間歇日記

世界Aの始末書


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2004年3月上旬

【3月7日(日)】
▼近所に買いものに出た帰りに、団地の公園脇にあるゴミ捨て場に立っている看板になにげなく目をやって、一瞬驚く――「人型ゴミ持込禁止」
 「人型ゴミ」とはそもそもなんであるか? 「持込禁止」とあるからには、いままでにそういうものを持ち込んだやつがいたのだ……。たちまちおれの脳裡に、牧野修の世界のような小林泰三の世界のような、世にも怪しい物語が展開しはじめた。もうオチはおわかりであろうからあえて書かないが、強いて言えばそれは、田中啓文の世界に最も近いものであったかもしれない。

【3月6日(土)】
《ご恵贈御礼》まことにありがとうございます。

『ΑΩ(アルファ・オメガ) 超空想科学怪奇譚』
小林泰三、角川ホラー文庫)
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 ハードカバーが出たときの冠は、「超・ハード・SF・ホラー」だったが、今回の文庫化にあたって、「超空想科学怪奇譚」という副題が付いた。
 いやしかし、この文庫化は凶悪だね。邪悪ともいう。もし、この角川ホラー文庫で初めて『ΑΩ』なる作品を知ったという人がいたとしたら、「ああ、ふつうのホラーなのだな」と思ってしまうことであろう。いや、たしかにホラーだよ、ホラーなんだが、“あのアレなネタ”を匂わせるものは、腰巻にもアオリにも解説(小谷真理)にもいっさい書いてない。もうこれは、意図的な悪戯(というか、マーケティング戦術というか)としか思えない。いひひひひ。ほんっとうにまったくなーんにもこの作品について知らない人が「ほう、ホラーか」と読んでいったら、びっくりしたり呆れかえったりマシンガンを乱射したりするかもしれないが、それはまあ、おれの知ったことではない。なにも事前に情報を得ずにこの作品を読む人が、じつに羨ましい。
 いや、一箇所だけ“あのアレなネタ”のヒントは、おおっぴらに書いてあるのだ。ほかならぬ新しい副題である。少なくともおれたちの世代は、「空想科学」なんたらという文字列を白黒で見せられると、♪パパパパーンと唄い出してしまうものなのである。

【3月3日(水)】
《ご恵贈御礼》まことにありがとうございます。

『プラネテス公式ガイドブック 2075年宇宙への挑戦』
(監修:幸村誠&モーニング編集部/編著:プラネテス探査チーム――笠井修・佐藤剛・坂本伸之・藤井勝一路・江頭豊広・池上隆之・東部戦線・樽高冬・梅崎正行・さまよえるライターやスペシャリストたち/講談社)
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 パソ通時代からの友人・真希さん(この日記にも何度かご登場いただいているが、乗った電車を人身事故で止める名人の真希さんである)が、むかしからのチャット仲間が参画している本だということで、わざわざ送ってくださった。おおお、たしかに、見慣れた名前やハンドルが……。@nifty(旧NIFTY-Serve)の「SFファンタジー・フォーラム」に入り浸っていた(入り浸っている)人なら、編著者の中にきっと知った名前があるはずだ。
 さて、この『プラネテス』(公式サイトはこちら)、優れた作品だと宇宙SF好きの人たちが騒いでいるのは知っているのだが、おれは不勉強にも、まだ原作を読んだこともなければ、アニメも観たことがないのである。そろそろまとめて読まんとなあと思っていたところだ。
 そういうわけで、おれはこのガイドブックで初めてプラネテスの世界に触れることとなった。うむ、面白い。むろんこれはガイドブックなんだから、これだけ読んでも枠組みしかわからないんだが、枠組みしかわからないからこそ、興味をかき立てられる。
 読みながらにやにやしてしまうのは、『プラネテス公式ガイドブック』を標榜し作品世界を解説しながら、そのじつ、『プラネテス』という作品をうまく利用して、単独で楽しめる宇宙開発ガイドブックを作ってしまっているところである。文句を言っているのではなくて、もちろん、それが楽しいのだ。実際、自分で調べるとなったら、いくらインターネットがあったってたいへんな手間であるにちがいない情報がコンパクトにまとめられていて、SF読みにはいい参考書になりそうだ。「人工衛星の進化と多様性」「宇宙開発失敗の歴史」といった、それぞれ見開き二ページずつに圧縮された年表は、こういう形で見せられるとたいへん勉強になる。
 ガイドブックってのは、ガイドする対象に寄りかかった意地汚い企画だと、しばしば薄っぺらで見苦しいものになりがちだ。その点、これはいいガイドブックだと思う。なにしろ、『プラネテス』そのものを読んだことも観たこともないやつに、「これはぜひ読んでみなくては……」と思わせるわけだから。

【3月1日(月)】
▼京都府丹波町の鳥インフルエンザで死んだ鶏の処理に、山田知事が自衛隊の出動を要請ってニュースをテレビで音だけ聞いて、思わず吹き出してしまう。なんかこう、「自衛隊の出動を要請」って語感がすごいのだな。たちまち、伊福部マーチ、メーザー砲発射……というお定まりの連想が喚起される。まあ、メーザー砲はオーバーにしても、なにしろ自衛隊は、ただやってくるのではない、“出動”するのだ、重火器で鶏を一気に殲滅するくらいの画は浮かんで当然であろう。実際には鶏はもう死んでいて、死骸をビニール袋に詰めるというひたすら地味な作業になるみたいだが……。
《ご恵贈御礼》まことにありがとうございます。

『耽美なわしら 完全版(上・下)』
森奈津子、フィールドワイ)
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 「抱腹絶倒! 異色ラブコメディ」と腰巻に書いてあるからいいようなものの、腰巻がなければ、いかにも正統派耽美小説風の、格調高い中にも淫靡なものが薫る装幀。あの『耽美なわしら』〈完全版〉となって帰ってきた。『耽美なわしらI 黒百合お姉様VS.白薔薇兄貴』(ASUKAノベルス)を読んだのは、このウェブサイトを立ち上げて一年ばかり経ったころのこと(1997年10月31日の日記参照)だった。SF短篇以外の森奈津子作品を読んだのは、そのときが初めてだった。すでに『耽美なわしら2 エビスに死す』も出ていたのだが(はて、よく見ると、なぜか「2」はローマ数字ではないな。たしか買ったときも不思議に思ったように記憶している)、その後ぱったり止まってしまった。発表誌が休刊になってノベルスの発刊も打ち止めになったらしい。そういうわけで、ASUKAノベルス版未収録の作品(第六話〜第九話)が残ったままになっていたということなのである。その不幸なコメディー『耽美なわしら』が、七年の時を経たいま、〈完全版〉となって甦ったのだった。
 当時も書いたが、登場人物のジェンダーが少々奇天烈な組み合わせだけれども、基本的にはオスカー・ワイルド『真面目が肝要』みたいなウェルメイドなコメディー(もちろんワイルドは、そのウェルメイド性を自分で茶化しているわけだが)である。ご存じのように、オスカー・ワイルドは男色の咎で投獄されたことがある。百年ほどすれば、東洋の島国の女性作家がゲイレズビアンバイセクシュアルノンセクシュアルが入り乱れるコメディーを書いても大手を振って歩ける世の中になっていることをワイルドが知ったら、「ああ、おれもそんなの書いてみたかった」と羨ましがったにちがいない。ワイルドが茶化しの対象としたのは、明示的には当時のウェルメイド演劇の予定調和的お気楽さであったが、ヘテロの人たちの恋愛に閉塞した表現者のおためごかしにも、内心では強烈な毒を込めていたのだろう。ちょっと歴史が歪んでいたら、『耽美なわしら』はオスカー・ワイルドが書いていたかもしれない。だからおれは、オスカー・ワイルドがいまの世に生きていたら、きっと森奈津子のよきライバルになっただろうと想像したりして楽しむのである。ワイルドに闘志を燃やす森奈津子は、たとえば「ドリアン・グレイの庄三と二人のをんな」なんてお得意のパロディータイトルのジェンダー・コメディーを書いて、それをまた茶化すのだ。そんなの読んでみたいと思いませんか?


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