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アリアドネー(=Ariavdnh)

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 「最も聖なるもの」、あるいは「子沢山の母親」を意味する。ディオニューソスの妻としてアマトスで崇拝された[1]。クレータ島の女神の若き姿である。ギリシア神話ではこの女神を軽視して、単なる人間の娘にした。アリアドネーはテーセウスを助けてクレータ島のラビュリントス(大迷宮)から脱出させ、一緒に逃げた。ところがテーセウスはアリアドネーに飽きると、捨てた。しかし、アリアドネーが、その後、ディオニューソス結婚したのを見ると、アリアドネーはそもそも神の花嫁にふさわしい者であったことがわかる[2]。


[1]Graves, W. G., 93.
[2]Graves, G. M. 1, 347 ; 2, 381.

Barbara G. Walker : The Woman's Encyclopedia of Myths and Secrets (Harper & Row, 1983)



 の女神としてのパーシパエーの二人の娘、アリアドネーとパイドラーは、彼女の再生した姿である。アリアドネーは「この上もなく清らかな」という意味のアリアグネーの変形とも考えられているが、実際にはシュメール系の名前アル・リ・アン・デ、つまり「豊かな麦の実りをもたらす母」であるように思われる。またパイドラーは、パドリの名で南パレスティナの碑文の中にしばしば出てくる。(グレイヴズ、p.440)

 テーセウスがの巫女と結婚した結果、彼はクノーソスの王になったわけである。クノーソスの貨幣には新月が迷路の中央部におかれた図案がみられる。しかしの巫女がといっしょに国外へ出た場合には、母系制度の慣習によって、王位継承者たるべき彼女は自分の国土にたいするあらゆる権利を喪失することになっていた。テーセウスがアリアドネーをアテーナイへつれていかなかった、あるいはクノーソスを望むことのできるクレータ領のディーア島までしかつれていかなかったのは、そのためである。雄牛としてあらわされているクレータのディオニューソス — 実際にはそれがミーノースなのだ — が、アリアドネーのほんとうのである。そして彼女の狂乱の祭には、クレータで醸造された葡萄酒がふるまわれたのであろう。彼女と侵略者のテーセウスが寝床をともにしたといってディオニューソスが激怒したとホメーロスは述べているが、その理由はこれで説明がつこう。(グレイヴズ、p.498)

 北かんむり座(Corona Borealis)、つまりアリアドネーの花嫁の冠は、またの名を「クレータの冠」とよばれていた。彼女はクレータ系のの女神で、ディオニューソスと交わって生んだ葡萄酒の子どもたち — オイノピオーン、トアース、スタピュロス、タウロポロス、ラトロミス、エウアンテースは、それぞれキオス、レームノス、トラーキアのケルソネーソス、さらに北方に住んでいたヘラディック期の諸部族の名祖にあたるものだった。葡萄の木の信仰はクレータ島をへてギリシアやエーゲ海につたわってきたから — オイノス「葡萄酒」はクレータ語である — ディオニューソスがクレータのザグレウスと混同されるようになったのである。ザグレウスは、ディオニューソスとおなじように生まれおちるとすぐに八つ裂きにされた。(グレイヴズ、p.164)

 クレータ島のぺツォーファからはおびただしい数の粘土細工の人間の首や手足が発掘されてきている。どれにも穴があいていて糸を通すことができるものだが、これらをまとめて木製の胴にくくりつけると、あのダイダロスが組みたてた人形の一部となって、これがおそらく豊饅多産をつかさどる女神をあらわしたのであろう。このつかいかたは、たぶん果樹の枝につるして人形の手足が風にゆれるようにし、豊作を祈ったものであろう。ミュケーナイのアクロポリス宝物殿からでた有名な黄金製の指輪には、この種の人形が果樹の枝からつるされているところがきざまれている。樹木の信仰はいくつかのミーノースの工芸品の主題になっており、クレータの女神であるアリアドネーは、アッテイカのエーリゴネーのように、みずから首をつって死んだといわれる(『ホメ一口スとへーシオドスの競技』一四)。アルカディアのコンデュレイアにその聖所があった「縫死したアルテミス」(パウサニアース・第八苦・二三・六)や、ロドス島にその聖所があり、ポリュクソーから威嚇され木に首をつって死んだといわれる「木のへレネー」(パウサニアース・第三書・一九・一〇)は、おなじ女神の変身であろう。(グレイヴズ、p.428-429)
 しかし、果樹に吊された女神は、それが太陽女神であることを意味している。
 画像は、アリアドネー(左)とディオニューソス(右)の壺絵。