうかしている。とてもじゃないが設備投資と環境整備が追いつかないのだろうな。
 昼すぎ、そろそろ復旧しているだろうと妹にメールしてみる。気色が悪いので、妹に声で電話をかけて着信を確認。やっぱり朝からメールがさっぱり使えなかったのだという。うーむ。1999年8月21日の日記で、災害時に携帯通信端末が活躍できるかどうかについて書いたことがあったけど、いまのままでは完全にアウトだろう。このケータイ人口爆発も、やがてはほぼ一人に一台(以上)が行きわたって落ち着き、インフラもしっかりしてくるだろうが、まだ時間がかかりそうだなあ。

【4月21日(金)】
▼会社のそばを歩いていて、資生堂のポスターの葉月里緒菜に見とれる。しかし、最近ちょっと痩せすぎではないか。ドラマで肥りすぎたからリバウンドがきたのか。デビュー前はもう少しふっくらしていた。「なんで“デビュー前”を知っている?」と葉月里緒菜をよく知らない人は言うであろうが、そういうタイトルの葉月里緒菜写真集がむかしあったのだ(おれは持ってないけど)。いまの葉月里緒菜は、どうも不健康な痩せかただと思う。とかなんとか口では言っているが、健康的な葉月里緒菜などという奇ッ怪なものがあったら、たぶん興味を持たないであろう。どないせぇっちゅうんや。まあ、魔性の女は不健康そうなほうがいいか。健康そうな魔性の女(?)でも、杉田かおるくらいに突き抜ければ、またなかなかいいものなのだが……。
《ご恵贈御礼》まことにありがとうございます。

『アムール・グレック』
安芸茜、オークラ出版)

 えーとですね。冒頭を一行だけご紹介してみよう――「僕が初めて藤村先生にお会いしたのは、十九の春だった」
 というわけで、すでにおわかりであろう。“やおい”である。「“やおい”とはなんぞや?」とおっしゃる方は、この日記の読者では少数派だろうと思うし、おれはうまく説明できる自信がないので、そういう方は大きな書店の“やおい”コーナーで二、三冊見繕って読んでみてください。「“やおい”コーナーなんて見たことない」とおっしゃる方は、“耽美”とか“JUNE”とか記してある棚のあたりを捜せば、そこいらへんにたぶんあると思う。知ってる人は知ってるんだが知らん人にはまったくの別世界の話だもんなあ。うーむ、どう説明したものか。あっ、てっとり早い方法を思いついた。菊池鈴々さんのウェブサイトへ行って、膨大なレヴューのいくつかをお読みになれば、どういう世界かたちまちおわかりになると思う。
 なにゆえにまた、おれのところに“やおい”が送られてくるのかというと、まあ、おれも無関心なわけではないこともあるけれども、安芸茜さんとはおつきあいが長いからである。安芸さん名義の初の商業出版ということもあって、ご恵贈くださったわけなのだ。
 不思議なことに、“やおい”の人とSFの人とは、妙に交友関係が重なっている。というか、女性のSFファンは、“やおい”およびその関連分野になんらかの関心を寄せていることが非常に多い。中島梓栗本薫野阿梓といった“そこいらへん”の実作や評論をなさるSF作家がいるのだから、SFと“やおい”に繋がりがあるのは不思議でもなんでもないかもしれないが……(野阿梓さんは男性です、念のため)。野阿さんのウェブサイトには、“やおい”に関する論考がある。また、小谷真理さんの『女性状無意識(テクノガイネーシス)――女性SF論序説』にも(日本で言うところの)“やおい”に関する分析があるので(なんでも世界的に同時多発している現象なのだそうだ)、ご関心をお持ちの方はそちらもどうぞ。おれはまだ(?)野阿さんみたいに“目覚めて”はいない。ジェンダーの擾乱にそこはかとない関心を抱いているだけで、きわめて不勉強である。
 ともあれ、トンボ系ペンネームの人が増えたのは嬉しい(どういう喜びかただ)。もっと増えたら、そのうちトンボ系オフでもやりますか。塩辛麦子(しおから・むぎこ)とか眼鏡浦古代(めがねうら・ふるよ)とかいうペンネーム(本名でもいいけど)の方がいらしたら、ぜひご連絡ください。


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