JAVA動作環境では写真が切り替わります(たにし亭、おばさんののれんの準備、目白通り界隈)
2007年3月更新
澤井ふささん
東京の目白、不忍通りと目白通りの交差点の近くに40年もの長い間営業していた店を昭和53年7月7日に閉じました。
たにし亭をサイバースペース上に再び開店します。
『たにし』で今頃、みんな楽しく飲んでいる、座れるかな。気づくと足取りも速くなり、胸も少し早く打っている。小さな公園前の横断歩道、待つ時間が長く感じる、いつになく車が多い。通りの向こう側、右手先にぼんやりと『たにし』の明かりが見えては消える、行き交う光がじゃまをする。歩道を渡り、近づくにつれ”暖かな明かり”が視界の中に大きく拡がる。夏のこの時期、半分開け放っているガラスの引き戸、風に揺れるのれん、その動く隙間からおばさんが見えた。いつもの笑い声が高々と店の外まで洩れてくる、今日も野球の話なんだ。何故か急にホッとして脚が緩む、かるく深呼吸をして店に入る。手の指から甲にかけて伝わるのれんの生地、裸電球の灯り、弾んでいる会話、笑い声、おばさんと目が合う、おでんと出汁のにおい、ちょうど席が空いている。
●準備
コップ…ガラスの胴長のコップが有ればなお良い。
氷…冷蔵庫のものよりもかち割りがよい。
ほうじ茶…濃いめに沸かして、やかんのままさましたもの。
焼酎…焼酎は亀甲宮(もしも、亀甲宮が手に入らなければ米焼酎を選んでください)
●作り方
コップに氷を入れ焼酎4にほうじ茶6の割合で出来上がり。
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(C)新潮社
『酒呑みの自己弁護』 山口瞳著 (C)新潮社 酒亭たにし ページ26〜27
昭和四十八年三月三十日 発行(初版本)
なお、掲載に付きましては著作権継承者である山口治子さんのご好意で了解頂いております。
『夕刊フジ』に『飲酒者の自己弁護』というタイトルで連載された89話を新潮社で読み物にしたと、山口瞳さんがあとがきで書かれています。
帯文には
酒。
人間の生んだ
最も偉大な文化…。
地球の上の奇酒、銘酒を
須(すべか)らく友として三十余年、
今、愛情の心で
思い出の酒を語る
山口瞳、四十五歳。
長い経験が磨きをあげた、
コクのある、
深い深い読みごたえ、
口当たり爽やかな
辛口エセー!
『酒呑みの自己弁護』ですが、すでに絶版になっており、現在はオンデマンドブックスとして4000円で販売しております。山藤章二さんの挿絵も入っております。オンデマンドブックスのご購入はウェブの書斎(http://www.shosai.ne.jp/)からお申込いただけます。
『一枚の絵から』山口 瞳著 オール讀物 昭和五十五年八月特大号(54ページ〜64ページ) 株式会社文藝春秋
なお、掲載に付きましては著作権継承者である山口治子さんのご好意で了解頂いております。
山口瞳さんが銀座の画廊の一枚の絵から、『たにし』のおばさんに貰った三岸節子の絵と『たにし亭』へ通った昔を思い出した内容…
会社から目白駅にむかって、三、四百メートルばかり歩いたところの左側に、Tというオデン屋があった。目白通りに面している小さな店だった。いま目白通りは若者に人気があるそうであるが、当時は人家も疎らで空地があり、店屋は数えるほどしかなかった。飲食店はTだけだったかもしれない。……
マルチェッロ・ボッカッチは、一九十四年の生まれだから、今年、六十五歳か六十六歳ということになる。私は、おばさんも同年齢だろうと思っている。
●『五十年目の祈り』 豊島区(83p〜90p飲食業者の食糧難時代…澤井ふさ談)
その他『たにし亭・おばさんの事が書いてある本』
●『明日の友』1980年冬号(32号)婦人之友社刊より
●その他たにし亭の記事
●山口瞳氏がおばさんに贈った水彩画(山口瞳氏画)