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Axis Mundi(世界軸)

AxisMundi.jpg  古代の宇宙論では、地球は、その両端をしっかりと天の極にはめてある軸を中心に、ぐるぐる回っているものとされた。世界軸は地球の中心を貫いているために、それは、つねに、宇宙の男根、あるいは男性原理と連想された。各国とも、その軸の中心は、自分の領域の中央部にあるとした。
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中心〕 世界は、軸を中心にして回転するわけで、さまざまな領域や序列のついた諸状態を、その「中心」において結びつける。《大地》を《天》と結ぶこともある。まさしく地上世界の「中心」を、北極星により表される天の「中心」に結びつけるのだ。下降の方向では、この軸は天の活動に従う軸であり、上昇の方向では「中道」(tchong-tao)、あるいは「王道」(wang-tao)である。ときにはこの軸が地下・地・天の「3世界」、あるいは地・大気・天の〈トリプヴァナ〉を結ぶこともある。この序列はまた人間の序列と象徴的に対応する。ダンテの「軸に沿った」旅の諸段階が示すとおりであって、「中心」に着いた者、つまり楽園あるいは原初の状態にたどり着いた者が、まさしく軸に沿って上の諸段階へと上昇する。同じように老子の場合も、天と地を結ぶ「柱の下で」、四方位から出た伝統的教訓の擁護者として「古文書学者」の任務を果たしたとされる。

マスト〕 世界軸は空間においては両極を貫く軸であり、時間においては夏至と冬至を結ぶ軸である。世界軸を表すものは無数にあるが、最も多いのが木とである。同様に、棒、槍、リンガ、二輪戦車のマストすなわち車軸(両輪を天と地になぞらえ、縦にして考える)、光または煙の柱でも表される。それはまたグノーモン(古代の日時計)であって、夏至の日にはそのがゼロになる。戦車のマストはグノーモンと、また戦車の乗り手はマストと同一視される。それが〈王〉wangだからである。王という文字は、天と人と土が中央の軸によって結ばれるのだ。戦車のマストは「宇宙の出口」を示すために天蓋を突き抜ける。同様に船のマストも牆楼を貫通する。宝棒(祭りなどで賞品を高く吊るした滑りやすい棒)は、頂上に取りつけられた輪を突き抜ける。これは、古代中国や、時代を下って極東のいくつかの儀式にも同様のものがある。煙の柱は、あばら屋の屋根を貫いて天に昇る。さらに船のマストについては、べトナムでは、小舟の「中央」でマストを受け入れる穴のことを、「心臓の抜け穴」と呼ぶ。同様にマストが卒塔婆やパゴダから突き出る。どちらも天の水準を示す輪や天蓋を持つ。パゴダの場合、まさしく地面から突き出したマストであって、パゴダはそれを軸として造られ、ブッダはこのマストと同一視される。王が戦車のマストと同一視されるようなものである。

ヒンズー教〕 〈ヴェーダ〉の宇宙的な柱〈スカムバ〉は、アンコールのような寺院では、中央の聖域の下に掘られた深い井戸とか、〈リンガ〉とか、リンガに収められた聖像によって表される。さらにまた天高くそびえるマストによっても表される(インドラ神の〈ヴァジュラ〉金剛杵とか、シヴァ神の〈トリシューラ〉三叉槍)。インドの寺院では、〈アマラカ〉をマストが貫く。これは「太陽の門」を表す。カンボジアではハスの花を表す。しかし〈スカムバ〉は、柱や火の〈リンガ〉の形をとったインドラ神自身やシヴァ神とも同一視される。〈ヴァジュラ〉は軸の象徴である。というのは雷が天の活動の現れだからだ。ヒンズー教の〈インドラドゥヴァジャ〉の祭りではマストが立てられ、ここでもインドラ神と同一視される。

光の柱〕 プラトーンも世界軸が光り輝き、ダイヤモンド製とみなす(〈ヴァジュラ〉はダイヤなのだ)。アレクサンドリアのクレメンスが述べる。「この炎は柱の形をしながらイバラを横切って燃え、聖なる光の象徴である。地から空間を越え、天に昇る。(十字架の)木を越え、この木を通じてわれらは聖なる光を心で見ることが可能になったのだ」(『ストロマティス(雑録)』1)。媒介する十字架を軸と同一視する現象は広く認められ、容易に説明できる。たとえばシャルトル会修道士のモットー「地球が回転しても十字架はじっと立つ」Stat lux dum volvitur orbisの意味がそうで、十字架は周囲のすべてが変化し死んでも、安定し不動の軸なのである。クレメンスはさらに光の柱は神の非聖画像的な象徴と断言する。アポッローンを表し、「精神の太陽」の光線である。マニ教やイスラムの秘教は、「光の柱」がを《原理》に連れ戻すと説く。

普遍性〕 〈世界軸〉Axis mundi、「宇宙の柱」の概念は、アメリカからアフリカ、シベリア、オーストラリアにいたるまで見出される。日本にもあり、イザナギとイザナミは合体する前に、その周囲をお互い逆まわりに回転する。均衡する2つの補完的な力が軸に巻きつく象徴となる。ヘルメースの2匹のヘビをかたどった杖、ブラフマーの杖にある二重の巻きつき、タントラ教におけるスシュムナー(脊柱)のまわりの2本のナーディ(導管)。最後の例はタントラ教が軸を脊柱と同一視することを想起させる。そのせいでブッダは頭を回転させられなかった。軸が厳重に固定されていたのである。

カバラ〕 さらに同じ観点から、〈カバラ〉における「セフィロトの樹の両側の柱」、つまり「慈悲」の柱と「峻厳」の柱に挟まれた「中央の柱」を想起することもできる。同じく「ヘーラクレースの柱」をも思い出させる。ゲノンが示したように、ヘーラクレースは「太陽」の性質を帯びており、彼の柱は至点の象徴であった。別の見方をすれば、柱は建築上の機能から支えと同義語であり、「教会の柱」とか「神殿の柱」がときに「倒立」した姿で提示され、軸と同じように媒介の役割を果たす(BURA、BHAB、CADV、CORT、ELIC、ELIY、ELIM、GRAP、GRIR、GUED、GUEM、GUEC、GUET、GUES、HUAV、JACT、KALL、KRAT、SAIR、SCHI、SECA)。

ケルト〕 ケルト人は世界軸を柱、〈太陽の柱〉solis columnaと想像することがときにあった。天を支えるこの柱は、〈生命の樹〉や聖域〈ネメトン〉の構想と関連させるべきである。中世の12世紀か13世紀のウェールズの文書では、4人の福音史家を世界を支える4本の柱とみなす。《新しい契約》の軸なのである(OGAC, 4, 167;ZWIC, 1, 184)。
 (『世界シンボル大事典』)


[画像出典]
The Astral Transition