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2003年4月上旬 |
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わははははは、わははは、いまどきこんなネタとは、あははははははとちょっと読んでのけぞったのだが、意外なことに、これがなかなか新鮮で面白いのである。「兵器開発」とか「遺伝子工学」とか、宣伝やら腰巻やらではキモのキーワードが思わせぶりに伏せてあるのだが、どうせちょっと読めばすぐわかってしまうし、この日記を読んでいるような方々にはそこを紹介しないと面白さが伝わらないだろうとおれは思うので、ここではあえてバラしてしまう。これはなんと、“脳移植”の話なのである。脳移植! おお、なんとクラシックな響き。おれの頭の中に、たちまち「ドウエル教授」「ブラック・ジャック」「カリュウド」「サイモン・ライト」「ハカイダー」「メタリック」などの単語がよぎる。ウェス・クレイヴンは『エルム街の悪夢』やらで有名なホラー映画監督である。初めての小説なのだという。
なにをいまさら脳移植かとお思いになるでありましょうが(宣伝で伏せているのはそのような早とちりを防ぎたい気持ちがあるのだろう)、小説としては、相当御都合主義に満ち溢れた展開ではあるものの、なるほど映画監督的とでも呼びたくなるようなジェットコースターノベルとしてのテクニックはたしかにうまい。けっこう“汁気”も多くて、そこいらの描写は独特の淡々とした“厭(いや)感”があっていい。ツッコミどころ満載ではあるが、ちゃんと楽しめる――という感想をおれは読んだあとに抱くであろうと、いつものように予知する。妙に新鮮だったので、〈週刊読書人〉の書評で取り上げるであろうという未来もすでに覆しようもなく確定している。いやあ、そうか、こんな手もあったか。
【4月7日(月)】
▼鉄腕アトムの誕生日。ある種の感慨はたしかにあるものの、なにかがちがうという気がしてならない。二○○一年がやってきたときに感じたのと同じようなもやもやが胃のあたりにもたれている。
【4月6日(日)】
▼昨日の減量話の続き。五キロ減ったということはすなわちどういうことか、とよく考えてみて愕然とする。ここな足元に転がっている鉄アレイ、これ、一個が五キロだ。けっこう重い。あたりまえだ、重くなくては役に立たない。この鉄の塊と同じ重さの脂が、半年前まではこのあたりとかこのあたりとかこのあたりとかについていたわけだ。驚異の小宇宙・人体である。いま、この鉄アレイをかたときも離さず持って歩けと言われても、とてもそんなことはできん。が、半年前は身体にくっつけて歩いていたことになる。鉄だからこれくらいの大きさですんでいるが、脂だったらもっと体積があったはずだ。なんとも怖ろしいことである。いったい、そんな量の脂がどこについていたのか。やっぱり、このあたりとかこのあたりとかこのあたりなんだろうな。あっ、そうか。五キロ減ったということを端的に実感する考えかたにたどりついた。要するに、小ぶりの赤ん坊を二人生んだら、ちょうどこういう感じなのだろう。
▼『アストロボーイ・鉄腕アトム』(フジテレビ系)がはじまった。関西では日曜の朝九時、『トリビアの泉』を土曜の朝十時へと押しのけての放映である。予約録画の設定をふたつぶんしなくてもいいから便利だ。
モノがアトムだから、あんまり期待すると落胆の度合が大きいのではないかと、なにやら心理的な防衛機制のようなものが働いて、それほど期待していないというややこしい期待のしかたをしている自分がいる。いっそ観ないでおこうかとも思ったが、やっぱり観ちゃうね。シナリオには、長谷川圭一、太田愛、小中千昭、村井さだゆきなど、平成ウルトラマンでおなじみの面々が名を連ねているあたりも、ややこしい期待のしかたをしてしまう一因ではある。それにしても、今回アトムの声をやってる声優さん(津村まこと)にはびっくりだ。おれたちが親しんだ清水マリのアトム声とそっくり。栗田貫一のルパン以上に違和感がない。世の中には、似た声が出せる人がいるもんなんだねえ。もひとつびっくりなのが、お茶の水博士の勝田久。そりゃまあ、この役はこの人の声以外には考えられないけれども、同じシリーズのテレビアニメの同じ役の声を四十年越しで演じるなどというのは、世界にもそうそう例はないんじゃないか? いや、よくは知らんけどさ。ギネスに申請してみてはどうかとマジで思うんだが……。
ふとわれに返ってみると、なにやらおれは、子供のころに予想だにしなかったとてつもなく奇妙な二十一世紀を生きているのだと気づいた。だってさ、満四十歳になっているおれが、日曜の朝から『仮面ライダー』と『鉄腕アトム』を立て続けにテレビで観ている未来なんて、子供のころのおれに教えてやっても信じないぞ、たぶん。
▼先日、小林泰三さんの「影の国」(『ホラーアンソロジー 舌づけ』祥伝社文庫所収)が『世にも奇妙な物語 '03春の特別編』(フジテレビ系)の一篇としてドラマ化放映され(しかも“トリ”だった)、おれも観た。そろそろ出るころかと思っていたら、今日、案の定、“撮影秘話”が公開された。またもや、例によって主演女優の桜井幸子に挨拶したというのだが、「桜井さんは一目見ただけで腰が抜ける程の美しさだった」のだそうである。これが去年の正月に田中麗奈とのツーショットを送ってきた人の言葉であろうか。言うにこと欠いて、「腰が抜ける程の美しさ」とは、いったい全体どのような美しさなのだろう。次に小林さん原作の映画やドラマに出演することになる美人女優に申し上げたい。「腰が抜ける程の美しさ」はもう“使用済み”なので、そのようなことを言われても書かれても毫も動じたりなさらぬよう。小林さんが次はどのようなレトリックで女優を褒めるのか、刮目して待とう!
【4月5日(土)】
▼ひょんなことから鉄アレイ運動と腹筋運動をはじめてほぼ半年、いやあ、なんでも継続は力というか、七○キロあった体重が六五キロにまで落ちた。胴まわりなんか、めきめき脂肪が落ちて、穴つきベルトなら穴ふたつぶんくらい締まった。そういえば、むかーし日記に体重のことを書いたことがあるなあとディスクの中を検索してみたら、1997年4月29日の日記に、おれはとんでもないことを書いていたのを発見した――「あっ、なんてことだ。が〜ん。風呂上がりに体重を測ってみたら、59キロしかないではないか。せっかく60キロを超えたのに、また転落してしまった」
なんとまあ。五年と半年で十キロも肥っていたのか。そのうちの半分が半年で落ちたわけである。ちなみに、おれの身長は約一七○センチだ。六○キロではちょっと痩せすぎだろう。この調子でゆけば、あと半年でまた六○キロくらいに戻るのだろうか。いや、どうもそうではないらしい。というのは、脂を落とすのが主目的であった鉄アレイと腹筋運動、主目的は果たされつつあるのだが、むかし六○キロであったころと比べると、あきらかに筋肉をつける方向に働いている。体重だけが六○キロであったころよりも、ずっと上半身が引き締まって筋肉がついてきたのだ。以前は直線の組み合わせでできていたポリゴンじみたおれの上半身は、いつのまにか球の組み合わせのような曲線を中心とした感じに変化してしまった。腹筋運動の甲斐あってか、たぷたぷと波打つ脂肪の新しい波がひいた下から腹筋のハードな大地が姿を現わしてきた。縦横に溝が入ってきて、腹筋というのはこんな形であったのかとわかるようになってきた。えらいもんやな。こういうのは“怪我の功名”というのかどうか。痩せようとした女性がよく「脂肪が落ちてきたのはいいが、筋肉がついてきて困る」といったことを言っているが、べつにおれは脂肪が落ちた代償に筋肉がついたとて、ちーとも困ることはない。
いやしかし、単に鉄アレイをふりまわしているだけでも、運動の効果というのはバカにならないものである。若いころでも、これほど筋肉がついていた時期はない。といっても、あくまで“当社比”である。風呂上がりに鏡を見ると、「おお、なんか最近、『ターミネーター』に出てた役者みたいになってきたな」と思う今日このごろだ。アーノルド・シュワルツェネッガーではない。『T2』のリンダ・ハミルトンくらいにはなったということである。比べるのが女性だというのがいささか情けない気もするが、そもそもおれは骨格が華奢だから、いまからどんなに頑張ったところでシュワちゃんみたいには絶対になりようがない。あんな筋肉がついたら、ちょっとした拍子に骨がボキボキ折れるだろう。
さて、このペースで運動を続けていたら再び六○キロになるかという問題であるが、たぶんならんような気がしている。運動をはじめた当初、急激に体重が落ちていたが、だんだん体重の減りかたが緩やかになっているのだ。最初の二キロが減るのは二か月くらいだったが、そこから三キロ減るのには約四か月かかっている。これはやはり、以前にも書いたように、筋肉がついてきて脂肪の減ってゆくぶんを相殺しているのだろう。ということは、そのうち両者は釣り合って、体重は変わらないが身体が引き締まってゆくという時期がやってくることになるのだろう。その時期が体重何キロくらいでやってくるのか、なんとなく楽しみである。そこを過ぎると、主に筋肉が増えて体重が増えるということになるんだろうか。そこまでやるつもりはないけどね。身体に余計な負担がかからない程度に脂肪が減らせれば御の字だ。まあ、服のサイズが合わなくなったための余分な出費を防止するという目的も大きいけどな。
いまのところ、減量成功中というわけだ。食いものは食いたいものを食っていて、“ダイエット”というほどに気をつけているわけでもないんだがなあ。たしかに炭水化物を控えめにはしているな。そもそも関西人というやつは、うどんやお好み焼きを“おかず”にして米を食うなどという奇ッ怪な習慣があるくらいに炭水化物ばっかり食うから、控えめにしたところで、ひとりでに十分な量は食っているはずだ。間食をするなら納豆を食うようにしている。なに、おまえは以前から納豆ばかり食っている? うん、それは主食だ。間食もできるだけ納豆にするようにしているのだ。一日三個食っていたハンバーガーは二個に減らした。ああ、そうだ、料理用の油を例の「健康エコナ」ってやつに変えた。マヨネーズもだ。ほんとうにエコナが効くのかどうかはよくわからんが、まあ、気休めだ。そういうことをしながら、パスタはしばしばバカ食いしている。オリーブオイルをどぼどぼかけてだ。パスタを食わない生活をするくらいなら、新しいズボンに金を払うほうがまだしもましである。まあ、最近よく聞く低インシュリン・ダイエットとやらでは、パスタはカロリーの割には肥りにくい食品だということらしい。
結局、もともとおれは肥りにくいものが好きみたいなので、板チョコを二、三枚、バリバリと立て続けに食うとか、ポテチをひと晩で二袋食うといった外道な習慣さえ控えれば、痩せる方向へのフィードバック・ループに乗るのには、さほどの労苦を必要としないということなのであろう。この歳になると、動かないと食ったぶんは確実に肥ると肝に銘じなくてはならない。ほんのわずかであろうとも、入ってくるカロリーよりも使うカロリーが多ければ、ややこしい理屈はともかく、原理的には必ず痩せてゆくはずである。わかっちゃいるけど、なかなかそうはできないんだよなあ。やっぱり、たまには板チョコを二、三枚バリバリと発作的に食ってみたりするのが、人間として健全な食生活というものであろう。
【4月4日(金)】
▼「Pocket LOOX」のシステムアップデートパックはもうとっくに出ているのだが、どうもシステムをアップデートするのは怖いから、十分な人柱が立つまで(ひいい)様子を見ている。アップデートしちゃうと元に戻せんのが怖いし、システムアップデートの際のバックアップは Microsoft Outlook で取るしかないので、面倒くさい。Outlook などという怖ろしいソフトは、うちのパソコンからはアンインストールしてある。インストールしたところで、Windows 95 で使える旧バージョンの ActiveSync では、Pocket PC 2002 と Outlook の同期がうまく取れないはずだ。ま、結局、パソコン側のOSを新しくせんと、Pocket LOOX のシステムアップデートもできんわけやね。
システムはアップデートしていないが、Pocket PC 用の日本語入力システム「Japanist for Pocket PC」が出ていたので、こいつは先日入れてみた。なかなかすごいという噂は以前から聞いていたのだ。Japanist は、元々 OASYS シリーズ用の日本語IMEだが、Pocket PC 用やタブレットPC用の出現に伴い、手書き入力機能を搭載した。
使ってみて仰天している。Pocket PC に標準搭載されている日本語IMEなど、Japanist for Pocket PC に比べればどアホウである。驚異的な手書き文字認識率! 悪筆のおれが、自分であとで読んでも読めないだろうと思われるような文字で入力欄に殴り書きをしているのに、あとからあとから望んだ活字に変換されてゆく。百発百中とは言わんが、これほど望んだとおりに認識してくれる手書き入力システムにはお目にかかったことがない。しかも、一度連続入力した文節を憶えていて、次回からは先読みして候補を出してくれる。つまり、一度日記に「仮面ライダー」と書くと、次からは「仮」と書いただけで『ひょっとして「仮面ライダー」と書くつもりとちゃいますか?』とばかりに、入力欄の上に候補を出してくれるわけである。「おお、そうじゃそうじゃ、そのつもりじゃ」というときには、そのまま「仮面ライダー」をタップすれば一気にその語が入力される。「仮面舞踏会」「仮登録」などを最近入力したことがあれば、「仮」を入力した段階ですかさず「仮面ライダー」「仮面舞踏会」「仮登録」を候補に表示してくれる。それらをホーキング教授のように選んでゆくだけで、すらすら文章が書けてしまう。「田」と書くだけで、「田中啓文」「田中哲弥」が候補に出てくる。「神」と書くだけで、「神林長平」「神様のパズル」が出てくる――といった感じである。キーボードだったら、こういう機能があってもいちいちキーで選ぶのが面倒くさいだけだろうが、スタイラスで手書き入力する場合には、この機能は非常に生きる。人間、使用頻度の高い単語や言いまわしは、けっこう決まっているものである。たとえば、おれの日記なら、「にちがいない」「なんということだ」「ではあるまいか」「わけである」なんてのは、自分でも使いすぎるくらい使っていると感じている。読者のみなさんも、そのように感じているにちがいないのではあるまいかというわけである。まあ、そういうわけで、使えば使うほどシステムが自分色に染まってゆく快感が、Japanist for Pocket PC ではとくに強く味わえる。
いままでいろんなPDAを使ってきたが、手書き入力に満足したことなどなかった。「ほお、ずいぶん賢くなったな」と面白がって最初は手書き入力していたザウルスですら、結局、ソフトキーボードを使うほうが速いので手書き入力はしなくなった。やっぱり日本語の入力にはキーボードがいちばん、HP200LXに優るスピードで入力できるPDAなどない――と思っていた。しかし、ついにその認識を改めるべきときが来たようだ。Japanist for Pocket PC を入れた Pocket LOOX でおれが手書き入力しているスピードは、HP200LXでキーボード入力していたスピードに引けを取らない。むしろ、文章の内容によっては Japanist for Pocket PC のほうが速い。紙に手書きしてゆく速度を超えているのではないかと感じることすらある。これはおれにとっては革命的である。新たな筆記具を得たという感じだ。「ああ、やっぱり Pocket PC は入力には向かんなあ。めんどくさいなあ」と思っていたのが、Japanist for Pocket PC 以後は、そこいらの紙きれに手書きメモを残すくらいなら、Pocket PC に入力しておいたほうが速いし手軽だと思うようになった。入力するのが快適で、面白くてしかたがない。やっぱり、入力には快感がないとね。とうとう手書き入力もここまで来たかと感慨深い。あんまりすらすら手書き入力できるものだから、この日記のためにメモを残す際にも、メモを残すというよりは、そのまま日記を書いてしまうような感じになった。思ったまんまを走り書きしているのがどんどん活字になってしまうので、簡単なメモのつもりが、ついつい“文章”を書いてしまうのだ。
とはいうものの、Japanist for Pocket PC はあくまでPDAの入力システムとして驚異的だというだけで、やっぱりパソコンのキーボードで入力する速度には全然かなわん。でも、Pocket LOOX 用の Japanist for Pocket PC が出て、マジで言語生活がちょっと変わったね。菊池誠さんはHP200LXで〈SFマガジン〉の原稿を丸々一本書いたことがあるそうだが、下手するとおれもそのうち、原稿用紙二、三枚くらいなら、Pocket LOOX で手書きしてしまうかもしれん。Japanist for Pocket PC なら、(書くことさえ決まっていれば)それくらいの量はすぐ入力できてしまうのだ。日記のメモをするつもりが、たちまち四百字くらい書いていることがよくある。いやあ、これはいいよ、ほんと。
【4月3日(木)】
▼会社の帰り、バス停で妙なおっさんがわめいている。「アメリカとイラクの戦争がはじまるんじゃあ、おらあ」「もう安泰とちがうんじゃあ、おらあ。わかっとんのか、おらあ」 まあ、そりゃそうだ。そもそも、すでに戦争ははじまっていると思うが……。なぜかこの手のおっさん、必ず語尾に「おらあ」をつける人が多いのである。全国的にそうなのだろう。2ちゃんねる用語にも、「ゴルァ!」というのがあるくらいだからな。
「おまえらの安泰ももう終わりじゃ、おらあ」と、おっさん、なにやらドアーズのようなことをわめき続けている。「京都はわしがおるから安泰なんじゃあ、おらあ」 はいはいはいはい。頼もしいことだ。
【4月1日(火)】
▼ブッシュ演説のパロディなんぞを作ったせいかどうかは知らんが、最近とくに海外からのスパムメールが増えている。不思議なことに、英語のスパムのほとんどが、なぜか「おちんちんを大きくしませんか?」というものばかりなのである。これはいったいどうしたことか。英語圏ではおちんちんを大きくするのが流行っているのだろうか? あんまり何度も大きくしませんかと言われると、「おまえ、どっかで見たんか?」とツッコミたくなってくる。まったく、大きなお世話とはこのことだ。おれのおちんちんが大きかろうが小さかろうが、おまえらの知ったことか!
この手のスパムは、たいていアメリカから来ているのだろうと思われる。もしやアメリカの男たちは、みんなおちんちんの大きさにコンプレックスを抱いているのであろうか? 需要があるから供給があるのだろう。強いアメリカに空しく憧れる心性となにか関係があるのかもしれん。アメリカが戦争をするときには「おちんちんを大きくしませんか?」メールが増えるという法則でもあるのやもしれん。そうだとしたら大発見だ。アメリカが次に戦争をするときには、スパムメールに注意しておくとしよう。全米ライフル協会の意見も聴いてみたいものだ。チャールトン・ヘストンは巨根なのだろうか? なーんとなくそんな気がしないのはなぜだろう?
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