間歇日記

世界Aの始末書


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2000年12月中旬

【12月20日(水)】
《ご恵贈御礼》まことにありがとうございます。

『祈りの海』
グレッグ・イーガン、山岸真編・訳、ハヤカワ文庫SF)

 ついに登場である。なにしろ、『タンジェント』グレッグ・ベア、山岸真編、ハヤカワ文庫SF)と同じく、山岸真さんが日本で独自に編んだ短篇集だ。面白くないわけがない。収録作品の多くは一度は〈SFマガジン〉で読んでいるが、初訳作品を含めてまとめて読むのが楽しみである。アーサー・C・クラークがイギリス人のSF作家であっても“イギリスSF”の作家ではないのと同じように、イーガンもオーストラリア人SF作家であっても“オーストラリアSF”の作家という感じはしない(オーストラリアSFのなんたるかがおれに定義できるわけではないが……)。
 瀬名秀明さんの解説を先に読み、またもや驚く。わずかな紙幅で、シンプルかつ的確にイーガンの本質を剔抉している。これはかなわんなあ。評論家や書評家がときに苦手な作家・作品について論じねばならぬとき、妙に細かい経歴の紹介やエッセイじみたメタフォリカルな文章藝に逃げたりすることも少なくないと思うが(え? それはおまえだけや、一緒にするなて? すんません)、瀬名秀明の解説は作家藝に逃げないのである。あくまで評論家の目と流儀で論じる。元職業科学者であるからして分析的な文章が書けるのはあたりまえかもしれないが、作家があんまり対象とは関係ないエッセイ一本書いて解説にしているようなことも少なからずあるので(作家はそれをやってもかまわんとおれは思う。それが“浮く”ようであれば、それは依頼した編集者が悪いのだ)、瀬名秀明の真面目さには頭が下がる。ひょっとしたら、作家の書く解説として編集者はいま少し作家藝を期待しているのかもしれないのだが、通常の解説としてあまりによくできているため、文句のつけようがないのだ。余談だが、文科系の学問では essay が小論文を指す、あるいは包含するのに対し、理科系では essay は“論文”は指さないように思う(おれは理科系の専門教育を受けたことがないので、あくまでおれの“感じ”ですけどね)。理科系の人は、小論文も paper と言うんじゃないかな? その伝でゆけば、瀬名秀明が書く書評や解説は、常に paper と呼べるものになっている。三つ子の魂というわけだろうか。

【12月19日(火)】
▼ウェブ上にあるSF・ファンタジーの洋書レヴューを集めたサイト「宇宙くじら」深山めい)が、満を持してオープン。やあ、こりゃ便利だ。これだけ整理するのはたいへんな労力を要したにちがいない。逆立ちしても訳されそうにないものもたくさん紹介されている。レヴューを読んで面白そうだと思える作品があれば、気軽に原書を手に取ってご覧になってはいかがだろう。といっても、SFがすぐ入手困難になるのは海外も同じだから、絶版になってたらご容赦をば。
 おれのサイトの数少ない洋書レヴューにもリンクが張られている。いやそれにしても、みなさん、すごい。また、インターネットってのは、改めてすごい。これぞハイパーリンクの醍醐味だ(どうでもいいけど、ブリティッシュ・テレコム、自分たちも忘れていたようなあやふやな特許でいまさら訴訟を起こすんじゃない)。
 バナーが可愛らしいので、日記に貼ってみよう。この鯨、「アサリがいっぱい、パスタがうまい」ってCMで唄っているアサリに似ているよな。

【12月18日(月)】
『ゴジラ大図鑑 東宝特撮映画の世界』(キネ旬ムック 動画王特別編集)なるものを近所の本屋で見つけてしまい、買ってはいかん買ってはいかんというのにこの手が買ってしまう。
 ふむふむ、平成メガヌロンと昭和メガヌロンは、ずいぶんデザインがちがうな。平成メガヌロンのほうが凶悪な顔をしている。あっ、『妖星ゴラス』巨大セイウチには「マグマ」という名前があるではないか。これはよい勉強をした(なにがだ)。
 それにしても、考えてみれば、メガギラスゴジラと闘うよりも、まずラドンに復讐をするべきではなかろうか。どうもゴジラは“空飛び系”の怪獣と闘うときには、映像的になんとなくまぬけなので(対ヘドラ戦のように、自分が飛ぶともっとまぬけである)、『ラドン×メガギラス』を作ったほうが迫力のある空中戦が展開できそうに思うのだが……。ゴジラ映画、ガメラ映画でない“怪獣映画”にそろそろ復活してほしいところである。現在のバイオテクノロジーの知見でハードに理論武装し、コンピュータの力を借りて凝りに凝った映像で迫る平成『サンダ対ガイラ』なんてどうでしょ?

【12月17日(日)】
12月6日の日記で、トンボの怪獣メガギラスのほかにあったらご教示いただきたいと書いたところ、モりやまさんから『空の大怪獣ラドン』ラドン“餌”として登場した「メガヌロン」がいるとのご指摘を頂戴した。な、なるほど、言われてみればそういうのがおった。あまりのチョイ役なのですっかり忘れていたではないか。『妖星ゴラス』巨大セイウチ(あれには名前があったっけか?)ほどではないにしても、餌役とはなんとも情けない役回りである。
 あ、なんてことだ。『ゴジラ X メガギラス G消滅作戦』についてのあちこちの記事をよく読むと、メガヌロンはこの映画にも出てくるらしい。そうか、一応、スター・システムだったのだな。むかしのラドンと平成ゴジラとでは世界がちがっているはずだが、まあ、並行宇宙とでも考えればいいのだろう。

【12月16日(土)】
▼昨日買ってきた『百鬼夜行妖怪コレクション 第2集』フルタ製菓)の「鳴釜(なりがま)」「輪入道(わにゅうどう)」を開封して組み立てる。そう、第2集が出ているのであった(まだ西日本だけだが)。今回の妖怪は九種類、それぞれに「通常彩色版」「象牙風彩色版」「金色彩色版」の三種があるそうな。さすがに今回は全部集める気はない。ただでさえカエルやらゴジラやらウルトラマンやらがひしめいている部屋であるから、これ以上に妖怪風情に割くスペースはない。
 「鳴釜」は金色彩色版が当たった。カネゴンみたいである。やるぞやるぞと思っていた人も多かろうが、来年一月十六日に“公式本”『百鬼夜行』(講談社)が発売されるのだそうだ。妖怪フィギュア大図鑑、多田克己の妖怪解説、竹谷隆之のメイキング、人気マンガ家によるイラスト・エッセイ等々の内容で、あわわわ、やっぱりやった、京極夏彦の文・デザインによる妖魔封印・怨霊退散の“お札”と竹谷隆之オリジナル“赤鬼・青鬼”のフィギュアも“封入”されているとのこと。うーん、これは買っちゃいそうだなあ。なにが「妖怪風情に割くスペースはない」じゃ。フルタさん、おぬしもワルじゃのう。

【12月15日(金)】
「ルージュの男根」というフレーズを突如思いつき、「今月の言葉」にどうかと思ったのだが、あまりに品がないのでボツとする。格調高い「今月の言葉」にふさわしくない。「亀は夜更け過ぎに 武器へと変わるだろう」はいいのか、「一寸の鞭にもゴムの魂」はいいのか、「情事接続」はいいのかといった批判はこの際無視する。「ルージュの弾痕」ならミステリのタイトルにいいかもしれないが、おれがミステリを書くことなどまずありそうにないので、使いたい方はご自由にどうぞ。
▼あ、そうか、昨日『銀河がこのようにあるために』にも使えばよかったな――「な〜ぜ翼を使わないんだ〜??」
《ご恵贈御礼》まことにありがとうございます。

『ミトコンドリアと生きる』
瀬名秀明、太田成男、角川書店)
『20世紀SF(1)星ねずみ』
(アシモフ、ブラウン他/中村融、山岸真編/河出文庫)
『20世紀SF(2)初めの終わり』
(ディック、ブラッドベリ他/中村融、山岸真編/河出文庫)

 今月はじつに次々と本を頂戴して、やたら恐縮してしまう。とはいえ、面白いか否かは、あたりまえのことながら、読んでみないとわからないのであしからず。
『ミトコンドリアと生きる』は科学啓発書(“啓蒙書”と呼ぶのはたしかによろしくなかろう)で、このたび創刊された角川書店の新書「角川oneテーマ21」の一冊である。なんでもこの新書、「ワンテーマ、ワンプライス」だそうで、本体の定価が571円に統一されている。祥伝社の“400円文庫”に倣えば、こちらは“600円新書”というわけか。
 往来で石を投げて当たった人に「瀬名秀明といえば?」と問えば「ミトコンドリア」と答えそうなほどに『パラサイト・イヴ』(角川ホラー文庫)の影響は大きかったと思うが、ご本人もあちこちでお書きのようにいろいろと科学畑からの批判もあったようである。「科学的にあり得ないことを書いて読者を惑わし、金儲けするのは科学者の道徳に反しているのではないか、との批判もずいぶん受けた。これらの意見を前に、私は科学を書くという行為そのものの難しさを感じ、いつかミトコンドリアの科学解説書を一冊出さなければならないと強く思った」(本書「あとがき」瀬名秀明)というのだから、瀬名さんはつくづく真面目な人である。じゃあ、科学者がファンタジーを書いたらどないするねんと、そういうわけのわからん批判をする科学者には突っ込んであげたいものだ。『あるミトコンドリア研究者は、「友達から『あなたはずいぶん恐ろしいものを研究しているのですね』といわれた。非常に不愉快だ」といった主旨のことをウェブで書いて憤慨していた』(本書「あとがき」瀬名秀明)そうなのだが、その研究者は誰に対して憤慨していたのであろうか? 瀬名秀明に対してであれば、奇妙な憤慨のしかたもあったものだ。ふつう、文部省に対して憤慨するだろう、そういう場合。事実上、高校が義務教育化している国で、平均的国民に対してその程度の科学的判断力しか期待できない状態になっているのであるなら、それはあきらかに文部省が悪い。世間の人々はミトコンドリアが人間を操ったり火を噴かせたりする小説を読んだらそれが事実だと信じるものだという思い込みがこの研究者にはあるのであろう。まあ、「月をなめるな」みたいな話もあるから、あながちその思い込みが完全にまちがっているとは言いにくいが、だとしたら日本人の“科学民度”とでも言うべきものをその程度に留めている文部省が悪いのである。ひいては、自分たちのやっていることを社会に対して解説しようとしない科学者たち自身も悪いということになり、件の研究者は結局天に唾しているだけではあるまいか。
 さて、この本、まだパラパラと眺めただけだが、細胞内共生説とその展開はもちろんのこと、バクテリアの鞭毛モータやら分子遺伝学やらアポトーシスやら生活習慣病やら、ミトコンドリアを中心にじつに多角的な話題に触れていて面白そうである。昨今のSFのネタを理解するにはほとんど基礎教養として求められる(わりには、詳しく知っている人は少ない)知識が図らずも(図ってか?)多々盛り込まれているようなので、SFファンにもためになりそうだ。勉強させていただくとしよう。
 『20世紀SF(1)星ねずみ』『20世紀SF(2)初めの終わり』は、今年の「SFセミナー」でお披露目があった二十世紀海外SF短篇傑作アンソロジーである。全巻順番に読んでゆくと自動的に今世紀SFが総括できてしまう(?)という好企画で、すれっからしファンにも初心者にもたっぷり楽しめるにちがいない。一昨年の「SFセミナー」野田昌宏大元帥「死ね」と言われた人は、さっそく『20世紀SF(1)星ねずみ』の「万華鏡」(レイ・ブラッドベリ)から読みはじめよう。しかし、収録作品を見ていると、ここいらへんの時代ではおれも何度も死ななくちゃならないなあ。

【12月14日(木)】
《ご恵贈御礼》まことにありがとうございます。

『銀河がこのようにあるために』
清水義範、早川書房)

 この作品については、〈SFマガジン〉に連載中〈SFオンライン〉「S-Fマガジンを読もう」で毎回コメントをしていたので、お読みになりたい方は「S-Fマガジンを読もう」の第34回から第43回までを順にご覧ください。
 「S-Fマガジンを読もう」(第43回)にも書いたけれども、この作品はバカ思弁SFの皮を被った現代日本へのメッセージである。はっきり言って、SF的アイディアのメインの部分はまったく面白くない。最後のほうで大技が炸裂するのかと思っていたら、途中でネタが割れたアイディアの延長線上で、あたりまえのまま終わってしまった。むしろ、近未来の社会制度などに関する背景部分の描写のほうがはるかにSFとしての読み応えがある。
 「私はまだ村上龍の『希望の国のエクソダス』(文藝春秋)を読んでいないのですが、これは早く読み比べてみなくてはと思ったことです」と「S-Fマガジンを読もう」(第43回)に書いたからには、その後読み比べた感想を書いておこう。両者とも現代の日本人に価値観の転換を迫る(あるいは、その可能性を考えさせる)メッセージに満ちているが、『銀河が……』があくまでSFの体裁を借りた寓話であるのに対して、『希望の国のエクソダス』(村上龍、文藝春秋)は“現実を幻視した”SFだ。早い話がサイバーパンクである。シミュレーション小説と紹介されているのを見たことがあるが、サイバーパンクがSFなんだったら『希望の国……』はSF以外のなにものでもないだろう。考えてみれば、村上龍はずいぶん早くから、スタンスはサイバーパンクだったのだ。彼の関心事の中でテクノロジーの比重が大きくなるにつれ、ウィリアム・ギブスンニール・スティーヴンスンに結果として当然似てくることになる。
 というわけで、あからさまな寓話に拒否反応を示す人(SFファンには多いし、おれにも相当その気がある)は、『銀河に……』はあまり高く評価しないと思う。この作品のメッセージには非常に共感するのだけどもね。『DOMESDAY ドームズデイ』(浦浜圭一郎、ハルキ・ノベルス)みたいに、いけしゃあしゃあと“過激に寓話している”となるとまた別の面白さが出てくるんだが……。もっとも、清水義範は、SF“を”書こうとしているのではなくSF“で”なにかを書こうとしているタイプの作家なので、彼の作風としては『銀河が……』の方向は正しいのである。おれがSFに期待するものとはちがうというだけの話だ。

【12月13日(水)】
▼背に天使のような翼を生やした若者が悪漢らしき男たちに追われて袋小路に追い詰められる。空を仰ぐ若者。しかし、彼はあっさりと降参してしまう……というドラマをテレビで見ている中年男が、いかにももどかしそうに言う――「な〜ぜ翼を使わないんだ〜??」
 一日に一度は目にするくらいに放映されているつばさ証券のテレビCMである。あのおやじのもどかしそうな言いかたが面白くて、最近、ことあるごとに真似してしまう。CMの思うつぼである。このCMがもっと早くにあれば、いろんなところで使っていたにちがいない。初めて『パラサイト・イヴ』瀬名秀明、角川ホラー文庫)を読んだとき――「な〜ぜ翼を使わないんだ〜??」(1999年9月7日の日記参照) 初めて「M.G.H. 楽園の鏡像」三雲岳斗、徳間書店)を読んだとき――「な〜ぜ翼を使わないんだ〜??」(2000年3月27日の日記参照) ほかにもいろいろ使えそうだ。
 いや、べつにこれらの作家を非難しているわけではないのである。SFファンという病気の人が勝手に期待を押しつけているだけであって、個々の作家にとっては迷惑なことにはちがいない。でも、やっぱり、これからも言う機会があればきっと言い続けそうである――「な〜ぜ翼を使わないんだ〜??」

【12月12日(火)】
《ご恵贈御礼》まことにありがとうございます。

『2001』
日本SF作家クラブ編/新井素子、荒巻義雄、神林長平、瀬名秀明、田中光二、谷甲州、野阿梓、藤崎慎吾、牧野修三雲岳斗、森岡浩之/早川書房)

 日本SF作家クラブという組織のメンバーでありながら、これらの作家が一冊に集うことはきわめて珍しいことに気づく。ありそうでなかったアンソロジーなのだ。こうして眺めると、日本SFのスペクトルはじつに幅広いものだなあと改めて思わされる。五百ページを超える大冊であり、二○○一年というSFにとって記念すべき年を迎えるにあたって、じつに読み応えのありそうな好企画と言えよう。年末年始に炬燵の中で読むのが吉でしょう。

【12月11日(月)】
▼最近、bk1で注文した本がビニールの手提げ袋に入った形で送られてくる。トレードマークの犬が描いてあって、これなら表で提げて歩いても恥ずかしくない(恥ずかしい人もいるでしょうけれども)。もちろん、bk1としては提げて歩いてほしいわけなのだろう。URLもでかでかと書いてあるし。急な荷物ができたときのために、鞄に入れて持ち歩くことにしよう。なんだかんだで六、七枚貯まったから、姪たちにも二枚ずつくれてやった。だけど、これってけっこう原価がかかってそうな袋で、こんなことしていて損しないのだろうか。文庫本一冊を送ってくるときでさえ、この袋にくるんであった。きっと期間限定のサービスなんだろうな。あるいは、得意客へのサービスか? 注文履歴を見てみると(ウェブ書店を利用したことがない方はご存じないかもしれないが、たいてい見られるものなのである)、現時点でbk1から六十二冊買っているな。平均して月に約十冊か。この程度では、まだ上得意とは言えないかもしれない。
 まあ、いずれにせよ、こういうところからも、日本のウェブ書店戦争がいよいよ激化してきたことが察せられる。よく、ウェブの販売ではライバル店が同じ画面の上にある(ユーザから見りゃそうだ)なんてことを言うが、ある程度高価格のものならあちこち見て比べるけれども、おれなんかはものぐさだから、低価格のものならユーザインタフェースのいい店を贔屓にする。でも、本は米のように日常的に買うものであるし(買わないという人もありましょうが)、塵も積れば山となるからやっぱり送料なども気になる。洋書なら本そのものの価格がいちばん気になる。洋書は激戦区である。amazon.com はなにしろ海外から送ってくるハンディキャップがあるから、やりようによっては日本のウェブ書店も十分闘える可能性があるからだ。skysoft三十五パーセント引きのキャンペーンをやるかと思ったら、amazon.co.jp は洋書が最高四十パーセントオフ(全部じゃないのだな)、年内送料無料なんてことを言っている。ユーザとしてはけっこうなことだが、なんともすさまじいありさまである。
 「外国語の本を買う人がそんなにいるんかいな?」なんてとんちんかんなことを言っている人がときどきいて愕然とする。日本語しか読めない人だって洋書を買うに決まっているではないか。美術書や絵本、写真集やそれに準ずるタレント本などには国境はない。むかしはおれも書店の洋書売り場で、「うわあ、こんな映画事典みたいなのがあるんやなあ。欲しいなあ。そやけど、むちゃくちゃ高いなあ。こんなん買う人は、大人の、よっぽど映画が好きな人なんやろうなあ」などと指をくわえて見ていたものだが、いまの子供や若者はちがうだろう。ウェブ書店なくしては、その存在すら知り得なかったであろう本どもが、書影入りで誘惑してくるのである。しかも、自分にも買えそうな値段で。お父ちゃんのクレジットカードを使わせてもらってでも買わいでか。ディカプリオのファンがブラピのファンが、言葉が読めないなどと気にしたりするものか。かつては洋書など買うはずがなかった人々も、ウェブの力は潜在的顧客にしてしまうのだ。Customers.com: How to Create A Profitable Business Strategy for the Internet & BeyondPatricia B. Seybold & Ronni Marshak, Times Books/『ネットビジネス戦略入門 すべてのビジネスは顧客志向型になる』パトリシア・シーボルト&ローニ・マルシャック、鈴木純一監訳、翔泳社)の請け売りになるけれども、ウェブ版の The Wall Street Journal が初年度に獲得した約十万人の有償購読者(ってのは妙な言葉だが、英語じゃタダでも subscribe できるしねえ)の六十五パーセントは、“紙版”の定期購読者ではなかったのである。たしかに、そういうものにちがいない。おれ自身、ウェブがなければ絶対に買っていなかったもの(やデータやサービス)をいくら買ったことか。
 ともあれ、二年後、いや、もしかしたら一年後にどこが消えているか、楽しみというと失礼だが、興味深いことではある。


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