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ポセイドーン(Poseidw:n)

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 ローマのネプトゥーヌスに対応するギリシアの海の神。彼は(と言うより彼に仕える祭司たちは)「地上の王国を食欲に欲しがった」。そのため神話は、彼がいかに多くの女神たちから領土を奪ったかを語っている。ポセイドーンは、アムピトリーテーの名を名乗る三相一体の女神と結婚するふりをして、彼女を格下げして単なる海のニンフにした。彼はヘーラーからアルゴリス(ギリシア東部)を、アテーナーからアテーナイを取ろうとした。アテーナーがすでに馬勒を発明していたのに、馬勒の発明者は自分であると主張した。アテーナイにおける投票権を女性から奪うことを要求し、以前のように、男性が母親の姓を受げ継いで自分の名とする習慣を続けることを禁じた[1]。尊敬すべき「雌ウマ-デーメーテール」に対して、かつて種ウマの姿となって彼女を凌辱したことがあるという理由から、夫権を主張しさえした。

 しかもポセイドーンは成り上がりの神であって、彼の初期の神話では女神に従属していたことは明らかである。「彼は、正確に言えば、自分の名を持たず、単に『大地』として知られていた。その本来の性質と、彼の名の起源が忘れ去られたときに、偉大な神になったに過ぎなかった」[2]

 ポセイドーンがザントゥス(小アジア南西部)に洪水を起こさせたとき、ザントゥスの女性は彼を叩き出し、スカートを持ち上げて生殖器をあらわに示しながら彼の上を歩いて、自分たちの国を救った。勇猛果敢な海の神は早々に退散した[3]


[1]Graves, G. M. 1, 59-60.
[2]Guthrie, 98.
[3]Graves, G. M. 1, 254.

Barbara G. Walker : The Woman's Encyclopedia of Myths and Secrets (Harper & Row, 1983)



 アカイア人たちが勝利をかちえた結果、王者を生贄にするそれまでの慣習は終わりをつげた。というのは、アカイア人たちはゼウスとポセイドーンを不死の神々の列に加えているからで、彼らはこの二柱の神々の像を、ともに雷霆をもって武装した姿であらわしている。雷霆というのは、かつて女神レアーがこれをふりかざしたことのあるもろ刃の燧石の斧のことで、ミーノーア系やミュケーナイ系の宗教では男性が使用することを禁じられていたものだった。のちになると、ポセイドーンのもつ雷霆の武器は三叉の、を突きさすやすの形をとるようになったが、これは彼をうやまう主な信徒たちが多く船乗りになったからであろう。一方、ゼウスの雷霆は昔の形のままで、それはそのまま最高の統治権力の象徴と考えられていた。ポセイドーンという名は、ときにポティダーンと綴られることがあるが、おそらく彼の母神の名前から借りてきたものであろう。ポティダイアという都市の名前は、この母神にちなんでつけられたものだ。それは、「イーデーの水の女神」という意味で、イーデーというのは樹木の生い茂った山というほどの意味である。百腕の巨人たちが西の涯の地でティーターン族の監視にあたっているという説話は、ベラスゴイ人たちがいまなお巨人信仰をすてず、その後もずっとはるか西方の至福の国の存在や、天空を肩にささえているアトラースの存在を信じていたことを示すものかもしれない。現にこのベラスゴイ族の残党のなかには、マグネーシアのケンタウロスがいた。ccentaurは、おそらくラテン語のcenturiaと同じ語原のことばで、「百名の兵士からなる部隊」の意味である。(グレイヴズ、p.67-68)

 ラビテース族とケンタウロス族のどちらも樫の木の英雄イクシーオーンの後裔だと称しており、また馬の信仰をもつ点でも両者とも共通している。彼らはギリシア北部の山岳地帯で原始的な暮しをしていた部族で、両者は昔から反目しあっていたので、ヘレーネスはこれをたくみに利用して、まず一方と同盟を結んで他方とたたかい、つぎにはその逆手にでるといった策略を用いてきたものである。CentaurとLapithはおそらく古代イタリア語系の単語で、centuria「百人よりなる軍団」とlapicidae「燧石を削る者たち」に由来するとみられる。(ふつうの古典語による語源説では、それぞれcentauroi「雄牛を槍でしとめる者たち」、lapizein「威張りちらす」である。)これらの山岳地帯の住人たちには群婚の慣習があったらしく、そのために一夫一婦制をまもるへレーネスから乱婚多淫だという悪名をあびせられていた。この新石器時代の種族は、一部が古典期までアルカディアの山中やピンドス山中に残存していたようで、今日のアルバニアにはこのプレ・ヘレーネスの話していたことばの痕跡がみとめられる。

 だからといって、ラビテース族とケンタウロス族の戦いが — そのありさまは、オリュムピアにあるゼウスの神殿の破風や(パウサニアース・第五書・一〇・二)、アテーナイにあるテーセウスの聖所や(パウサニアース・第一書二七・二)、アテーナーアイギスに(パウサニアース・第一書・二八・二)描かれているが — 国境をはさんで向かいあっている二つの部族の争いを記録しただけのものではないようである(オリュムボスの神々も列席し、テーセウスも獅子の皮をまとってつき添い役をはたした王家の結婚式上での事件であるからには、この争いはあらゆるへレーネスたちが誰でも関心をもっていたある祭式をえがいたものにちがいない。おなじように獅子の皮を身につけたヘーラクレースも、これとよく似た祝宴の席でケンタウロス族とたたかっている。ホメ一口スは彼らのことを「毛むくじやらな野獣」と呼んでいるし、古いギリシアの襲の絵では彼らとサテュロスのあいだになんの区別もしていないところからすると、この図像はおそらくあたらしく王位についた者が — どこの誰であってもかまわない — 獣に扮した踊り手たちと組みうちをしている様子をあ らわしているのではなかろうか。A・C・ホカートが彼の『王権』のなかであきらかにしているところによれば、この組みう ちは古代の戴冠式には欠くことのできない行事だった。エウリュティオーンは誘拐者の古典的な役割を演じているわけである。(グレイヴズ、p.518-519)


[画像出典]
Poseidon
Collection: Yale University Art Gallery
Museum Catalogue Number: Yale 1985.4.1
Beazley Archive Number: 44751
Summary: Side A: Nike and Poseidon enthroned
Ware: Attic Red Figure
Shape: Calyx krater
Painter: Attributed to the Aegisthus Painter
Date: ca 475 - 470 BC
Period: Early Classical