語源はギリシア語のkleitorivV。「聖なる、有名な、女神のような」の意である[1]。ギリシア神話では、男根は擬人化されてプリアーポスPriaposになり、陰核はアマゾーン女人族の女王クレイテーKleivthになった。クレイテーはクレイタイ族〔イタリアに都市を創建した女戦士たちの種族〕の祖となった母親であった[2]。コリントスにおいては、クレイテーは王女で、「アルテミスが背高く屈強にした」王女であった。これは彼女(=陰核)が勃起することの寓意であった[3]。またクレイテーはニンフで、太陽神の男根を愛して、その動きに応じて彼女の「頭」も常に動かしたということが、これも性的隠喩であることは明らかであった[4]。この話のそうした性的な部分が削除されて、クレイテーは太陽が空を運行するその動きに応じてその向きを変える ヒマワリの花(sunflower) となった。
パウサニアースによると、アルカディアの都市クリトオルKleivtwrは、アルテミスあるいはデーメーテールに捧げられ、大地の生殖器にあたる聖地すなわちステュクス河(またはアルプ)の源流に立っていたという[5]。こうした地理学的神話が何を意味するかは、ステュクス河が大地母神の経血、すなわち、万物の源にして、しかも万物を溶かしてしまう河であるという古代の人々の考えを思えば、明白なものとなろう。また、陶酔のうちに狂うアルテミスの巫女たちは、このステュクス河の水によって、その狂乱からさめたという。そのためアルカディアのオムパロスomphalosとは、女神のへそではなくて、女神の陰核を表したものであったに違いない。
後世、父権制社会になると、陰核はなるべく無視しようということになり、キリスト教会が、女性は性的快感を覚えてはならず、子を産むためにのみ性交をすべきであると教えたために、成長期にある男子も女子も、できるかぎり女性の性的能力については知らされないようにされた[6]。医者でさえも、貞節な女性には陰核がないと信ずるようになった。
中世以来、貞節な女性はその裸身を男性に、そして夫にさえもめったに見せることはなかった。そのため、暗闇でごそごそと女体をまさぐっていた男性が、女体がどういう構造になっているかまったく知らなかったとしても、それは驚くにあたらないことであった。信心の深い夫婦は頭巾のついたシュミーズを着ていた。それは前面に小さな穴の開いているたっぷりとしたナイトガウンで、肉体の接触は最小限で妊娠させることができるものであった[7]。
1593年の魔女裁判で、審問官(既婚者)は初めて陰核を見つけ、それを悪魔の乳首と思い、魔女の有罪を確証するものだとした。陰核は「小さなこぶで、いわば、乳首のように突き出ていて、長さは半インチ」であった。審問官は「初めて陰核というものを見たが、それが見るのもいやらしい秘所に隣接しているために、誰にも見せないつもりであった。しかし結局、そのようなまことに珍しいものを隠しておくことができなくなって」、彼はまわりにいる人々にそれを見せた[8]。人々もそのようなものは見たことがなかった。魔女は有罪と宣告された。
西欧社会は、たしかに、男根については熟知していて、男根崇拝はキリスト教時代になってもなくならなかった。Phallus Worship. しかし、陰核のことは忘れられていた。
「人生のそもそもの始まりから、私たちはみな、主要な男性生殖器は男根であり、女性性器で主要なのは膣であると教わる。そしてそれらによって男であるか女であるかがはっきりわかるし、男女の違いが現れるものと考えられている……これは嘘である……女性の性的快感を考える場合、こうした定義があてはまらない場合が多い。もし女性性器の目的が女性に快感を与えることであると思うならば、女性が性欲をはっきり自覚するのは別の器官によるし、それに集中する。幼児のころから、主要な男性性器は男根で、女性のは陰核であると、すべての者が教わるとよい」[9]。
19世紀の医学の権威者たちは、女性の性的能力を女性たちに気づかせまいと心を配ったようであった。男の子と同様に、自慰によってオルガスムが得られることを覚えた女の子は、医学的に問題のある子だけだとみなされた。そういう女の子は、しばしば、陰核を切り取られたり焼灼されたりして「治療」され、「矯正」され、あるいはまた、「小さな貞操帯をはめられて、陰唇を縫い合わせて陰核に手がいかないようにされ、卵巣を外科手術で切除されて去勢されたりもした。しかし医学的文献を見ても、自慰をやめさせるために男根を切断したり、睾丸を外科手術で切り取ったりしたということは、どこにも書いてない」[10]。
アメリカで、自慰行為をやめさせるために陰核摘出をした記録の最後のものは、1948年のものであった。5歳の女の子であった[11]。
カトリック教会は、1976年、自慰行為を「重大な道徳的退廃」だとしたが、それは、女性が自慰行為によってオルガスムに達することができることを恐れたこともあったのかもしれない。男性と同様に、自慰行為によって女性がオルガスムに達することは、今ではよく知られていることである[12]。ヴィクトリア朝時代、聖職者や医者たちは、「女性の性的能力を全面的に抑圧することが、女性を飼いならすのに決定的なことである」と思っていた。アイザック・ブラウン・ベイカー博士(Dr. Isaac Brown Baker, 1811-1873)のような指導的な権威者たちも陰核摘出を数多く行って、女性の神経衰弱、ヒステリー、強硬症、狂気、女性痴呆症、その他性的欲求不満の徴候を示す数々のふれこみ文句で言われている症例を治療しようとした[13]。
Barbara G. Walker : The Woman's Encyclopedia of Myths and Secrets (Harper & Row, 1983)
ヒマワリの花(sunflower)
これは訳語にかかわる問題であるが、"sunflower"がいかなる花をさすか(つまり、ヒマワリなのかどうか)、同定は難しい。昔からさまざまな花が"sunflower"として知られている。キク、タンポポ、エレキャンペイン(Inula helenium)〔キク科オグルマ属の植物〕は、花束にしてヘレネーがパリスと駆け落ちするときに携えていたものだが、まがうことなく太陽神を想起させる。<……>〔ヒマワリは〕アメリカ産の植物であるからして、オウィディウスのいう"sunflower"であるはずがない。太陽神アポッローンに捨てられた悲しみのあまり死んだクリュティエが花に姿を変えたものであれば、その"sunflower"はもっと慎ましやかな花であったと想像しなければなるまい。(C ・M ・ スキナー『花と神話と伝説』p.301)。
オウィディウスは、「顔であったその部分を、菫によく似た花が覆う」と言う(『変身物語』巻4)。
ギリシア語では+Hliotrovpion(Lat. heliotropium)。ディオスコーリデスは大(Heliotropium villosum)〔Dsc. IV-193〕と小(Heliotropium supinum〔Dsc. IV-194〕とを区別する。が、スミレとはまったく似ていない。