間歇日記

世界Aの始末書


ホームプロフィール間歇日記ブックレヴューエッセイ掌篇小説リンク

← 前の日記へ日記の目次へ次の日記へ →


2001年11月上旬

【11月10日(土)】
▼単調でありながらやたら忙しい生活をしているものだから、このところテレビネタが続く。狂牛病の影響などについてなんとはなしに母と話をしていて、丸大ハムのCMにいつも出てくる若い男優の名前が出てこず、ついに「ハムの人」と言ってしまう。丸大食品の思うツボじゃん。
 はて、あの俳優の名はなんと言ったであろうかといま「ハムの人」を Google で調べてみたら――そうそう、別所哲也であった。「徹子の部屋」(テレビ朝日系)に別所哲也が出演した回を紹介するページがヒットしたので見てみたのだが、おやおや、このページには「ハムの人」という文字列は登場しない。ソースを見ても、〈META〉タグなどにキーワードが埋めこんであるわけでもなく、隠しテキストとして「ハムの人」が仕込んであるわけでもない。なのに、このページが「ハムの人」でヒットするのである。検索エンジンに捕捉されてから、テキストに変更があったのか――いや、ちがう。Google のキャッシュに保存されているページにも「ハムの人」はないからである。だが、キャッシュを見て謎が解けた。「これらのキーワードは、このページにむけて張られているリンクに含まれています: ハム」と書いてあるのだ。それほどまでにこのページは、「ハムの人」の文脈に於いてリンクされているのか。なんとなく別所哲也が気の毒な気がするのはおれだけではあるまい。それにしても Google おそるべし。

【11月9日(金)】
▼だしぬけにスティーヴン・ホーキングがテレビ画面に現われてしゃべりはじめたので(というか、あの愛用の機械がしゃべりはじめたので)、はなはだ驚く。なにごとかと観ていると、なんとユニクロのCMではないか。ホーキング教授のギャラがどのくらいなのか、ほかの世界的な学者に比べて高いのか安いのか、どういう口説き文句で出演を承諾させたのか、とんと想像もつかないが、とにもかくにも科学と直接の関係のない普段着(ナウなヤングは“カジュアルウェア”とかいうハイカラな呼びかたをするらしい)屋さんのCMにホーキングを引っぱりだしたのだから、ファーストリテイリングの勢いには圧倒される。うちの近所にもついに一軒できた。

【11月8日(木)】
▼突然だが、高岡早紀って、えー女になりましたなあ。出てきたころは、ジャスト・アナザー・胸がでかいだけねーちゃん程度にしか認識しておらず、おれはいまみずからの不明を恥じているのだが、歳食うにつれてどんどん魅力が出てくる。やはり女は三十からであるという思いをいっそう強くする――って、高岡早紀は今年二十九か。来年以降が楽しみじゃわい、となぜか悪代官風オヤジ語尾。

【11月7日(水)】
▼今日見たら、もう昨日のクマはいなかった。寂しい。
▼最近、飯を食ったり風呂に入ったりするのが面倒くさくてしかたがない。食っておかんと身体に悪いなと頭で意識し、しかたなしに燃料を補給するといった感じで飯を食っている。放っておいたら、一、二食抜いてしまいそうだ。生物としての基本的欲求が減退してくるというのは、けっしていいことではない。かなり根の深い疲れが累積してきているような気がする。いまの日本にはこういう人が多いにちがいない。ちりめんじゃこの中に小さなタコが入っていないかなあ。

【11月6日(火)】
▼夜、十時すぎころに会社から帰ってくると、団地のゴミ捨て場にクマのぬいぐるみがぽつんと置いてあった。ほかにゴミはなく、二、三歳の子供くらいの大きさはあるクマが、しゅんとうなだれて座っているのだ。それはもう、まるでどこかの演出家が“泣かせ”の絵柄のエッセンスを凝縮してしつらえたかのような、みごとな“寂しさの図”になっていた。おれはしばし、まじまじと見つめてしまったほどである。仮に、この時刻、このゴミ捨て場に、生きた幼い子供が独り座っておったとしても、これほどの寂しさは感じないにちがいない。生々しすぎるからだ。おれの感性は、むしろこのようなよくできた記号のほうに強く反応してしまうのである。はっきり言って、歪な感性であろう。もっとも、歪だからこそ感じられる類のこともあり、それはそれでいいんじゃないかとは思う。

【11月5日(月)】
▼会社からの帰りの電車で隣に座った十八、九くらいの地味な女性が熱心に本を読んでいるので、ついつい習性でちらと横目で覗いたら、『わかもとの知恵』筒井康隆、金の星社)だった。特徴的なイラストと版組みは、おれの視力でもよくわかった。ちょっと驚く。いや、べつに若い娘が筒井康隆を読んでいるからといって驚くことはないのだが、最近の若い人は、おれたちの世代ほど猫も杓子も筒井康隆を読んでいるわけではないだろう。これくらいのお嬢さんだと、筒井康隆をたまに小説も書くらしい役者さんだと思っていてもまったく不思議はないのである。むかしは、電車の中で本を読みながら「うっ――うっぷ。ぶしし……しっ。し。うっ――う。う。ぶほっ」などと奇妙な音を立てながら顔をくしゃくしゃにしてときおりなにやらエロチックに全身をがくっがくっと痙攣させたかと思うとじゅるるるると涎をすすり上げ笑いをこらえているやつがいたら、ははあ筒井康隆を読んでいるな、あの朱色の背の新潮文庫はそうにちがいないとたいていわかったものだが最近はあまりそういう光景を見かけない。本を読んでいるわけでもないのになぜかそういう状態になっているやつは、むかしに比べてよく見かけるような気がするのだが……。
10月6日の日記で、京都の端っこのほうに住んでいるおれが“京都に行く”という表現を使ったりするのと同じように、「たぶん日野とか保谷とかにお住いの方々も、日常的に“東京へ行く”などと言うのではあるまいか」と書いたところ、向井淳さんから、おれの推測を裏づける証言がメールで寄せられた。『わたしはつい数ヶ月前までは東京は日野市に在住しておりましたが(今は通学の関係で一人暮らしを始めました)、まさしく都心方面に行くときには「東京に行く」という言葉を使っておりました。心情的には、23区内に赴くときに使います』ということである。やっぱりそうだよねえ。
《ご恵贈御礼》まことにありがとうございます。

『アイ・アム I am.』
菅浩江、祥伝社文庫)
「Treva」で撮影

 あっ。この日記の常連読者の方はおそらくご存じだろうが、おれはだしぬけに予知能力の発作(?)に襲われることがある。日記を書いていると、まるですでに起こったことであるかのように“未来の記憶”がまざまざと脳裡に浮かぶのだ。こういうときのおれの予知は、的中率が非常に高い。どうもおれは、この本の書評をどこかに書きそうな気がする。書くのではないか。いや、書くにちがいない。どこに書くのだろう? 待て、いま精神を集中して、おぼろげながらに見えている未来に心眼を凝らしてみる……。うむ、見えてきた見えてきた。額の裏あたりに、ぼんやりと見えてきた。どこに書評を書くのだろう……うむむむ、もう少しだ――よし、見えたぞ。そこだっ!
 普通人の精神にはとても耐えられない消耗を強いる荒技なので、よい子のみんなは真似しちゃだめだよ。

【11月4日(日)】
▼ケータイだかなんだかのCMで堂本光一クンとデートしているカエルの“ミドリ”にメロメロである。あれには萌える。美しい。カエルとしてじつに整った顔立ちをしている。とくに電車のシートにちょこんと座っている姿はあまりにセクシーで、思わず胸の前で両の拳を握りしめ、わなわなと震わせてしまうほどだ。
 しかし、だ。ミドリには、まるで整形美女かなにかのように、いかにもカエルカエルしたカエル美が具わりすぎている。ひょっとしたらあれは、CGではないかとおれは疑っているのだが……。だとしたら、ヴァーチャル・アイドルに萌えているようなものである。ああ、ミドリ……。

【11月3日(土)】
▼昨夜深夜に帰宅したため、録画したばかりの『アリー・myラブ4』を、今日になってから晩飯を食いながら観る。アリーがデートしたずっと年上のおじさまは、好きな歌手がニール・ダイヤモンドだといかにも恥ずかしげに打ち明けていたが、そんなに恥ずかしいかなあ。まあ、あれですな、日本だったら、運よくデートできた比較的若い娘に、北島三郎が好きだと打ち明けるような感じなのかもしれん。北島三郎はともかくとして、ニール・ダイヤモンドは、おれもけっこう好きだけどな。SF関係の歌もあるし。ほれ、Heartlight とか(あれがSFであるかどうかは意見の分かれるところでありましょうが)。シンプルでなかなかいい曲だし、おれみたいに声が低いと唄いやすい。風邪引いたときなんかに唄ってみると、われながらかなりニール・ダイヤモンドっぽいぞ。だけどやっぱり、アリーがちょっと退くのもわからんではないな。ニール・ダイヤモンドって、なんかこう、あの声を思い浮かべるだけで胃がもたれる気がする。
 それにしても、《アリー・myラブ》シリーズを観ていていつも思うのは、驚くほど携帯電話を使わないなあということである。これが日本ならあからさまに不自然なほどだが、アメリカだってこれほど使わないと気になる。ケータイは難しいしねえ。ケータイを使うシーンは現代ドラマの鬼門だと以前何度か書いたが(1997年7月28日30日2000年2月23日)、とくに《アリー・myラブ》みたいな場面転換の激しいコメディの場合は、失敗すると目も当てられない。上述の1997年7月28日の日記で書いたみたいな、「画面に登場する人物の誰かが必ず携帯電話で喋っている」という“縛り”でコメディを成立させる実験ドラマに一回ぶんくらい潰してくれたら面白いと思うんだがな。デイヴィッド・E・ケリーさん、やってみる気ありませんか?

【11月2日(金)】
▼会社で「『AIBO』ハッカーを追い払うソニー」(CNET Japan Tech News)という面白い記事を見つけたので、菅浩江さんのアドレスにケータイでURLを送る。なんでもAIBOをハックしてその行動を“カスタマイズ”している猛者がいるらしいのだ。まさに、菅さんの「夜を駆けるドギー」『NOVEL21 少年の時間』デュアル文庫編集部編、徳間デュアル文庫・所収)を地で行くような話である。しばらくして返事が来た。わはは、ウケたウケた。
《ご恵贈御礼》まことにありがとうございます。

『虹の天象儀』
瀬名秀明、祥伝社文庫)
『星の国のアリス』
田中啓文、祥伝社文庫)
「Treva」で撮影

 今月は祥伝社《400円文庫》がどどどどとSFを出している。嬉しいことに『虹の天象儀』には「SF書下ろし」と表紙に目立つワンポイントが入っているし、『星の国のアリス』にも「吸血鬼SF書下ろし」とある。漏れ承るところによると、“SF作家”というのは「大衆にアピールする芸のない作家もどき」の謂であるとする教義の新興宗教があるそうなのだが、その教義に従うなら、今月の祥伝社文庫は「大衆にアピールする芸のない作家もどき」のオンパレードであり、狂気の沙汰ということになろう。狂気の沙汰、大いにけっこう。もっともっと「大衆にアピールする芸のない作家もどき」が出現することを切に希望する。いいぞ、祥伝社! 負けるな、祥伝社! 祥伝社は人間の自由のために闘うのだっ!

【11月1日(木)】
▼あっ、なんということだ。昨日の日記は、じつは今日の日記であった。どういうことかというと、この日記を書くために取っているメモが一日ぶんずれていたのである。まあ、こういうこともあるわな。
 で、昨日の日記が今日の日記だったとしたら、昨日の日記はどこへ行ったのだろう? まあ、いいや。この日記もじつにいろいろな手でネタを稼いできたが、さすがにこんな手法(?)は初めてだろう。


↑ ページの先頭へ ↑

← 前の日記へ日記の目次へ次の日記へ →

ホームプロフィール間歇日記ブックレヴューエッセイ掌篇小説リンク



冬樹 蛉にメールを出す