少しだけ自己紹介
昭和21年1月5日
京都市中京区に生まれる。
家業は「ぬい屋」と呼ばれる刺繍業。
白生地を持って町内を一回りすれば
絞りの着物も友禅の着物も染め上がるという地域環境で育つ。
長男が家業を継ぐことが普通であった時代
昭和36年に家業に従事。
あれから55年が過ぎました。
丹後の白生地生産高が1972年の10分の1以下。
構造的な着物離れ、和装関係業者の相次ぐ倒産、廃業。
このような業界で「日本刺繍業」の看板をだせて頂いているのは
「奇跡?」かもとっている。
20歳の時、和装デザイナー 松尾馨氏に師事キモノデザインを習った。
日展画家 桑野むつこ氏に師事し 写生と水彩画を習ったのが26歳
29歳のとき京都市伝統工芸技術コンクールの出品を皮切りに
京都市展
京都府工美展
日本伝統工芸近畿展
日本伝統工芸染織展
日本伝統工芸展
横浜のシルク博物館の染織作品展
京都工芸ビエンナーレ
国際テキスタイルコンペテション
と いくつかの公募展に出品し、末席を汚した。
そしていくつかの賞も頂いた。
「日本伝統工芸展」に応募、初入選したのが39歳 、昭和60年 歳32回伝統工芸展 の時だった。
そして日本工芸会正会員の認定を受けたのが平成元年
だから 日本工芸会に籍をおいて32年になる。
メンバーも大きく様変わりしました。 入会当時にお世話になった先生方も居られなくなって・・・・
染織部会の幹事 研究会の役員 支部の会報委員 と
走り回っていたころが 懐かしく思い出されるのです。
案外楽しく ワイワイやっていたのですが ・・・・・
一時 体調を壊して 人の集まり に出られなくなって
言ってみれば「登校拒否」のようになりまして・・・・
ちょっとお医者さんにもお世話になって ですから
支部運営のお手伝いもお断りしなくてはならなくなって
公募展も出品を見合わせざるを得なくなって
仲良くしていただいていた皆さんにも 話すに話せなくて 大きな不義理をしてしまいました。
そして 10数年ほどの時間が流れました。
トラウマのようなものはいまだに残りまして まだまだ 人の集まり には出かけられませんが
お陰様で何とか回復しまして、この様なことも言えるまで元気になりました。
5年ほど前から 1年に1作だけ その年の自分への課題として
作りたいものを 作ってその年の「日本伝統工芸展」出品しています。
陳列していただけるか 選外になるか そんなことはどうでもいい心境での出品なのです。
私の後継者として一緒に仕事している「佐藤未知」も、もう10年になり なんでもできるようになりました。
そして 私は今年、 70歳 になりました。 やりたい事がいっぱいあって 困っています。
そんな今日この頃です
。
公益社団法人 日本工芸会正会員 日本刺繍アトリエ森繍
2016年8月15日