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ベールゼブブ(Beelzebouvb)

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 「ハエの王」の意味。フィリステアのエクロンの神。イスラエルの王アハジャは、使者を遣わして、自分の病気が治るかどうかを尋ねさせた(『列玉紀下』 1 : 2)。霊魂導師ヘルメースと同じく、ベール・ゼブブという添え名は「の神、もしくは「霊魂を導くもの」と同じ意味であった。それは、再生を願う霊魂は、普通、ハエの姿をとったからであった。神話では、英雄たちの多くの母親は、ハエの形をした霊魂を呑みこんで、英雄たちを奇跡的に懐胎した[1]。アイルランドの伝説上の女王でオツヒィ・アレムと結婚したエテイナと、クープリンCu Chulainnはケルト神話の中のそうした事例の人物である。

 パリサイ人たちはベール・ゼブブを「悪霊のかしら」と呼んだ。それはベール・ゼブブが下級の悪霊にとりつかれた人を治癒することができる、と思われていたからであった(『マタイによる福音書』 12: 24)。新約聖書の中でこの「悪霊のかしら」についての言及がちょっとなされたために、ベール・ゼブブがサタンSatanに代わる名前となり、また中世キリスト教国において、ハエは明らかに悪魔を表すものとされることになった。聖ベルナルドゥスが、あるとき、ハエの群を呪文で追い払った。そのとき、彼の呪文が口から出るやいなや、ハエはたちまちにして死んで落ち、教会からシャベルでかき出されて山となった、という[2]

 ハエが悪魔であるということは、 16世紀後半においてもまだ、確信されていた。1583年、ウィーンで、ある娘がけいれんを起こしたとき、イエズス会土たちはその娘が悪魔にとりつかれていると診断した。 8週間にわたって悪魔祓いをすると、その娘から1万2652人もの悪魔が追い出された、と彼らは言った。その娘の70歳の祖母がこのハエの悪魔をガラスのびんにかくまっていたと告発され、ウマの尾にしばられて、はりつけ柱のところへ引かれて、火刑に処せられた[3]


[1]Spence, 95-96.
[2]White 2, 109.
[3]Robbins, 395. ; Cavendish, P. E., 234.

Barbara G. Walker : The Woman's Encyclopedia of Myths and Secrets (Harper & Row, 1983)



 ベールゼブブは、列王記下1:2-6節および16節に、エクロンの治癒神バールゼブブとして登場する。七十人訳はBaal mui:aハエ神〕と訳し、新約聖書ではBeezebouvl(またはBeelze-, -bouvb)と表記、ウルガタではさらに Beelzebub となおした。

 多くの古代宗教において、ハエを運ぶと信じられ、民間信仰では女がハエを呑むと子を孕むとされている。ギリシア語のプシューケーyuchv は実際には蝶を意味する。ベールゼブブは「ハエの王として」、実際には霊魂導師yucopompovV、すなわちの支配者であった。こうした称号を持っているにもかかわらず、福音書作家三人によって、悪霊どものかしらであると主張された(マタイ10:25、12:27、マルコ3:22、ルカ11:15)。


 古代においては、ハエもまた信仰の対象であった。ところはペロポンネソス半島の西北エリス。この地方の土着の信仰が、後から入った大神崇拝に吸収される過程で、ひとつの神格が成立した。それが「蝿追いゼウス(Zeus Apomyios)」だというのが、松村武雄『古代希臘に於ける宗教的葛藤』(培風館、昭和17年刊)の論旨である。
 「〔害虫・害獣が崇敬の対象になっている各地の事例を挙げて〕およそこれ等の事実は、或る動物に対処するために、特にそのうちの或るものを霊物として崇敬し、これに哀願して、その同族若くは部下たる動物をして人の子に害を与へないやうに力を揮はせる習俗が、広く諸民族の間に行はれてゐることを証示する。それならば希臘のアリフェラ〔同じくペロポンネソス半島のアルカディアの都市〕の地で蝿群の駆逐を託されたミュイアグロス〔記録にある土着神の名前。直訳すれば「野生蝿」〕といふ存在態を目して、本然的には一個の蝿神 — 蝿群を神の使として祀り宥めることから、これを害物として退け遠ざけることに推移したとき、彼らを代表するものとしてpropitiate された蝿であったとしても、恐らく過誤を冒すことにはならないであらう」(p.216)。

 この地方的なミュイアグロス崇拝が、隣のエリスに移入され、この地で、大神ゼウスに習合されたというのが、松村の主張なわけである。