第2巻・第2章
第3章[1] 次の年〔BC 404〕、〔第94回〕オリュムピア祭が開催され、徒競走ではテッタリア人 クロキナスが優勝し、スパルテでは エンディオスが監督官になり、アテナイでは ピュトドロスが執政官になったが、これをアテナイ人たちは、寡頭制下に選ばれたゆえに、名づけることをせず、この年を執政官不在年(anarchia)と呼んでいる。ところで、この寡頭制が成立したのは、以下のごとき次第である。 [2] 民衆の決定により 三十人が選ばれたが、この者たちは、為政の規準たる父祖伝来の法習を編纂するはずであった。選ばれたのは次の面々である。 ポリュカレス、 クリティアス、 メロビオス、 ヒッポロコス、 エウクレイデス、 ヒエロン(1)、 ムネシロコス、 クレモン、テラメネス、 アレシアス、 ディオクレス、 パイドリアス、 カイレレオス、 アナイティオス、 ペイソン、 ソポクレス、 エラトステネス、 カリクレス、 オノマクレス(1)、 テオグニス、 アイスキネス、テオゲネス、 クレオメデス、 エラシストラトス、 ペイドン、 ドラコンティデス、 エウマテス、アリストテレス、 ヒッポマコス、 ムネシテイデス。 [3] さて、以上のことが果たされると、リュサンドロスはサモスへと引き上げ、アギスはデケレイアから陸戦隊を引き上げて、それぞれの国に引き取らせた。 [4] おりしも、日食のあった〔前404年9月3日〕ころであるが、 ペライ(2)人リュコプロンは、 テッタリア全土の支配をもくろんで、テッタリア人たちのうち自分に反抗する者たち、すなわちラリッサ人たちやその他の者たちを、戦闘で勝利して多くを殺害した。 [5] 同じころ、シュラクウサイの僭主ディオニュシオスはといえば、カルケドン(1)人たちとの戦いに敗れ、 ゲラと カマリナとを失った。また、少し後、 レオンティノイ人たちも、それまでシュラクウサイ人たちと共住していたが、ディオニュシオスとシュラクウサイ人たちとから離反して、自分たちの国にもどった。シュラクウサイの騎兵もディオニュシオスによってすぐさま カタネに急派された。 [6] また、サモス人たちは、リュサンドロスに四方八方攻囲され、初めのうちこそ受諾を望まなかったが、リュサンドロスが今にも攻撃を仕掛けんとしたので、自由人の各々が外套一枚を持って立ち去るが、そのほかのものは引き渡すことを受諾した。 [7] そして、そのとおり彼らは退去した。そこでリュサンドロスは、*もとからの市民たちに都市とその内にあるものすべてを引き渡し、10人の執政官を任命して守護させ、同盟者たちの艦隊を自国に引き取らせて、 *前412年の政変〔第2巻 2章 6節〕で亡命した市民たち。 [8] ラコニケの艦船だけでラケダイモンへと引き上げたが、このとき連れ帰ったのは、捕虜たちの艦船の船首と、12艘を除くペイライエウスからの三段櫂船と、市民たちから贈り物として個人的に受け取った花冠と、470タラントンの銀――これは戦争資金としてキュロスが彼にあてがった寄付金の残りである――と、その他、戦争中に手に入れた諸々であった。 [9] これらすべてをラケダイモン人たちに引き渡して、その夏の終わり、これまで28年と6ケ月間の戦時が終結したのだが、この間に監督官として数えられる人たちは以下のとおりである。第一は アイネシアスで、この人の時に戦争が始まったのだが、それは エウボイア侵略にまつわる30年和平条約の15年目にあたる。これに続くのは、次の人たちである。 [10] ブラシダス、 イサノル、 ソストラティダス、 エクサルコス、 アゲシストラトス、 アンゲニダス、 オノマクレス(2)、 ゼウクシッポス、ピテュアス、 プレイストラス、 クレイノマコス、 イラルコス、 レオン(2)、 カイリラス、 パテシアダス、 クレオステネス、 リュカリオス、 エペラトス、 オノマンティオス、 アレクシッピダス、 ミスゴライダス、 イシアス、アラコス、エウアルキッポス、パンタクレス、ピテュアス、アルクタス、エンディオス――この人の時に、リュサンドロスは上述のことを仕遂げて家郷へと帰航したのであった。 [11] さて、三十人が選ばれたのは、長壁とペイライエウスをめぐる城壁とが破壊されたすぐ後であった。しかし、為政の規準となる法習を編纂する目的で選ばれたにもかかわらず、いつまでたってもそれを編纂・公示しようとはせず、評議会その他の役職を、自分たちの思いのままに任命した。 [12] そのうえで、先ず第一に、民主制時代に告訴屋稼業で生計を立て、善美なる人(kalos kagathos)たちに害をなしたと、万人が周知の連中を逮捕し、死罪を求刑した。そのため、評議会も喜んで連中に有罪評決を下したのみならず、その他の人たちも、自分はそういう連中ではないと自覚していたかぎりの者たちは、何ら憤慨しなかったのである。 [13] 次いで、自分たちが国家を望みどおりに取り扱えるように画策し始め、そのために、先ず第一に、アイスキネスとアリストテレスとをラケダイモンに派遣し、リュサンドロスを説得して、邪悪な連中を排除して国制を安定させるまで、自分たちのために守備隊を差し向けるよう協力要請し、しかし〔守備隊の〕面倒は自分たちがみると確約した。 [14] そこで彼は説得されて、守備隊と、その総督として カリビオス(1)とが彼らのために派遣されるよう協力した。かくして、彼らは守護隊を手に入れるや、カリビオスに対しては阿諛追従のかぎりを尽くして、自分たちのすることにはどんなことでも賛同してくれるようにし、その一方で、守備隊は自分たちのために彼が派遣してくれるものだから、彼らは自分たちが望む相手を逮捕し始めた。もはや邪悪者やあまり価値のない連中をではなく、それ以後は、軽んじられれば決して我慢などすることのない人物、抵抗運動でも企てようものなら、その同調者たちを最も多く得られる人物と自分たちの目する相手をである。 [15] 初めのうちは、 クリティアスはテラメネスと考えを同じくし、友であった。だが、自分が民衆のせいで亡命者となったとはいえ、あまりに多くの人たちを殺害するようになったので、テラメネスはこれに反対して、民衆によって尊敬されているからといって、善美なる人たちに何ら悪事を働いていないなら、殺すのは尤もなことではない、と言った。 「というのは」と彼は言った、「わたしも君も、国家に気に入られるためにこそ、多くのことを発言もし実行もしてきたのだから」と。 [16] すると彼は、(まだテラメネスと親しかったので)反論した。――より多く取得せんと望む者たちにとって、〔自分たちの〕邪魔だてをするに十二分な連中を排除しないですます余地はない。「もしも、われわれは三十人であって一人ではないからといって、僭主制と同様にこの支配を管理しないでもよいなどと思っているなら、君はお人好しだ」と。 [17] しかし、多くの人々が、それも不正に刑死するので、多くの人たちが結束し、国制がどうなるのかと訝っていることが明らかになったので、再びテラメネスは発言した。――充分な人数を国事の共同者として受け入れないかぎりは、この寡頭制を維持することは不可能だ、と。 [18] しかし、これが原因で、 クリティアスとその他の「三十人」は、この時から恐れをいだくようになり、とりわけテラメネスに対しては、市民たちが彼に同調するのではないかと恐れ、3000人を、国事の参与者となるはずの者たちとして登録した。 [19] だがテラメネスは、またもやこのことにも反対し、自分には奇妙なことに思えると発言した。――先ず第一に、市民たちのうち最善の共同者を3000人に限定し、あたかもこの数が、善美なる者たちだという何らかの必然性を有しているかのように、そして、これ以外に善良な者たちはおらず、この中に邪悪な者はあり得ないかのようにみなすというのは。 「第二に」と彼は言った、「わたしの見るところ、わたしたちは正反対な二つのことを実行している、すなわち、支配を強権的となす一方で、被治者たちよりも脆弱なものにこしらえているのだ」と。 [20] これが彼の言ったことである。対して連中は、閲兵を――3000人のは市場で、その登録に外れた他の者たちのは他所で挙行し、その後で、武器を集積するよう命じて、この人たちがその場を離れるや、守備隊と、市民たちの中で自分たちと考えを同じくする者たちとを送り込んで、3000人以外の全員の武器を取り上げ、これをアクロポリスに運び上げ、神殿にしまい込んだ。 [21] これが成就するや、もはや自分たちには何でも望むことをすることが許されているかのように、多くの人たちを敵意ゆえに、また多くの人たちを財産目当てに処刑した。さらに彼らによって決定されたことは、守備隊にも金銭を与えられるよう、一人ずつが 寄留民を一人ずつ捕まえ、これを処刑して、彼らの財産の方は封印没収するということであった。 [22] こうして、テラメネスにも誰でも望みの者を捕まえるよう彼らは命令した。彼は答えた。 「いや」と彼は言った、「最善者なりと称する者たちが、告訴屋連中よりももっと不正事を為して、それが美しいとは、わたしには思えない。つまりは、連中は金銭を取得したが、その相手は生きながらえさせたのに、われわれは何ら不正していない人たちを、金銭を取得するために処刑しようというわけか。どう見ても、これが連中より不正でないことがあろうか」と。 [23] そこで彼らは、何でも自分たちの望みどおりにするためには彼が邪魔だと考え、彼に対して策謀をめぐらせ、評議員たちに対して個人的に、一人が一人に向かって、彼が国制をダメにしようとしているとの中傷を広めていった。かくして、最も向こう見ずな連中と彼らに思われている若者たちに、短剣(xiphidion)を脇の下に隠し持って出席するよう告げたうえで、評議会を召集した。 [24] そして、テラメネスが出席するや、 クリティアスが立って以下の発言をした。 「評議員諸君、あなたがたの中に、適度な数以上の者たちが刑死したと考えている人がいるなら、国制が変革するところではどこでも、そういったことが生じるのだということに思いを致すがよい。しかも、当地においては、寡頭制への変革者たちにとって敵の数が最も多くならざるを得ない所以は、ひとつには、ヘラス諸国の中でこの国が最も人口稠密であるゆえ、ひとつには、あまりの久しきにわたって民衆が自由にすごしてきたゆえである。 [25] だがわれわれは、われわれやあなたがたのような者たちにとって、民主制は耐え難い国制であることを知るがゆえに、また、われわれの救助者たるラケダイモン人たちに対して、民衆は決して友となり得ないが、最善者たちはいつも信義を尽くすことを知るがゆえに、このゆえに、ラケダイモン人たちの認可によって、われわれはこの国制を樹立したのである。 [26] それゆえ、誰かこの寡頭制に反対する者のいることを察知したなら、われわれは可能なかぎりの方法で排除するのである。とりわけ、われわれにとって義しいことと思えるのは、ほかならぬわれわれの仲間に、この体制をダメにしようとする者がいる場合には、そいつが償いをするということである。 [27] ところで、今、このテラメネスは、能うかぎりの手段でわれわれやあなたがたを破滅させようとしているのをわれわれは察知している。これが真実だということは、あなたがたが心を向けさえすれば、このテラメネスを除けば、現状を咎めだてする者はひとりもおらず、民衆指導者たちの中の誰かを排除したいとわれわれが望む場合に、これに反対しようとする者もひとりもいないということを見いだすであろう。かりに、初めから彼がそういったことを唱えていたのなら、たしかに敵対的なやつではあっても、しかし邪悪な者とみなされるのは義しくなかったであろう。 [28] ところがじっさいには、ラケダイモン人たちに対する信頼と友愛との端緒をなしたのは彼自身であり、民衆制解体の〔端緒をなしたのも〕彼自身であり、とりわけ、彼こそがあなたがたに、あなたがたの前に最初に引きずり出された連中に償いを課すよう扇動したのに、あなたがたもわれわれも、公然と民衆に敵対するようになった今ごろになって、もはや彼は現状に満足しないのだが、それというのも、自分はまたもや安全地帯に身をおき、なされたことの償いをわたしたちにさせるためなのである。 [29] それゆえに、ふさわしいのは、ほかならぬ敵対者としてはもちろんのこと、あなたがたとわれわれとに対する裏切り者としても、償いをさせることである。いうまでもなく、裏切りが戦争よりも恐るべきものである所以は、隠然たる危機は公然たるそれよりも防衛困難だからこそであり、より憎むべきものである所以は、人間というものは、敵対者たちとなら講和を結びもし、信頼に足る者になることも度々だが、しかし、裏切り者を捕まえた時には、これと講和を結ぼうとする者は誰も決しておらず、それ以後は信ずる者もいないからこそである。 [30] ところで、この男がこんなことを為すのは、目新しいことではなく、彼が自然本性的に裏切り者であるということをあなたがたが知るために、この男のこれまでの所業を思い出してもらいたい。すなわち、この男は、最初は父 ハグノンの関係で民衆に尊敬されながら、民主制を 「四百人」に変革することに最も取り憑かれた者となり、彼らの中の第一人者となったのである。しかるに、寡頭制の反対派のようなものが成立するのを察知するや、今度は彼らに対する民衆の第一人者の指導者となった。これこそが、彼がコトルノス〔悲劇役者が舞台で履く底の厚い長靴で、左右いずれの足にも履けるような造りになっていた〕と異称される所以である。 [31] というのも、コトルノスというのは、どちらの足にでも合うように思われるものだが、この男はこの男で、どちらの側にでも色目を使うのである。だが、おお、テラメネスよ、生きるに値する男子のなすべきことは、仲間を難事に先導するに恐るべき者でありながら、何か障害に遭遇するや、すぐさま変節するというのではなく、船旅のように、追い風に恵まれるまでは、労苦し通すということなのだ。さもなければ、いったいどうしてしかるべき所に到着し得ようか。何か障害に遭うや、すぐさま反対方向へと航行するようでは? [32] たしかに、いかなる国制の変革といえども、死をもたらすこと必定であるが、しかしおまえは、変わり身の速い人間(metabolos)なるがゆえに、寡頭派の大多数の人たちに対しては、彼らが民衆によって亡き者とされたということの責めを負うばかりか、民衆の大多数の人たちに対しても、最善者たちによって〔亡き者とされたということの責めを負う〕のである。しかも、この男こそは、レスボス海域の海戦のさいに〔 第1巻 第6章 35節、 第7章 4節以下〕、アテナイ人たちの海難者たちを救助するよう将軍たちによって配置されながら、自分が救助しなかったのに、当の将軍たちを告発して、彼らを死に至らしめたが〔 第1巻 第6章 35節、 第7章 4節以下〕、それは自分が助かるためだったのである。 [33] とにかく、より多くを取得することは常に心がけるが、美しさや友たちには何も気遣うことをしないことが明らかなような者、こういうやつを、いったい、どうして見逃してよかろうか? また、彼の変節ぶりを知りながら、われわれに対してまで同じことをすることができないようにと、どうして自衛しなくてよいことがあろうか? だから、われわれはこの男を策謀者としてのみならず、われわれやあなたがたを裏切った者としても引きずり出すものである。 [34] それゆえ、われわれが当然のことをなしているのだということに、次の点でも思いを致していただきたい。すなわち、最美な国制とは、もちろんラケダイモン人たちのそれであると思われる。しかるに、かしこで、監督官たちの中に、多数派に聴従することをせず、支配を咎めだてしたり、為されることに反対したりすることを企てる者がいた場合、その者は、監督官たち自身によっても、その他の国の全部によっても、最大の報復に値するとあなたがたは思うのではないか。したがって、あなたがたも、気が確かなら、この男ではなくて、あなたがた自身を容赦するであろう。――この男が助かれば、あなたがたに反対の考えを持つ連中の多くを慢心させることになるが、亡き者になれば、国内にいる者も国外にいる者も、その〔あなたがたの反対派〕全員の希望を断ち切ることができるのだからである」。 [35] 彼はそう言って着席した。そこでテラメネスが立ち上がって言った。 「さて、わたしが先ず第一に言及したいのは、おお、諸君、彼がわたしに対して最後に言ったことである。すなわち、わたしが将軍たちを告発して殺したと彼は主張した。周知のことだが、彼らについて口火を切ったのはわたしではなく、彼らがわたしに向かって主張したことなのだ。――レスボス海域での海戦のさい、自分たちによって下命されていながら、不運な人たちを救助しなかった、と。これに対してわたしは、嵐のために航行さえできなかった、まして兵士たちを救助することは不可能であったと弁明して、尤もなことを言っていると国によって決定されたのに反し、彼らの方は、自分たち自身を告発していることが明らかになったのである。なぜなら、兵士たちを助けることはできたと称しながら、彼らを破滅するがままにして引き上げてしまったのだからである。 [36] しかし、 クリティアスが思い違いをしていることにわたしは驚きはしない。なぜなら、事件が起こったとき、彼はたまたま居合わさず、テッタリアで プロメテウスといっしょに民主制樹立を画策し、農奴たち(penestes, pl. penestai)をその主人に対して武装させていたのだからである。 [37] とにかく、この男がかしこでやっていたようなことが、当地では何も起こらないでほしいものである。 しかしながら、次の点ではわたしは彼に同意する。――あなたがたを支配から退けたいと望み、あなたがたに策謀する連中を強大化する者がいれば、これに最大の報復を加えるのは義しいという点では。ところで、そのようなことを実行する者とは誰であるのか、あなたがたは最美に判定できるとわたしは思う。これまでに為されてきた所業のみならず、現にわれわれの各々が為していることに心を向けるならば。 [38] そこで、あなたがたが評議員に就任し、公職者たちが任命され、周知の告訴屋たちが引きずり出されたところまでは、われわれはみな同じことを考えていた。ところが、この〔「三十人」の〕連中が善美なる人たちを逮捕し始めてからは、これが原因で、このわたしまでもが連中に反対の考えを持ち始めたのである。 [39] なぜなら、わたしは知っていたのである。――サラミス人レオン(1)が、彼はじっさいに充分な人であり、またそう評判されていた人物であるが、何一つ不正していないにもかかわらず死刑になったとき、この人と同じような人たちは恐れをなすであろうし、恐れをいだく人たちは、この国制の反対者となるであろうということを。またわたしは判断していた。―― ニキアスの子の ニケラトスが、富裕でもあり、民主制的なことは何も、彼自身もその父親もしたことがないにもかかわらず、逮捕されたとき、彼と同じような人たちは、われわれを苦々しく思うようになるだろうと。 [40] いやそればかりか、 アンティポンがわたしたちによって亡き者とされたときも、彼は戦争中、快速の三段櫂船2艘を提供したのだが、国家に献身的な人たちも皆われわれに猜疑的となるだろうとわたしは思い知った。だからこそ、一人一人が寄留民を一人あて捕まえるべきだと彼らが主張したときも、わたしは反対したのである。この人たちが破滅させられれば、寄留民たちもすべて国制の敵対者となるであろうことは明らかだったからである。 [41] さらに、彼らが武器を大衆から取り上げようとしたときもわたしは反対した。国家を弱体化すべきだとは信じないからである。まして、ラケダイモン人たちはわれわれの助命を望んだけれども、それは、われわれが少人数となって、彼らを益することができなくなるためではないのを、わたしは目にしていたからである。なぜなら、それ〔アテナイの弱小化〕を彼らが求めていたのなら、ほんの後少し兵糧攻めにするだけで、一人残らず生きながらえさせないでおくことも彼らにはできたのである。 [42] また、守備隊を雇ったこともわたしには不満である。それだけの数を市民たち自身の中から追加することは可能だからである。われわれ支配者が被支配者たちに優位を占めることが容易な間なら。とにかく、国内において、多くの人たちがこの支配を苦々しく思っており、多くの人たちが亡命者となっているのを目にしたので、今度も、トラシュブウロスや アニュトスやアルキビアデスとかを亡命させるのがよいとはわたしには思えなかったのである。なぜなら、ますます反対派が強大となるだろうとわかっていたからである。大衆に有能な指導者たちが味方し、指導したいと望んでいる連中に多くの同盟者たちが現れるとしたら。 [43] こういったことを公然と警告する人間は、好意的とみなされるのが義しいのか、それとも裏切り者と。敵対者たちを、おお、 クリティアスよ、多数派にすることを防ぐ人たちではなく、また、最多の同盟者たちを味方につける仕方を教える人たちでもなく、――敵対者を強大化させるのはこういう人たちではなくて、むしろ、不正に財産を取り上げようとしたり、何ら不正していないのに処刑しようとする者たち、――こういう者たちこそはるかに、反対者を増加させ、友たちばかりか、自分自身をも強欲ゆえに裏切る者たちなのである。 [44] そこで、もし、真実をわたしが言っているというが他の仕方では判断がつかないとしたら、次のようにして考察していただきたい。はたして、トラシュブウロスやアニュトスやその他の亡命者たちが、当地において生起してほしいと望んでいるのは、わたしが言っているような事態なのか、それとも、この連中が為しているような事態なのか。すなわち、わたしとしては、今は、全土が同盟者たちに満ち満ちていると彼らは考えていると思う。だが、国家の最も優れた部分がわれわれに親愛となれば、国土のどこにも足を踏み入れることさえ困難だと考えるだろう、と。 [45] そこで、今度は、わたしがいつもその都度変節するような男だと彼が言った点について、これについても心を向けていただきたい。すなわち、「四百人」時代の国制は、言うまでもなく、民衆自身も決議したのだが、それは、ラケダイモン人たちは民主制以外なら、どんな国制でも信用してやると言っていると教えられたからである。 [46] ところが、彼ら〔ラケダイモン人たち〕は何も容認しようとはせず、他方、アリストテレス、 メランティオス、アリスタルコスといった将軍たち一派が、〔エエティオネイア〕岬に防壁を建造し、ここに敵国人たちを引き入れ、国家を自分たちと同志たちの意のままにしようとしていることが明らかになったので、これを察知したわたしが妨害したわけだが、それが友たちの裏切りとなることなのか? [47] また、彼はわたしをコトルノスという渾名で呼んで、両派に調子を合わせようとすると言う。だが、どちらの派にも満足しないような者、――この者は、神々にかけて、いったい何と呼べばいいのか? というのは、君こそ、民主制のもとでは誰よりも激しい民主制嫌悪者(miso-demotatos)、貴族制のもとでは誰よりも激しい有為の士の嫌悪者(miso-chrestotatos)とみなされてきたのだから。 [48] 対してわたしは、おお、 クリティアスよ、奴隷たちや、1ドラクマに窮して国家を裏切るような連中が国政に参加しないうちは、民主制は美しいものになりえないと考えているようなあの連中とは、常にその都度闘っているのであり、逆にまた、国が少数者による僭主支配に陥らないうちは、寡頭制が美しいものとして内生することはありえないと考えているようなこの連中に対しても、わたしは常に反対者なのである。とにかく、騎馬をもってにせよ、楯をもってにせよ、益をもたらすことの可能な人たちといっしょになって、国家を取り仕切ることこそ最善であると以前から考えてきたし、今後も変節する気はないのである。 [49] 君が言うべきことをまだ持っているなら、おお、 クリティアスよ、いつ、わたしが、民主制的な者たちとであれ、僭主制的な者たちとであれ、彼らといっしょになって、善美なる人たちから国制を奪おうとしたことがあったか、言ってもらいたい。もしも、今現にそれを為しているとか、かつていつか為したことがあるとか言われたら、どんな極端な目に遭って死刑になったとしても義しいと同意しよう」。 [50] さて、彼がこう言い終わり、評議会も拍手喝采、騒然となって、好意的なことがはっきりしたので、 クリティアスは、彼に関する採決を評議会に任せては、取り逃がしてしまうと判断し、また、そうなれば致命的だと考えて、寄り合って「三十人」と何事か打ち合わせをすると退出し、懐剣を携行している連中に、評議会にはっきり見えるよう、間仕切りの上に立つよう命じた。 [51] そうしておいて、再び入場すると発言した。 「わたしは、おお、評議会のみなさん、指導者たる者は、友たちが騙されているのを眼にしたら、ほうってはおかないのが務めだと考える。だからわたしもそれをなすつもりである。というのも、ここに立っている人たちが、寡頭制を公然と破滅させるやつをわれわれが容認しようものなら、ほうってはおかないと言っているからである。ところで、新しい法律の規定によれば、「三千人」に属する者は、あなたがたの評決によらざるかぎり、誰ひとり死刑になってはならないが、名簿に外れた者たちの死刑の決定権は「三十人」にあることになっている。そこで、わたしは」と彼は言った、「このテラメネスを名簿から削除しよう。これは、われわれ全員によって決定されたことである。それゆえ、この男を」と彼は主張した、「われわれは死刑とする」。 [52] これを聞いてテラメネスは、 かまどにすがって発言した。 「わたしとしては」と彼は言った、「おお、諸君、何よりも最も適法なことを、――つまり、わたしを削除することも、また、あなたがたの中の誰をも、たとえ クリティアスが望もうとも、削除する権限は彼にはなく、名簿に載った人たちについてこの者たちが起草した法律、――これに基づいて、あなたがたにもわたしにも判決が下されるよう嘆願する。 [53] とはいえ」と彼は主張した、「この祭壇がわたしにとって何ら頼むに足りないこと、――そのことを、神々にかけて、わたしが知らないわけではないのだ。それでも、この連中が人間たちに対して不正きわまりない連中であるばかりでなく、神々に対しても不敬きわまりない連中であるということ、――このことだけは明示しておきたい。それにしても、あなたがたには」と彼は言った、「おお、善美なる諸君、わたしは驚かされるのだ。――あなたがたが自分たち自身を助けようとしないとは。それも、このわたしの名前は、あなたがたの中の誰の名前よりも、〔名簿から〕削除しやすくはないということを知りながらである」。 [54] だが、すぐに「三十人」の伝令役が、「十一人」にテラメネス捕縛を命じた。そこで彼らが手下たちといっしょに入場し、これを嚮導していたのは、中でもとりわけ向こう見ずで厚顔無恥の サテュロスであったが、クリティアスは言った。 「おまえたちに引き渡すぞ」と彼は言った、「法によって有罪判決の下ったこのテラメネスを。おまえたちは捕まえて、「十一人」として略式起訴して、必要な手続きをとれ」と。 [55] こう言ったので、サテュロスが祭壇から引きずりおろそうとし、手下たちも引きずりおろそうとした。対してテラメネスは、尤もなことではあるが、事態を照覧あれと、神々にも人々にも呼びかけた。しかし、評議会はおとなしくしたままであったが、それは、間仕切り上の者たちもサテュロスの同類であるばかりか、評議場の前は守備隊に満たされているのを目撃しており、しかも連中が懐剣をもってその場にいることを知らないわけではなかったからである。 [56] こうして、彼らは市場の中を連行していった。この男が、どんな目に遭わされたのかを大声でさんざんに説明するのもかまわずに。ところで、彼について次のような話が一つ伝わっている。サテュロスが、静かにしないと痛い目に遭うぞと言ったところが、彼が質問した。「静かにしたら、痛い目に遭わないですむのか」と彼が言ったと。また、刑死するよう強いられて毒人参を飲むときも、彼は最後の一滴をコッタボス遊び*のように飛ばして言ったと伝えられている。「これを美しき クリティアスに捧げる」と。確かに、こういった逸話が記録に値するものでないことを、わたしは知らないわけではないが、死を目前にしても、正気も戯れも魂から離れることはなかったということ、――これこそはこの人物の最善の点だとの裁定をわたしは下すのである。 *コッタボス遊びについては、 Kritias断片集・注釈の2を参照。 |