Castration(去勢)

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 あらゆる神話をみていくと、男性も子どもを産むのに一役買っているということに気づかなかったころは、男性はなんとかして自分も女性のように子どもを産みたいものと思って、自分を「女性にする」ように努めたことがわかる。そうするための方法はいろいろあったが、擬娩もそのひとつであった。擬娩とは、妻が子を産む床につくときに、も床について子を産む苦しみを演ずることで、そのとき、男性が母親になったふりをして、と再生を模し、また、経血を模するために赤い物を儀礼として用いたり、女装transvestismしたりした。もうひとつの方法は、儀礼として去勢を行うことであった。去勢のそもそもの目的は、ぶらさがっている男性性器を切り取って、血を流す穴にし、男性の身体を女性の身体に変えることであった。point.gifBirth-giving, Male.

 こうした方法によって、多くの神々はまがいものの母親になった。エジプトの太陽神ラーはみずから去勢して、その血からアンミウという名の種族を生んだ[1]。ヒンズー教の「偉大なる神」マハーデーヴァの男根は女神に仕える巫女たちによって切り取られ、そして切り刻まれた。その切れ端が地下に入って、新しい人種リンガジャス(リンガは男根、ジャスは人々)を生んだ[2]。チュクチ族(シベリア北東部に居住していた古代アジア民族)の神話では、偉大な神ラベンは、自分の男根をすりつぶしてプディングを作り、それを女神ミティ(=母親)に供えて、男性も女性と同じことを行うことができる魔術の奥義を得た[3]。メキシコでは、救世主ケツアルコアトルが自分の男根を切り取って、その血を「ヘビの腰蓑をつけた女神」に捧げ、大洪水後の地上に新しい人類を再び住まわせた。この女神はその腰に切り取られた男根を数多くぶら下げていた。こうした姿は、例えばアナテAnathのように、中東地方でも知られていたものであった[4]

 天界の父親で去勢の儀式によって創造者になった者も何人かいた。神ベルは自分の「頭」(=亀頭)を切り取って、その血を土と混ぜて人間と動物を造った。それは 母神ニンフルサグの魔術をまねたものであった[5]。アラブの人々は神ベルをシャムス-オン(=太陽)と呼んだ。聖書ではそれがサムソンとなった。サムソンが盲目になりを切り取られたのは、いずれも、去勢神話を暗に言ったものであった。

 太陽神の「髪」(光線)を切るということは、去勢することを意味した。切断された太陽神の男根は、息子すなわち自分に取って代わる者、を表した。そして、男根は、しばしば、「小さな盲目の子」、または「ひとつ眼の神」と呼ばれた。男根はギリシアで擬人化されてプリアーポスになった。プリアーポスアプロディーテーの息子であり、また、アプロディーテーの去勢されたアドーニスでもあった。ローマ神話では、ウェスタとウルカルスが男根神カイクルスを生んだ。カイクルスCaeculusとは「小さな盲目の子」という意味である[6]

 「父なる天界」であるウラノスは息子のクロノスによって去勢された。切断されたウラノスの男根は、子宮を表す海に投げこまれて、海を受胎させ、アプロディテ・ウーラニアー(「天界のアプロディーテー」)が生まれた。その昔、アンキセスやアドーニスといった神々が去勢され、彼らを祀る祭儀が行われたが、それを取り仕切ったのが、アプロディーテーであった。アプロディーテーはカタン人の「ヘビの腰蓑をつけた女神」と同一神であった。この女神に仕える巫女たちは、彼女のために、男神たちを去勢した。

 北欧神話で、アプロディーテーに仕えた巫女たちに相当するフレイア-スカジも、同様に、神々を去勢した。北欧神話における「父なる天界」はオーディンであった。オーディンの12番目の聖なる名前は、「去勢された男性」を意味するヤルクであった[7]。去勢された神オーディンは、年老いた「去勢された男性」(父と息子の化身)の息子-男根であったのである。それというのも、オーディンもまた「ひとつ眼の神」V[o]lsi(=種ウマの男根)であったからである[8]point.gifHorse. ヴェーダの生贄となった種ウマ同様、オーディンも去勢された。その後の神話をみると、オーディンがなぜそのような「種ウマの男根」という添え名をつけられたかがわかる。それは、眼を一つなくして初めて、オーディンは、宇宙的な広がりを持つ女性の知恵の泉を飲むことができたからであった[9]。ここで思い出すのは、エジプトで、セトとヘル〔ホルス〕が交互に季節になると去勢されたことである。彼らの切断された男根は、神話では、「眼」となっている[10]

 聖書では男根のことを「もものつがい」の上にある「腰の筋」とした。ヤコブは「神である人」と組み討ちをしたときに、この腰の筋をはずしてしまった〔『創世記』第32章25〕。その組み討ちに勝って「取って代わった人」となったヤコブのその名〔=イスラエル〕は、セトの別称であった。セトも、ヤコブ同様、「霊魂の梯子」をそのシンボルとし、また好敵手と争って、結局は、男根を切断されてしまった[11]。豊かな実りを得るために、毎年、種蒔きの儀式が行われたが、そのとき、セトが去勢され、その血が野いっぱいにまかれた[12]

 『創世記』では、神なる王の2つの面が混同されている。というのも、神なる王は、ヤコブとしては、現に王である者との戦いに勝って、交代したが、イスラエルとしては、次の交代者と戦って負けて、去勢された。このイスラエルIs-Ra-Elという名前は、イス-ラー-エルが転訛したものと思われる。彼は女神のとして王位につき、次に自分に代わる者を待っている神であった[13]。エルという綴りがついているのは、彼が神として祀られたことを意味した。

 ヤコブと神人が戦ったこの話は、主としてユダヤ人が男根を食べることをタブーとしたことを肯定するために、『創世記』32_32に挿入されたものである。しかし男根を食べるということは、昔は、聖王が王位につくときにいつもしたことであった。勝者は敗者の生殖器を食べて、その男根に宿る霊を自分に移したのであった。王の「男らしさ」と「聖性」はその生殖器に宿るものであった。男根は女神-女王と接するものであったからである。父親を去勢して母親と結婚する神-王の神話は多い。それはエディプス・コンプレックスによる嫉妬心のためというよりはむしろ、古代において王位継承をするときに、実際そうした習慣があったからであった。point.gifKingship.; point.gifOedipus

 ギリシアの王アイゲウスAigeusは、息子のテセウスがクレータ島からやって来て、王位を求めたときに、死んだ。この神話で大切な点は、アイゲウスは呪いによって、「子どもを生めなくされて」、その後すぐに、去勢されて死んだ、ということである。精力を使い尽くして役立たなくなった王はすべて、こうした儀礼的な呪いをかけられたのである[14]

 カナアンの奉納劇では、生贄として死んでいく神モトが持っているアシの王笏が折られた。それは去勢を意味したのである[15]。「子どもを生めないこと」、あるいは「」を意味するモトという名前は、豊穣の神アレインが衰退期に入ったときにつけられた添え名であった。そのとき、彼に対抗する者が聖王の地位を奪い、「の王」となったのである[16]。敗れた王の生殖器を食べるという習慣は、中東地方の多くの神話にある。例えば、ヒッタイトの神クマルビがその例で、彼は父親を去勢する天界の王の系譜に属する1人であった[17]。クマルビが豊穣の精を占有したことは、彼が「受胎した」という物語があることでもわかることであった。

 神話の世界では、父親と息子は互いに生殖器に露骨な敵意を示した。学者たちはこうした敵意をエディプス・コンプレックス的な攻撃の表れ、つまり、年若くして精力絶倫な男性に対して年老いた男性がいだく嫉妬心にもとづくものであると考えた。男性たちは、その集団の1人の男性の肉体を女性のような肉体に作りかえて、それによって子どもを生ませようという考えを、結局は、望みのないものとして放棄したけれども、去勢や、秘密の去勢の習慣は男性の嫉妬心の捌け口となったために、いつまでも続いた。

 未開人の間では、成人式が、一般に、年長の男性が年下の男性の肉体に攻撃を加えてもよい機会であるとされた。去勢の代わりに、形を変えて、割礼、亀頭下部の尿道切開の割礼、およびその他、男性生殖器を傷つけることなどが行われている。また、例えば肉体に幾条もの掻き傷をつけたり、歯を叩き折ったり、鞭打ったり、拷問したり、同性愛の性行為を強要したり、といったさまざまなことも行われる[18]。「父親にしろ、割礼を施す者にしろ、いずれにしてもその怒りは芝居がかった大げさなものであること、また、本来通過儀礼というものは少年たちをすべて殺したものであるとする神話をみると、通過儀礼の背後にある基本的な動因として、年上の男性のエディプス・コンプレックス的な攻撃心がはっきりと見えてくるのである」[19]

 社会が父権的になればなるほど、若い男性に対する攻撃は、一般に、残酷なものになってくる。そうした残酷性で有名なのが、イスラム教の舌切り式Esselkhであった。これは、少年の陰嚢、男根、鼠径部の皮膚をすっかり剥ぎ取ってしまうものであった。これに耐えると、その後、その患部にはさらに塩や熱した砂が塗りつけられ、少年はひどい苦しみのうちに、糞を山と積んだ中に腰まで埋められたのであった。その結果、病菌に感染することは避けられないことであった。バートン氏は、「こうした厳しい試練で命を落とすことが時にあった」[20]と述べた。レグマン氏の指摘によると、イスラム教もユダヤ教も、「まさに思春期が始まるそのときに、父親が息子の身体を傷つけて脅迫する点では、同じである。それは、思春期に入ると割礼という心理的な去勢をするか(イスラム教)、あるいは、これと同じ手術を生後8日目という早い時期に行うか(ユダヤ教)、あるいは、こうした手術を思い起こさせることをするか、いずれかを行うのである」[21]

 亀頭下部の尿道切開の割礼となると、それは男性が女性を模倣するという割礼の理由説明はどこかへ吹き飛んで、まさに男性同士のサド・マゾ的儀式になる。アルンタ族(オーストラリア中北部の砂漠原住民)が行ったように、その割礼はまず初めに長い骨の破片を尿道に挿しこんだ。それから鋭い火打ち石で若者の男根を、骨が露わになるまで切り開いた。流れ出る血は、少女の初潮の経血と同じように、聖なる火に注がれた。こうした作業は「男性の月経」[22]と称され、その傷口は「膣」と呼ばれた[23]

 こうしたいかにも不愉快なことをする目的は、明らかに、男性を疑似女性に変えることであった。男根を切り開かれた若者は、小便をするときには、女性と同じように、しゃがんでしなければならなかった。ときには、何度も何度も新たに男根を切り開かれて、その都度、「われわれは母親から引き離されてはいません。それは『われわれ母子は一体である』からです」と繰り返し唱えた[24]。アルンタ族の言うところによると、そうした風習を始めたのは祖霊であるムルカリーであった。ムルカリーMulkariはMu-Kariとも言い、おそらく、それは母神カーリー(Ma-Kali)が転訛したものであったと思われる。KaliはマレーシアではKariと呼ばれていたのである[25]

 なぜ去勢という儀礼を行うのか、その本来の動機を考えてみると、こうした原始的な風習から、フロイト流の男根羨望論がその動機であるとは考えられず、女陰羨望こそがその動機であるように思われる。文明社会でもそれは見られるのである。ベッテルハイム氏の述べるところによると、女友だちが月経期に入ると、自分も割礼されるか、または別の方法で血を流したいと願う若者もいるという[26]。割礼というものが、女性になろうとして昔去勢したその変形である、ということは確かなことであった。

 割礼制度は、そのもとをたどると、例えばエルのように、自分の父親を去勢した神々から発したものである。その目的は女性化することであった。インドでは、割礼式の前夜、男の子は鼻輪などすべて女の子の装いをした。古代エジプトでも、割礼の場に臨む男の子は女の子の衣装をまとい、塩をふりまく女性を後ろに従えていた。塩はエジプトでは経血(子を生む力)のシンボルとしてごく普通のものであった[27]

 割礼が行われたのは13歳の時であった。13というのは古代の月経暦によると1年の月の数であり、また13歳は昔から初潮のある年齢とされてきた。割礼をエジプト人から学んだユダヤ人は、それを幼児期に行うように変えた。しかし成人式はそのまま残しておいて、今では成人式をバル・ミツバーbar mitzvahと称している。男子の13歳というのは、女の子が突然初潮を迎えるのとは対照的に、実際には何も起こらない歳であるのに、その歳に式を行うのはいかにも野暮な話である。

 幼児期の割礼はモーセに起因するものであった。モーセの妻でミディアン人であるチッポラは、明らかに、幼児の身体に損傷を与えるようなことには反対したが、モーセは妻のそうした気持ちを無視して、割礼を主張した。チッポラは、割礼を施した後、その男の子の前の皮を切り、それをモーセの足につけて、モーセを血の花婿だと言った(『出エジプト記』第4章25)。

 聖書の他の箇所をみると、この前の皮はヤハウェへの供物としてふさわしいもの考えられたことがわかる。ダビデは200人のペリシテ人の前の皮を捧げて、ヤハウェの代理である王から妻ミカルを買った(『サムエル記上』第18章27)。他の天界の父たちも、同様に、男性生殖器を捧げ物として要求した。ローマの天界の父ユピテルに生贄として捧げられた雄の動物は去勢された[28]。去勢された救世主アッティスを表す雄ウシもまた去勢された[29]。その血を浴びると、その人の霊は再生すると言われた。キリスト教徒の言う「仔ヒツジ」の血と同じであった。そうした血は子宮の不可思議なる血、すなわち、太古の時代には生命の源と信じられていた血、であるかのようであった[30]

 去勢をするのは、女性の持っているさまざまな力を得るためであるということは、例えば女性をまねて女装するのと同じように、太女神に仕える聖職者の間では自明のことであった。フディガンマという名前の女神に仕えたインドの聖職者たちは、女装してみずから去勢した[31]。ヒエラポリスにある女神シリアの神殿、アナトリアのアルテミス-ディアーナの神殿、プリュギアやローマの母神の神殿といった中東地方の神殿に仕えた聖職者たちも、同じく、去勢された[32]。テーバイの有名な預言者テイレシアースは、おそらく、去勢して女性となり、7年間神殿娼婦として暮らすことによって、千里眼と預言の力を得たと思われる。

 古代世界でみずから去勢した人で最も有名な人は、おそらく、アッティス太母神キュベレーに仕えた聖職者たちであったろう。アッティスは去勢されてその生き血を流し、それでキュベレーをみもごらせたため、アッティスに仕える聖職者たちも、それをまねて、みずからの生殖器を切断し、キュベレーの像に捧げた[33]。ときには、切断された男性生殖器はとくにありがたいものとして、家々に投げこまれたという。そのお返しとして、その家の主人は去勢されたばかりの人々に女性の衣服を与えた。切断された男性性器を籠に入れて、キュベレーを祀った神殿の奥の院まで運ぶこともあった。そこでその男性性器に油を塗り、金箔を施したりもして、「花嫁の部屋」におごそかに埋葬した[34]アッティス自身の男根は大きなマツの丸木で表して、それを聖なる洞穴に運び入れた。このマツの丸木は、中東地方の救世主たちが掛けられた男根を表す十字架と同様、アッティスが掛けられる木であった[35]アッティスに仕える聖職者たちは、アッティスをまねてみずから生贄となったが、シヴァがもともと両性具有を表す添え名を持っていたのと同じく、両性具有を表す添え名を与えられた。彼らは「半分女性である神々」であった[36]

 テルトゥリアヌスは、キリスト教の「聖なる秘儀」はアッティスのような異教の救世主を祀る「悪魔の秘儀」とほぼ同じものである、と認めた[37]アッティスの秘儀がローマであまりにも人気があったために、キリスト教はその祭儀の方法をいくぶんか採用せざるをえなかった。初期キリスト教で最も秘密とされたもののひとつに、入信者のごく内輪の人々に去勢を勧めることがあった。去勢すれば、それが貞潔のしるしとなり、そのために特別な恩寵が得られるとされた。『ソロモンの知恵』(10_14)にならって、「よこしまを企てしことなき宦官は幸いなり」と教えられた[38]。イエス自身も去勢を支持した。「天国のために、みずから進んで独身者となったものもある。この言葉を受けられる者は、受けいれるがよい」(『マタイによる福音書』第19章12)。

 初期キリスト教会の神父たちの中には、去勢を実行した者も何人かはいた。オリゲネスは自分で去勢したためにおおいに賞揚された[39]。去勢手術を求めてローマの外科医のところにキリスト教信者が押し寄せた、と聖ユスティヌスはその『アポロギア』の中に誇らしげに書き記した。テルトゥリアヌスは、「天国は宦官には大きく開いている」と語った[40]。ユスティヌスは、キリスト教徒の男の子は思春期前に去勢する方がよい、そうすれば永遠にその子の身は汚れることがない、と言った[41]。ディオクレティアヌスの宮殿に火をつけようとした3人のキリスト教徒は、去勢をした人であったと言われている[42]

 中世においては、聖堂附属の聖歌隊にはカストラートcastratiがいた。彼らはその身を汚すことがないように、またソプラノの声域を守るために、思春期に去勢された。その声は女性の「汚れた」ソプラノよりも神を喜ばすと考えられたのであった。女性はいずれにしても、教会の聖歌隊で歌うことは許されなかった。

 性欲という魔性のものを払いのけられない修道士たちにも、また、去勢が勧められた。弟子エロイーズとの恋でスキャンダルを起こしたアベラールにも去勢ということが重くのしかかった。しかし、みずからの意思によって外科手術を受けて貞潔を守ったと思われる人々は、他にもいた。そういう人々はヘシカストHesychast(「永遠に汚れのない人」、あるいは「静寂なる人々」の意)という称号を得た。この称号は、とくに、ギリシア北東部のアトス山の修道士たちと関連があった。この山は今日まで雌の生き物はいかなるものも、雌鶏、雌ウシ、雌ブタ、雌ヤギ、人間の女といったすべてのものが入れない聖なる山である[43]

 アトス山というのはアッティスにちなんで名づけられた山であるようだ。キリスト教以前は、去勢した聖職者が仕えていた神殿であり、プリュギアにあるアッティスの故郷に近いところにあった。14世紀初期まで、そこにはアトス山に関連した母神像があった。アトス山の修道士たちは異端の刻印を押された。それは、エイレーネーEireneという名前のいわゆる修道女の教えに深く傾倒したためであった。エイレーネー(「平和」の意)というローマ神話の女神は、三相一体女神アプロディーテーの3番目の相の女神で、アプロディーテーに仕える巫女ホーラたちの1人に化身したものである。エイレーネー老婆Croneを表し、去勢をしてやる巫女であったと思われる。そのことは、アンキセスやアドーニスといったアプロディーテーの恋人の神話をみると、暗にうかがい知ることのできることであった[44]。アトス山にエイレーネーの力が及ばないようにとキリスト教会が策を施したときに、そこの修道院の院長ラザロは追放された。「裸足のキュリロス」という名の従者を連れて、ラザロはブルガリアを巡り、裸になってみずから去勢すればそれが相俟って美徳になると説いてまわった[45]

 アッティスキュベレーの祭儀は、何百年にもわたって、バルカン半島諸国のキリスト教に影響を与え続けた。バルカン半島の修道院社会は50のグループに組織された。その昔去勢して太女神に仕えた聖職者の「団体」の数と同じであった。トラーキアでは、太女神の名前はコテュットーKotytto(またはコテュスKotys)であった。コテュットーはコットスKottosという100の手を持つ巨人の母親であった。100の手というのは、それぞれ2本の手を持った50人のコテュットーの霊を表す息子たちの寓意的な姿であった[46]。コテュットー崇拝がひそかに、しかも、長く続いたために、ついにキリスト教会はそれを魔術とし、コテュットーはデーモンであるとした。1619年パリで出版された小冊子は、当時異端と考えられていた方法、つまり去勢をして自分を神に捧げた聖職者の同じような話が、バルカン半島に伝承されていることを伝えた。「悪魔は彼の陰部を切断した」[47]

 儀式として去勢を行うことは、18世紀に、「去勢された者たち」Skoptsiと自称したロシアの異教徒たちによって復活された[48]。彼らは、また、「神の民」と自称し、生殖器を切り取ると霊的な力が強くなると主張した。ロシアの怪僧ラスプーチンはこの宗派の一員であった[49]。ラスプーチンは女性たちとの艶聞で有名であったため、彼が去勢したなどと信じた者は、同時代の人々にはほとんどいなかったであろうと思われた。しかしそういう人々は、東洋でハレムを経営していた人々がよく知っていたこと、すなわち、宦官は女性に性的快楽を与えることが充分にできる、ということを忘れていたのであった。女性の熱心な信者たちをラスプーチンがしっかりつかんでいたということは、いずれにしても、何かにとりつかれているときには、精神的なものと、肉体的なものとが奇妙にも結びつくものであるということを示した一例であった。


[1]Budge, G.E. 2, 89, 100.
[2]G. R. Scot, 192-93.
[3]Hays, 412.
[4]Campbell, M.I., 156.
[5]Lindsay, O.A.,106.
[6]Dumezil, 325.
[7]Branston, 50.
[8]Turville-Petre, 201.
[9]Larousse, 257
[10]Norman, 42.
[11]Graves, W.G., 355.
[12]Budge, G.E. 2, 59.
[13]Budge, G.E. 1, 341-42.
[14]Campbell, C.M., 305.
[15]Larousse, 78.
[16]Hooke, M.E.M., 107.
[17]Graves, G.M. 1, 39.
[18]Hays, 524.
[19]Campbell, P.M., 98.
[20]Edwardes, 97.
[21]Legman, 416.
[22]Brasch, 55.
[23]Montagu, S.M.S.,243.
[24]Campbell, P.M., 103.
[25]Montagu, S.M.S., 241.
[26]F. Huxley, 104.
[27]Gifford, 42;Edwardes, 93.
[28]Dumezil, 599.
[29]Guignebert, 71-72.
[30]Angus, 239.
[31]Gaster, 317.
[32]Frazer, G.B., 403-9.
[33]Frazer, G.B., 405.
[34]Lederer, 145.
[35]Gaster, 609.
[36]Vermaseren, 126.
[37]Robertson, 112.
[38]H. Smith, 235.
[39]Bullough, 100.
[40]Briffault 3, 372.
[41]Bullough, 113.
[42]Brewster, 402.
[43]Castiglioni, 221.
[44]Graves, G.M. 1, 72.
[45]Spinka, 119-20.
[46]Graves, G.M. 1, 32.
[47]Robbins, 127.
[48]Lederer, 162.
[49]Martello, 175-76.

Barbara G. Walker : The Woman's Encyclopedia of Myths and Secrets (Harper & Row, 1983)