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ハス(蓮華)(Lotus)〔Gr.lwtovV

 アジアにおけるヨーニ(女陰)の主要なシンボルであり、しばしば擬人化されて女神パドマPadma(「ハス」)と呼ばれたが、クンティ、ラクシュミー〔日本に伝わって「吉祥天女」である〕、あるいはシャクティの名でも知られていた。タントラTantrism の中心的マントラ「オーム・マニ・パドメー・フーン」は、「ハス(女性)の中の宝石(男性)」の意で、そこには次のような重なり合った意味が込められていた。すなわち、女陰の中の男根、子宮の中の胎児、大地の中の屍などであり、以上の意味を一括して表しているのが「女神の中の男神」だった[1]

 父神ブラフマーは自分が万物の創造主あると主張したが、しかし、彼は原初の女神の女陰から生じたのであり、「ハスから生まれた者」と呼ばれていた。lotus.jpgエジプトの父神ラーも自分が創造主であると言ったが、彼自身は女神によって生み出されたのであり、この女神は「大いなる世界ハスであって、天地創造の際には、まず、太陽がそのハスから昇った」と言われていた[2]

 エジプトの女神は、ほぼ全員がハスをシンボルにしていた[3]。ファラオたちは、死後の再生を成就するため、「世界ハス」と性的な交渉を持った。ウナス王の葬礼賛歌では、王は「女神ムートと交わった。ウナスはアセト〔イーシス〕の炎を戴いた。ウナスはハスと1つになった」と言われていた[4]

 ハスと一体になる方法の1つに、儀式としてのクンニリングス(女性性器接吻)を行う風習があった。クンニリングスの儀式は、女性的な生命原理と交わりを結ぶものとして、東方で広く行なわれていた[5]。オデュッセウスとその乗組員たちが訪れたという「逸楽の国」Land of Lotus-Eaters〔「"Lotophagoi"人たちの島」Od. IX. 84; Hdt. IV. 177〕の真の意味も、たぶんこの辺にあったと思われる。官能的な「逸楽の国」は、南の海の彼方の熱帯にあると述べられていたが、それならば、エジプトからインドにかけてのどの地域も、「逸楽の国」と呼べたのだった[6]

 禁欲的なジャイナ教は、官能的な意味が込められているという理由で、ハスのシンボルを絶滅しようとした。しかし、ブッダの時代が過ぎて数世紀が経過すると、仏教関係の記念碑の中で最も顕著な像は、やはりパドマということになり、パドマの像はその女陰のハスを遠慮なく見せていた[7]。同様に、禁欲的なキリスト教においても、官能的なイメージが復活し、「淫らな」像が大聖堂や教会に急増した。たとえば、アイルランドのシーラ・ナ・ギグsheila-na-gigがそれである。

 ほとんどの東方の秘教では、精神的な知識もまずは官能的な知識に始まると信じられていた。ハスは女神の門であり、性はその門を通って女神の内なる神秘に到達する「道」だった。真の意味での賢者は正しい性行為によって、最後には啓示の花を咲かせることができるというのだった。この啓示の花は、骨盤に発して脊椎のチャクラを上昇し、頭頂から流出しているに見えない光のハスで、千枚の花弁を持つと記述されていた[註]。

 ヴィシュヌの崇拝者たちは、ヴィシュヌを「世界ハス」の根源として描くことがあった。「世界ハス」は、ヴィシュヌのへそから発している長い茎の先に咲いていた。しかし、「インドでは、ハスはまず何よりも女神パドマ(『ハス』)を指すことになっていたのであり、したがって、女神の肉体そのものが宇宙に相当し、へそから出てハスの花に至る長い花柄は、正しくはへその緒を示唆していると解すべきである。へその緒には、女神から男神へ、母から子へとエネルギーが流れているのであり、この流れはその逆ではない」のだった[8]。ヒンズー教の宇宙生成論者の中には、世界全体をハスの花に見立てた者がいた。その場合、ハスの7枚の花弁は天体の7層を表し、それぞれの層には、神の都市と宮殿があった[9]

 ハスは、中東においては、リルliluすなわちユリlilyだと言われていた[10]ユリは、 シュメール・バビロニアの大地母神で、ユダヤ人からアダムの最初の妻と言われたリリトLilithの花だった。「3弁のユリ」fleuer-de-lisは、シロツメクサと同様に、かつては三相一体の女神の3つの女陰を表していた。それゆえユリは、三相一体の「天界の女王」の聖なる花だった。聖母ユーノーユリによって救世主-息子マルスをみごもったのであり、聖母マリアの受胎の護符にもユリが採用されていた[11]。聖母にまつわる伝説が発展していくにつれてアセト〔イーシス〕もその中に同化されていったが、その時期のエジプトにおけるアセト〔イーシス〕の像は、「アセト〔イーシス〕の銘板」に描かれている女神の姿に見られるように、一方の手に男根を表す十字架を持ち、もう一方の手には、女陰を表すハスの果皮を持っていた[12]


 画像は、『死者の書』第81章A。
 原初の水ヌウン〔ヌン〕から出現した大きなロータス、それはすなわちネフェル=テム〔ネフェルトゥム〕で、生まれたばかりの太陽と同一視される。

[1]Rawson, E.A., 151.
[2]Budge, G.E. , 473.
[3]Angus, 139.
[4]Budge, G.E. 2, 32.
[5]Rawson, E.A., 103.
[6]Thomson, 176.
[7]Campbell, Or.M., 301.
[8]Campbell, Or.M., 157.
[9]Lethaby, 124-25.
[10]Summers, V., 11.
[11]Simons, 103.
[12]Knight, D.W.P., 50.

Barbara G. Walker : The Woman's Encyclopedia of Myths and Secrets (Harper & Row, 1983)


[註]
 例えばクシダリニ・ヨーガでは、身体の主な血管はススンナ、すなわち脊柱に沿って走るものとなっている。それに付随するのは、チャクラと呼ばれる六つの輪である。これらが生命力と精神的エネルギーの中枢を成す。血管の頂点にあたる頭蓋骨の下は、サハスラーラといい、蓮で象徴化された(転じて女性のヴァギナのシンボル)強力な精神的中枢である。最下層のチャクラはクンダリニと呼ばれ、通常は静止している蛇カである。ヨーガの修業では、クンダリニが、あらゆるチャクラを通り抜けで、サハスラーラ(蓮の中枢)に結合する血管ススンナを通って上昇するよう喚起されるのである。明らかに、インフォーマントの精神にはこうした考え方がいくぶんなりと存在している。たとえばマンチは、自分のもつれ髪を、自己のチャクラを回すのを助ける生命の息吹とみなしている。さらには、蛇(コプラ)として頭に現れたナンダーワティのもつれ髪の房の例もある。筆者のインフォーマントたちの場合には、生命力はアールーダ(憑依・トランス)によって解放され、そこでは神の磁気が祭司の身体に注ぎ込まれ、充満する。(ガナナート・オベーセーカラ『メドゥーサの髪:エクスタシーと文化の創造』p.65)