L


ラビュリントス(LabuvrinqoV)

 ラビュリントスは「両刃の斧の家」の意で、その語源は、クレータ島のの女神に雄ウシを生贄として捧げる際に使われた、儀式用の斧ラブリュスlabrysだった。ギリシア・ローマ時代のラビュリントスは、ミーノース(「-王」)の宮殿(迷宮)を指した。ミーノースの霊は、聖なる雄ウシ、すなわち、ミノタウロス(「-雄ウシ」)に宿っていた。クレータ島のミノタウロスは、エジプトで同じく生贄に供された聖牛アーピスに相当した[1]ミーノースは、「の王」であると同時に冥界の裁判官でもあり、西洋において、ヒンズー教の「-雄ウシ」ヤマに匹敵する存在だった。ヤマも、ミーノースと同じような役割を果たしていた[2]

 迷路模様には神秘的な意味が込められており、それは、聖王と再生の輪廻の旅と同じく、あの世に行って再び現世に戻ってくる旅を意味していた。貨幣、洞穴、墓石などに描かれていた初期の迷路模様は、大地-子宮を指していた。ギリシア・ローマ時代の迷路は、道がわからなくなってしまう迷路とは違っていた。すなわち、当時の迷路は1本道で、その道が迷路模様を構成しているすべての部分を残らず通過するようになっていた。この種の迷路は、儀式にのっとって歩行するためのものであり、「たいていは洞穴と関連があった。……歩行の儀式がすたれずに残っている場合には、洞穴あるいは住まいの入口の所に、必ず、本物の迷路があるか、または迷路の図がはり出されている」[3]

 魔女たちは、儀式として、各種の迷路ゲームを行った。そのゲームの中には、のちに子供たちの遊戯になったものもある。たとえば、「トロイ・タウン」というゲームがあり、子供たちは今でも、芝に刻まれた7個の迷路模様の輸の上で、このゲームを行っている[4]

 迷路模様の中には、キリスト教会に引き継がれて、床の様様や庭園または生け垣などに取り入れられたものもあった。また、グノーシス派の秘密のシンボルとして、石工たちの同業組合の手によって教会の設計の中に巧みに組み込まれたものもあった。シャルトルの大聖堂には、中心部にアプロディーテーを表す「6弁のハス」の模様が置かれている迷路があった。この迷路の長さはちょうど666フィートあり、 666はアプロディーテーの聖なる数だった[5]point.gifHexagram. 中心部のハスには、かつては、棟梁たちの名が記されていた。おそらく棟梁たちは、グノーシス流の名前呪術によって不死を得ることを望んでいたものと思われる。しかしそれらの名前は、今ではすべて消されてしまっている[6]


[1]Graves, G. M. 1, 255.
[2]Lethaby, 156.
[3]Norman107, .
[4]Lethaby, 155.
[5]Pepper & Wilcock, 159.
[6]Norman, 108.

Barbara G. Walker : The Woman's Encyclopedia of Myths and Secrets (Harper & Row, 1983)



ギリシア・神話〕 迷宮は元来ミーノース王のクレータ島の宮殿であり、その中にはミノタウロスが閉じ込められていて、テーセウスがそこから脱出できたのはアリアドネーの糸のおかげであった。したがって何よりも、迷宮の複雑な地図と難しい道筋に留意すべきである。

比較・クモの巣〕 「迷宮とは本質的にいくつもの通路の交錯したもので、その内のあるものは行き止まりで袋小路になっており、それらの交錯した通路を通ってこの奇妙なクモの巣の中心にいたる行程を発見することが問題になる。とはいえ、迷宮をクモの巣になぞらえるのは正確ではない。なぜならクモの巣は対称的に整然とした形をしているのに対し、迷宮はこの上なく複雑に入り組んだ通路網を非常に狭い空間内に封じ込めて、旅行者が目指す中心に到達するのを遅らせようとするところにその本質があるからである」(BRIV、197)。

種々の迷宮〕 しかしこれに類した複雑な道筋は自然状態でもあって、先史時代の洞窟内の通路に見出される。ウェルギリウスの断言するところによれば、クーマエのシビュレの洞穴の入り口の上にも、迷宮は描かれている。それは大聖堂の敷石の上にも刻まれている。ギリシアから中国にいたるいろいろな地域でも迷宮の踊りが行われているし、エジプトでも知られていた。迷宮と〈ほら穴〉との結びつきによく示されているように、迷宮は一種の通過儀礼としての「旅行」を通して「中心」に到達することを許すと同時に、資格のない者たちにはそれを禁ずるものでなければならない。そうした意味で、迷宮は〈マンダラ〉と関連づけられもしたが、それはマンダラがときには迷宮に似た外観を伴うからである。したがって、「隠された中心」への前進に先立って、有資格者を識別する通過儀礼として試練を形象化することが必要なのである。

巡礼の代替物〕 聖堂の床面に刻まれた迷宮は、加入儀礼を課す建造者たちの同業組合を示すしるしであると同時に、《聖地》巡礼の代替物でもあった。それゆえにときとして中心には、建築家自身が見出されたり、《エルサレムの神殿》が見出されたりするが、それは世界の《中心》に到達しえた「選ばれた者」であり、あるいは世界の《中心》のシンボルなのである。実際に巡礼を行えなかった信者は、迷宮を踏破して、空想の世界で中心、すなわち聖地にたどり着くことができた。これが〈即席の巡礼者〉であった(BRIV、202)。その巡礼者はたとえばシャルトル大聖堂の迷宮で、200メートルの行程をひざまずきながら進んだのである。

防衛手段〕 迷宮は要塞都市の入り口でも防衛手段として利用された(⇒要塞)。それは古代ギリシア風の家屋の模型の上に描かれた。いずれの場合にも、世界の中心に位置するものとしての都市、あるいは家の防衛が問題で、人間の敵に対する防衛ばかりでなく、災いからも防衛しなければならなかった。中国圏の神殿中央の通路の真ん中に置かれる「衝立」にも同一の役割が認められるが、ここでは災いは直線的にしか伝播しないとみなされている。

迷宮の踊り〕 「ツルの舞い」と呼ばれる、テーセウスの踊りは明らかに迷宮内を進む行為と関連している。ところで中国にも迷宮の踊りがある。それは種々の鳥の踊りで(たとえば「南歩(違)」など)、その役割も同様に超自然的なものである(BENA、CHRC、GUES、JACG、KALT)。

軍事的、宗教的機能〕 防衛手段のシンボルである迷宮は、貴重なもの、あるいは神聖なものの存在を示す。それはある領域、ある村、ある町、墳墓、財宝を守るための軍事的機能を果たすことができる。迷宮に近づくことができるのは、迷宮の地図を知っている奥義をきわめた者だけである。迷宮は悪の攻撃に対する防御という宗教的機能を持つ。悪とは悪魔だけではなく、もろもろの秘密、神聖なるもの、神的なものとの緊密な関係を冒潰しようとする聞入者をも意味する。迷宮が守る中心に入ることが許されるのは、通過儀礼としての試練(迷宮内の紆余曲折)を経て、神秘の啓示を受けるにふさわしいことが判明した者だけである。一たび中心にたどり着くや、彼は聖別され、秘儀加入を許されて、奥義に通じた者となる。「通過儀礼が行われる迷宮での儀礼は……新参者に対し、生涯の一時期に、迷うことなく(〈それはもう1つの生への入り口である〉)の領域内に入り込む方法を教えることを目的とする、……ある意味で、クレータ島の迷宮でテセウスが体験する通過儀礼は、《ヘスペリたちの園の黄金のリンゴ》あるいは《コルキスの金羊毛》の探求に相当した。これらの試練はいずれも、地形学的記号体系を手掛かりにして、近寄り難く守りの固い空間内にうまく入り込むことに帰着するが、その空間内には〈力〉と〈聖性〉と〈不死〉の多かれ少なかれ透明なシンボルが見出された」(ELIT、321)。

太陽との関連〕 迷宮はまた「両刃の斧」のゆえに、太陽の意味作用をも持ちうることになる。迷宮とは両刃の斧の《宮殿》のことで、両刃の斧はミーノース文化期の多くの遺跡に刻まれている。迷宮の中に閉じ込められた《雄ウシ》もまた太陽に関係する。こうした見地からすると、迷宮はおそらく王権、ミーノースの民衆に対する支配を象徴するのであろう。

ジッグラトという階段状のピラミッド形建築物が、螺旋状の迷路を3次元空間に投影させたものであるのに対し、《斧》の宮殿としての迷宮が想起させるのは、クノッソスではミノタウロスの神話上の住まいが、両刃の斧(王権のエンブレム)の聖域、すなわちゼウス=ミーノースのアルカイックな雷霆の聖域だったということである」(AMAG、150)。

錬金術・神秘主義〕 錬金術師たちに踏襲されたカバラの伝承では、迷宮は魔術的機能を果たすことになり、その機能はソロモンに帰せられた秘法の1つとなる。それゆえ大聖堂は、ところどころで途切れた同心円の重なりで、奇妙な錯綜した行程を形作り、ソロモンの迷宮と呼ばれることになる。錬金術師たちの目からすると、そのイメージは「《大いなる作業》の全過程とそこにおける障害の大きさ」を表し、「2つの自然が戦いを交える中心に到達するためにたどるべき経路、造営家がそこから脱出するために通らなければならぬ経路」を表すのである(FULC、63)。こうした解釈は、禁欲主義的・神秘主義的とも呼ぶべき理論による解釈にも合致するであろう。その理論においては、感覚と情動と想念の無数の道を通って、純粋直観に対するあらゆる障害を取り除くことにより、自己そのものに精神集中をすること、道の曲がり角で惑わされることなく光明に立ち返ることが重要になる。迷宮内での往復は精神的なと復活のシンボルとされよう。

象徴・内面性〕 迷宮はまた自己の内面、人格の「最も神秘的な部分が宿る、内面の隠された聖域とでもいうべきものに」も通じる。ここで思い起こされるのは恩寵の状態にあるの中の《聖霊》の神殿たる「精神」、あるいは無意識の深層である。いずれも意識がそこに到達しうるのは、長い迂回あるいは強度な精神集中の結果、一切が一種の照明により単純明快になるあの究極の直観にまでいたるときである。数知れぬ欲望のうちに四散した存在の失われた統一性が取り戻されるのは、このクリプト(地下聖堂)においてなのである。

迷宮の中心の意味〕 通過儀礼の最終段階にたどりつくのと同じように、迷宮の中心に到達すると、「見えざるロッジ」の中に迎えられるが、迷宮の造営家たちはそのロッジを常に神秘の中に置いたし、しかも各人はロッジをその人自身の直観ないし独自の親和力によってはじめて有効に用いることができた。レオナルド・ダ・ヴインチの迷宮について、マルセル・ブリヨンは「レオナルドが白いままに残して置いた魔法の円を有効に用いることのできる、あらゆる時代あらゆる国の人々からなる人間の集まり」に言及している。「なぜなら迷宮の中心をなすこの聖域の意味作用をあまり明確に述べることは彼の精神の意図するところではなかったからである」(BRIV、196)。

螺旋と編目文〕 迷宮は螺旋と編目文という2つのモチーフの組み合わせともみなされ、「〈無限を形象化する〉非常に明白な意志を、無限が人間の想像力に対して与える2つの様相のもとに」表現するであろう。その2つの様相とは「すなわち、螺旋という絶えざる変転の内にある無限(これには少なくとも理論的には終結がないと考えられる)と、編目文が形象化する永劫回帰の無限とである。旅行が困難であればあるほど、障害が多くけわしければけわしいほど、奥義を究めた人は一層の変貌を遂げ、その通過儀礼の旅程中に新たな自己を獲得するのである」(BRIV、199-200)。

 迷宮の中心において生ずる自我の変貌、回帰の旅の終わりに白日の陽光のもと、暗黒の闇から光明へのこの移行の終局に顕現する自我の変貌とは、「物質的なものに対する精神的なものの勝利、そして同時にまた滅び去るものに対する永遠なるものの勝利、本能に対する知性の勝利、盲目的暴力に対する知識の勝利」を明示するものであろう(BRIV、202)。
 (『世界シンボル大事典』)