クレータ島の雄ウシ神にして救世主で、息子ディオニューソスと父ゼウスの双方と同一視された。ザグレウスはティーターン族(古典期ギリシア以前の神々)に生贄として殺され、次いでその天の父のもとに戻って一体となり、再び母(大地女神レアー)の胎から新たなザグレウスとして復活した。
Barbara G. Walker : The Woman's Encyclopedia of Myths and Secrets (Harper & Row, 1983)
オルぺウス教でディオニューソスと同一視されている神。ゼウスは蛇の姿でベルセポネーと交わり、第一のディオニューソスが生れた。ゼウスは彼に世界の支配を託すつもりでいたが、嫉妬深いヘーラーにそそのかされて、ティーターンたちが彼を襲い、ザグレウスは身を種々の姿に変えて逃れんとし、牡牛になった時にティーターンに捕えられ、八つ裂にされて、食われた。ゼウスは怒ってティーターンたちを雷霆で撃って焼き殺し、その灰から人間が生れた。だから人間には神性が部分的にあるという。アテーナーがザグレウスの心臓だけを救い、ゼウスはこれを嚥下し、そこからセメレーによって第二のディオニューソス・ザグレウスが生れた。(『ギリシア・ローマ神話辞典』)
この神話は、古代のクレータで雄牛の王ミーノースの身がわりに、毎年、少年が人身御供にあげられたあの儀式にかかわっている。少年は一日だけの統治権をあたえられ、五つの季節――獅子とヤギと馬と蛇と雄の子牛――をあらわす踊りをおどり、そのあとで生身のまま食われた。
ディクテーの洞窟に近いパライオカストロで数年前に発見されたクレータの讃美歌は、クロニオス神にささげられたものだが、このクロニオスは自分に属する悪霊たちの先頭に立っておどり、地味の肥沃や、羊の繁殖や、漁船の豊漁を祈って跳びまわる若者たちの首領のことである。ジェーン・ハリソンは『テミス』のなかで、この讃美歌のなかに述べられている盾をもった教師たち――「レアーのふところより、汝、不死の子どもを奪いしもの」――は、実際には生贄(彼らの秘教会に加入したあたらしい信徒)を殺して、それを食うふりをしたにすぎないのだと言っている。しかし、世界の多くの地域からの報告によると、秘教会へ加入する儀式においてこのような死をよそおう仕草はすべて、結局は実際にひとを殺して生贄に供してきた伝統にもとづいているようである。ザグレウスの暦のうえの変化を見ると、彼はふつうのトーテムを信ずる団体のメンバーとはちがうように思われる。
ザグレウスはさまざまに姿をかえ、最後に正規でない虎の姿になったが、これは彼がディオニューソスと同一の神であることを思えば納得がゆく。ディオニューソスの死と復活について、これと同じ話が語りつたえられているからである。ただしその話によると、生のままではなく、調理された肉を食うことになっており、アテーナーではなく、レアーの名前になっている。ディオニューソスもまた、角のある蛇であった――彼は生れたときに角と、蛇の形をした頭髪の毛をもっていた――そこで彼につかえるオルぺウス教徒たちは、牛の形をしたディオニューソスを聖餐として食べたのである。
この神話におけるティーターンたちというのは、ティーターノイ、すなわち「白堊を塗った男たち」のことで、ほかでもないクーレースたちが犠牲者の霊魂によって正体を見破られぬように姿をかえていたのである。人身御供の慣習がすたれると、やがてゼウスはこの人食いたちに雷霆を投げおろすという像であらわされるようになる。そして、彼らがゼウスに敵意をいだいていたという理由から、ティーターニス(週の七日を統べる神々)がティーターノイ(白堊を塗った男たち)と混同されるようになった。かつてはその祭神の肉を食ったオルぺウス教徒も、誰ひとりどんな種類の肉にも二度と手を触れようとはしなくなったのである。
ザグレウス=ディオニューソスは、南パレスティナでもよく知られていた神であった。ラス・シャムラの書板によると、バアルの神が死者の食物を口にしたために冥府でその精力が衰えたとき、一時アシュタルが天の王座についたことがあった。アシュタルはまだほんの子どもで、王座についたとき、足台に足がとどかなかった。やがてバアルが帰ってくると、彼は棍棒でアシュタルをうち殺した。モーセの律法は、アシュタルのために入信の祝宴を催すことを禁じていた。「あなたは子ヤギをその母の乳で煮てはならない」という禁令が三度までもくりかえされているのである (『出エジプト記』第23章19、第34章26、『申命記』第14章21)。(グレイヴズ、p.176-177)