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back.gif第7巻・第3章


Xenophon : Hellenica



第7巻






第4章



[1]
 エウプロンに関することも述べられた。そこでわたしはここへと道を逸れた時点〔 本巻 第2章 23節〕に立ち返ろう。すなわち、プレイウウス人たちがテュアミアを城塞化し、カレスがまだそこに居合わせた時、オロポスが亡命者たちによって占領された。そこでアテナイ人たちは全員が オロポスに向けて出兵し、カレスをもテュアミアから呼び寄せたが、シキュオン人たちの港はまたもや彼ら市民たちとアルカディア人たちとによって奪取された。しかし、アテナイ人たちには同盟者たちの誰一人救援に来ず、〔アテナイ人たちは〕裁判を待つまでもなくオロポスをテバイ人たちに信託して撤退した。

[2]
 かくて、リュコメデスは、アテナイ人たちが同盟者たちを非難して、自分たちは彼らのためにたいへんな難儀をしているのに、自分たちに救援のお返しをする者とていないといっているのを知って、「一万人会」を説得して、アテナイ人たちとの同盟関係を締結させようとした〔 本巻 第1章 38節〕。これを、初めのうちは、ラケダイモン人たちとの友邦であるにもかかわらず、彼らの敵対者たちとの同盟者になるとして、アテナイ人たちの中には嫌う者たちもいた。しかし、計算してみると、アルカディア人たちがもはやテバイ人たちを必要としないことになれば、自分たちにとってよりもむしろラケダイモン人たちにとってその善さは小さくないのを発見して、こういう次第でアルカディア人たちとの同盟関係を受け入れた。

[3]
そしてリュコメデスは、これを成し遂げた後、アテナイからの帰路、摩訶不思議な死に方をした。というのは、じつにおびただしい数の商船があったが、その中から自分の望みの船を選び、どこへでも自分の命ずるところへ渡らせるとの協定を船員たちと結んだのであるが、彼が下船地点に選んだのは、たまたま亡命者たちのいる当の場所だったのである。かくして彼はこういうふうにして死んだが、しかし同盟の方は現実に成立した。

[4]
 さて、 デモティオンがアテナイ人たちの民衆の前で述べた。――アルカディア人たちとの友好は美しくなされていると自分には思われる、とはいえ、将軍たちに下命すべきである、と彼は主張した、コリントスもアテナイ人たちの民衆にとって安泰とならしめるように、と。これを聞いてコリントス人たちは、すぐさま自分たちの充分な数の守備隊を、アテナイ人たちが守備している場所すべてに派遣し、もはや守備の必要は何もないから、引き上げるよう彼らに言った。彼らは聴従した。そして、守備所から引き上げたアテナイ人たちが自国に参集すると、コリントス人たちは、アテナイ人たちの中で不正を被る者がいれば、償いを受けるために登録しておくようにとの触れを出した。

[5]
事情かくのごときところに、カレスが艦隊とともにケンクレイアイに到着した。そして、何が行われたのかを知ると、この国に対して策謀がめぐらされていると耳にしたので救援にやって来たと言い立てた。しかし彼ら〔コリントス人たち〕は、彼を称揚しつつも、それ以上は港に艦船を受け入れようとはせず、出航するよう命じた。さらにまた、重装歩兵たちをも、義しく扱ったうえで送り返した。コリントスからは、このようにして、アテナイ人たちは立ち退いたのである。

[6]
しかしながら、アルカディア人たちには、アルカディア攻撃に出兵する者があれば、同盟関係のゆえに、騎兵を援助に派遣するよう強要された。が、ラコニケの地に戦争目的で足を踏み入れることはしなかったのである。
 それでも、コリントス人たちは、以前でさえ領土を制圧されたのに、〔今は〕自分たちの味方であったアテナイ人たちと不和であるからして、自分たちが救われるのは難しいと思いを致し、歩兵も騎兵も傭兵を集めることに決めた。そしてこれを嚮導して、かつは国を守備すると同時に、かつは近隣の敵国人たちに多く仇を成した。しかしながら、テバイに使いを送って、自分たちが出向いたら和平に与れるかどうか問いたださせた。

[7]
すると、〔和平は〕成るはずだからと、出向いてくるようテバイ人たちが命じたので、コリントス人たちは、望む者たちとはいっしょに和平を締結し、戦争を選ぶ連中は勝手に戦争させておくため、自分たちが同盟者たちのところへも出向くことを認めるよう要請した。それを実行することをもテバイ人たちが容認したので、コリントス人たちはラケダイモンに出向いて述べ立てた。

[8]
 「われわれは、おお、ラケダイモン人諸君、あなたがたのもとに、あなたがたの友として出頭し、そして要請したいのは、われわれが戦争を継続した場合に、われわれに何らかの救いのあることをあなたがたが眼にされるなら、われわれにも教えていただきたいということ。しかし、われわれの事態は行き詰まりであるのを知っておられるなら、もしもあなたがたにも寄与するところがあるならば、われわれといっしょに和平の締結をしていただきたいということである。あなたがたといっしょに救われることほど喜ばしい相手は、誰ひとりとしていないからである。しかしながら、あなたがたが計算してみて、戦争することがあなたがたに寄与するのなら、われわれが和平を結ぶことを認めるようあなたがたにお願いする。なぜなら、われわれが救われれば、おそらくは、いつか再びまたわれわれがあなたがたにとって好都合になれる時があろうが、今、破滅してしまえば、もはやわれわれが役立てる時は決してないこと明らかだからである」。

[9]
 これを聞いてラケダイモン人たちは、コリントス人たちに和平を結ぶよう忠告するとともに、その他の同盟者たちのうち、自分たちといっしょに戦争することを望まぬ者たちにも、休戦を一任した。しかし自分たちは戦争を続け、何であれ神にとって愛しいことを実行するつもりだと主張した。父祖たちから受け継いできた地メッセネ、これを奪われることは、断じて承服できない、と。

[10]
かくして、コリントス人たちは、これを聞き届けたうえで、和平のためにテバイに赴いた。ところがテバイ人たちは、彼らに同盟関係をも誓うよう要求した。これに対して彼らは答えた、――同盟関係は和平にあらずして、戦争の成り変わりにすぎない。自分たちがここにいるのは、もしお望みなら、義しい和平を結ぶためなのだ、と彼らは主張した。彼らには、たとえ危地にあろうとも、善行者たちと戦争状態に陥ることを拒否したので、テバイ人たちの方が驚嘆し、彼らと、プレイウウス人たちと、また、彼らといっしょにテバイに出向いてきている人たちと、各々が自分たちの領土を保持するという条件で和平に譲歩した。誓約が立てられたのは、そういう条件であった。

[11]
そこでプレイウウス人たちは、かくのごとくに協定が結ばれたので、ただちにテュアミアから引き上げた。ところがアルゴス人たちは、同じ条件で和平を結ぶことに同意しながら、達成することができず、プレイウウス人たちの亡命者たちが、自分たちの国内にいるのだとしてトリカラノンに残留したので、〔これを〕引き取って守備し、この土地は自分たちのものだと称した。少し前には、敵地であるとして荒らした土地をである。そこでプレイウウス人たちは訴訟を提起したが、相手は受けなかった。

[12]
 これとほぼ時を同じくして、先のディオニュシオスはすでに亡くなっていたが、彼の息子がラケダイモン人たちに救援として、三段櫂船12艘と、これの指揮官として ティモクラテス(4)とを派遣した。そこで彼は到着すると、彼ら〔ラケダイモン人たち〕といっしょにセッラシアを共同攻略した。そしてそれをし遂げると、家郷へと引き上げた。
 その後、多日を経ずして〔BC 365〕、エリス人たちがリュシオンを占領した、この地は昔は自分たちのものであったのを、この時はアルカディア連合に帰属していたのである。

[13]
しかしアルカディア人たちはこれを無視することなく、ただちに通達して救援に駆けつけた。エリスからも対抗して「三百人」部隊が、なおそのうえに「四百人」部隊も救援に駆けつけた。そしてエリス人たちが、一日かかって、かなり平坦な地に対抗陣をこしらえている間に、アルカディア人たちは夜陰に乗じて、エリス人たちを臨む山の頂上に登った。そして夜明けと同時にエリス人たちに向かって攻め下った。対して、こちらは、かつは上方から、かつは何倍もの相手が攻め寄せるのを眼にしたけれども、〔相手との距離が〕遠いうちから退散することを恥じて、接近戦になって、手の届く距離に受けとめてから敗走した。そうして、多くの善勇の士を、多くの武器を失った。 荒蕪地を退却したからである。

[14]
 アルカディア人たちの方は、これらのことをし遂げた後、アクロレイオイ人たちの諸都市に進軍した。そして、 トラウストス市を除いてこれらを取得すると、オリュムピアに到着し、 クロノス山に柵囲いをして守備隊を置き、オリュムピアの山を制圧した。また、内にいた何人かの住民から〔裏切られた〕マルガナ人たちをも取得したのである。かくのごとき事態の推移に、エリス人たちは今度は完全に意気阻喪したが、対してアルカディア人たちは都市に向けて進撃した。さらには、市場の中にまで進撃しようとした。しかしながら、そこには騎兵たち、ならびに、その他のエリス人たちが固守していて、彼らを撃退し、何人かを殺害して、勝利牌を立てたのであった。

[15]
ところで、以前にもエリスには内部対立があった。すなわち、 カロポストラソニダスアルゲイオスの一派は、国に民主制を導入しようとし、対して、 エウアルカスヒッピアスストラトラスの一派は、寡頭制を〔導入しようとしていた〕。ところが、強大な権力を握っているアルカディア人たちは、民主制化されることを望んでいる者たちの同盟者となるように思われたので、そういう次第でカロポス一派はますます大胆になって、アルカディア人たちに加勢して救援することを取り決め、アクロポリスを占拠した。

[16]
ところが騎兵と「三百人」部隊とは逡巡することなく、ただちに攻め上り、これを排除した。かくして、アルゲイオスならびにカロポスとともに、市民およそ400人が亡命した。
 しかし、多日を経ずして、この〔亡命者〕たちがアルカディア人たちの中から何人かを味方に加えて ピュロス市を占領した。するとじつに多くの民衆が都市から彼らのもとへと離れていった。彼らが美しい〔要衝の〕地を占め、アルカディア人たちの強大な力を同盟者に持ったからである。かくして、間もなく、エリス人たちの地にアルカディア人たちが侵入した。国は降伏するだろうと、亡命者たちに説き伏せられたからである。

[17]
しかし、この時は、エリス人たちの友であったアカイア人たちが彼らの都市を守りとおした。そのためアルカディア人たちは、彼らの土地を荒らすより他のことは何もできずに引き下がった。しかしながらエリスから出てゆくやただちに、ペレネ人たちがエリスにいるのを察知して、夜間、長途を飛ばして彼らの〔留守になった〕 オルウロスを占拠した。というのは、ペッレネ(1)人たちはこの時にはすでにラケダイモン人たちとの同盟関係に再び服していたからである〔 本巻 第2章 11節、および、 18節〕。

[18]
さて、オルウロスのことを察知したので、こなた〔ペッレネ(1)人たち〕も今度は回り道をして、可能な仕方で自分たちの都市ペッレネ(1)に押し入った。こういう次第で、彼らはオルウロスにいるアルカディア人たちのみならず、自国の民衆全体とも闘うことになった。きわめて少人数でありながら。にもかかわらず、オルウロスを明け渡すまでは攻囲をやめなかったのである。

[19]
 さらにもう一度、アルカディア人たちは別のエリス出兵をしている。そして、彼らがキュレネ(2)と本国との中間に宿営しているところに、エリス人たちが攻めかかったが、アルカディア人たちは固守してこれに勝利した。そこでエリス人の騎兵指揮官 アンドロマコスは、この合戦の責任者と思われたかのように、みずから自殺してはてた。が、その他の者たちは都市に退却した。ところで、この戦闘で戦死した者に、参戦していたスパルテ人 ソクレイデスもいた。というのは、この時にはすでにラケダイモン人たちはエリスの同盟者になっていたからである。

[20]
かくて、エリス人たちは自国内において圧迫されたので、使節団を派遣してラケダイモン人たちもアルカディア攻撃に出兵してくれるよう要請した。かくすれば、アルカディア人たちはきっと諦めるだろう、両面から攻められたなら、と信じたのである。そういう次第で、アルキダモスが市民たちとともに出兵し、 クロムノスを占拠した。そして、そこに12旅団のうち3旅団を守備隊として残置し、そうやって家郷へと引き上げた。

[21]
しかしながら、アルカディア人たちは、エリス出兵のために集結したままの格好で、救援に赴き、クロムノスを二重の防御柵で柵囲いをして、身は安全なところからクロムノス内の人たちを攻囲した。そこでラケダイモン人たちの国はこの市民たちに対する攻囲に憤慨し、軍隊を急派した。この時もまたアルキダモスが嚮導した。進撃すると、アルカディアもスキリティスも、可能なかぎりのものを荒らし、できることなら何でもして、攻囲軍を引き上げさせようとした。しかしアルカディア人たちは何ら動揺することなく、それらすべてを黙過していた。

[22]
そこでアルキダモスは、アルカディア人たちがある丘を横切って外側の防御柵をめぐらしているのを望見して、これなら攻略でき、これを制圧したら、これの下で攻囲している者たちは留まることはできまいと考えた。そこで彼は、その地点をめざしてぐるりと回り道をして、アルキダモスの前衛の軽楯兵たちが外側の防御柵の〔アルカディア同盟の〕選抜隊(eparitoi)を眼にするや、これに攻めかかり、騎兵たちも共同突入せんものと努めた。だが、相手は崩れず、戦闘隊形をとったまま平静にしていた。そこでもう一度突入した。それでも崩れないどころか、進撃さえしてきて、すでに多くの悲鳴が起こったので、アルキダモス自身までが救援に駆けつけ、クロムノスに通じる馬車道の方へと〔部隊を〕逸れさせ、たまたま2層の縦隊であったのを、そのままの形で引率した。

[23]
そして、お互いに接近したが、アルキダモス麾下の将兵は、道にしたがって前進したために縦隊で、対してアルカディア人たちは密集して楯を重ねていたので、ここにおいてもはやラケダイモン人たちはアルカディア人たちの数の多さに持ちこたえられず、たちまちにしてアルキダモスは大腿貫通の負傷をし、たちまちにして彼の面前で闘っていた者たち、すなわち、 ポリュアイニダスと、アルキダモスの妹を娶った キロンとが戦死し、このとき戦死したのは、彼らの中で30人を下らなかった。

[24]
しかし、道を退いて広場に脱出するや、ここでやっとラケダイモン人たちは反撃の戦闘態勢をとることができた。とはいえ、アルカディア人たちは、そのままの態勢で戦闘態勢をとったまま固守し、数のうえでは後れをとっていたものの、それまでよりもはるかに勇み立っていた。〔相手を〕攻撃して退却させたばかりか、将兵を殺したからである。対してラケダイモン人たちは、すっかり意気阻喪していた。アルキダモスが負傷したのを眼にしたばかりか、戦死者たちの名前を耳にし、それが善勇の士であるばかりか、ほとんど最高の著名人であったためである。

[25]
しかし、〔アルカディア人たちが〕接近したとき、年長者の一人が叫んで言った。
 「なぜ、われわれは、おお、諸君、闘わなければならないのか、むしろ、〔休戦の〕献酒をして〔争いを〕やめるべきではないのか」。
 これには両軍とも悦んで聞き入れて、〔休戦の〕献酒をした。そして、ラケダイモン人たちは屍体を収容して引き上げ、アルカディア人たちは、初めに出撃し始めたところに後もどりして、勝利牌を立てた。

[26]
 さて、アルカディア人たちがクロンポスにかかずらっているときに、都市のエリス人たちは、先ず初めにピュロス攻撃に出撃したが〔本章16〕、途中、 タラマイから追い立てをくったピュロス人たち〔 本章 16節〕と行き会った。エリスの騎兵は突進中であったので、彼らを眼にするや、逡巡することなく、ただちに突撃し、ある者たちは殺害したが、彼らの一部は丘の上に避難した。しかし歩兵が進撃するや、丘の上の連中をも撃退し、一部はその場で殺害し、他は200人近くを生け捕りにした。そして、このうち外国人はみな売り払い、亡命者たちはみな喉をかき切った。この後、ピュロス人たちを――彼らを救援する者が誰もいなかったので――本拠地もろとも攻略し、マルガナを再び奪回した。

[27]
さらに、ラケダイモン人たちも、その後間もなく、夜陰に乗じてクロムノス攻撃に再び出撃し、アルゴス人たちの側の防御柵を制圧下におき、攻囲されていたラケダイモン人たちをただちに呼び出した。かくて、たまたますぐ近くにいて、機会をとらえた者たちが脱出しようとした。ところが、これよりも早く、多勢のアルカディア人たちが救援の加勢に駆けつけたため、彼らは〔柵の〕内側に閉じ込められ、捕まって分配された。そして、一部はアルゴス人たちが取り、一部はテバイ人たちが、一部はアルカディア人たちが、一部はメッセネ人たちが〔取った〕。スパルテ人たち、および、周住民たちのうち、捕まったのは全部で100人以上の数にのぼった。

[28]
 まったくもってアルカディア人たちときたら、クロムノスが暇になると、こんどは再びエリス人たちにかかずらい〔BC 364〕、オリュムピアをより堅固に守備し、オリュムピアの年が近づいたので、もともとこの神域の導師だと主張する ピサ人たちといっしょになって、〔第104回〕オリュムピア祭挙行の準備をした。ところが、月も、オリュムピア祭が行われる月がやってきて、日も、祝祭が集中している日になって、その最中にエリス人たちは公然と荷造りをして、アカイア人たちにも呼びかけて、オリュムピア道を進軍したのである。

[29]
しかしアルカディア人たちは、彼らがまさか自分たちに向けて出撃してくるとは思わず、自分たちはピサ人たちといっしょに祝祭を取り仕切っていた。そして、競馬競技もすでに終え、五種競技(pentathlon)のなかの競走種目も〔終えた〕。だが、格闘技(pale)にまで勝ち進んだ者たちは、もはや競走場にはなく、競走場と〔ゼウスの〕台座との中間のところで格闘していた。というのは、武装したエリス人たちはすでに境内にまで入り込んでいたからである。しかしアルカディア人たちはあまり深くは立ち向かうことをせず、 クラダオス河――この河は、 アルティスから流れ出て、アルペイオス河に流れ込んでいる――のほとりで攻撃態勢をとった。同盟者たちも彼らに味方し、〔加勢したのは〕重装歩兵はアルゴス人たちの2000にのぼり、騎兵はアテナイ人たちのおよそ400騎である。

[30]
むろん、エリス人たちも対岸の位置に攻撃態勢をとり、 血祭を捧げるとただちに進撃した。かつて、戦争の仕方について、アルカディア人たちやアルゴス人たちに軽蔑され、アカイア人たちやアテナイ人たちに軽蔑されたものだが、とはいえ、この日、豪気きわまりない者のように同盟者たちを嚮導し、アルカディア人たちを――これと最初に激突したものだから――すぐさま背走させ、加勢に救援したアルゴス人たちをも受けとめて、これを制圧したのである。

[31]
しかしながら、〔ゼウス神殿の南側の〕評議会場、 ヘスティア神殿、これらの建造物に隣接する観劇場などの中間まで追い詰めて、なおいっそう闘って、台座の方へと圧倒しようとしたが、しかしながら、柱廊や評議会場や大〔ゼウス〕神殿から飛び道具攻撃を受け、自分たちは平地で闘ったため、エリス人たちのうち他にも何人かが戦死したが、「三百人」隊の指揮官ストラトラスその人も亡くなった。こういう事態が起こったため、彼らは自分たちの宿営まで退却した。

[32]
しかしながら、アルカディア人たちとその仲間とは、次の日を恐れるあまり、夜も休まず、丹精した兵舎を打ち壊して防御柵を築いた。逆にエリス人たちは、翌日、攻撃に出て、城壁が堅固なのを眼にし、また、神殿の上にのぼっている多勢を〔眼にして〕、市域に引き上げたのであるが、かくして彼らは、――神は息の一吹きで、わずか1日とはいえ、勇徳の点でいかなる者であるかを実証できるが、人間どもは、いかに多くの時間をかけても、豪気ならざる者たちを〔そう〕することはできない――ということの例となったのである。

[33]
 さて〔BC 363〕、アルカディアの役人たちは、聖財を使い込み、これによって選抜隊を給養していたが、まっ先にマンティネイア人たちが、聖財を使い込むべきではないとの否決決議を行った。事実、彼ら自身は、選抜隊の取り分を国から工面して役人たちに送付していたのである。ところが役人たちは、彼らがアルカディア連合を悪罵していると称して、その指導者たちを「一万人」会に召喚した。しかし彼らが従わなかったので、これに有罪判決を下し、有罪判決を下された者たちを連行するべく選抜隊を派遣した。そこでマンティネイア人たちは城門を閉ざして、これを内に受け入れなかった。

[34]
こういう次第で、他の人たちまでがたちまちに「一万人会」で発言した、――聖財を使い込むべきではない、まして、神々に対するかかる咎を末永く子どもたちに残すべきではない、と。さらには、同盟議会においても、もはや聖財を使い込むべきではないと否決され、報酬なしには選抜隊員たり得ない連中は、たちまちにして離散し、それの可能な者たちが、互いに声をかけあって選抜隊に就任した。自分たちが選抜隊に従うのではなく、選抜隊が自分たちに従うためにである。かくて、役人たちのうち、聖財を管理してきた者たちは、執務審査を受けたら、破滅の危機に陥るとわかっているので、テバイに使いを遣って、出兵しなければ、アルカディア人たちは再びラコニケ化するだろうと、テバイ人たちを教唆した。

[35]
そこで彼らは出兵せんものと準備した。しかし、ペロポンネソスにとっての最も勝れたことを心にかけている人たちが、アルカディア人たちの同盟議会を説得して、テバイ人たちに使節団を派遣させ、何も呼ばないかぎりは、武装してアルカディアに出向くことのないようにと言わせた。そして、かつは、こういうことをテバイ人たちに言うと同時に、かつは、何も戦争する必要はないと計算した。なぜなら、必要なのは、ゼウス神域の導師になることではなく、それを引き渡しても、人法にも神法にもよりかなったことを実行することであり、そうすることで、むしろ神に嘉されていると思えることだと信じたのである。エリス人たちも同じようなことを望み、両国ともに和平締結が決定された。かくして講和条約が成立したのである。

[36]
 さて、誓約が行われ、他にも、テゲア人たちも、テバイ人その人――彼はボイオティア人たちの重装歩兵を率いてたまたまテゲアにいた――も、全員が立誓したなかで、テゲアの当地に長らく駐留していた他のアルカディア人たちは晩餐を開き陽気になって、和平の成立に献酒と祝勝歌をなしていたところが、かのテバイ人と、役人たちの中で執務審査を恐れる者たちとは、ボイオティア人たち、ならびに、選抜隊の中で考えを同じくする連中といっしょになって、テゲア人たちの城壁の門を閉ざし、幕営所に人を遣って、最善者たち〔貴族階級〕を逮捕した。しかし、アルカディア人たちは全都市から来合わせているばかりか、全員がまた和平の維持を望んでいたので、逮捕者は多数にのぼる必要があった。その結果、たちまち牢獄は彼らでいっぱいとなり、たちまち公共の建物も〔いっぱいとなった〕。

[37]
かくして、幽閉された者も多数にのぼったが、城壁を乗り越えて脱走する者も多数にのぼり、城門を通して放免する者たちさえいた。なぜなら、破滅させようなどと思わない人は、誰もが誰に対しても怒ってはいなかったからである〔 本章 34節参照〕。そのため、かのテバイ人、ならびに、これといっしょにこういったことを実行した連中とを、最大の窮地に陥らせたのは、彼らが捕まえたいと一番望んでいたマンティネイア人たちは、ごくごく少数しかつかまえられなかったことである。というのは、彼ら〔マンティネイア人たち〕は国が近かったので、ほとんど全員が家郷へ立ち去っていたからである。

[38]
 翌日になり、何が起こったかをマンティネイア人たちは聴き知ったので、ただちに他のアルカディア諸都市に使いを遣って、武装して進入路を守備するよう布令した。そして自分たちもそうすると同時に、テゲアにも使いを遣って、マンティネイア人たちで彼らが捕まえている者たちの返還を要求した。さらには、その他のアルカディア人たちのうち一人でも、と彼らは主張した、投獄することも裁判なしに処刑することもなきよう要求する、と。それでも万一服罪させる者があれば、と彼らは布令して言った、マンティネイア人たちの都市は、召喚し得るかぎりを、誓ってアルカディアの同盟議会に提訴するとの〔この誓いに〕保証を立てる、と。

[39]
これを聞いてかのテバイ人は、事態をいかにすべきか行き詰まり、被告全員を放免した。そして翌日、アルカディア人たちの中で、とにかく参集することを肯んじた連中を呼び集めて、自分は騙されたのだと弁明した。というのは、自分は聞いたのだ、と彼は主張した、ラケダイモン人たちが武装して国境地帯にいること、そして、アルカディア人たちの中に、テゲアを彼らに売り渡そうとしている連中がいることを、と。聞いていた人たちは、相手が自分たちのことについて虚言していることはわかっていたけれども、彼を放免した。しかし、テバイに使節団を遣って、死刑にすべしと彼を告発したのである。

[40]
ところが、エパメイノンダスは(というのも、彼はこのときちょうど将軍職にあったのであるが)、人々を放免したときよりも逮捕したときの方が、はるかに適正な行動であったのにと言った、と伝えられている。「すなわち、われわれはおぬしらのせいで戦争状態に陥ったのに、おぬしらはわれわれの意見も聞かずに和平を締結したということ、これを裏切りの咎でおぬしらを告発しないのが、どうして義しいということがあろうか。よろしいか」と彼は言った、「われわれはアルカディアに出兵するつもりであるし、われわれに与する者たちといっしょに戦争を続けるつもりである」と。

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