間歇日記

世界Aの始末書


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2000年3月中旬

【3月20日(月)】
▼あっ。突然、思い出した。学生時代に中国語研究会の友人が会誌になんか書けというので、「芦屋駅の崩壊」というショートショートをでっちあげて冗談で渡したらほんとうに載せられてしまい驚愕したのだった。そもそも、会員でもないおれがなぜ中国語研究会の会誌にバカ話を書かなくてはならないのかさっぱりわからなかったのだが、なりゆきとはそういうものである。どんな話だったかすっかり忘れてしまったなあ。捜せば出てくるかもしれないが、紙の原稿など捜す気にもなれない。当時はワープロなど持っておらず、原稿用紙に万年筆で書くなどという伝統的な技能をおれもまだ持っていたのだった。いまはそんなことはとてもできん。二、三枚の原稿であってもできん。しかし、いま思えば、タイトルだけは梶尾真治津原泰水に迫るものがあったのだが、惜しいことをした。それにしても、どんな話だったのだろう?
「DASACON3」には田中哲弥さんも来ることが判明する。ということはなにか、夜中までには、京阪神在住作家笑撃集団“マンガクィンテット”我孫子武丸小林泰三田中哲弥田中啓文牧野修)が勢揃いするわけではないか。これは行かずばなるまい。行かずばなるまいって、おれはどのみち行かなくてはならないのだが、それでも行かずばなるまい。
 えっと、ここで「DASACON3」企画関連の〈業務連絡〉「第4回の『○○と××くらいちがう』大賞をいつか日記でやるときには使ってほしい」と、第3回の終了直後からおれに作品を預けてくださっている方々が何人かいらっしゃるのだが、今回の DASACON の企画では、お一人二作品までという制限があるので、公平を期すため、現在おれがお預りしているぶんは審査対象といたしません。おれに預けている作品を今回の『DASACON文化セミナー春季特別講座 第4回「○○と××くらいちがう」大賞 in DASACON3』に使いたいとおっしゃる方は、当該ページから DASACON事務局に再度正式にご投稿ください。おれがお預りしている作品は、第4回に正式応募なさったものを除いて、次回第5回(まあ、いつかはどこかでやると思う)への応募作品として保管させていただきます。以上、業務連絡でした。しかし、最初に日記でこの遊びをはじめたときには、こんなにたいそうなことになるとは夢にも思わなかったなあ。言葉遊びの好きな人が多くて、嬉しいことである。

【3月19日(日)】
▼やっぱり妹はアドレスを打ちまちがえていたのだった。「ドットて、ふたつ続けて打ってしもたらあかんのやな」って、そらあかんわい。なんという大ざっぱなやつだ。大巨獣大ザッパめが。フランク・オオザッパめが。妹尾大ざっぱめが――あと、お好きなだけ考えてください。こういう大ざっぱな人間にも使えるようにならぬかぎり、ケータイもインターネットもまだまだである。妹にしてみれば、葉書は少々宛名に誤字があっても届くのだから、賢いコンピュータにその程度のことができないのがむしろ不思議なのであろう。妹よ、おまえは正しい。正しいが、世界はまだおまえについてゆけていない。
▼気候の変化に身体がついてゆけず、暑いのだか寒いのだか主観的にわからなくなっている。自律神経がガタガタだ。暑いから汗が出て、寒いから顫えている人が羨ましい。だが、羨望のあまり、彼らを妬んで悪感情を抱いてはならない。なんでて、むかしからよう言いまんがな、暑さ寒さもひがまんで、て。
『これを英語で言えますか?』(講談社インターナショナル[編]、講談社パワー・イングリッシュ)という本がやたら売れているらしいので、おれも買って読んでみた。巷で騒がれているほど、目から鱗がぼろぼろ落ちるといった内容ではない。ある程度その気で英語を勉強した人であれば、どこかで一度は学んでいる(そして忘れている)ようなことが、コンパクトにまとめてあるだけである。学校英語の盲点になっている部分をあえて集めるという視点の面白さがウケているのだろう。なんでも、編集部員のひとりが、あるとき「a2が読めないことに気がついてショックを受け、まわりのスタッフに訊いてまわったのだという。外国人スタッフは全員読めるのに、ふだんから英語を使い慣れているはずの日本人スタッフには読める人がひとりもいなかったという事件から、この本が企画されたのだそうだ。いくらなんでも、これはちょっと誇張ではあるまいかと思う。ここの編集部員たちは、英語で飯を食っているはずである。文科系の人ばかりなのかもしれないが、それでも小説にだって「a2」くらいの表現は出てくるでしょう。アインシュタイン「E=mc2なんてのも、導きかたまでは知らんでも(おれだって知るものか)、一般常識としてみな知っているものとして、そこいらのふつうの文章でもしばしば言及される式ではないのか? それまで頭の中でなんと読んでいたのだ? このエピソードがほんとうだとしたら、C・P・スノーの言う“二つの文化”も、まだまだ時代遅れというわけではなさそうだ。この本の腰巻には、『「a2+b3=c4」 これを英語で読めますか?』などと書いてあるのだが、それくらい読めへんかったら、SF読まれへんやないけ。なに、英語でSFなど読むのは、おまえらのような変人だけじゃて? ごもっとも。
 まあ、なかなか面白い本ではある。読んで損はない。「あ、なるほど。こういう言いまわしがあるか」ってのに二つ三つ遭遇すれば儲けものだと思う。この手の本をシャカリキに勉強したところで、言葉なんてのは一連の文脈の中で覚えたものでないと、どのみちすぐ忘れるのである。アイザック・アシモフみたいな人は別として、ふつうの人はそうなのである。「学校で教えてくれない身近な英単語」なんて副題がついているが、なにもこの本みたいなことを学校で教える必要はない。一人ひとりが自分の生活上・職業上の必要に応じて十分な意思疎通が英語でできればよいのであって、みながすべての分野に於いて英語国民並みになることが国際化ではなかろう。
 将来、英語で飯を食ってもいいかなと思っていた高校生くらいのころには、この手の本を片っ端から読んでいたものだ。でも、結局のところ、こういう勉強はあまり実にならなかったような気がする。識域下のレベルでは多少の力にはなっているのかもしれないが、小説や映画やテレビのほうがずっと役に立っていると実感できる。だが、手当たり次第に読んだそんな本の中で、一冊「これは――」と思ったものがあった。『英会話上達法』(倉谷直臣、講談社現代新書)である。じつに味もそっけもないタイトルで、どうせよくある“上達法”なのだろうと、受験勉強の息抜きになんの気なしに読みはじめたところ、こいつが滅法面白い。これを読んだからといってたちまち英会話が上達するなんてことはまるでないのだけれど、秀逸な文化論としてぐいぐい読ませるのだ。最近書店で見かけないのだが、絶版になってしまったのだろうか。名著なんだがなあ。見つけたら、英語に興味のある方もない方も、ぜひ読んでみていただきたい。著者の倉谷直臣氏は、ジョージ・ミケシュの翻訳などもなさっていた方で、乾いたユーモア感覚は推して知るべしである。國弘正雄氏、松本道弘氏と並んで、おれが影響を受けた英語の先生、三巨頭のひとりだ。そういえば近年はあまり一般向けの書物ではお名前を拝見しないなあと、ちょっと思い立ってネットを検索してみたら、おやまあ、倉谷先生、ご自分のウェブサイトを持ってらっしゃるではないか。英語教育・日本語教育とはまったく関係ない、ご趣味の写真のサイトだ。かつての愛読者であれば、経歴を見ればまちがいなくご本人だとわかる。こういうのを見つけるのも、インターネットの楽しみのひとつだねえ。

【3月18日(土)】
▼妹が、ようやくメール送受信ができるケータイを買った。主婦友だちから早くメールが使えるようにしろとせっつかれていたらしい。そりゃあ、そうだ。妹に電話するとちょっとした用事でも不必要に電話が長くなるから、かけるほうはたまったものではないだろうからな。いままではアステル関西のPHSを使っていたのだが、関西セルラーのケータイに乗り換えたということで、機械に弱い家系の血をもろに引いている妹は大混乱している。おれだけが突然変異なのである。「EZwebってなに?」などと言っているくせに、おれのよりずっと進んだ最新型の端末を持ちさらしてけつかるのは、ほんの少し、ほんのちょっぴり癪に障らないでもないが、おれはべつに羨ましがっているわけではないぞ。これはケータイにかぎらず最近の情報機器一般に言えることだ。初心者ほど、たいていいい機械を持っているのである。妹は三洋電機の三和音のやつだとはしゃいでいる。おまえ、その会社にはとても怖い鬼畜な人が勤めているぞ、その端末は夜になったらぬとぬと系のものに変身して襲ってくるぞと警告してやろうかと思ったが、これ以上狂人扱いされてもなんなので黙っていた。
 妹によれば、なんでも最近は操作方法を解説したビデオまで付いてくるらしいのだけれど、それを観ていながらも、妹はなかなかメールがうまく出せない。おれのケータイに電話がかかってくる――「メール出してみたから、いつ届くか見といて」
 会社に電子メールが入ったころ、「メール出したから届いているかどうか見てくれ」という内線電話が飛び交ったものだ。懐かしい。こないだテレビで観た漫才で、まさにそのネタをやっていた。あれはネタでもなんでもない。事実の描写である。さて、妹からのメールがいつ来るかと待ったが、いっこうにやってくる気配はない。もっとも、メールが来る前に気配がしたらさぞや気色の悪いことであろうから、気配がしなくて幸いであるのかもしれぬ。ともあれ、昨今はどの会社も設備投資が利用者増に追いつかず、メールが滞留することはしばしばだ。どうせまた滞留しているのであろう。が、妹のことであるから、アドレスを打ちまちがえている可能性のほうが高いだろうなあ……。

【3月17日(金)】
「DASACON3」は初の関西での開催ということで、おれごときがゲストに呼ばれている。まあ、第一回「DASACON賞 読んで面白いサイト部門」も頂戴していることであるし、関西でやるときにはぜひ一度参加したいと思っていたので、ありがたくゲスト面して行くことにした。なんでも、我孫子武丸さん、喜多哲士さん、北野勇作さんとおれとで対談をやらねばならないらしい。あ、これなら安心だ。おれのほかは、ナマでもおもろい人ばかりではないか。北野さんがモノリスに触れる類人猿を演じている横で、人生幸朗に憑依された喜多さんが「責任者出てこ〜い!」と叫び、我孫子さんが「そりゃあ、カップヌードルはカレーでしょう」と淡々と断じているのをなにごともなきがごとくに眺めながら、おれはにこにこと黙って頷いていることにしよう。なぜこの面子なのかというと、みな話題の昭和三十七年生まれだからである。それをネタに対談しろというわけだ。なにを話せばよいのやら。なんとなく、「そこはやはり『宇宙怪人ゴースト』でなくては」「いやいや『チンパン探偵ムッシュバラバラ』こそ……」「『桃の天然水』ね、あれは『突撃!ヒューマン』のパクリでしょう」みたいな話でおやじだけが盛り上がりそうな……。
 かと思ったら、『DASACON文化セミナー春季特別講座 第4回「○○と××くらいちがう」大賞 in DASACON3』などという、とんでもない企画の講評を家元(?)としてやることになってしまった。おれはてっきり、たくさんある企画のうちのイロモノで、夜中にでもちょこちょこっとやるのだろうと気楽に考えていたのだが、いつのまにかずいぶんと本格的(?)な段取りができあがっているではあーりませんか。ほんまにやるんかー。田中啓文さんも夜中に来るらしいので、いっそのこと「むかしからよう言いまんがな」もやりますかね? ま、DASACON は“オフラインミーティング”だと書いてあるから、ただただ遊べばよろしいのでありましょう。賞品は“バイメタル”がいいかも。

【3月16日(木)】
▼南アフリカで禁固千三百四十年の判決を食らった犯罪者が出たとか。いやあ、ここまで大盤振舞いをされると、いっそ壮快ですなあ。この犯罪者が出所するのは、計算がややこしいので電卓を叩いてみると、なんと西暦三三四○年である。三十四世紀である。未来だ。誰がなんと言おうと未来だ。その証拠に未来だ――などというネタが読者の何人に通じるのかはさておくとして、どのくらい未来かというと、『黙示録三一七四年』(ウォルター・M・ミラー・ジュニア、吉田誠一訳、創元SF文庫)と『火の鳥 未来編』(手塚治虫)とのあいだあたりである。『火の鳥 未来編』は、西暦三四○四年からの話ですな。ということは、その二百三十年ばかりのあいだに、修道院が科学技術を隠蔽している状態からコンピュータ同士が核戦争をするまでになるのだから、さぞやややこしい激動の時代であろう。そんなときに二十世紀に投獄されたやつが出所しても、誰も気にも留めまい。
 だけどなあ、こういう話を聞くと、少女を九年も監禁したやつにたかだか十年くらいの懲役しか食らわせられないとは、なんとしても理不尽だと思うよねえ。

【3月15日(水)】
『クローズアップ現代』(NHK)の放映時間が三月二十七日から十九時三十五分からになるというので(うちは衛星放送の受信設備がないから地上波でしか観られない)、ビデオの録画を設定し直しておかねばなと思っていたら、『ニュースステーション』(テレビ朝日系)は『ニュースステーション』で、同じ日から二十一時五十四分開始になるという。どっちの変更が先に決まったのだろう? 『クローズアップ現代』と『ニュースステーション』を続けて観る人は少なくないだろうから、重ならないようにNHKがずらしたのだろうか? いや、ずらすのなら、サラリーマンが観やすい時間帯にするだろうしなあ。十九時三十五分に自宅でテレビを観られるサラリーマンは、そんなにはおるまい。しかし、ほんとうに観たいものならビデオに撮って観るからいいのか。よくわからん。
 ま、おれはリアルタイムで観るときにも、なんでもとりあえずは録画しながら観るし、録画しておいたニュースなどは倍速で観るか聴く(1998年5月5日の日記参照)から、あまり大きな影響はないのだが……。
《ご恵贈御礼》まことにありがとうございます。

『星の海を君と泳ごう 時の鐘を君と鳴らそう』
柴田よしき、アスペクト)

 〈SFオンライン〉「小説掲載コーナー」に連載されていた「星の海を君と泳ごう」を第一部とし、新たに第二部を書き下ろして一冊と成した本である。“連載されていた”と書くと、過去のことのように聞こえてしまうが、「星の海……」はいまも〈SFオンライン〉に“掲載”されていて、いつでも買える。いろんな出版形態が出てくると、常套表現が通用しなくなってきてややこしい。どんどんややこしくしていただきたいものである。“絶版”などという言葉は、とっととこの世からなくなればよろしい。
 とはいうものの、この本が出るまでの権利関係のあれやこれやを想像するだけで頭が痛くなる。関係者の方々は、さぞやややこしい手続きをクリアしていったのだろうな。巻末の特別座談会「『SFオンライン』での出版を終えて……」(柴田よしき、西澤保彦、坂口哲也/司会・構成:大多和伴彦)でも、オンライン・マガジン運営上の難点が触れられている。パソコンを持っていない、パソコンで読めない読者はまだまだたくさんいるわけだから、作品をネット上で公開・販売するということは、ふつうに出版するより潜在読者層が薄くなることを意味する。いつまでもそんなことはないだろうが、いまのところ、これはあたりまえである。あたりまえなのだが、誰もやらなかったらなにもはじまらない。オンライン出版は、出版側の努力もさることながら、作家側のフロンティア精神と理解と協力なくしてはできないことだ。べつに手前が書いている媒体だからというわけではないが、こういう面白い形で一冊の“紙の本”を世に出した〈SFオンライン〉の活動は、SF界のみならず、出版文化に対する注目すべき貢献として拍手を贈りたい。

【3月14日(火)】
▼昨日書き忘れていたが、そういえば「SFセミナー2000」の案内が届いていた。話題の人物がゲストで来るらしいという噂は聞いていたが、角川春樹だったのか。「出版界の風雲児角川春樹氏、今SFに吠える!」とある。おお、吠えますか。おれはまだ生身の角川春樹氏を間近に見たことがないのだ。これは楽しみである。ウェブサイトのほうには「プログラムはまだ確定しておりません」と書いてあるけど、紙の案内が来ているということは、もうゲストの話は表でしてもいいんだよね?
 「これから世の中はこういうふうに動きそうだ」などと、せっせとデータを集めて頭で解釈や予測を捻り出しているような人間は、“世の中”なるものを客体として見ているわけで、それはそれで大事なことでそういう人間も必要不可欠なのだが、やはり、しょせんはなにか大きなものに小さな自分が振りまわされているにすぎない。ある種の選ばれた人間は、そんなふうにして未来を予測するのが面倒くさいからだろう、「こうなります」と言っておいて、その未来を自分を作ってしまう。未来のほうが実際についてくるかどうかは別問題だ。別問題だが、思考回路がそもそもそういうふうに配線されている人がいる。おれ自身には逆立ちしても持てない思考だけに、そんなタイプの人におれは興味がある。彼らには世界がどのように見えているのかという、その“主観”にこそ興味を抱くのである。角川春樹という人は、たぶんそういう種類の人間なのだろうとおれは思っている。
▼花粉が飛んでいるせいか、目が痒い。鼻水はまだそれほどではないが、テレビではいろいろと怖ろしいことを言っているではないか。ぞぞぞぞー。今年の花粉がすごいのはとくに関東のほうだそうだから、まだ気休めにはなる。しかし、関東がひどいからといって関西がそのぶんだけましだということにはならないのである。「ああ、世間にはあんなに不運で不幸な人がいるのか」と、いくら他人の惨状を知らされても、手前の差し迫った問題にはなんの関係もないのである。飢餓で苦しむ人々をテレビで観たからといって、さしあたりはこっちも傘がないと濡れてしまうのである。ああ、厭な季節だなあ。
 とはいえ、二十年以上のキャリアを積んでいるせいか、近年花粉症が少しましにはなっているような気はする。やっぱり慣れるもんなんですかね。それにしても、考えてみるとじつに気色の悪い話じゃありませんか。花粉って、要するに生殖のためのものでしょう。精子が目や鼻に入ってくるようなものではないか。もしおれが水棲人間かなんかで、水中で生活しているとするわな。おや、なにやら目が痒いぞ鼻がむずむずするぞと思ってあたりを見まわすと、向こうのほうで覚えたての男子中学生集団がせっせとオナニーをしている――とまあ、こういった状況に近いものがある、というか、こういった状況そのものなわけだ。わざわざ考えなくてもいいことを考えて、より気持ち悪くなることもないだろうに、この手のことって、いったん考えはじめるとこれでもかこれでもかとばかりに悪いほうに悪いほうに考えてゆくのが次第に快感になってくるよねえ。おれだけか?

【3月13日(月)】
オックスフォード英語辞典が、明日インターネットで全面公開されるという。いやあ、あれのおかげで学生時代はずいぶんと腕の筋肉が鍛えられた。脳は全然鍛えられていない。グータラなサラリーマンになってからというもの、腕はすっかり弱ってしまった。脳はなおさら弱ってしまった。あのころはよかったなあ。豚の絡まるチャペルで血のりを捧げた日。秋の日の図書館のノートとインクの匂い。
 ともあれ、OEDがネットで引けるのなら、便利なことこのうえない。と、喜んだのもつかのま、なんだ金が要るのか。年間で三百五十ポンドぉ? 五百五十米ドルぅ? 約六万円か……。英文学者ででもないかぎり、月に約五千円払って使う気にはならないよなあ。どうせなら、タダで公開してくれればいいのに。せめて、iモードみたいに、パケット課金してくれないものか。まあ、いちいちOEDを引かねばならないことなど、おれの日常にはまずないのだけれども。むかーしの興味深い用例なんかが豊富に出てて、漫然と暇潰しに読むには楽しいよね。そのうちタダになるんじゃないの?
▼このところやたら忙しく、とりわけ今週は忙しいので、ひさびさに「○○と××くらいちがう」1997年9月27日11月1日1998年8月12日の日記など参照)の新作を発表してお茶を濁す。時を経てから読んでもおそらくわからない旬のネタである――「引きこもりとせり上がりくらいちがう」
 美しい。傑作だ。自分で言うか。

【3月12日(日)】
一昨日の日記に、ケダちゃんから鋭い突っ込み。「わたしの頭には美輪明宏がでてきて、バージンオイルを宣伝しはじめました>DHC」 あっ、なんてことだ、「【能力第一】にはDHCでも入っているのかと思いきや」などと書いているではないか。耄碌もここにきわまれりである。若年性痴呆ではないか。あまりのことに、「ぜろいちにぃーぜろ、さんさんさんの〜きゅーれーろくぅ〜♪」と唄ってしまう。DHAじゃ、DHA! ドコサヘキサエン酸じゃ。こっ、これは日記のネタを稼ぐためのギャグではなく、純然たるケアレス・ミスである。直しておいた。うーむ、マジでDHA入り食品でも食ったほうがいいかもしれん。
▼このところ、じつに個性的な二人の作家にこだわりを持ってらっしゃる方々が、立て続けに企画の開設やリンクのお知らせをくださっているので、「リンクワールド」の更新がなかなか進まない罪ほろぼしに、日記でご紹介させていただく。
 ひとつは、「本上力丸のSF長屋」。本上さんは中学生で文芸部員なのだそうだが、ルーディ・ラッカーの大ファンだとのこと。ウェブサイトには、いつのまにか菊池誠さんが顧問になっている「ルーディ・ラッカー研究室」がある。「邦訳版ラッカー自叙伝」は、ラッカー本人に許可をもらって、彼のサイトにある Biography を自分で訳したものだというから、末怖ろしいですな(でも、抄訳だって書いておかないとね)。じつに濃い中学生である。ほかの文芸部員と話が合うのだろうか。いまの中学校の文芸部員なるものがどういう作品を好んで読むのかよくわからないけど、「ルーディ・ラッカー? 誰、それ?」というのが、おそらくごくふつうの反応だろう。「あ、それ、ひょっとして、大森望が訳してた、ヘンな小説のヒト?」ってのもあるかな。訳者のほうが、はるかに知名度が高いのである。このサイトは、文化祭の発表に使いたいのでアンケートに回答してほしいというメールをもらって以来、ときおり拝見している。作家や評論家や書評家に突撃アンケートをやっちゃう、その意気やよし。おれが中学生なら、たとえインターネットが使えていたとしても、びびっちゃってとてもそんなことはできなかったろう。もっとも、高校出たら、なかなかそううまくはいきませんぞ。
 いまひとつは、アレンさんの「安部公房解読工房」。安部公房関連のウェブサイトはそれこそ無数にある。中でも「ほら貝」などは有名だが、あそこはある程度安部公房を知っている人向けだろう。その点、「安部公房解読工房」は、安部公房を知らない人や、ちょっと読んでみようと思っている人にとって、とっつきのよいガイドになると思う。リンク集には、ストレートな作家論・作品論のサイトばかりではなく、安部公房と直接接触や交流のあった方々の回想なども紹介されていて、「インターネットだねえ」と思ったことであった。

【3月11日(土)】
▼この時期になるといつも、灯油を買うべきかどうかで悩む。ポリタンク一個分買ってしまうと余ってしまうが、だからと言って使い切ってしまうと、突如やたら寒い日があったりして困るのである。「あと牛乳瓶四本分くらいくれ」といった注文のしかたは、少なくともうちが頼んでいる店ではできないのだ。自分でタンクを持って出向いてゆけば少量でも売ってくれるのかもしれないが、あいにくそんな暇はないし、おれは運転免許を持っていないから運んでくるのがたいへんだ。灯油の残量やその他のパラメータをコントロールしながら、うまく“春に着陸する”ゲームだと思えばいいんだけどね。そこのあなた、むかーしポケコンにBASICで打ち込んで遊んだりしませんでした?


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