間歇日記

世界Aの始末書


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2004年5月下旬

【5月29日(土)】
▼評判の映画『折り梅』(監督:松井久子)が地上波テレビ(フジテレビ系)で放映されたので観る。痴呆老人の話であって、おれもこの歳になると、ひとごとではない。おれがボケるのではない。母がボケるのだ。いやまあ、おれが先にボケない保証はないのだが。
 吉行和子の痴呆老人がすばらしい。おれにとって、吉行和子はいまだに“お話のお姉さん”であって(なにしろ、淳之介よりずっと先に知っていたのだ)、あの“お話のお姉さん”がボケ老人になっているのだから、そのことのみを以てしても、奇妙な感慨を覚える。おれもそれだけ歳を食ったということなのだ。子供のころ、吉行和子にお話を読んでもらった人たちは、そろそろ親がボケても不思議はない、おれと同じくらいの年齢になっているはずである。ねえ、そこのおじさん、おばさん。
 “ええ話”ではある。ほんま、ええ話や。だが、おれにはどうしても“ありのままの人間”というものを、この映画ほどには信じることができないのである。実話がベース(小菅もと子『忘れても、しあわせ』日本評論社/[bk1][amazon])だそうだから、世の中には原田美枝子演じるこの嫁のようによくできた人物が実際におるのでありましょうが、とてもじゃないが、おれがこのような境地に達している姿は想像できない。おれはそんなに人間ができとらん。まあ、だからこそ、ひとごととして“ええ話”と感じることができるのだろうがねー。さわやかな映画だけに、かえって重い。フィクションとしての映画に描かれざるどろどろした部分を想像してしまうからだ。おれにはうまく消化しきれん。
 トミーズ雅(痴呆の母を抱える三男)は好演していて、この作品のこの役で期待される水準の演技を充分していると思うんだが、雅が標準語をしゃべっているのは、たしかに赤井英和が標準語をしゃべっているのと同じくらい、あちこちがこそばゆうなってきますな。誰よりも本人がいちばん気色悪いのではなかろうか。そもそも、「トミーズ雅」という芸名自体が、大阪弁じゃないと成り立たないのである。アナウンサーなどが「赤」と同じアクセントで「雅」と言うのが標準語的には正しいわけだが、そのように発音された「トミーズ雅」は「トミーズ雅」ではない。なにかほかのものだ。「坂」と同じアクセントで読むのが正しい「トミーズ雅」なのである。なあ、そない思わへんか?

【5月28日(金)】
『日本ブレイク工業 社歌』でおなじみの萬Zをプロモートする企画を思いついたのだが、誰か買わないか? 松田聖子とのデュエット曲を出すのだ――「♪解〜体〜」
 なに? オチが見えた? すんまへん。おれ、きっと、疲れてるんだ。

【5月27日(木)】
《ご恵贈御礼》まことにありがとうございます。

『ラー』
高野史緒、ハヤカワSFシリーズ Jコレクション)
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 ゴリではない(お約束)。古代エジプトの太陽神ラーである。《ハヤカワSFシリーズ Jコレクション》に二作めが入ったのは、牧野修に続いて高野史緒が二人めだ。
 忘れもしない、あの電話帳のような〈SFマガジン〉1998年2月号(創刊500号記念特大号/PART・II 日本SF篇)に掲載された短篇「ラー」を長篇化したものが本書である。短篇は充分面白かったけれども、当時かなり読み足りない印象を抱いたのもたしかだ。もっと唄って踊れるはずが、紙幅の制限で慌ただしくまとまってしまったような感じが抜き難くあった。ついに長篇化にこぎつけたとは、さすが塩澤編集長である。異論はありましょうが、古代エジプトとタイムトラベルという素材だけで、SFファンの多くは「お」くらいには必ず思うわけで、すでにして作品が2cmくらいの下駄を履いているような気にはなる。だからこそ、唄って踊ってくれる分量が欲しいわけだ。小器用なアイディア・ストーリーとして終わらせるのはもったいない。
 もっとも、短篇には短篇の、長篇には長篇の、まったく異なるツボがある。単に短篇を“肥らせる”だけの長篇化なら、読書時間が長くなる以上の意味はあまりない。そのあたり、本書がいかに短篇と異なる小説になり得ているかが楽しみなところである。

【5月26日(水)】
▼母が右目の白内障の手術を受けるので、会社を休んで付き添う。昨今では日帰りできる程度の手術だが、最低ひとりは身内が付き添わねばならんのだ。おれのパソコンに保存されているこの日記に文字列検索をかけてみると、母が初めて白内障だと診断されて帰ってきたのは、もう五年ほど前のことだ。当時の日記にも書いているが、白内障と言えば、本読みにとっては、なんといっても吉行淳之介『人工水晶体――移植手術体験記――』(講談社文庫)である。この本はかなり前に母にも読ませてある。母は本を読むのが異常に嫌いだが、さほど長くはないエッセイだし、さすがに自分の病気に関係のある文章だから、なんとか読み通したようだ。
 もっとも、この『人工水晶体』、二十年ばかりむかしに出た本だから、エッセイとしては神業の領域にあるが、白内障手術のディテールに関しては、その後の医学技術の進歩ですっかり時代遅れになっている。濁った水晶体を取り出して人工のそれと入れ換えるという基本は変わっていないけれども、現代の眼内レンズや術式はずっと洗練されたものになっている。むかしは水晶体の入っている袋に“最初からレンズの形をしたレンズ”を挿入していたため切開の幅も大きかったのが、現代では小さく折り畳んだレンズをわずかな切開部から挿入すると、中でレンズが開いて安定するようになっているのだそうである。なにやら人工衛星のソーラーパネルのようだ。なんでも最先端の手術だと、中年になれば自前の眼でもほとんど働かなくなる水晶体そのものの焦点距離調節機能すら回復させるという(一般に普及している手術に比べるとまだまだとんでもなく高価で、国内で行われている例は少ない)。そうなると、“治療”というより、ほとんど“若返り”だ。おれが白内障手術を受ける羽目になるころには、いったいどんな手術になっていることだろう(そう遠い未来のことでもないかもしれんが……)。
 付き添いたいとやってきた妹と眼科医院で合流し、術前のいろいろな措置を眺める。眺めているほか、付き添い人にはなにもすることがない。深刻な病気の手術とちがって、緊張した雰囲気はまるでない(まあ、そういう雰囲気を病院が作っているわけだが)。本人はけっこう緊張しているようである。
 やがて母は手術室に入り、付き添いはますますやることがない。看護婦さんがおれたちに尋ねる。

「ご覧になりますか?」
「え、見られるんですか? ええ、それはもう、後学のためにぜひ!」

 眼科医でもなければ、一生にそうそう何度も見られるものではない。おれは一も二もなく返事した。たぶんおれは、一瞬ぱっと顔を輝かせてしまったにちがいない。にたっと笑ってしまったのかもしれん。看護婦さんはちょっと面食らったようだ。身内が心配だから見たいというのならともかく、「後学のために」見たいとほざく家族はあんまりおらんのだろうか。いやまあそりゃ、おれだって親の目玉にメスが入るという状況が心配でないわけではないが、正直なところ、この段階では、もはや好奇心が完全に勝っている。妹は顔を顰めて、「わたし、そういうのはあかんねん」と、ゲテモノ食いでも見るような目でおれを見た。というか、むかしおれが近所のゲテモノ屋で食ってきたものを家で嬉々として話したときと、まさに同じ目でおれを見た。なにもわが身に危険が及ぶわけでもなし、めったに見られぬものが見られるというのに、いまさらながらこの妹めは、好奇心というものを持ち合わせていないのであろうか……。おれも信じ難いものを見るような目で妹を見た。互いに「こいつと血が繋がっているとは……」と呆れているのだから世話はない。
 手術室の中に顕微鏡と繋がったモニタがあり、外からも見えるように少し角度を変えてくれた。手術がはじまり、おれは妹や看護婦さんと雑談を交わしながらも、目はモニタをじっと見ている。家族が食い入るようにモニタを見ているというのも、医者にすればやりにくいかもなあという気がせんでもない。おれは純然たる好奇心で見ているわけだが、医者のほうは「ああ、あの家族、おれが失敗しよらへんやろかと思いながら、あんなにじぃっと見とるんやろなあ」などと思っているのかもしれない。医者にそう思われたくないから見学しないという気の弱い家族だって、世の中にはいることだろう。でもですな、医者は基本的にはサービス業なんであるから、客のほうがそこまで気を遣うことなどないのだ。見せてくれるというなら、遠慮なく見たほうがよい。いや、もし見せたくなさそうなら、なおのこと見せてくれと言わねばならんだろう。昨今では、どんな手術もビデオに収録して、あとで患者に渡している先進的な病院もあるそうではないか。
 しかし、なんですな、器具で押し広げられた目ン玉だけが大きくモニタに映っていると、個性もへったくれもないな。なるほど、あれは物体にちがいない。あれだけを見せられたら、誰の目だかわからないだろう。眼科医は逆に考えるのかもしれない。つまり、顔をよく憶えていない人の目を診察したとたん、「ああ、あの目の人だったか」と思い出したりするのかも。
 モニタに映る鬼太郎のおやじをじっと見ていると、白目のところにちょっとメスが入り、やがて水晶体に太い針のようなものが差し込まれる。超音波で水晶体を細かく乳状に砕いて吸引しているらしい。ああ、あの装置があれば鳴るホオズキが簡単に作れるのに、とアホなことを考える。
 水晶体がすっかり吸い出され、あとはレンズ入れて終わり……のはずが、なぜか時間がかかっている。手術室の中では、助手が戸棚の中からなにやら新しい器材を取り出したりしている。おや、なにか合併症が起こったかな? しばらくして、モニタの中で動きがあった。すでに切開している箇所を少し切り広げた。やがて円形のレンズが画面に登場。はて、折り畳みのレンズとはあれなのかなあと思っていたら、おれと一緒に手術室の外から見ていた看護婦さんはさすがに見慣れているらしく、「あら、折り畳みのレンズとはちがいますね」と、おれに言う。ははあ、やっぱりなにか合併症があったな。術前に詳しいパンフレットをもらい、説明も受けていたので、開いてみて初めて“難しい目”だとわかるケースもけっこうあるとは知っていた。おそらく、当初予定していたのとは別の術式に切り替えたのだろう。案の定、途中で女性の助手か見習いの人が出てきて、「ちょっと難しい目なので時間がかかる」と告げに来た。大事はないという。
 なんだかんだで小一時間かかったが、無事、手術は終わった。本人も元気そうである。執刀医が丁寧に説明をしてくれた。およそ百例に一例くらいはある後嚢破損・チン小帯断裂という術中合併症が起こったそうだ。前者は、水晶体が入っている袋の硝子体側(内側)が弱くて破れること、後者は、水晶体が入っている袋を支える糸が切れることである。元々これらの組織が脆弱な目をしている人の場合、通常の術式で眼内レンズを挿入してもそれが支持しきれず、最悪の場合、硝子体の中に落ち込んでしまう。そこで、例外的な術式で対処するわけだ。母の場合、後嚢破損が起こったようで、硝子体が少し漏出したそうだ。ああ、見た見た。あきらかに涙や体液とは異なる、粘性の高そうな透明なゼリーみたいなものが漏れていたが、あれがそうだったのだな。そこで、前部の硝子体を少し取り除き、水晶体が入っている袋の硝子体側を除去してしまって、一枚の膜となった袋の前方“外側”に、折り畳み式でない、むかしからある眼内レンズを挿入するという方法を採ったそうだ。術式としては少しむかしに戻ったような形だが、光が網膜に到達するまでに通る膜が通常より一枚少ないうえに、非・折り畳み式レンズのほうが折り畳み式のそれよりも光学的には優れている(そりゃそうだろう)から、うまく安定すれば、通常よりよい視力が出る可能性もあるそうな――という、医者の説明が本人にも妹にもよく理解できていないようなので、どのみちあとでおれが下手な絵を描いて教えてやらねばならないだろう。そうめちゃくちゃに珍しい事例ではないそうだが、百例に一例くらいのくじ引きに当たるとは、くじ運の悪さは遺伝するようである。
 無事、手術は成功したものの、これからがまたたいへんだ。しばらくは、四種類の異なる目薬を、一日に計十三回も点眼し続けなくてはならない。本人に任せておくと絶対忘れるから、おれは母のケータイのスケジュール機能を使って、目薬を指す時間に公衆着信音とはちがう着メロがでかでかと鳴るようにセットした。まことに現代のケータイとは便利な道具である。こういう機能が本人に使いこなせたらもっと便利なんだがな。今年の「サラリーマン川柳」第一生命)に、「ケイタイの 機能に知能 おいつかず」ってのがありましたなあ。さいわい、おれはまだ追いついてゆけているが、この句を詠んだ人の雅号は「五十路男」、もう十年もしないうちに、おれも「最近のケータイはわからん」と嘆いているやもしれん。あるいは、おれたちの世代あたりから下は、比較的若いころからITに馴染んでいるので、歳を食ったからついてゆけないという人は激減するのやもしれないな。少なくとも、いま五十代以上の人たちとは、事情が相当ちがうような気がする。まあ、もう十年もすれば判明することだ。おれたちが爺婆になると、むしろ「いまの技術なら、これこれこういう年寄り向けのサービスができるはずだ。作れ作れ」とメーカやベンダーに働きかける小うるさい消費者になるかもな。きっと、向こう二十年で、年寄り向けIT市場はぐんぐん拡大してくるぜ。いまでさえ、有名な「コンピューターおばあちゃんの会」なんてものがあるくらいだ。十年後には、ITリテラシーのある年寄りなんて、珍しくもなんともなくなって、そのころから爆発的に老人向けサービス(老人が“自分で使う”サービスだ)が立ち上がってくるのではないか。老人に特化したISPやASPなんかが続々出てくるだろう。

【5月24日(月)】
「Xbox」のロゴを見るたび、じゃがいもバターを連想するのは、私だけでしょうかー?
▼京阪電車の駅のホームで、スーツ姿の肥った男がケータイで話している。

「いや、先生がお忙しいのはもう、よく承知しておりまして、ええ、すぐにとは申しません、次のお仕事として私どもの仕事をお考えいただければ、と、思っておるんですよ……」

 おや? この男、編集者だろうか?

「ええ、それはもう、忘れもしません、○○駅前の喫茶店で初めて読んだときから、こぉの先生はすごいっ! と思っておりまして……。え、ええ、一度、お茶でもご一緒できればと、ええ、ええ、それはもう……」

 どうやら、相手はマンガ家らしい。それにしても、絵に描いたような編集者トーク、というか、フィクションの中にステロタイプとして出てくるような編集者トークである。この男が、あまりにも“編集者っぽい”ことばかりを大声で話し続けるものだから、じっと耳を聳てているおれの中にちょっと疑念が芽生えてきた。この男が、じつは自分は編集者だという妄想に囚われた病気の人で、毎朝駅に出向いてはこれ見よがしにホームに立ち、時報か天気予報を相手に大声で執筆交渉をしているのだとしたら……。うーむ、『人間交差点』向きの話かもしれん。いや、『世にも奇妙な物語』向きかな。時報や天気予報に飽きたこの男、そのうち、片っ端から適当な番号にかけては、たまたま繋がった相手に執筆を依頼しはじめる。ある日、自分はマンガ家だという妄想に囚われた病気の人に繋がってしまい……なんて妄想を頭の中で転がしているおれも、なにかの病気にちがいない。

【5月23日(日)】
▼ひさびさの《体重シリーズ》である。2003年5月3日の日記六三キロまで落ちたおれの体重は、その後、6月13日の日記で適正体重の六四キロ付近に落ち着き、今年2月20日の日記でも、まだ六四キロ付近をキープしている。運動はずっと続けているのであるが、不思議と、もう一年以上ものあいだ、体重はほぼ安定しており、いまは六四キロから六五キロのあたりを行ったり来たりしている。飯食っても一キロぐらいは簡単に増えるので、誤差の範囲の高下と言えよう。まっこと、人間の身体とは面白いものである。
 体重は変わらないのだが、体型はじわじわと変わってくる。完全に胸囲のほうが胴まわりより大きくなったのが見てわかる。そんなものあたりまえじゃないかとおっしゃるかもしれないが、2002年ころにはそうではなかったのだ。脇から腰までずどーんと茶筒のようなメリハリのない胴体があり、腹のあたりは絵草紙の餓鬼のように膨らんでいた。端的に言うと、バクテリオファージが逆立ちしたような体型であった(って、あれはどっちが“上”なんだ?)。運動すれば痩せるのはあたりまえとはいえ、じつにまあ、えらいもんである。おれはいま、おれの四十一年と半年ほどの生涯で、最もまともな人間のオスらしい体型をしているのではなかろうか。
 体重は変わらないのに身体の線にメリハリが出た以外に、もうひとつ実感できる不思議がある。あきらかに身体の密度が高くなっている。なぜわかるかというと、風呂に入るとわかる。おれんちのバスタブは狭いから、埋葬された縄文人みたいな姿勢で湯に浸かるわけだが、むかしはその姿勢で深く息を吸うと、ぷかぁと尻が湯舟の底から離れ、身体が浮き上がってきたものなのだ。ところが最近は、湯に浸かって深呼吸をしても、微動だにしないどころか、ほとんど浮力を感じない。尻はどっしりと湯舟の底に着いたままである。これはやはり、身体の密度が高くなったとしか考えられないだろう。もしかしたら、おれはすでに水に浮かない身体になってしまっているのかもしれない。湯舟の中で深く息を吸ったときに感じるあまりに微弱な浮力からすると、どうももう浮かなくなっているような気がしてならないのだ。人間は体脂肪率がどのくらいまで下がれば浮かなくなるのだろう? 諸元を調べて細かく計算すれば推定できるのだろうが、はなはだ面倒くさそうで、やる気が起きない。暇なときにウェブででも調べたほうが早いかもな。まあ、浮くか浮かないかは泳ぎに行けば確認できることだが、よく考えたら、おれはもう二十年くらい泳いでいないではないか。いっぺん、どぼーんと全身を水に浸けられる環境で実験してみんといかんな。

【5月22日(土)】
小泉首相、二度めの北朝鮮訪問。テレビは一日中、首相訪朝関連のニュースで埋め尽くされる。いきなりニュースに切り替わったりするもんだから、映画の録画とかしてた人は怒ったろうな。実際、蓮池さん夫妻地村さん夫妻のお子さんたち五名が日本にやってくることがあきらかになったあとに、やれ姿を現わした、やれ飛行機に乗ったなどと、いちいちリアルタイムで放送する必要があるのかどうかは疑問である。そりゃあ、日本人にとって、拉致問題関連のニュースは重要であるにはちがいない。だが、ぶっちゃけた話、これと同等、あるいは同等以上に重要である(とおれには思われる)ニュースを、ふだん通常番組をぶった切ってまでリアルタイムで放送しているようには、おれには見えないのである。今回の件は、完全にイベント化している。そこんところが、なにやらとても胡散臭い。正直なところ、一刻も早く動向が知りたいなどと思うほど、切実にわがことだと思っている日本人がどのくらいいるものなのだろうか? はっきり言って、おれにはそこまでの関心はない。現在の日本および世界が抱える問題のひとつとして、相応の関心があるだけだ。
 拉致被害者やその家族ご本人たち、彼らを親身になって支援している人たちは、一国の首相の外国訪問を、たとえば「子供の遣い」呼ばわりして批判してもよいだろう。当事者として正当に怒る権利があろう。彼らはあまりにも長いあいだ、待たされているのだ。当事者は感情的になってもいたしかたない。彼らの怒りをマスコミは伝える使命がある。が、マスコミ自身までが、完全に彼らの側に立ってイベントを煽ってもらっては困る。小泉政権がこの問題に着手したからこそ、いまこうやってマスコミは批判できているわけだ。小泉政権の対北朝鮮外交をいろいろ批判するのは大いにけっこうだが、ならば、拉致問題をほったらかしにしてきた過去の政権、政治家たち、特定の政党、そしてマスコミ自身も、より一層批判されるべきだろう。なにもしてこなかった連中が、なにはともあれなにかをやった人間を、後智恵で鬼の首でも取ったように批判するのは、あまり品のよいことではないとおれは思う。マスコミは、こと拉致問題に関して小泉政権を批判するのであれば、それ以前にこの問題をほったらかしにしてきた連中、見てみぬふりをしてきた連中が、いかにほったらかしにし、いかに見てみぬふりをしてきたかを、併せて掘り起こして国民に情報提供していただきたい。それでこそジャーナリズムである。たしかに、一時はそういうこともしていたが、最近すっかりやらなくなったように見える。あれは一過性のブームだったのか? おれたちは、そうした情報を投票の際に参考にし、国民の代表にふさわしくない連中をふるい落とすのだから、できる立場・すべき立場にありながらやらなかった連中の怠慢を、しぶとく追って、報道してほしい。
 攻撃されないため、批判されないための非常に効果的な方法は、人がしないようなことはなにもしないことである。決断し、行動した人が、なにもしなかったがゆえにこれといって攻撃・批判されないような人よりも損をするようではいかん。おれたち国民は、国会から後者を駆逐するために、自分の票を有効に使わにゃならんと思うわけよ。政治家は、決断し、行動することが仕事なんだから、“なにもしない安全圏”にいて徒に当選を重ねているような連中に払う税金はない。
 で、今回の小泉訪朝について思うわけだが、もう少し圧力かけてもよかったんじゃないの? そりゃまあ、相手はまともな理屈が通じるような国ではないのだからして、今回の成果がほんとうに精一杯だったのかもしれないし、おれたちには明かされていないどんな事情や駆け引きが裏にあるのかわかったもんではないから、誠実であろうとすればなんとも言えないというのが正直なところだ。でも、他国の人間を拉致しておいて、そのことで結果的に見返りを得るやつがいるなどという理不尽を目の当たりにすると、感情的にはなんとも腹立たしいわな。とはいえ、人質の身の安全を優先するために誘拐犯に金を渡すという決断が、プラグマティックには妥当であるケースもあろう。それもひとつの戦術だ。だけど、ほんまに腹立つなあ。


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