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Mother's Curse(母親の呪い)

 古代のアジアでは、母親に呪われると確実に死ぬ、と信じられていた。すべて死というものは、女神が破壊の言葉を吐くともたらされるものであった。それは、女神が創造の言葉を吐くと生誕があるのと同じことであった。どんな女性でも、母親になることによって、女神の持つ言葉のカをものにすることができた。『マルカンダヤ・プラーナ』(ヒンズー教の聖典)によると、「どんな呪いでも、それを解く方法はある。しかし、母親に呪われた人々の呪いを解く方法はどこにもない」[1]。同様に、聖書に出てくるハンナは、母親になったとき、「わたしの口は敵をあざ笑う」、と言って喜んだ(『サムエル記上』2 : 1)。母親になったためにハンナの呪いが抗しがたい力となったからであった。

 ホメーロスはメレアグロスの物語を語っている。メレアグロスは母規の兄弟を殺したために母親に呪われた。母親は、ひざまずいて、こぶしで大地をたたき、冥界の女神に訴えた。「すると、暗闇の中を歩いていて、冷酷非情な心を持っている復讐の女神が、エレボス(地下の暗黒の世界)から彼女の声を聞いた」[2]。復讐の女神は、メレアグロスの母親に、燃え木になっているメレアグロスの霊魂を燃やしてしまうように言った。燃え木が燃やされると、彼はたちまちにして熱病にかかり。死んでしまった[3]。

 こうした魔術は必要なかったかもしれなかった。呪いだけで殺せたからである。母親の呪いの効力を表すギリシア語はmiasma(毒気、悪気)であった。汚れた霊のことで、徐々に、しかし確実に破壊をもたらすものであった。この毒気は部族の構成員に何世代にもわたってたたるものであった。オレステース家は悲劇的な歴史をたどるが、それももとはというと、オレステースの祖であるアトレウスが女神アルテミスに呪われたからであった。アトレウスはアルテミスが送った生贄の仔ヒツジの金の羊毛を箱にしまって、それで自分に統治権があると主張したのである[4]。

 神々もまた呪いを発した。そして中には見るもすさまじい呪いがあった。たとえば、ヤハウェが自分に従わない人々を脅迫した呪いなどはその典型であった。疫病、肺病、熱病、炎症、間けつ熱、かんばつ、立ち枯れ、腐り穂、エジプトの腫れ物、潰瘍、壊血病、ひぜん、狂気、盲目、奴隷、長い間の悪疫、土地の不毛 — ヤハウェの呪いである(『申命記』 28)。しかし、神々の呪いは、女神や母親の呪いにくらべると、それほどの恐怖は引き起こさなかったようであった。

 女性が呪いをかけるときには、その呪いを運ぶ恐ろしい手段として、経血を用いた、という。そのため、今でも、月経期間や月経のことを英語でthe curseと言う。 damn(呪う)という語はへブライ語のdam(血)と関連があった。とくに母親の血、すなわち、子宮の体液と関連があった。この母親の血は古代においては、人間の霊魂を造り出すものと考えられたが、霊魂を破壊するものとも考えられた。この dam という語は、また、「母親」の同意語でもあった(たとえば rna-dam = my mother)。女性が年をとって閉経期になると、その呪いは最も効力があると考えられた。それは、閉経すると、女性の「賢い血」が体内にとどまり、女性はそのために神秘的なカを与えられて、何かを言えばその通りになる、という古代の考えによるものであった[5]。このために、中世ヨーロッパでは、経血がその構成要素の1つとして入っている恐ろしい呪文は、それはいかに抗しでも抗しきれるものではない、とされ、また、老婆は魔女の典型で、その発する言葉、いや一瞥でさえもとても恐ろしいものであるとされた。

 キリスト教の神父たちは、キリスト教を信仰すれば、人間が知っている呪いのうちで最も強力な呪いである母親の呪いにも十分勝てる、と明言して、人々を改宗させようとした。聖アウグスティヌスによると、母親に呪われた子供たちの中には、絶えず病弱で手足が震える者がいたが、聖ステファヌスがそうした子供たちをキリスト教に改宗させたために、彼らは母親の呪いから完全に解放された、という[6]。

 東洋の賢人たちは、女性の呪いの力を和らげるためには、父権的な宗教で立ち向かうよりは、女性を手厚く扱うようにした方がよい、そうすれば女性はその破壊的な呪カを用いなくなるであろう、と信じた。マヌの法典(ヴェーダ後の聖なる律法の書。紀元前2世紀から西暦2世紀の間のある時期に編纂された)に次のような記述がある。

「自らの幸福を願う父親、兄弟、夫、義兄弟たちは、女性を敬い尊ばなければならない。そうすれば、神々はそれをよしとするが、もしそうしなければ、いかなる聖儀を行おうと、報われるものは何もない。親族の女性が悲しい生活を送っていると、その一家はたちまちにして全滅する。しかしその女性が幸福に暮らしていれば、一家は栄える。当然敬われるべき親族の女性が敬われないで、呪いの言葉を発すれば、その家は、まるで魔術で崩壊されたかのように、完全に亡びてしまう」[7]。

 こうした忠告は、北方アーリア人がムートスペルハイム(母親の呪いの里)と呼んだ、「南の暑い地」にある場所からきたものであった。世界の終末の日についてのスカンジナヴィア人の予言によると、古代の種族の絆や道徳律を無視し、残酷な戦いを始めた父権制社会の暴力的な神々の上には「母親の呪い」が振りかかるであろう、ということであった。母親の呪いをかけられて、その結果、すべての神は死ぬ。神々の黄昏である。母親が破壊の言葉を口にすれば、それで世界は終わる、と思われた[8]。

 キリスト教グノーシス派の文書を見ると、自分が造った神々が残酷な振舞いをするのを太女神が見て、嫌悪し、呪いを発して世界を破滅させる、ということをグノーシス派の人々も、同様に、信じていたことがわかる。怒った太女神は「女性の天空が位置する」場所 — ムートスペルハイムに相当する場所 — から強力な呪カを送った。「それから、女神は最初の父神と一緒に造ったカオスの神々を追放し、深淵に落とすであろう。神々は不正な行為のために完全に亡ぼされるであろう」[9]。

 神話では一般に、神(救世主となる息子でさえも)が死ぬためには、必ず、母親の呪いがある、とされている。神は生贄となる前に、たいてい、母親の本心からの呪いを受けたものであった[10]。こうした母親の呪いというものはつねにあるものであったために、古代の死と再生の奉納劇において生贄を実際に殺しても、その殺した人々は何の罪にもならなかった。神話を見ると、子供を生む母親は生まれた子供の一生を限りなく支配し、その子供が何年生きるのかも決定することができる、という考えの原型をうかがい知ることができる。

 そのため、概して、死の呪いというのは女性のシンボリズムを用いるのが普通であった。代表的な例として「黒い精進」の呪いというのがあった。黒い雌鶏を用いて行われた。この黒い雌鶏は、昔、死霊たちの女王に捧げられたものである。そして、この女王は世界卵の母親が生んだ双子のうちの1人の破壊者であった。この「黒い精進」の呪いをかげるときには、かける人も黒い雌鶏も、一緒に、 9週間毎金曜日(女神の曜日と数を表す)断食して精進した。こうすると、呪われた人は確実に死んだという[11]。


[1]O'Flaherty, 68.
[2]Cavendish, P. E., 122.
[3]Graves, G. M. 1, 266.
[4]Graves, G. M. 2, 44.
[5]Gifford, 26.
[6]de Voragine, 57.
[7]Bullough, 232-33.
[8]Turville-Petre, 281-84.
[9]Robinson, 178.
[10]Budge, G. E. 2, 253.
[11]Leland, 137.

Barbara G. Walker : The Woman's Encyclopedia of Myths and Secrets (Harper & Row, 1983)