書家から“心”書家への道のり
愛知県豊橋市で小学校二年生の頃から書道に親しみ、高校を卒業してからしばらくの間は書道から離れていた園家さん。その後、結婚して京都に移り住み、再び趣味としての書道を再開した。そのまま書家としての道を歩むこともできた。しかし園家さんは書道界では異色、いや異端ともいうべき『心書家』への道を歩み出した。その理由のひとつに書道を再開して師事した書家・大田左卿さんの影響があった。
「書道の世界にも文字の形はこうあるべきだという画一的な考え方があります。大田先生はそうした手本一辺倒な文字を求めるのではなく、人それぞれ個性があるように文字にも個性があってもいいじゃないかという考えを持っておられて、私も知らず知らず影響を受けていたようです。」
また、京都に移り住んだことも大きな影響を受けた。「京都という町にはさまざまなアートが集まってくるんです。ここに住んでから随分と色々な展覧会を見て歩きました」。伝統の町・京都にいたことが新しいアートとでもいうべき『心書』を生みだしたというのだ。
趣味としての書を続けながらも、自分らしさを表現できるアートを追い求めるようになっていた園家さん。そこへあるチャンスが巡ってくる。京都の画廊協会が年に一度開く『京都画廊選抜作家展』に出品してみないかという誘いだ。園家さんは迷った末、「書を出品して文字をつらつら並べるよりも、もっと自由に親しんでもらえる書の形に挑戦してみよう」と心書(当時はまだ心書とは名づけていなかった)の制作に取りかかった。
当日、会場には日本画、洋画、陶芸、染織などが一堂に集まった。園家さんは『桜』『水』をモチーフに心書のデビューを飾った。そして、その活動が次第に世間の目に触れるようになる。 |