ほうきの柄は、長い間、魔女と関連があるとされた。それは、異教の結婚と生誕の祭式、すなわち女性たちの秘儀にほうきの柄が登場したからであった。古代ローマでは、ほうきはヘカテーに仕えた巫女-産婆のシンボルであった。子供が生まれると、悪霊がその子に害を加えないように、その家の入口をその巫女-産婆がほうきで掃いたのであった[1]。
ヘカテーは、また、結婚を司る三相一体の女神であったのでヘカテーの持つほうきの柄は性的結合を表した。昔の結婚式ではほうきの柄を飛び越える習慣があった。おそらく、受胎を表す行為であったのであろう。ジプシーの結婚式でも同じ祭式が行われた。今では、それが何を意味するかは知らない、とジプシーは言っている[2]。奇妙なことに、19世紀のアメリカの黒人奴隷たちが、教会に属さないで結婚式を挙げるときも、同じようにほうきを飛び越えて式を行った。
中世ヨーロッパにおいて農民たちが結婚式を挙げるときも、教会に属することは一般になかった。それは教会法ではなく普通法の管轄の下に行われたからであった。そして、新しい宗教ではなく、昔の宗教にもとづく儀式として結婚式が行われたのであった。ほうきは教会で行わない結婚式をずばり表す物であると見られたために、教会が結婚式を支配しはじめたルネサンスの頃には、すでに「ほうきによる」男女の結合は違法であると宣告されていた。英国の田舎の人々は、今でも、「もし女の子がほうきの柄をまたぐと、妻になる前に母親になってしまう」、と言っている。私生児を生んだ娘は「ほうきを飛び越えた」と言われる[3]。
ほうきの柄は魔女が乗るウマと考えられたが、柄は明らかに、タントラ風の性的結合を表すものであった。男女の性的結合は女性主導の祭儀、つまり魔女の集会の呼びものとして重要であった。そこではエニシダの小枝Planta genetが魔女たちに捧げられた。このために、 12世紀にアンジュー(フランス西部)を支配した一家がプランタジネ家Plantagenetという名前を持つようになった。プランタジネ家の最初のイングランド王であったへンリー2世は、その王位を母系継承によって母親のマテイルダから受け継いだ。マテイルダはアンジューの伯爵夫人であったが、その名前(モードMaudとも言う)は、普通、魔術と関連あるものとされた。Genetはまたウマ、あるいは乗用馬(異教の「王室馬」)の意味もあった。こうした意味はjennetという単語に残されて。 jennetは小さなウマ、あるいは雌ロバを意味する。そしてまた魔女たちの名前もjennetに関連するものが多かった。たとえば。 Jenet、 Janet、 Jeannette、Jean、 Joanである。
こうした名前は、男根神(ほうきで表される)と聖なる結婚をして生まれた魔女の子供、を思い起こさせた。 JanetとかJennyという名前は「ウマの娘」という意味であった。そしてヴォロスVolos (Völsiとも、 Waelsiともいう)やオーディンといった昔の神々は「ウマの男根Jと呼ばれた[4]。ほうきの柄に乗るということは、女上位という性交体位を示すものだと思われたようであるが、これはキリスト教会が無理にこじつけた説である。こじつけではあるがこのような性的合意があるということは、次に挙げる魔女の歌を見ればよくわかる。「雄ウマに乗ってバンベリー十字路へ行ってみなさい。白い雄ウマに乗った美女に会えるでしょう」。この美女とはゴダイヴァ(女神)であった。彼女の白い雄ウマとは彼女の夫のことを意味したのであった[5]。
子供たちはウマの頭をほうきの柄につけて乗馬遊ぴをした。これは、中世の初期にスペインに入ったスーフィー教徒たちがやっていたことをまねたものであった。スーフィー教というのは、 13人の魔女からなる魔女の集会と同様、そのグループは13あり、またラッバRabba(神。のちには魔女の神ロビンRobinとなる)を崇拝していた他に、その賢人たちはウマの頭をした杖にまたがっていた。その杖はザマルザインzamalzain (足をひきずりながら仰々しくはでに歩くウマ、の意)と呼ばれていた。デルピッシュ(イスラム教の苦行派の托鉢修道僧)が用いた棒ウマは、天馬ペーガソスのように、自分を天界へ連れて行って戻ってくる幻想上のウマを表すものであった[6]。このようなウマにまたがる習慣はバスク人の間ではよく見られたことで、そのためにバスク人は魔術を使うと告発されることが多かった。
魔女が乗ったほうきの柄は、ときに、張形以外の何物でもなかったようにも恩われる。その張形に有名な「飛ぴ軟膏」 flying ointmentを塗って性器を刺激した、という[7]。フランスの魔女たちは「このようにして飛んだ」……「魔王がくれた軟膏を、ちっぽりな木の棒と自分の掌と手全体に塗った。そしてその小さな棒を両足の間にはさんで、行きたいところへまっすぐに、魔王に引率されて、飛んでいった」[8]。キリスト教会側の人々は、たしかに、どんな自慰行 為でもそれは悪魔の誘いであるとする傾向があった。女性の自慰行為はとくにそう見られた。女性が男性抜きで性的快感を得るなどということは、父権的な心の持ち主にとっては、考えるのもいやらしいことであったからである。
魔女の軟膏にはしばしばトリカブトのような薬用植物がまぜられた。油を主体にした塗布剤にトリカブトを入れて塗ると、すぐに皮膚や粘膜に浸透して、めまい、錯乱、無感覚、うずうずした感じ、といった徴候が生じ、続いて感覚が全く麻縛して、そのために空中を飛べるという幻覚を覚えるようになった。オールドハム氏は次のような詩を書いた。
「魔女たちは魔法の杖にうちまたがり
空中を飛んで行けると思っている」[9]
ほうきの柄は、昔、異教の産婆と関連があり、そしてこの産婆がキリスト教では魔女であるとされたために、魔女に対する迷信と同じような迷信がほうきの柄にも当てはめられるようになった。魔女の使い魔は流れる水を渡ることはできないと言われた。このために、流れる水の上でほうきを掃くように動かすことは「凶運」であると、とされた。ほうきを燃やすことも「凶」とされた。それは魔女にとってたしかに凶であったからだ[10]。
Barbara G. Walker : The Woman's Encyclopedia of Myths and Secrets (Harper & Row, 1983)
なぜ魔女は空を飛ぶとき、箒にまたがっているのだろうか。
ウォーカーは、「昔の結婚式では、箒の柄を飛び越える習慣があった。おそらく、受胎を表す行為であったのであろう。ジプシーの結婚式でも同じ祭式が行われた。19世紀のアメリカの黒人奴隷たちが、教会に属さないで結婚式を挙げるときも、同じように箒を飛び越えて式を行った。……英国の田舎の人々は、今でも『もし女の子がほうきの柄をまたぐと、妻になる前に母親になってしまう』と言っている。私生児を生んだ娘は『ほうきを飛び越えた』と言われる」と書き、「男根神は箒で表される」と書く(『神話・伝説事典』)。
上山安敏は、「魔女がまたがった箒の柄をさしてフロイトは『あれはペニスだよ』と説いた。魔女とは、ペニス願望をいだく女性の深層の投影だというのである」と書いており(『魔女とキリスト教』)、田中雅志は、「フロイトの述べたように、箒の柄をペニスと解すれば、空中浮遊するその姿は性的オルガスムの表現とみることもできる。さらにサバトでの悪魔との情交、性的オルギアも暗示されていよう。すなわちこの種の図像のうちに、キリスト教の禁欲的・抑圧的教義によって屈折した、女性の性衝動に対する夢想的表現を読み取ることができよう」と書いている(「魔女のイコノグラフィー」「ユリイカ」1994年2月号)。
上山・田中はフロイトの心理分析的視点から、箒の柄=男根に乗って空を飛ぶ魔女を、女性の深層心理の面で解釈しているが、ウォーカーと同じ視点に立つアト・ド・フリースは、民間伝承では、「少女が箒の柄をふと跨いでしまうと、妻となるよりも先に母親になってしまうことがある。これは箒の柄は男根を意味しており、魔女との関連もあるからである」と書き、魔女の乗物としての箒の柄で飛ぶのは、「おそらく飛ぶことを暗示する飛び棒、竹馬として用いられた」(『イメージ・シンボル事典』)からと推測する。
ウォーカーも、「子どもたちはウマの頭を箒の柄につけて乗馬遊びをした。これは、中世の初期にスペインに入ったスーフィ教徒たちがやっていたことをまねたものであった。スーフィ教というのは、一三人の魔女からなる集会と同じく、そのグループは二二あり、その神(ラッパ)は、のちには魔女の神ロビンになっている」と書き、飛ぶ理由として、「棒ウマは、天馬ベガソスのように、自分を天界へ連れて行って戻ってくる幻想上のウマを表すものであった。このようなウマにまたがる習慣はバスク人の間ではよく見られたことで、そのためにバスク人は魔術を使うと告発されることが多かった」と書く(前掲書)。
フリースもウォーカーも、箒の柄は男根とダブルイメージでみられていたと書きながら、魔女が箒にのって飛ぶ理由では、飛び棒、竹馬、棒馬などを箒の柄と関連づけており、箒の柄=男根とみられていたことを無視しているが、男根も飛ぶ。(大和岩雄『魔女はなぜ空を飛ぶか』p.13-15)
魔女が棒を股にはさんで飛ぶのは、女上位の性交体位であるが、棒といっても特に箒の柄が多いのは、箒の柄の境界性による。飛ぶことは境界(垣)を越すことだが、垣を越すことのできない人たちにとって、垣を飛び越す人たちは特別な人、「賢い女」「夜行する女」たちであった。ドイツ語の魔女(Hexe)は、8世紀〜11世紀に南部ドイツで使われていたhagazussaによっているが、この言葉は「垣を飛び越える女」の意味であるという(ヒルデ・シュメルツァー『魔女現象』)。
キリスト教神学では人は垣の内にいる存在で、死んで垣の外に出るのであり、外へ出たものは戻ってこない。内と外を出入りするのは唯一神の神のみであった。それなのに、「魔」は神と同じに内と外を出入りしたから、神と対立する存在であった。この「魔」は男より女が多かったから、悪魔狩りでなく、魔女狩りになったのである。(上掲書、p.164-165)