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2001年4月上旬 |
【4月9日(月)】
▼今月の〈日経ネットブレーン〉を買ってびっくり。ありゃりゃ、もう休刊か。全然知らんかった。サラリーマン的には、けっこう便利な雑誌だったんだがなあ。ただ、なんと申しましょうか、あの雑誌を読んでると、喫茶店のテーブルでパソコンを広げて株価を見ている木村拓哉に絡んでいる岸部一徳になったような気がすることはたしかだな。
あの富士通のパソコンのCMはどこが面白いかというと、木村拓哉のほうはな〜んにも“進んだこと”をしているという自覚がなく、ただただ呼吸するようにあのようにしているのに、岸部一徳のほうだけが妙なコンプレックスを感じて(それでいて木村のようになろうとする気もなく)いじけているあたりがよく出ているところだ。あのCMには、昨今流行りの“勝ち組・負け組”といった厭らしい言葉や“デジタル・デバイド”といった表層的なものを超えた、もっと根源的な断絶がみごとに表現されていて、じつにたいした作品だと思う。木村と岸部のあいだにある断絶は、木村が歩み寄ろうが岸部が発奮しようが、絶対に埋まらないものなのである。
で、たぶんこのCMの木村は、〈日経ネットブレーン〉など読まない。呼吸のしかたをことさら雑誌で読む必要などないからだ。岸部も読まない。書いてあることはおそらくよその世界のこととしてわかるだろうが、なにが書いてあるのかさっぱり把握はできないからだ。
え、おれ? おれはそうだなあ、木村拓哉にも岸部一徳にも感情移入できないんだよなあ。おれはおそらく最も早くから喫茶店でパソコンを叩いた人種に属するのだが、そのころは喫茶店でパソコンを広げるのは、どう贔屓目に見ても“かっこ悪い”特殊なことだったのである。やたら仕事に追われているように見え、とても“呼吸するように”そういうことをしているなんて感じではなかった(いくら本人がそのつもりであってもだ)。あの木村を見ると「君ら、いいタイミングで生まれたねえ」と、ちょっと悔しくなる。でも、あの岸部のほうを見ると、「悪いタイミングで生まれたねえ、お気の毒に。まあ、若いころ、おいしい思いしたからいいんじゃないの?」と、つきあいきれない気持ちになる。元祖新人類世代は、あのCMにたいていこんな感想を抱いているんじゃないかなあ?
▼どうもSFファンには「H"」ユーザが多いような気がしてならない。SF系のウェブ日記を読んでると、しばしば出てくるのだ。なんなんだろうね、これは? 判官贔屓なのか、「いいものはいい」ととことんマイペースの人が多いのか、いわゆる“モバイラー”が多いのか、不思議である。
機能といいい性能といいコストといい、どう評価しても「H"」「feel H"」は現時点で総合的に最も優れているとおれは思うのだがなあ。少なくとも、おれのライフスタイルではそうだ。ある程度コンピュータのリテラシーがあって、パソコンとケータイとPDAとを適切に使い分けるタイプの人であれば、ケータイの選択は「H"」「feel H"」になると思うんだけどなあ。iモードって、そんなに便利ですかね、世間の大勢の方々? まあ、ケータイで初めてメールを使いましたといった若いコは、端末がカッコよきゃ、それでいいんでしょうけど。いわゆる“パカパカ”(二つ折りの端末)が欲しいだけでしょ? 「feel H"」にも、パカパカはあるぞ(サンヨー機、京セラ機)。
それにしても、「DDIポケットファンとセガファンはそっくり」には笑った(林哲矢さんの「草の日々、藁の日々」2001年4月9日参照)。おれはゲーム機は持ってないが、言われてみれば、そうかもしれん。ついでに、「SFファンもそっくり」かもなあ。
【4月8日(日)】
▼うつらうつらしていると、突如、誰かが耳元ではっきりと、「昼には出ないバンデル星人」とつぶやいた。どうやら脳が勝手に暴走して、わけのわからないフレーズを作り出したらしい。
だが、よくよく考えてみると、『キャプテンウルトラ』に登場するバンデル星人は、ほんとうにそういう発想で命名されたのではあるまいか? 悪い宇宙人の名前であるから、子供が怖がるような響きがよかろう。子供はやはり幽霊やお化けを怖がるであろう。幽霊やお化けは昼にはあまり出ない。晩に出る。おお、バンデル星人でいこう――なんてことに、いかにもなりそうな気がする。おれは特撮の裏話などはあまり知らないのだが、ま、まさか当たってないよね?
【4月7日(土)】
▼またまたじつにくだらないことであるが、“レイク・エンジェル”(ほのぼのレイク)は、「ク」の人が不当に得をしているように思えてならない。あれで三人ともギャラが同じだったとしたら、「イ」の人があまりに気の毒だ。でも、わざわざあんなふうに逆立ちしなくても、ふつうに直立して両腕を広げれば、もっと楽に「イ」になれそうな気もする。「イ」の人はただ目立ちたいだけなのだろう。ギャラは同じでいいか。どうも、忙しいとふだんに輪をかけてくだらないことが目に留まってしまうものであるよなあ。
【4月6日(金)】
▼先日(ってのが日記の書き出しであるから、毎度のことながら野放図である)、喜多哲士さんとこの掲示板で、小林泰三さんが“おけいはん”のウェブサイトなるものを見つけてきて紹介していた(“おけいはん”とはなんぞやとおっしゃる“地方在住”の方は、2000年12月3日、2001年2月20日の日記をご参照ください)。あいかわらず、ケッタイなものを探し当ててくる人である。結局、“淀屋けい子”というのは、このキャンペーンのための役名で、水野麗奈という女優さんが演じているそうだ。
それにしても、この『「おけいはん」相関図&プロフィール』というのがむちゃくちゃである。これではまるで、「バザールでござーる」ではないか。大阪市の地下鉄が“おちかはん”キャンペーンをはじめないことを祈りたい。
【4月5日(木)】
▼「青汁」といえばキューサイのそれをあの人のしかめっ面(これは「しかめっ面」でいいのだ)と共にまず連想するのだが、最近、近所のコンビニに、キューサイの商品ではないペットボトル入りの「青汁」が並びはじめた。ネットで調べてみると、けっこう「青汁」という商品名の飲料は多いようだ。これはたぶん、以前訴訟になった「はちみつレモン」と同じで、かぎりなく一般名詞に近いために商標登録ができないのかもな。「緑汁」ならどうだろう? でもやっぱり、「青汁」という言葉の持つインパクトにはかなわないよなあ。いかにもまずそうで身体にはよさそうだというのを、字面と語感だけで余すところなく伝えてるもんね。
【4月4日(水)】
▼3月20日の日記で、「わかっている言葉がしかめつらしい辞書文体でどのように説明されているかこそが、辞書の醍醐味というものではないか」と書いたところ、むらかみさんとおっしゃる方から、『「しかめつらしい」ではなくて「しかつめらしい」ではないでしょうか』とご指摘をいただいた。あわわ、そのとおりである。姪に『広辞苑』を買ってやっている場合ではない。おれはついつい、自分で使うときには「しかめつらしい」を使ってしまうのだ。調べてみると、1999年8月17日の日記でも使っている。しかし、他人が「しかつめらしい(鹿爪らしい)」と書いていると、「ああ、さよか」とべつに気にもならず、意味も一応わかるのである。奇妙だ。受動的ボキャブラリーにはあるが、能動的ボキャブラリーにはないとでも言おうか。もちろん、「しかめつらしい」は、非常に一般的な誤用であるので、学生諸君は試験に書いたりしないように。だが、日常ずっとこれで通してきていると、「しかつめらしい」がそれほど「しかめつらし」く感じられないので困る。「しかめつらしい」のほうが、よほど「しかつめらしい」ように思えてしまうのだ。ああ、ややこしい。
では、「しかめつらしい」は、どのくらい一般的な誤用であるのか? こういうのを調べるためにインターネットはあるのである。試しに検索してみると、あるわあるわ、うようよ出てくる。『私は30歳ぐらいまで、「しかつめらしい」を「しかめつらしい」だと思いこんでいて、誤りに気がついた時は青くなった』といちばんにヒットしてきたのが、なんと清水義範氏の告白である。非常に心強い――ってこんなことに仲間がいてもしかたないのだが……。あっ、またヒットした。なんてことだ。堀晃さんも「しかめつらしい」派ではないか。面白いところでは、「小説・文章講座」なんてページにまで、「しかめつらしい」が使ってある。
あまりの「しかめつらしい」派の多さに、現時点での infoseek でのヒット数を調べてみて、おれは愕然とした。いちいち全ページを見にいったわけではないが、単純にヒット数だけを比べてみると、なんと、このようになる――
○しかつめらしい――361ヒット
○鹿爪らしい――73ヒット
×しかめつらしい――297ヒット
×しかめっつらしい――532ヒット
ひえええ、誤用のほうがはるかに多いのである。あなたが上記の実験をしてみるときには、また数字が変わるはずだが、どうも正しいほうが多くなりそうにはない。お暇な方は、いろんな検索エンジンでやってみると面白いだろう。インターネットで調べものをするときには、こういう現象を肝に銘じておかねばならない。年表や人名表記などに関して、おれは時間の許すかぎり複数ソースに当たるようにしている。以前、“松任谷由実”と“松任谷由美”とを適当な検索エンジンで検索してみたところ、“松任谷由美”のほう、つまり、誤記のほうが多かったのではなはだ驚いた。その後、日本語ウェブページの絶対数が増え、いまこの実験をやってみると、正しい表記のほうが誤表記の三倍弱はヒットする(それでも誤表記がそれだけあるわけだが)。十分に裾野が広くなれば、多いほうが正しそうだと推測してもたびたび外れることはなさそうだ。しかし、「しかつめらしい」「しかめつらしい」に関しては、完全に誤用のほうが幅を利かせている。なんとまあ。
ここまできちゃうと、「しかめつらしい」も、「あらたしい」が「あたらしい」になったように、「誤用が広まったもの」としてそのうち『広辞苑』に載る日が来るやもしれないぞ。
【4月3日(火)】
▼「クローン牛、相次いで死亡」ということになっているらしい。なにが原因なんだかよくわからないが、「そらみたことか、自然に逆らうからじゃ」などといった“自然帝国主義系”あるいは“トンデモ系”の解釈を多々誘発しそうな話ではあるよなあ。まあ、そういうのが出てくるのを半ば楽しんでいるところもあるんだけども。
【4月2日(月)】
▼じつにくだらないことだが、カップヌードルの(チェダー)チーズ星人とモッツァレラ・チーズ星人がデキているというのは、どういう設定なのだろう? 同じ星系の人なので生殖が可能なのであろうか? それとも、生殖などを超越した愛に溺れているのか? 「愛があれば、星の差なんて」とか。なんか、このネタ、続篇で使われそうだよな。
【4月1日(日)】
▼おっと、宮本春日さんから、2月6日に続いて、またも“ヘンな音楽グループ名”遊びに秀作が寄せられていたのを忘れていた。「敏いとうとソルジャー・ブルー」――よろしいなあ、SF味が濃くて。おれのとこに送ってくるのだから、当然、西部劇のほうじゃなくて、『地球(テラ)へ…』(竹宮恵子)のほうである。しかし、この遊びはどうも演歌系・ムード歌謡系に偏るなあ。あ、いまでけた。「宮史郎と銀河トリオ」――中年にしかわからんよなあ。“人名+人名”という縛りを外して語呂だけにすると、わりとできるんだがな。「鶴岡雅義と東京キリンヤガ」ってのはどうだ。なんか、説教されそうだ。あ、フォークもいけるか、「はしだのりひことスキズマトリックス」、「山本コータローとエリザベス・ハンド」、「ジャッキー吉川とブルー・シャンペン」 うーむ、いまひとつインパクトに欠けるなあ。もっと研究しよう。
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