ミーノータウロスを生んだクレータ島の「月の女神」パーシパエーの娘。パイドラーはミーノータウロスを殺したテーセウスと結婚した。彼女はテーセウスに従ってギリシアへ帰り、妻となり、同時にヒッポリュトスの継母となった。ヒッポリュトスは、「海から来た魔法の雄ウシ」すなわちミーノータウロスに唆かされたウマたちによって殺された。
パイドラーを中心とするこの縺れ合った物語は、クレータ島の聖なる雄ウシの祭儀がギリシアに輸入されたことを示している。ギリシアでは、雄ウシの祭儀は、地方的なウマの祭儀と混交した。ヒッポリュトスは、女王(パイドラー)と交わったのちにウマに引きずられて死んだ犠牲者であった。明らかにヒッポリュトスはテーセウスの代理であり、テーセウスは、迷宮(ラビュリントス)の中で雄ウシ王を殺した者として、普通なら次の後牲者となるはずであった。ギリシア・ローマ神話は、テーセウスが息子のヒッポリュトスに呪いをかけ、海神に呪いが成就することを祈って、息子を死に至らしめたと述べている[1]。
一説にはヒッポリュトスは神となり、現在も「馭者座」として天界に姿を現すと言う。
Barbara G. Walker : The Woman's Encyclopedia of Myths and Secrets (Harper & Row, 1983)
パイドラーがヒッポリュトスに不倫の恋をしかけた話は、ポチィファルの妻がヨセフにたいして道ならぬ恋をした話とおなじく、エジプトの『二人兄弟の物語』か、さもなければごくありふれたカナアンの典拠からかりてきたのだと思われる。その後日物語は、聖王が彼の任期のおわりに戦車の衝突事故で殺されるところを描いたおなじみの図像にもとづいている。
古代のアイルランドにおけるように、十一月の海の波のとどろきが、まぢかに迫った聖王の最期を予言し警告しているものだとすれば、この警告が口を大きくひらいて波頭の上にあらわれる雄牛やあざらしの姿で示されたものらしい。ヒッポリュトスの手綱は、おそらくぎんばいかの枝にからみついたものにちがいなく、のちに衝突事故にむすびつけられるようになった不吉なオリーヴにからんだのではあるまい。現にこのぎんばいかは彼の英雄神殿のすぐそばに生えているし、その葉に小さな穴があいているので有名である。オイノマーオスの戦車が衝突した話にみられるように、ぎんばいかは王の統治の最後の月を象徴していた。それに反して、野生のオリーヴは王の後継者の統治の最初の月の象徴であった。
ウィルビウスがウィルとビスの組みあわせからできたことばだというのはあやまりで、これはギリシア語のヒエロビオス「神聖な生活」をあらわすものらしい。ギリシア語のhがしばしばラテン語のvにかわるのは、ヘスティアー+EstivaとウェスタVesta、ヘスペロス$EsperoVとウェスペルVesper〔夕べの星〕などの例にみるとおりである。『金枝篇』のなかでサー・ジェームズ・フレーザーは、祭司が後生大事にまもり育てていた枝はやどり木だったことをあきらかにしている。それから考えると、ミーノースの息子グラウコス 彼はシーシュボスの息子グラウコスとよくまちがえられるが は、やどり木の力によってよみがえったものらしい。プレ・ヘレーネスのやどり木と樫の信仰はギリシアで禁止されてはきたが、コリントス地峡から避難してきた祭司がそれをアリーキアヘもたらしたということは大いにありうる。エーゲリアという名前からもわかるように、彼女は黒いポプラの森のなかに住んでいた死の女神であった。(グレイブズ、p.101)