それからの九年間・・・
デビューして九年たったいま、園家さんの作品はさらに磨きをかけ「当時と比べると、随分絵画的になった」という。つまり、文字の形がさらにデフォルメされてきているのだ。
「おそらく昔に比べて文字から開放されてきたのではないでしょうか、私自身が。別の言い方をすれば、文字の形から開放されて自由に文字の持つ心を表現できるようになったような気がします」
するとどうだろう。人それぞれの見方、感じ方がさらに広がってくることを知った。本誌10ページの心のセルフケアでも使わせていただいた『生』という心書に対して、ある人は「海」という。ある人は「草原」「砂漠」「ビールの泡」そしてある人は「宇宙の誕生」という。上に掲載した『桜』を「葉桜ですか」という人もいた。それはそれでいいと思う。墨で描いたモノクロの世界である。本人の思惑を超えたイメージが広がることこそ「心書の命」であると園家さんはいまは思っている。
三つの心の集う場所を求めて
象形文字、会意文字、形声文字など、漢字はその成り立ちから多くの意味を内包している。また、長い間使われ続けて新しい意味を内包する漢字もある。漢字は生きているのだ。しかし、園家さんはいう。
「現代はあまりにも文字がおろそかにされ、文字自体の持つ心が忘れ去られているのではないでしょうか・・・。」
文字が持つ心。園家さんはよくこの表現を使う。文字には心があるのだと。そして、「文字の持つ心、私が持つ心、見る人が持つ心が一つになって初めて心書に生命が吹き込まれると考えています」と語る。
これこそまさに文字の持つコミュニケーション機能の原点。園家さんは三つの心が集う場所を求め、これからも心書を描き続ける・・・。
取材:林 浩一 |