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2004年6月上旬 |
「いや、あれを考えたのはS澤という編集者で、わしは『銀河帝国弘法大師』のほうがええんやないかと……」
「目くそ鼻くそじゃ、問答無用っ!」
「S澤や、S澤んとこへ行ってくれっ!」
――などというリスクを作家(や編集者)だけが負う時代ではない。あなたの日記にある「松任谷由美」という誤記に殺意を覚えた熱狂的ユーミンファンがあなたを殺しにゆかないとはかぎらない。「安達祐美」にも気をつけたほうがいいかもしれん。あなたがどこかの掲示板に書いた「こんにちわ」という表記に「わしは、こんにち“は”じゃないと虫酸が走るのじゃ」と激しい殺意を覚え、あなたを殺しにゆくやつが……。
【6月4日(金)】
▼《ちょびっと替え歌》シリーズ(なんてものがいつできたんだっけ?)である。
無線LANを目にするたびに、明るく唄っていただきたい。
▼いまは亡きおれの母方の婆さんや、その娘である母親(こっちはまだ生きている)は、外来語に連濁を生じさせるという奇妙な言葉遣いをすることを、かなり前に書いた。“バスダオル”なんてことを、ふつーに言うのである。この奇ッ怪な言語環境に染まってはならぬと子供のころから思ってはきたが、今日、コンビニのDVDを売っているコーナーで、一瞬の目の迷いか老眼か、人気作品のタイトルがこう読めてしまったのだった――『ラスト・ザムライ』
う、うーむ。くやしいが、なんとなくこっちのほうが語呂がいいような気がしてきた。ラスト・ザムライ。や、やっぱり、かなりいい。たちまち頭の中にドラマが展開する……。やーいやーい、鮒ザムライのラスト・ザムライ、ラストじゃラストじゃ、ラスト・ザムライじゃー、おーのれ吉良めがあまりといえばあまりの雑言、か、覚悟ーっ、なりませぬっ、殿中でござる、殿中でござるーっ!
……って、放心状態でコンビニに佇んでいるおれってなに?
【6月1日(火)】
▼長崎県佐世保市で小学六年生の女児が同級生の女児をカッターナイフで切りつけて殺害するという事件が発生。加害児童は十一歳だという。なにがどうしてどうなったのかはいまひとつよくわからないのだが、慣れというのは怖ろしいもので、子供が人を殺しても、もはやさほど驚かなくなっている。「ああ、来るぞくるぞとは思っていたが、とうとう十一歳まで来たか」という感じしかない。この事件そのものもたいへんな事件にはちがいないけれども、むしろ加害者が低年齢であるほど模倣犯が怖い。
奇妙な言いかただが、おれ自身が子供であったときの感覚をおぼろげながらに思い出してみると、「大人は人を殺すこともある」とは常識として知っていても、「子供はそんな大それたことをしてはいけないのだ」という感覚がなぜかあったような気がする。いや、もちろん大人だって人を殺してはいけないのだが、そういう法的・道徳的規範とは別に、「おまえはまだまだ子供なんだから、大人みたいなことをしてはいけないのだ」という妙な内的縛りがあったように思うのだ。低年齢者による殺人事件がいったん発生し、それがメディアを通じて広まることによって、子供たちの中に「あ、子供でも人を殺していいんだ」という“気づき”の感覚が生まれることもあり得るのではないか。こういうのを大人の場合と同じように“模倣犯”と呼んでいいものか悩む。前例ができたことによる“気づき”がもたらす解放感による再現行為とでも言ったほうが適切かもしれない。ともかく、そういう再現行為が発生しないだろうかということが、いまとても気になっている。
▼情報処理推進機構(IPA)が「2004年度 暗号の危殆化に関する調査 公募」という面白いことをやっている。公募要領を見てみると、「素因数分解に関する研究の進展により、電子署名法等で規定されている鍵長の公開鍵暗号アルゴリズムなどにおいては、近い将来危殆化(電子署名の無効化など)が危惧され始めている。しかし、暗号技術が危殆化に瀕した際の技術的対策(鍵長の変更や使用するアルゴリズムの変更など)や法制度上の課題に関する検討はほとんど着手されていない現状にある。現実に暗号技術の危殆化が発生した際に、危殆化した暗号アルゴリズムによって電子署名された電子文書の取り扱いなど問題が発生することが懸念される」とあり、だからいまのうちに技術的/法制度的な対策を調査しておきましょうというわけだ。
面白い。やってることは、SFみたいなものである。そりゃあ、現在のどんな暗号だって、大きな数の素因数分解など、力業以外には容易な解法が発見されていない数学的な操作に基盤を置いているのだから、ある日突然、「おお、こうやったら素因数分解がエレガントにできるやんけ」などという方法が発見されれば、たちどころに危殆に瀕する。どんなアルゴリズムを用いていようが、ある日突然エレガントな復号方法を編み出すやつが現われないとはかぎらないのだ。もしあなたがそういう方法を発見したら、発表のしかたをよくよく考えないと、社会に大混乱をもたらすことは確実で、下手をするといろんな筋から命を狙われかねないだろう。絶対に復号できない暗号がいちばん強い暗号だが、それは暗号の定義と矛盾する。それが暗号であるからには、必ず破る方法があるのだ。これは定性的事実である。上記の募集要領では触れていないが、すでに知られている“力業”でも、桁ちがいに力のある“力業”を行使できる環境が出現すれば、暗号は危殆に瀕する。実用的な量子コンピュータの出現などがそれにあたる。
ある日突然、いま使われている暗号の多くが無効化されてしまったら、社会はどのようなことになるであろうか? えらいことになるのはわかるが(まあ、なんだかんだで連鎖的・結果的に何千人か何万人か何十万人かの死者は出るような気がするなあ)、具体的にどうえらいことになるのかをひとつひとつ考えてゆくと、これは面白いぞ。『e−Japan沈没』が書ける。もっとも、きちんと考証した小説にするには、とてつもない規模のリサーチと考察が必要になるだろうから、「そのアイディア、いただき」と書きはじめても、なまなかな学識と才能では、書くほうが沈没するにちがいない。もしそういうSFがでてきたら、ぜひ読みたいけどね。名作『コンピュータが死んだ日』(石原藤夫/光文社/ハヤカワ文庫JA/徳間文庫)の二十一世紀版とでもいうべき傑作を期待したい。
そういえば、ネタばらしになるのであえて作品名は書かないが、すでに草上仁が、まさにこのネタをみごとに料理している。そういう意味で“あの作品”は非常に本格的かつ先駆的なハードSFだと思うのだが、あんまりそういうふうには評価されていないようで残念である。
このIPAの公募、残念ながら法人にしか応募できないようなので、「冴えた提案がある」という個人の方は、それこそSFか近未来パニック小説にでもするほうがいいかも。
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