間歇日記

世界Aの始末書


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2002年7月中旬

【7月20日(土)】
▼帰宅したら今日になっており、深夜に晩飯を食いながら、録画しておいた『erVI 緊急救命室』NHK)を観る。なにやら冒頭がいつもとちがう。おかしい。はあ? ルーシーが患者に刺されて死んじゃうという回を跳ばして放送するですと? なぜだなぜだなぜそんな重要なエピソードを跳ばす? 誰か出演者が大阪府警に逮捕されでもしたのか? なんだかさっぱりわからない。事情はあとでウェブででも確認するとして、とにかく録画を観た。カーターがやたら落ち込んでいるけれども、なぜそんなに落ち込んでいるのか実感が全然湧かない。人質救出作戦が失敗したのだろうか? なに、そんなに落ち込むことはない。そのうちノーベル平和賞がもらえるとおれの予知能力が告げている。
 それにしても、こりゃひどいなあ。ルーシーのファンは怒っているだろう。まあ、おれはウィーバー先生がいればいいけどさ。

【7月18日(木)】
▼新刊情報を見ていたら、『きみがアリスで、ぼくがピーター・パンだったころ』(風間賢二、ナナ・コーポレート・コミュニケーション)という書名が目に留まる。そこまで言われたら、「兄さんは朝焼けで、弟は胸やけだった。イェイ」と返さずにおらりょうか。基本ですな。というか、礼儀でしょう。

【7月16日(火)】
最も重い元素は捏造だったというのがあきらかになったそうな。原子番号118「ウンウンオクチウム」なんて知らなんだな。たしかに、いかにも重そうな名前ではある。元素を作り出すとはたいしたやつだ。錬金術師ではないか。

【7月15日(月)】
田中康夫知事が失職を選択した。それにしても、長野の県議会は気はたしかだろうか。言ってることがさっぱりわからない。というか、連中のちゃんとした意見というものを、少なくともおれは聞いたことがない。いつもブーブー知事に文句を言っているだけで、どういう理念があるのか、どういう思想があるのか、県会議員だってあれだけマスコミに出てるんだから、いくらでも表明する機会があるだろうに、とんとはっきりしないのである。まるで反射のように知事に逆らっているようにしか見えない。東浩紀的に動物化しているのではなかろうか?

【7月14日(日)】
▼近所のディスカウント量販電器店に、DVDプレーヤーを買いにゆく。もちろん、先日頂戴した『玩具修理者』を観るためである。ちょうどミニコンポのCDプレーヤーも長らく壊れたままなので、CDも聴ける(そもそも、CDが聴けないDVDプレーヤーなんてあるんだろうか?)一万七千円くらいのやつを適当に見繕ってとっとと買う。せっかくデッキを買ったのだから、ソフトが『玩具修理者』だけというのも寂しいので、安売りしていた『タイタニック』を買う。なんちゅうか、デッキのテスト用みたいなものである。まあ、全篇じっくり観るのは、よっぽど暇なとき(か、なぜか仕事上必要なとき)であろう。
 そういえば、昨日から島根県で第41回日本SF大会「ゆ〜こん」が開催されている。せっかくゲストに呼んでくださったのだが、またまた予定が見えないのと遠いのとで行かなかったのだった。運営の方々、ありがとうございます。でもって、すみません。
 えーと、なんの話だっけ? そうだ、『玩具修理者』だ。電器店が入っているモールのベンチで煙草を一服しながら、まだ島根にいるであろう小林泰三さんに、さっそく『玩具修理者』を観るためにDVDプレーヤーを買ったところであるとケータイでメールする。すぐ返事が返ってきた――『本編より長い特典映像も必見ですが、2回目に本編を見る時は音声を「田中麗奈のオーディオコメンタリー」にすると楽しいでしょう』 どうしても「田中麗奈」という文字列が打ちたいらしい。「特典映像も必見」というのは、たぶん自分と田中麗奈が並んで映っている箇所があるからであろう。
 電器店から帰って昼飯を食い、ひと汗かいてDVDプレーヤーをセットする。できるだけ操作を簡単にするため、映像信号をビデオデッキ経由でモニタに送ると、なにやら画像が明るくなったり暗くなったりして妙な具合になるではないか。あれあれ? マニュアルをよく読むと、モニタには直接繋げと書いてある。なーるほど、不法コピーができないようにするためか。しかし、DVDプレーヤーとモニタを直接繋ぐと、DVDを観るときには、やたらたくさんのリモコンを操作せねばならない。DVDプレーヤーからの音声はビデオデッキ経由でミニコンポに繋いであるから、DVD一枚観るのに、まずDVDデッキのリモコンで電源を入れ、ディスクをセットする。次にミニコンポの電源をリモコンで入れモニタ(テレビ)の電源を手動で入れてから(節電のためにふだんは完全に切ってあるのだ)リモコンで画像入力をDVDに切り替え、次にビデオデッキのリモコンで電源を入れて音声入力をDVDからのチャネルに切り替える。三つのリモコンを両手に持って、これだけのことをしないとDVD鑑賞環境がスタンバイできないのだ。なんとも面倒くさいが、まあ、慣れれば目をつぶっていてもできるようになるだろう。なんとなく、環境がややこしければややこしいほど燃えるという性癖がないでもない。
 ようやく準備が整い、真っ昼間から部屋を真っ暗にして、『玩具修理者』を観た。なかなか原作に忠実で、それでいて独自の世界を創っている。いい映画であった。いやあ、やっぱり美輪明宏のナレーションはいいねえ。思わず、何度か真似をしてしまったくらいである。それにしても、目くらいしか顔が出ない玩具修理者に姿月あさとをキャスティングするというのは、映画を観終わっても、やっぱり理由がよくわからない。玩具修理者のオリジナリティー溢れる所作は、元タカラジェンヌでもないとできないということなのだろうか。背も高くて(百七十二センチ)、もちろんスタイルは抜群だしなあ。前にも書いたが、吉永小百合がゴジラの着ぐるみに入って主演しているも同然の、考えようによってはめちゃくちゃに贅沢なキャスティングである。
 本編のあとは、原作者のすすめに従い、特典映像もちゃんと観る。田中麗奈という女優は、じっくり観るとなるほどただものではない。ところどころ原作者が出てきて自作について語っているが、他の出演者はやっぱり芸能の世界の人であり、もの書きとは華がちがう。舞台挨拶の映像は、そういう意味でむちゃくちゃ面白かった。美輪明宏のような怪人や田中麗奈のような個性的女優と並ぶと、小林泰三がいくら才人とはいえ、どう見ても、そこいらの学生がいきなり舞台に上がったようにしか見えないのであった。怪人・美輪明宏の存在感と、黙って立っていてもタイマンを張れるのは、関西作家・マンガカルテットでは牧野修さんくらいではなかろうか。
 なにはともあれ、小林泰三さんのおかげで、うちに文明の利器がひとつ増えた。DVDってのは、巻き戻さなくていいのがいいねえ(なにをいまさら)。どうでもいいけど、「DVD」って、顔文字に見えないすか?
▼NHKスペシャル『変革の世紀 第3回 “知”は誰のものか 〜揺れる知的所有権〜』を観ていたら、突然ハーラン・エリスンが出てきて、インターネット上の不法コピーに怒り狂っていた。新刊をまるごと一冊、海賊版データでばらまかれているらしい。「SF作家のハーラン・エリスンさんは……」などと淡々としたナレーションが流れていたが、NHKの人はあの人がどういう人か知っているのだろうか? 知っていたら、あのように怒っているときに撮影するはずがない。よく殴られなかったものだ。

【7月13日(土)】
『ウルトラマンネオス』(TBS系)は、なんと二回めの今日で終わり。来週からは『ウルトラマンコスモス』が再開されるそうな。なんだかなあ。「ネオスのほうがかっこいいや!」と二回でファンになった子供の立場はどうなるのだ?
《ご恵贈御礼》まことにありがとうございます。

『導きの星 II 争いの地平』
小川一水、ハルキ文庫 ヌーヴェルSFシリーズ)
『百物語 実録怪談集』
(平谷美樹、ハルキ・ホラー文庫)
『怖い本3』
(平山夢明、ハルキ・ホラー文庫)
「Treva」で撮影

 あー、なんてこった。面白そうだ面白そうだと思いつつ、半年も前に出た『導きの星 I 目覚めの大地』がまだ読めていないではないか。半年なんてあっという間に経ってしまうのだ。どうやら「II」では、「I」の惹句にあった「異星人(リスっぽい)」とやらは、宗教戦争を経て近代科学を手にするところまで行くらしい。早く読まねば、宇宙に飛び出してしまう。とかなんとか言いつつ、完結したところで一気に読みそうな気もしないではなく、きっと『群青神殿』(ソノラマ文庫)を先に読んでしまうにちがいないのだ。そんな気が激しくする。
 『百物語 実録怪談集』は、伝統的なタイトルどおり、平谷美樹の怖い話集。『怖い本3』も、じつにわかりやすいタイトルどおり、平山夢明の怖い話集――って、ミもフタもないな。いや、おれは怖い話は話としては嫌いではないのだが、霊現象系とかもののけ系とか、要するにスーパーナチュラル系の“怖い話”は、よ〜っぽどのものでないかぎり、ちっとも怖いと感じない“恐怖感に不自由な人”なのである。どちらも短い話を集めたものなので、少しずつ読んでみると、前者は「実録」とあるとおり、作者本人が体験したり聞いたりしたという体裁を取っている(実際、正真正銘の体験談なのかもしれないが、作家の作品としての語りをそのまま真に受けるほど、おれは純真な読者ではない)。後者は、一本一本が独立していて作者はあからさまに顔を出さないが、怪談によくある一般的“私”としての一人称は随所に使われている。怪談を勉強(?)する人には、この二冊の語りの微妙な差異は、よいテキストとなるかもしれない。もっとも、少し読んでみたかぎりでは、「お話として面白い」とは思っても、やっぱりちっとも怖くはないのだった。べつに本を貶しているのではないのである。おそらく、おれが読者として持っている障害のせいなのだ。「ぼっけえ、きょうてえ」(岩井志麻子『ぼっけえ、きょうてえ』角川書店所収)みたいなのは、タイトルどおり、ぼっけえ、きょうてえ(とても、怖い)と思えるのだけどなあ。おれの感性は、どこがどう壊れているのだろう? でも、怖い話と謳っている本を「ちっとも怖くない」と言うのは、申しわけないが、やっぱり貶してしまっていることになるんだろうなあ。いや、繰り返すが、誤解なさらぬよう。おれのほうが平均的読者に比して壊れているのである。恐怖感に不自由でない人が読めば、いずれもとても怖い本なのだと思う。
 おれはどちらかというとスーパーナチュナル系の怖い話は好きなのである。子供のころは、そんなのばかり喜んで読んでいたし、そんなテレビばっかり観ていた。好きなのだが、そういうのが怖いと思うことがほとんどない。なのに読んだり観たりするのである。性的不感症の女性が今度こそ今度こそと男をとっかえひっかえしているような感じとでも言えばおわかりいただけるだろうか(あまりにあんまりな喩えではあるが)。おれが顫えあがって忘れられない怪談の決定版といえば、吉行淳之介「追いかけるUNKO」(『怪談のすすめ』角川文庫などに所収)だなあ。あれは怖い。やっぱり、壊れてますか?

【7月12日(金)】
《ご恵贈御礼》まことにありがとうございます。

『シャドウ・オーキッド』
(柾悟郎、コアマガジン)
「Treva」で撮影

「一部アンダーグラウンド・シーンであまりに評判の高かった、柾悟郎の禁断の長編第2作完全版、世紀を越えてついに刊行!」――というのが、bk1での「作者コメント」である。「一部アンダーグラウンド・シーン」というのは、どういうシーンであるか? まあ、あとがきを読めばわかるのだが、この作品、雑誌連載時には「一部アンダーグラウンド・シーン」で話題になったものの、柾悟郎幻の作品として眠っていたらしい。いやあ、見るからに妖しい。なにかこう、本全体から背徳の香りがぷんぷんしてくる。またまた毎度のことながらおれの予知能力によると、この作品は〈週刊読書人〉(2002年8月9日号)で書評しそうな気がする。最近はおれの予知もすっかり研ぎ澄まされてきて、日付までわかるのだ。ご用とお急ぎでない方は、そちらを予知されたし。「エロティック・ハードコアSF」などと惹句が付いているが、「ハードコア」はどちらかというと「エロティック」のほうにかかるので、グレゴリイ・ベンフォードだとかロバート・L・フォワードだとかチャールズ・シェフィールドだとか、そういう作風のものだと期待してはいけない。それにしても、この作品といい、『オルガスマシン』(イアン・ワトスン、大島豊訳)といい、コアマガジンというところは、いわゆる“アダルト向け問題作”のSFを出す出版社として定評を確立しつつあるな。いや、大好きだけど。


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