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性差別(Sexism)

 『カトリック百科事典』によれば、「肉体に関してもに関しても、女はいくつかの点で男に劣っている」[1]。これは、聖トマス・アクイナスのこの問題についての意見をいくらか修正したものである。アクイナスは、すべての女は生まれながらに欠陥があり、母親の妊娠時に父親がたまたま病気であったか、弱っていたか、あるいは罪を犯していたためにできた「不完全な男」に過ぎない、と主張している[2]。人間の卵子について何も知らなかった教会は、母親は子供の遺伝形質とは何の関わりもなく、霊魂を運ぶ父親の種子(精液)をまくための「土壌」として働くにすぎない、というアウグスティヌスとアクイナスの教えを説いた[3]。こう言っているにもかかわらず、一方で聖職者たちは、本当の奇形児の誕生は父親の責任ではなく、性交中の母親の「激しく執拗な妄想」の結果であると主張した[4]

 教父たちは本心からの女嫌い揃いだった。聖ヨハネ・クリュソストモス*1によれば、女を目にしなければならないために、男は「千の悪」に苦しみ、「女の美しさは最大の罠である」。クリュニーの聖オドは、女の罠にかかるのを拒んで語った。「糞のつまった袋に過ぎぬものを何を好んで抱かねばならないのだ!」。ウォルター・マップ*2によると、「非常に優れた女(それは不死鳥以上に稀有な存在だが)でさえ、愛されると必ず恐れと不安と不断の不幸という厭うべき苦しみをなめることになる」。19世紀の英国国教会のある聖職者は言っている。女は「優秀さという点において本質的に劣っており、その性ゆえに生まれつき愚鈍であり、肉体的に虚弱、精神的に不安定、性格的に不完全で脆い」と[5]。1890年代に、ある指導的な神学校の校長が断言した、「我が聖書は、女の永遠の服従を命じている」[6]

聖ヨハネ・クリュソストモス*1
 4世紀のキリスト教の雄弁家で、「黄金の口の(クリュソストモス)ヨハネ」と呼ばれた。コンスタンティノープルの総大司教を務めたが、皇后エウドキシアの怒りを買い、彼女の画策によって罷免され追放された。

ウォルター・マップ*2
 聖パウロ大聖堂、リンカーン、ハーフォードの主教座聖堂参事会員。オックスフォードの大執事。12世紀後半のヘンリー二世の宮廷付属の教会裁判所判事。マップは、(おそらく間違いであろうが)いくつかの古いアーサー王伝説の著者と信じられていた。

 確かにそのとおりであった。何世紀にもわたって聖書は女性差別的な意見を支持し、それらの意見はすべての聖職者たちによってくり返された。聖パウロによれば、「すべての男のかしらはキリストであり、すべての女のかしらは男である」(『コリント人への第一の手紙』11:3)。聖ペテロは『トマスによる福音書』の中で語っている、「女は生きるに値しない」[7]。アレクサンドリアのクレメンスは、『エジプト人福音書』から次のようなキリストの言葉を引用している。「私は女のつくったものを破壊するためにやって来た」[8]。彼はさらに、「すべての女は自分が女であると考えただけで差恥心を抱くべきである」と語った[9]

 現代にいたるまで聖職者たちは、女の政治的従属を維持するために聖書の権威に訴え続けた。「聖職者はたびたび婦人参政権に反対する戦いの前線に立ち、本来あるべき秩序は女の男への服従であるということを証明するために聖書の引用をかき集めた」。シモーヌ・ド・ポーポワールによれば、「ユダヤ人、イスラム教徒、そしてとりわけキリスト教徒にとって、男は神の定めた主人であり、それゆえ神を恐れる気持のために、虐げられた女たちは、自分の中の男への反抗衝動を抑えるのであろう」。つい1971年のことだが、監督教会のある司教は以上の見解を追認して、「キリストが男であるのは偶然ではないし、彼が男らしいのも同様である。これは神の選択なのだ」と語っている。フェミニストたちは、たとえ教会がそう努力することで万一滅びるとしても、教会は男の優越という考えに最後の最後までしがみつくであろう、なぜならそれは創立当初の教会の主要な拠り所だったのだから、と信じている[10]。神学の概念体系はすべて、男の利益に資するように、そして、これは付随的なことではないのだが、女の利益を制限し抑制するために、男によってでっちあげられたものである[11]

 教父たちは、と罪が存在するのは女の責任であるという説を、遠い昔に打ち立てた。アウグスティヌスは、原罪が永遠化するのは、結婚を含むあらゆる状況下で、男の肉体と女の肉体を結びつける「色欲」のせいであると告発する[12]。キリスト教は、性交によっで懐妊した女から生まれでるが故に、ただ生きているということだけで人間は罪深いと公言した最初の宗教である[13]。聖ヨハネ・クリュソストモスはすべてのキリスト教徒の父親に、息子に「女を寄せつけない決然とした精神」を教え込むように命じて、「母親以外の女との会話を許してはならない、女に会うのを許してはならない」と語った[14]

 キリスト教徒の男たちの著作はときとして、女に対するほとんどヒステリーじみた恐れをあらわにする。まさに女の一瞥が男を「悪に染め、誘惑し、魅了する」ことがある。女のは「精神を毒し、酔わす。然り、女とともにいると厚かましき心が生じ、純潔は朽ち、男の肉体は破滅し、男の財産は消費され、男のそのものが堕落する。そして最後には女の肉体は男の肉と骨を破壊し腐らす」。ヴァイルスによれば、女たちは魔女になる。それは「彼女たちが生まれながらに馴致しえない激しい気性と色欲を有しているからである。……そして彼女たちは悪しき気性に苛まれるあまり、厭わしき食餌から生じ、有害なる排泄物に力を得た毒気を体外に排出する」[15]

 ジョン・エイルマーはすべての女に「金棒引き、立ち聞き屋、噂屋、邪悪な舌を持つもの、男より愚鈍なもの、悪魔の山なす糞にまみれ、どうみても薄のろ」という烙印を押した[16]。同様の意見は、現代になっても女性虐待者たちの口をついて出てくる。

 たとえばある強姦常習者は言う。「俺は今まで思ってきた……女はくずで卑劣なかすだとな。何故そう思っていたかというと、そう教えられてきたからだ」[17]

 アンドリュー牧師によれば、女は「生まれながらにけちで、嫉妬深く、中傷好きで……欲が深く、胃袋の奴隷で、移り気で、お天気屋で……反抗的で、束縛に我慢がならず、傲慢の罪が染みつき、虚飾を追い求め、嘘つきで、呑んだくれで、おしゃべりで、秘密は守らず、淫行にどっぷりと漬かり、あらゆる悪行を厭わず、どんな男にも心からの愛を抱くことはない」[18]

 ヨハネス・スコトゥス・エリゲナは、かつて人間は罪に汚れず、男と女の区別もなかったが、神の命に背いたために、2つの性に分かたれ、罪なき部分が男の中に入り、罪深き部分が女の中に入った、と説いた[19]。他の神学者たちは言う。女は「男の頭を混乱させるものであり、飽くことを知らぬ獣であり、絶えざる不安の種であり、止むことのない争いと日々の破減をもたらすものである」。教会は表向きは悪魔と戦っていたが、実のところは女と戦っていたのだ。「女は教会の仇敵であり、誘惑者であり、心を乱すものであり、聖なるものに達するのを妨げる障害であり、悪魔が男を釣る餌である」[20]。教会の公の文書は次のように語っている。

 「どんな邪悪さも女の邪悪さに比べれば取るに足らない。……それは、女の多くの性的な醜行に明らかなように、女が男よりも肉欲的であるからだ。それに、最初の女が造られる過程には1つの欠陥があったことに注意すべきである。つまり、最初の女は曲がった骨、すなわち男の肋骨の1本から造られたのだ。この肋骨は、いわば男とは違う向きに曲がっている。この欠陥のために、女は不完全な動物であり、つねに男を欺くのである」[21]

 興味深いことに、現代の遺伝学の研究は、真実は上の見解とは反対らしいということを示している。男をつくりだすXY染色体は、生理学的には女性染色体の「不完全な」異体なのである。何人かの子供が、XYYという異常な染色体を持って生まれ、このため彼らは遺伝学上の超男性(超雄)となる。これらの超男性は背が高く、知能は平均以下で、しかも犯罪を犯す傾向がきわめて強いと言われている[22]

 これを聞いたらオレスティーズ・ブラウンソン*3のような男たちはさぞ驚いたことであろう。このブラウンソンときたら、女の「野心と生まれながらの権力欲」は、男の支配下におかねばならない、さもなければ「女はその本性から逸脱し、社会的に異常なもの、ときには、男が女の影響下にある時以外には滅多にならないような忌むべき怪物となる」などと主張している[23]。こんなことを言うような男たちは、自分たちの女に対する非難が自己矛盾を起こしていることに気づこうともしない。たとえば上記の場合なら、もし女の権力欲が「生まれながらのもの」ならば、その権力欲を実際に発揮するとき、女はその本性に従っているのであって、それから逸脱しているのではないはずだ。

オレスティーズ・ブラウンソン*3
 アメリカ合衆国の意見裁定者(1803-76)。心霊術、宗教、社会改革、州権拡張論などについての著述家。『ブラウンソン・クォータリー』(1844-75)の発行者。

 マルティン・ルターは、男と女の身体的な相違は、女性差別が神の意図であることを証明していると主張した。「男の上半身は広く大きく、腰は小さくて細く、女より優れた知力を持つ。一方、女の上半身は小さくて細く、腰は大きい。これは、女が家に閉じこもり、じっと座り、家を守り、子を生み育てることを意図している」[24]。しかし、出産と育児のために女が疲れ果てても、そんなことは問題ではなかった。ルターは言う。「女たちが出産に疲れ、そのために死んでも、何ら不都合はない。女たちが子を生み続けるうちは、それで死んでも気に病むことはない。彼女たちはそのために造られたのだから」[25]

 女を忌み嫌ったショーペンハウエルは、女の身体的な特徴に何ら好ましいものを見出さなかった。「あの小柄で、肩幅が狭く、腰が大きく、脚の短い人種に、『うるわしい種』fair sex(女性の意)などという名を贈ることができるのは、性的衝動に知性が曇った男だけだ。……この人種と男の間の共感は皮膚1枚の厚さに過ぎず、精神にも感情にも人格にも及ぶことはない」[26]。ハートレーには、キリスト教の伝統のおかげで、「両性間の外見上の睦まじさも、内に秘めた深い対立をほんのわずかにしか隠せなくなり、男と女が真にお互いを理解するのは、ほとんど不可能に近いように思える」という説に賛意を示す傾向がある[27]

 女の利益を代弁するルネサンス期の数少ない男たちは教会の外にいて、アグリッパ・フォン・ネッテスハイムのように、通常は異端の嫌疑をかけられていた。彼はこう書いている。女は「男によって、征服者が被征服民を扱うように扱われている。そしてそれは神の定め給うた必然によるのでもなく、何らかの理由があるからでもなく、慣習と教育と財産と、暴君たる男の都合に従ってそう扱われるのだ」。

 「神が人に与えた権利や自然の法則をものともしない男たちの暴政は、女の自由を法によって殺し、慣習によって廃し、教育によって根絶する。というのも、女は生まれてすぐ、幼い時から、何もすることのない家に留め置かれ、それより高度の仕事をする能力がないかのように、針と糸のこと以外考えることを許されないのだ。そして思春期に達すると、1人の男の嫉妬深い帝国に引き渡されるか、尼僧院shop of vestalsに永遠に閉じ込められるかのいずれかである。法はまた、女が公職につくことも禁じている。どんなに抜け目なくやっても、女が公開の法廷で嘆願することはできない」[28]

 魔術に対する刑罰にさえ、性による差別があった。魔女は男の魔法使いよりも厳しい刑に処せられた。1683年の法律によれば、魔術によって人をに至らしめた場合、男なら絞首刑でもよかったが、女は必ず火刑であった。1650年代には、男は(たとえば殴ったりして)妻を殺しても罪に問われることはなかったが、妻の殺しは「小反逆罪」と定義され、火刑に処せられた[29]

 女の知性が男に劣るという無限に存続しうる信念は、女を学校に入れないというほとんど普遍的な慣習によって助長された。例外は、高くつく個人教育を受けることができた数少ない貴婦人たちであった。英国女王エリザベス1世は、彼女が女にしては頭が良すぎると考えたいく人かの歴史家によってその性を剥奪された。この歴史家たちは、彼女が、幼児期に死亡し、その代わりにひそかに1人の男の子が育てられた、と主張する。きわめて少数の教育ある女性たちが、教育ある者として、世に受け容れ、 られることは稀であった。ある時、1人の学識ある女性が英国王ジェームズー世に、珍品として贈られた。この女性がラテン語、ギリシア語、ヘブライ語に通じていると聞かされても、王はただこう尋ねるだけであった。「だが、その女は糸を紡げるのか」[30]

 教会がほとんどの学校を支配し、教会は避けられない場合を除いて、女にかかずらうのを嫌った。聖コルムキレ(コルンバーヌス)は、キリスト教の当初からの慣習だとして、女はキリスト教会の近くに埋葬してはならないという宗規を定めた。アイルランドのタイロン郡にはいまだにレリグーナーマンRelig-na-man(「女の墓地」)があり、男だけがその付属の墓地に埋葬されている教会から半マイル離れている[31]。聖職者のなかには、女には救われるべきさえもないという意見のものもいた。オッカムは、女にもがあり、それゆえ教会評議会での投票権を与えられるべきであると主張したが、教皇は即座にこれを異端であると宣告した[32]

 ジョゼフィーヌ・K・ヘンリー*4は、教会の何世紀にもわたる執拗な反女性的な姿勢をこきおろして次のように語った。

ジョゼフィーヌ・K・ヘンリー*4
 19世紀のケンタッキーの婦人参政権論者、小論文執筆者。女権運動で活躍。


 「一体これまで教会は、女は教会法と民事法の前に男と平等であるとか、女の意見が教義や宗規に反映されるべきであるとの布告を出したことがあるだろうか。女に、結婚後の自分自身の身体と財産に対する権利を与えるべきであるとか、キリスト教が『礼典』の1つとして、『秘跡』の1つとして数える婚姻において生まれた子供に対する権利を認めるべきである、とかいう布告を出したことがあるだろうか。現代文明において、キリスト教会くらい女に対し専制的で不公平な制度はない。教会は女にあらゆるものを要求し、そのくせ何も与えようとはしない。教会の歴史をながめても、教会が女の平等を提案したことはただの1度もない。……専制と虚偽によって初めて、キリスト教は女を服従させることができるのである」[33]

 確かにほとんどどの国でも、キリスト教以前の法律の方が女に対する扱いはよかった。古いビザンティウムの法典の下では、遺産相続法は性別によって相続人を区別しなかったし、また姦夫は死刑に処せられたが、姦婦は死刑を免れた[34]。何世紀にもわたるキリスト教による修正を経て、法律は男が姦通することを気前よく認めるようになる一方、妻が姦通を犯すと、は妻を投獄したり殴り殺してもかまわないことになった。1857年に議会が特例法を出すまで、英国女性はいかなる理由があろうとも自分からを離縁できなかったが、この特例法も、大きな政治的影響力を持つ上流階級の女性に限って、離婚を希望することはできるという趣旨のものだった[35]

 1835年、キャロライン・ノートンという名前のある夫人が、の暴力と精神的虐待と不貞にさんざん苦しめられた末に家を飛び出した。それまでは愛人を家に連れ込んでいたのであった。法廷は妻は家に戻る必要はないとの判決を出したが、の虐待の間ずっとと一緒にいることは「の行いを宥恕した」ことになるという理由で、3人の子供はに引き取らせた。1839年、幼児保護法はわずかな修正を導入した。衡平法判事は自分の裁量で、離婚した妻に7歳以下の子供を手許で育てるのを許可したり、7歳以上の子供を訪ねる権利を与えることができるようになった。もっともこれには、母親が不貞を働いていないという条件がついた[36]。もちろん父親の場合にはこんな制限はなかった。

 結婚という「陶冶」に屈するのを拒み、代わりに、その積もりもないのに結婚を約束するという危険なゲームに耽る女は男たらしjiltと呼ばれた。こういう女は、非常に強い女性差別感情の爆発を招いた。ある古いパンフレットは次のように言う。

 「男たらしどもの詐術と策略は数限りなく、それに匹敵するのは彼女らの『恩知らず』と『非人間性』くらいだ。実にその点でこの連中は自らの本性を越えている。この種の生き物くらい完壁な狂暴性と残忍性を持ったものは、この世界には見当たらない。……男たらしは恐ろしく貧欲で悪意に満ち、その上恐ろしく巧妙で腹黒い害獣で、うわべの純潔と偽善的な貞節を装うが、一方では恥ずべきほど凡庸で、厚顔無恥といえるほど身持ちが悪く、気位は高いが、欲得ずくめで、とりわけ度し難いほど性悪で、おかげで男たらしの人物証明書の短い記述の中に、女全体が犯す悪徳と愚行と礼儀知らずの行為の数々が含まれるくらいだ。……早い話が、男たらしどもは男に危害を加えるために、この世に植民させるべく悪魔が送り込んだ一団の地獄のネコたちではないかと思わずにはいられないのだ」[37]

 そのルールのすべてを男が定めたゲームにおいて、フェアプレーを強要されるのを、女がたびたび拒むということに気づきながら、かのフロイトでさえ、彼の時代の、女性に対する差別的態度を抜けきることはできなかった。フロイトは書いている。「女が考える正常な道徳観のレベルは、男の考えるものとは異なっていると思わざるをえない。女の超自我は、われわれが男に期待するほど揺るぎなく、非個人的で、情動の源の影響を受けないものには決してならない。太古の昔から、女は正義意識が男に比べて薄いとか、生が持つ大いなる必然に従う心構えが弱い、といったいくつかの性格上の特質のために非難を浴びてきた」。フロイトは男の優位を生の大いなる必然の1つとみなしていたのだから、女がそれに低抗するのを見てもそれほど驚くべきではなかったのだ。シモーヌ・ド・ボーボワールによれば、女は誰もが「男の道徳観は、こと女に関する限り、とてつもないでまかせであることを知っている。男は美徳と名誉について自分たちがつくりだした規範を、もったいをつけた言葉でがなりたてるけれども、裏にまわればひそかに女がその規範を破るのを唆し、当てにしさえする。もし女がそれを破らなければ、男の本性を裏に隠す、その見かけは壮麗な規範の建物はすべて、もろくも崩れ落ちるだろう」[38]

 女はゲームのルールを教えられていなかったから、多くが敗者となったが、どうしてそうなったか、自分たちの力で解き明かすにはあまりにも未熟だった。オスカー・ワイルドの同性愛裁判について論評する中で、W・T・ステッドはこんな意見を述べている。「もしオスカー・ワイルドが、少年や男たちと淫らな性的関係を結ぶという愚行に耽るのでなく、5、6人の無垢で頭の弱い少女たちの人生をめちゃくちゃにしたとか、友人の奥さんを堕落させることによって家庭をぶち壊したとかいうのであったなら、誰も彼に指一本触れられなかっただろう。男は神聖にして不可侵であるが、女は『いいかも』なのだ」[39]。女は「頭が弱い」とあざけられたが、頭を良くしようと努力すると、さらに一層猛烈に嘲笑された。フローレンス・ナイチンゲールの人気に希望を抱いて、多くの女性が医学の勉強を志したが、男の学生は一団となってこれに対抗した。1870年には、ロンドン大学外科医学部で5人の女性が授業に出るのを阻止しようと、医学生の一団が隊列を組んだ。検死官は女子学生を困らせようと、わざと狼衷な質問をした。試験で高い得点をとっても女性の場合は無視されて、奨学金は成績でその次にくる男子学生に与えられた。

 その他の職種においても事情は同じであった。1879年、バーミンガムの学校長たちは、「不道徳」を助長するという理由で、男子児童を教える教員の採用から女を締めだした。弁護士たちは、ロンドンの4つの法曹学院への女の入学を認めなかった。1848年、意を決したフェミニストたちの努力で、クイーンズ・カレッジのクラスヘの何人かの女性の出席が認められた。しかしロンドンの主教は、ホイートストン教授の電気学のクラスから女性を締めだした。その理由は、それより前に、チャールズ・ライアル卿の地質学のクラスに女子学生が「あまりにたくさん集まり過ぎて」、授業を受けるのによりふさわしい学生(すなわち男子学生)の席がなかったから、というものだった。宗教の領域では、英国国教会は女が聖職者となることなど「問題外」と考えていた[40]

 雇用や教育における女性差別の基本的誤謬をクリスチーヌ・ピアス*5が指摘している。「女性が、本来できないことまでやるのではないかと恐れる必要などない」[41]。もし本当に女に、医学や法学や神学や科学や他の努力を要する分野の学間を習得する能力がないのなら、女がこれらの学問を習得するのを妨害するのに、これほど力を尽くす必要が男にあったはずがない。女が知性の点で男に劣るという説は、女が何とか教育を受けるようになってから、なりをひそめはじめた。しかし今でも多くの男が、女は思考力で男に劣るにちがいないという信念を捨て切れないでいる。

クリスチーヌ・ピアス*5
 現代アメリカのフェミニスト。ハーバード大学とニューヨーク州立大学の法律と哲学の教授。

 1913年、T・E・リードは、女が生物学的に男に劣るということを「科学的に」証明するために『性、その起源と行方』という本を著した。この著者によれば、満ち潮時の性交では男児ができるのに対し、引き潮時の性交では女児ができるが、このことはエネルギーが「衰える」時に生まれるがゆえに、女は男より弱いことを証明しているのである。満ち潮と引き潮は世界の全ての海岸線で異なり、内陸の地でできた赤ん坊は潮の満干(害ち)との関連を特定できないという事実にもかかわらず、この説を支持する人は多かった[42]

 あの手この手を使って女性差別主義者である思想家は、男の優位が「当然な」ことであるとか、あるいは、神が下した生物学上の指令によるものであるとか、人々に思い込ませようとしてきた。しかし人間以外の哺乳類が示すように、男の優位はいかなる生物学的目的にもかなうものではない。

 雄が雌を攻撃し傷つけるように、生物学的にプログラムされている動物種が、もしいるとすれば、それらの動物種は、種の保存の観点から見れば、不利な立場に立つことになるだろう。というのも、哺乳類の子は健康で有能な母親なくしては、大きくなるまで生きてはいけないからだ[43]。このように、大部分の種において、雄は、たとえいかに激しい怒りに駆られたとしても、雌を攻撃することを生物学的に禁じられているということが判明している。そして、雌と、雌が保護している子との関係に割って入ることは、それがどんな種類のものであれ、雄にとって実質上不可侵の唯一のタブーである。

 カレン・ホーニー*6は、男の女に対する敵倹心は、性的な羨望の結果として発達してきたのかもしれない、と示唆している。「男は性において、女が男に依存するより高い度合で女に依存している。なぜなら女の場合、性的なエネルギーの一部は生殖過程と結びついているからだ。したがって男は。、女を自分に依存させ続けることに強い関心を持つ、ということになるのではなかろうか」[44]。ジュディス・アントネッリによれば、「家父長制は男が創造者であるという誤謬にもとづいている。男の女に対する根源的な畏怖と羨望は、家父長制下では、恨みと敵意となって表れる。男は女性的な力を、女を通じてしか手に入れられない。だから男は女を隷属させ、自分の役に立つように、そして女自身の力の源泉にならないように、女の性を抑圧する。……実に家父長制とは男の神経症にほかならない」[45]

カレン・ホーニー*6
 旧性ダニエルセン(1885-1952)。アメリカ合衆国の精神分析医、教師。フロイト派の訓練を受けたが、多くの点でフロイトの考えからは逸脱している。『今日の神経症』(1937)、『我が内なる葛藤』(1945)、『神経症と人間的成長』(1950)などの著者。

[1]Evans, N.H.N., 180.
[2]de Riencourt, 227.
[3]Rees, 227.
[4]Shumaker, 95.
[5]Bullough, 98, 187, 203.
[6]Stanton, 194.
[7]Malvern, 1.
[8]Stone, 194.
[9]Lederer, 162.
[10]Stone, 236-38.
[11]Daly, 4.
[12]Bullough, 117.
[13]H. Smith, 250.
[14]Laistner, 112.
[15]Scot, 227, 248.
[16]Bullough, 202.
[17]Goldstein & Kant, 85.
[18]Murstein, 160.
[19]de Riencourt, 227.
[20]Tuchman, 211.
[21]Kramer & Sprenger, 44.
[22]Torrey, 178.
[23]Bullough, 309.
[24]de Lys, 179.
[25]de Riencourt, 258.
[26]Murstein, 261.
[27]Hartley, 266.
[28]Agrippa, 271.
[29]Robbins, 165, 209.
[30]Bullough, 223.
[31]Joyce 2, 374.
[32]Coulton, 227.
[33]Stanton, 205-7.
[34]Soisson, 43.
[35]Crow, 147.
[36]Crow, 40-41.
[37]de Vries & Fryer, 111-13.
[38]Lederer, 93-95.
[39]Pearsall, N.B.A., 231.
[40]Pearsall, N.B.A., 43-45.
[41]Gornick & Moran, 252.
[42]Montagu, S.M.S., 92.
[43]Fromm, 192.
[44]Roszak, 110.
[45]Spretnak, 401.

Barbara G. Walker : The Woman's Encyclopedia of Myths and Secrets (Harper & Row, 1983)