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(Mountain)

 いかなる他の自然界の物象にもまして、山は最もしばしば「太母」を表した。すべての国で、山は、神々の住む楽園であるとともに、大地の乳房、腹、恥丘mons venerisとみなされた。

 チョモ−ランマ(「宇宙の太母」)は、西欧では象徴的に男性の名「エベレスト山」としてとして知られる世界第1の高峰である。近くにはアンナプルナ(「滋養溢れる大きな乳房」)が聳え立つ[1]。また、川の女神ガンガ(ガンジス)の母であるナンダ・デヴィ(「神聖なる女神」)もある。これらの山々は、ヒマラヤ(「天界の山々」)と呼ばれる原初の母神たちの一部であり、ヒマラヤはドイツ語のHimmel (天国)の語源となった[2]

 北欧の人々は神々の住む所をヒミンビョルグ(天界の山)と呼んだ[3]。神々は太母の「膝」の上に住んでいた。「神々の住む所は山上にある」というこの概念は、オリュムポス山にパンテオンを定めたギリシア人のような、他の印欧諸民族とも共通のものであり、「目を挙げて丘を見ぬ。丘より我が救い来りぬ」という賛美歌の作者の心底にあるのも、きっとこの概念であろう[4]

 雪に蔽われた乳房の形をした山々は、恵み深い女神のもたらす「救い」(食物)の恨源と考えられ、女神の乳とは、本当は水、すなわち氷河が融けて豊かになった流れのことであった。流れの水はしばしば、途中の岩から落ちる土砂で白色となった。山の母御は、生命を与える水の根源であり、また「天界の女王」であった。

 ヒンズーの三相一体の女神パ一ルヴァティ-カーリー-ウマの最も古い添え名の1つは「天界(ヒマラヤ)の娘」であった[5]。ギリシア人によれば、女神は、昔は、ギリシアの神々の住むオリュムポスの山だけではなく、すべての山々を支配していて、ここから彼女の添え名パノルマ「宇宙の山の母」が生じた、という[6]

 古代の女神の1人であるニオベー(「雪のような者」)は、シピュロス山と同一視されるが、この山には、今もなお水の流れるごつごつした岩肌に、ヒッタイト族の母神の像が刻まれている[7]

 アイルランドのケリー県には、乳房状の形の山が隆起しており、山頂が2つあって「アヌの乳首」と呼ばれている。アヌは、祖先である女神アヌ、あるいはダヌーのことで、トゥアーザ・デ・ダナーン(アイルランドの黄金時代を治めた神々)の母神であった[8]

 サモエード族のシャーマンは、魔法の山に登り、そこで「川の女神」に会うという幻覚を経験したものでなければならないと信じられていた。彼女は裸身の女神で、シャーマンを受け入れ、乳房より乳を飲むことを許して、こう言う。「あなたは我が子、それでわたしの乳房を吸わせるのです」[9]

 シュメール-バビロニアの書物は、太陽神が毎日生まれ、夜ごとに呑み込まれる「母なる山」について語っている。これはマシュー(「2つの頂点」)山であり、天界の壁のように高く、大洋の岸辺にある楽園の西の園に位置していた[10]。この2つの頂点は天界を養う乳房で、山にはもう1組の「乳首」があり、冥界を養うために地下にさし伸べられていた。これはまさに、生と死の2面をもつ女神のようなものであった。死の国へ行くには、「二輪馬車の道」あるいは「帰らじの道」を通って、母なる山の体内に入ればよかった[11]

 シュメール人のマシューと、ペルーのインカ族のマチュ・ピチュには、奇妙な類似性があった。マチュ・ピチュは、やはり山頂を2つ持つ聖なる山で、巫女が仕え、太陽がこの山から出て、この山に没した。遠く離れたシュメールの山とインカのマチュ・ピチュ山の女神の名は共通で、ママであった[12]

 ヒンズーのパンテオンは、メル山あるいはスメール山(須弥山、「善い山」の意)に置かれており、北部に位置し、インドとシュメールの古い時代の結びつきを示している[13]。中国人は「楽園の山」を、西方の、シュメールとほぼ同様の地域に置いた。この山は、同じく4つの川を生み出し、古代の「妖精の国」を取り巻いていた「血の川」のような「赤い水」によって取り囲まれていた[14]point.gifMenstrual Blood.

 イラン人は「高雅な山の太母」が大地の中心に聳え立っていると言っている。その山はハイ・ハライティと呼ばれた。山頂には「川のへそ」があって、「すべての川の源はそこから溢れ出し、壮大にして恵み深い女神によって守られていた」。

 ヴェーダは「死の王」であるヤマが、いと高き天界にある空の大洋の中心、「物体が初めに形をなす」ところである「水のへそ」の上に座っている、と言っている[15]。日本人は、この「ヤマ」と、日本人の祖先である山の母神、フジと結びつけ、この魔法の山は「フジヤマ」と呼ばれるようになった[16]

 ドラヴィダ族†における「山の母神」のきわめて古い型は、ハリティであった。彼女は一度に、 500人の超自然的存在に乳を与えた[17]。彼女が膝の上に神々を抱く姿は、「大地」であるとともに「楽園」である母親の膝に抱かれて王位についた嬰児という、人々の心の中に遍在する原型的なイメージを想起させる。

ドラヴィダ族
 インド南部と中央部で話されているドラヴィダ語族の文化に関連を持つ人々で、現在は高度に文明化された人々から、文字を持たない森林地帯の未開人まで含まれる。ドラヴィダ語族の諸言語は、アーリア人が築いたインダス川流減文明より以前の、インド最古の文明に起源を持つ。

 神話には神と、神を支えている女性の間柄に、子供と親の関係を暗示させるものが多い。アセト〔イーシス〕Isisのエンブレムの1つに「玉座の土台」mu'atがあるが、これは、アセト〔イーシス〕の膝はファラオと、その聖なる分身が、天界と同様、地上においても座る膝であることを意味した。

 ペルシアの太陽神アフラマズダはハラー山(ハリティの派生語)の山頂にある輝く宮殿に住んでいた[18]。へブライ語では、haraは「山」と「妊娠した腹部」の両方の意味があった[19]。ラテン語では、 haraはharuspiceと呼ばれる公の占い師のことであった。彼らは生贄の動物の内臓を見て占う者、つまり「腸卜者」であった[20]

 「楽園の山」を女神の腹部あるいは陰門とする考え方は、「楽園の4つの」である、生命を与える血の川がこの山から流出するという、広く流布された信仰を導き出した。この4つの川はアジアの伝承に共通し、聖書に地理を全く無視して書かれた実在の川と同ーのものである(『創世記』 2 : 10-14)。その中の1つがジホンで、「エチオピア全土」に流れるナイル川のへブライ名であった。この名はグへナ、あるいはゲー-エナ、すなわちゲー(ガイア、「母なる大地」)の川の訛ったものである。また、ナイル川は、エチオピアのかなたの「の山」(ルウェンゾリ)から流れ出るとも考えられていた。

 これは神話世界に普遍的な、女性を象徴するイメージの1つであった。すなわちの山で、楽園の庭にあり、大きな洞穴や迷路を持ち、生命の川を生み出すというイメージである。その生殖機能としての意味も見過ごすことはできない。アラブ人はこの山を、ジエベル・カ・マル(「母なる山」)と呼んだ。中世西欧の騎士物語の中でもの山は知恵の源となっていて、マーリンはの山のアンブロシア(神々の飲み物)を飲んで魔術を会得した。カール大帝の塗油を施された騎士たちは、同じく知恵の源を求めて、ナイル源流にあるの山の大きな洞穴まで旅をした[21]

 エジプト人はのちに、ナイルの神秘的根源を、遠いの山からより手近にある、エレファンティーネ(現在のジャジラット・アスワン)の第1の大滝に移した。この地が大地の女陰とみなされ、神は女神とここで交わり、年ごとのナイルの氾濫を生み出した。山の生殖に関する隠喩は、山と女性生殖器をともに意味するmonsという語にも示されている[22]

 ピラミッドとジッグラト(古代バビロニアおよびアッシリアのピラミッド型寺院)は、平らな土地に、神の玉座として作られた人工的な山で、神が女神と聖なる結婚をするための「高い場所」であり、神が再生する大地子宮、そして神殿であった。ケルトのチュムラスtumulus(玄武岩のような流動性に富む溶岩流の表面にできたドーム状の降起)のように、仏教徒が骨を埋める冢や仏舎利塔もまた聖なる山を模したもので、しばしば母神の腹部にたとえられた[23]。より大きな規模の同様の境基がミケーネのトロスtholos (丸天井式地下納骨堂)であって、大量の土で蔽われて、人工的な丘となっている[24]

 東洋のラマは可能な限り、つねに金箔を施したドームやピラミッドに埋葬された。不滅の金は、神格化と不死を意味する金属であり、肉体をも不滅にするからであった[25]。金が豊富でない西欧では、魔法の山は、天界の7層の透明球体を模して、ガラスか水晶で作られているとされた。ケル卜の来世では、ガラスの城が中心にあったが、これはおそらく「天界の青」を意味する古語のglasを誤解したところから来ているのであろう[26]。しかしときには水晶の山は文字通り受げ取られた。ニュー・グレンジにあるケルト族の埋葬塚では、冥界(大地子宮)の表面がかつては石英の断片で蔽われていて、太陽の光を受けると、水晶の山のようにきらめいた[27]。スラヴ人は天界の透明の山を信じていて、死者を埋葬するとき、クマの爪を入れて、死者が滑りやすいガラスの山をよじ登るのを助けた[28]

 「無上の幸福」 in seventh heavenという表現は7階建のバビロンのジッグラトに示されるように、天界の7つの領域は7層の山のように配置されているという古代の信仰に由来するものであった[29]。地下には7つの同心円をなす「地獄」あるいは「穴」があって、天界の領域が、「よみの国」に反映されていた。つまり「よみの国」とは、冥界の女王によって支配されている「深淵」に映った鏡の像であった。冥界の女王は多くの名、つまりアラトゥ、エレッシュキガル、ペルセポネー、へル、ヘカテー、ネフティス、あるいは初期のプルートーン(女性であったとされる)、を持っていたが、つねに天界の女神の、闇を司る分身であった[30]

 バビロニアの冥界は、「ダンテの地獄のように、 7つの惑星球をモデルとして、 7つの地帯に分かれており……それぞれ門番に守られている7つの門が許可を与えた。……この冥界の同心円の観念はまた、エジプト神話の死者の儀式の中にも見出される」。聖書のヨセフのように、アッシリアの聖職者は、死と再生の通過儀礼の1つとして「穴」の中に入った。「黒い太陽」の国(冥界)にある天の山の麓には「豊富な水の流れがそこで合流する大地の基底」があった[31]

 いずれの国においても通過儀礼として、冥界と天球を巡る旅があり、その象徴として登山が課せられた。北欧の父神オーディン自身も、死の「7つの冥界の領域」を巡ることによって、はじめて知恵を得た[32]。アプレイウスは、「アセト〔イーシス〕の秘儀」への通過儀礼として行った死の国への旅を記している。そこで彼は「黒い太陽」を見、天界と冥界の神々を「面と向かつて」見た。それから彼は天界に昇り、太陽神の衣装をつけて集会に現れた。ミトラ教の秘儀入信者は、同様に、ワタリガラス、花婿、戦士、ライオン、ペルシア人、太陽-走者、パテル(高位の聖職者)の位階をかちとりながら、7つの領域を通って天界に昇って行った[33]

 アラブ人は、宇宙を、上昇する7層と地下に下降する7層から成る魔法の山であると考えたカルデア人の基本的な宇宙観を後世に伝えたが、この宇宙観は、ヒンズーの擬人化された宇宙「プルシャ」のイメージにもとづくものであった。「アラビア人の一般的な考え方として、つぎつぎに上に重なり合う7つの天界と、下へと重なり合う7つの地界があった。……これはコーランの中に説明されており、コーランには、神が多くの大地、すなわち大地の多くの層を作るとともに、 7つの天界を作ったと記されている」[34]

 中世のキリスト教徒は同じ観念を受け継いで、古代カルデアの宇宙観をモデルにして彼らの宇宙を考えた。教会は公式には天国を、空気、エーテル、オリュムポス、火の天国、星の天国、透明球体、最高天とした。第7の天国には、「キリストが住み、ここはキリスト、天使、聖人だけが住む特別の場所であった」[35]

 こうして魔法の山はキリスト教に取り入れられたが、同時に教会は、「魔術」によって女神崇拝が行われていたすべての魔法の山を激しく非難した。オーヴェルニュのピュイ・ド・ドームは魔女の山として有名であった。ハルツ山脈のブロッケン山、またはブロックスベルクもまた同様であった。ピュイ・ド・ドームには「妖精」あるいは「運命を司る者たち」fattuaeや、「女予言者」fatidicaeと呼ばれる女性たちが奉仕する神殿があった。少女たちは、bonnes filles(修道女)という名のもとに定期的にこの団体に加わった[36]

 1751年に作られたブロッケン山の地図には、山頂は魔女の土地で、ここでは、魔法の泉の近くの「以前、ある異教の偽りの神に捧げていられた」祭壇の前で、魔女の集会が行われていたという注釈がついている[37]。教皇ピウス二世がモン・ヴェネリスと呼んだのは、この山であったのかもしれない。モン・ヴェネリスでは魔女やデーモンに会い、「話しかけて魔術を習うことができた」[38]

 タンホイザーがモン・ヴェネリス、すなわちウェヌス〔ヴィーナス〕の山(ウェーヌスベルク)に滞在したという物語は、妖精信仰の名残りであって、教皇に挑むほどの強いカを持ち、「シビラ女王」の名のもとに、女神に奉仕していた女大祭司の存在を暗示している。女神は、「ギリシア人がギリシアに侵入する以前から存在するヨーロッパ西部の巨石神殿にずっと住んでいた。女神の儀式は公式には禁じられていたが、女神崇拝は、全ヨーロッパを通じて魔法の山で行われていた。彼女はギリシアのウェヌス〔ヴィーナス〕と混同されるようになり、女神の住む魔法の山はドイツではウェーヌスベルクと呼ばれた。タンホイザー神話の異本はこの山を拠所として作られたものと恩われる。女神崇拝は、いくつかの実在の山で行われていた。イタリアとスコットランドの山頂や、ホルセルペルク、ワルドシー、フライブルク、ウォルケンシュテイン、がその山々である。……すべてのタンホイザー神話において、シビラ女王は女神ウェヌス〔ヴィーナス〕である」[39]

 シビラはキュベレーのラテン語化したものであった。キュベレーは神々の太母神で、キュベレー崇拝は、彼女が生まれたアナトリアの荒れた山頂で、 20世紀にいたるまで、ひそかに続けられていた。女神の儀式は「アナトリアの宗教の原初の慣習を保持していて、それらのいくつかはキリスト教とイスラム教にも屈せず、今日にいたるまで生き延びた。現在のキジル・パシュの農民のように、小アジアの半島の古代の住民は、斧を入れたことのない樹木に蔽われた山頂に集まり、彼らの祝祭日を祝った」[40]

 中世時代を通じ、多くの物語が示すように、女神は自分の魔法の山の内部に男性を誘い込むことができると信じられていた。タンホイザーだけがウェヌス〔ヴィーナス〕お気に入りの英雄ではなかった。デンマークのバラッド「妖精の丘」 The Ellen Hillは、小妖精の乙女の踊りに魅せられて、彼女の丘の内部に誘い込まれた若者を歌っている[41]。山の女神がやはり三相一体だったことを暗示する話さえあった。 1398年のチューリンゲン年代記によると、山の女神は白昼3つの大きな焔となって空中に現れ、「すぐに大きな1つの火の玉となるや、再び分かれて、最後にはホルセルベルク山へ沈んで行った」と記されている[42]

 母なる山々は、異教の神々をかくまい続けた。神々は死んだのではなく、冥界(大地子宮)で眠り続け、化身となって世に現れる前のヒンズーの神々のように、再生を待っているのだと考えられた。マーリン、ウィリアム・テル、バルバロッサ(フリードリッヒ1世、赤ひげ王)、フリードリッヒ大王などが、魔法の山の中で眠りについた。多くの者が、「帝王と帝国の伝説に生き続けるヴォータン(北欧神話のオーディンに相当するゲルマン神話の神)に吸収同化された。この世に再び現れることを待っている者こそヴォータンであって……通常の意識の働きによっては気づかれることのない闇黒の異教の神のイメージである[43]


[1]Neumann, G. M., 152.
[2]Lethaby, 125.
[3]Eliade, M. E. R., 12.
[4]Branston, 85.
[5]Ross, 62.
[6]Massa, 48.
[7]Graves, G. M. 1, 260.
[8]Graves, W. G., 409.
[9]Eliade, S., 39.
[10]Hooke, M.E. M., 47.
[11]Epic of Gilgamesh, 27, 37, 98.
[12]Larousse, 443.
[13]O'Flaherty, 206.
[14]Hallet, 245.
[15]Lethaby, 74-75.
[16]Campbel, P. M., 336.
[17]Larousse., 359.
[18]Stone, 77.
[19]Fodor, 290.
[20]Rose, 237.
[21]Hallet, 115, 401.
[22]Dumézil, 64.
[23]Campbel, Or. M., 40.
[24]de Camp, A. E., 81.
[25]Waddell, 243, 271.
[26]Joyce 2, 360.
[27]Campbel, P. M., 430.
[28]Baring-Gould, C. M. M. A., 539.
[29]Budge, G. E. 1, 275.
[30]Campbel, Or. M., 106.
[31]Lethaby, 129, 162, 172.
[32]Baring-Gould, C. M. M. A., 247.
[33]Fodor, 283, 288.
[34]Lethaby, 24.
[35]de Voragine, 291.
[36]Pepper & Wilcock, 166.
[37]de Givry, 74.
[38]Wedeck, 160.
[39]Goodrich, 155-57.
[40]Cumont, A. R. G. R., 47.
[41]Steenstrup, 62.
[42]Baring-Gould, C. M. M. A., 211.
[43]Jung & von Franz, 197.

Barbara G. Walker : The Woman's Encyclopedia of Myths and Secrets (Harper & Row, 1983)



olympos.jpg洞窟が地上世界と地下世界との接点だとすれば、地上世界と天上世界との接点は山である。しかし、「成り成りて成り余れるところ」=山は、「成り成りて成り足らざるところ」=洞窟とぴったり嵌りあうことによって、一体となる。point.gifCave.

一般〕 山の象徴的意味は、多様である。山は、高さと中心に由来する。山が、高く、垂直で、気高く、空に近づくものとして、超越性の象徴的意味が特徴である。山が、大気のヒエロファニー(聖なる顕現)と多くの示現との中心として、顕現の象徴的意味の特徴がある。山は、〈天と地とが出会う場〉であり、神々が住む場所、人間が上昇する限界である。高みから見れば、山は、垂直線の頂点のように見える。山は、世界の中心である。低いところ、地平線から見れば、山は、垂直線、世界軸のように見えるが、しかし、また、梯子、よじ登る斜面にも見える。

聖なる山〕 あらゆる国々、民族、大部分の都市には、聖なる山がある。高さと中心という二重の象徴的意味は、山に固有であり、宗教著作家にも見出される。神秘的な生の段階を、十字架の聖ヨハネが、昇天として記述する。アビラの聖女テレジアが、〈カルメル山の登山〉を〈のいる場所〉、またはく内的な城〉として記述する。

観念〕 山は、安定性や不変性の概念、時折、純粋性の概念も表現する。シュメール人によれば、山は、未分化の原初の塊、世界卵である。『説文(解字)』(後漢の許慎の撰)によれば、「1万の存在」を生み出すものである。さらに、一般に、山は、世界の中心であるとともに、その軸である。図像では、山は、直角三角形で表される。山は、神々のすみかであり、山に登ることは、天に向かっての上昇、神と関係を持つ手段、第一原理への回帰の表現である。

山頂〕 中国の皇帝は、山々の頂上に生贄を捧げていた。モーセは、シナイ山の頂上で律法の板を受け取った。扶南の旧首都の遺跡のバ・プノムの頂上には、〈シヴァ・マへーシュヴァラ〉が「たえず降りてきていた」。道教の仙人は、山の頂上から天に上がり、天に宛てたメッセージは、その頂上に並べられていた。

軸・中心〕 最も有名な「軸としての」山は、インドでは、〈メール〉山であり、中国では、〈崑崙山〉であり、これについては後述する。列子の列姑射山には、ほかに多くの形がある。〈富士山〉に登ること、つまり、儀式として富士登山をするには、あらかじめ身を清める必要がある。ギリシアの〈オリュンボス山〉、ペルシアの〈アルブルズ(ハラー)山〉、メソポタミアの〈国の山〉、サマリアの〈ゲリジム山〉、フリーメーソンの〈モリヤ山〉、〈エルブルズ山脈〉と〈タボール山〉(「へそ」を意味する語源に由来するが)、メッカの〈カーバ〉、聖杯の〈救済の山〉とイスラムの〈カーフ〉山、ケルトの白い山、チベットの〈ポタラ〉などである。いずれにせよ、それは伝承の「中心または極になる」山である。〈救済の山〉、〈列姑射山〉は、近づけなくなった島の中心に位置する。〈カーフ〉は、「大地からも海からも」到達できない。これは原初の状態との隔たりを意味する。この点では、精神的中心が、山の見える頂上から、山の下にある洞穴に移行するのとまったく同じである。ダンテによれば、地上の楽園は、煉獄の山の頂上にある。

登山〕 道教信者は、登山の困難さ、さらに、その危険性も指摘する。精神的方法によっては、登山の準備はできない。時折、山には恐ろしいものが住んでいて、頂上への接近を妨げる。詩人ルネ・ドーマルは、『類推の山』で、これに言及している。登山は、明らかに精神的性格を持ち、上昇は、認識へ進むことである。サン・ヴィクトールのリカルドゥスは、次のように苦いている。「この山に登ることは、〈自己認識〉に属する。山上で起こることは、人を神の認識へと導く」。「自己存在のシナイ」は、アレッポのスフラワルディーとイスマーイール派の秘教主義と共通のシンボルである。スーフィー教の様態では、「カーフ山」は、人間の〈ハキーカ〉(神の真実)だが、仏教徒ならば、人間の深い「真理」、人間の「本性」、というだろう。同様に、中国人の〈岸薔〉山は、頭に対応する。その山の頂は、そこを通って「宇宙への脱出」がなされる地点に接している。

象徴〕 さらに、中心の山の宇宙的な象徴的意味を強調しなければならない。〈メール山〉以外にも、インドには、軸となる山が他にある。それらは〈シヴァ〉の在所である〈カイラーサ山〉や乳海の挿話にある、攪拌に用いられた〈マンダラ山〉である。〈崑崙山〉(これは昇天の9段階を表象する9層の仏塔でもあるが)の他にも、中国人は、4つの世界柱を持つ。そのうちの1つは、〈不周〉山で、ここを通って、下の世界に入っていく。4つの基本の山の1つであり、東方の泰山が、最も有名である。「もし、天が、落ちてくる恐れがあれば、天が、よりかかれるのは山である」と毛沢東は書いている。道教の仙人にとって、崑崙山は、不死の住み家を象徴する。これは地上の楽園と少し似通っている。この山の名声は、開祖、張道陵がそこへ悪霊を追い払ったといわれる2本の剣を探しに行ったことに由来する。自分の先祖の1人が発見した不死の薬を飲んでから、張道陵が、5色の竜に乗って、天に上がったのは、この山からである。

道教〕 道教の伝承では、仙人は、この山上へ行き、そこで生きていた。この山は、「世界の中央の山」といわれ、そのまわりを太陽とが回っていた。この山の頂上に、仙人は西王母の庭(金庭)を配置したが、その庭では、モモの木が育ち、その果実が、不死を与えていた。

機能〕 〈キュベレー〉は、語源的には、山の女神であるようである(ゲノン)。確かに、〈パールヴァティー〉は、山の女神である。彼女は、エーテルのシンボル、力のシンボルでもある。さらに、彼女は、〈シヴァ〉の神妃である。〈シヴァ〉は、〈ギリーシヤ〉、つまり「山の主」である。とりわけカンボジアでは、この機能は、はっきりと表される。カンボジアでは、シヴァの〈リンガ〉が、自然の山の頂上(〈リンガパルヴァタ〉、くマヘンドラバルヴァラ〉、〈プノン・バケン〉)、あるいは、階段状の「山岳寺院」の頂上(バコン、コー・ケー、バプオン)に据えつけられる。

宇宙軸〕 この山岳寺院は、〈メール山〉が、世界の中心であるように、王国の中心にある。それはマヤやバビロニアの神殿が、かつてそうであったように、〈宇宙軸〉である。この中心で、王は、宇宙の主〈シヴァ・デーヴアラージャ〉の代わりを務める。彼は、〈チャクラヴァルテイン〉(転輪聖王)、「宇宙の主」である。ジャワや扶南の王は、「山の王」である。「王のいるところ、常に山あり」と、ジャワではいわれる。

人工的中心〕 人工的な中心の山は、〈墳丘〉や〈積石塚〉に見られる。ケルト人の積み石や中国の首都の人工的な丘がそうだが、ヴェトナムの物見櫓も多分、中心の山である(デュラン)。いずれにせよ、カンボジアやラオスの元旦の「砂の山」と「砂のパゴダ」も、人工的な中心である。それでも、やはり明らかに、この中心の山は、〈卒塔婆〉であり、その最も壮大な例が、ジャワのボロブドウールである。

天への道〕 山は天に通じる道なので、山は、道教信者の隠れ家となる。俗世間を抜け出して、「彼らは山に入る」(ドミエヴイル)。これは天への道(〈天道〉)と同一化する、1つの方法である。〈仙〉(道教の仙人)は、文字通り「山の人々」である。

対立〕 中国の古典的な絵画では、山は、水と対立する。それは〈陽〉が〈陰〉に対立し、〈不変性〉が〈非恒常性〉に対立するのと同じである。不変性の山は、岩で表現され、非恒常性の水は、滝で表現されることが最も多い(BENA、BHAB、COEA、COOH、CORT、DANA、DAUM、GRAD、GRAP、GRAR、GUED、GUEM、GUEC、KALL、KRAA、LIOT、SCHP、SECA、SOUN、DEMM、ELIF、GRIC、GUEV、GUES、HUAV、MAST、PORA、SOUP、THIK)。

聖書〕 原初や宇宙論の山に関して、神話上の象徴的意味は、旧約聖書にいくらか反映されている。要塞に似た高い山は、安全のシンボルである(『詩篇』、30、8)。次に、ゲリジム山は、〈地の中央〉と呼ばれる(『土師記』30、8)古代の山(『創世記』49、26)や神の山(『詩篇』36、7;48)としても登場する。イザヤ(『イザヤ』14、12以下)とエゼキュル(『ェゼキエル』28、11?19)は、多少とも〈楽園〉の山と同一視された神の山の上での思索を想定する。この後者の概念は、『創世記』の物語にはなく、後のユダヤ教の文献に現れてくる(『ヨベル』4、26;『ェノク第一』24以下;87、3)。これは大混乱と神の山の主題の確かを魅力のしるしである。

 山を終末論的に転置した例は、次の2つの予言の文章に見られる。『イザヤ』2、2と『ミカ』4、1である。「終わりの日に、主の神殿の山は、山々の頑として堅く立ち」。

 しかし、このシンボルは、適合とは関係なく、ユダヤ教の中心にさえ置くことができる。原初の神の山を継承する山は、神の臨在と近接をしばしば象徴する。シナイ山における、啓示、山上でのイサクの犠牲(『創世記』22、2)がそうであり、その山は、後には神殿の丘と同一とみなされる。エリヤは、カルメル山の頂で祈った後に、雨の奇跡を得る(『列王妃上』18、42)。神は、ホレブ山上でエリヤのもとに現れる(『列王紀上』19、9以下)。ユダヤの黙示録は、神の示現の場面や山上での光景を多く描いている。

 この場合、山上の説教が思い出される(『マタイ』5、1以下)。新しい契約では、おそらく古代のシナイの法に対応する。さらに、「高い山の上」での、イエスの変容の物語(『マルコ』9、2)とオリーヴ山での昇天の物語(『ルカ』24、50;『使徒行伝』1、12)に注意しよう。

 また、山は、好んで、人間の偉大さと野望を象徴するとみなされる。しかしながら、人間は、全能の神から逃れられない。異教信仰では、しばしば高い場所で儀式が行われた(『土師記』5、5;『ェレミヤ』52、25)。そういうわけで、ユダヤ教、後には原始キリスト教は、山の平準化と消滅を待つ。神が、捕囚の民を連れ帰るとき、神は、切り立った峰々を平らにする(『イザヤ』40、4)。世界の終末は、第1に、山の崩壊を引き起こす(『ェノク第一』1、6;『イザヤの昇天』4、18;『黙示録』16、20)。

 シンボルには、2つの面がある。神は、頂上で自分の吉葉を伝える。しかし、頂上は、人間が本当の神ではなく、人間と偶像を崇めるためにだけ、登る場所である。頂上は、倣慢のしるし、崩壊の予兆でしかない(⇒バベルの塔、塔、ジッグラト)。

 神-山-都市-宮殿-城塞-神殿-世界の中心という聖なるシンボルの連鎖は、『詩篇』48の次の唱句で、まったくはっきり浮かび上がる。

「大いなる主、限りなく賛美される主。
 わたしたちの神の都にある聖なる山は
 高く美しく、全地の喜び。
 北の果ての山、それはシオンの山、力ある王の都。
 その城郭に、砦の塔に、神は、御自らを示される。
 神よ、神殿にあってわたしたちは
 あなたの慈しみを思い描く。
 神よ、賛美は、御名と共に地の果てに及ぶ」

 聖書の伝承では、聖なる価値を持ち、次いでヒエロファニー(聖なる顕現)を象徴する山は、すでに見たように多数ある。シナイやホレブ、シオン、タボール、ゲリジム、カルメル、ゴルゴタ、誘惑の山、至福の山、変容の山、カルヴァリの丘、昇天の山などである。都詣での歌を構成する『詩篇』120?134は、この高みに向けた昇天を歌う。キリスト教の起源において、山は、砂漠の苦行者が作った秘儀伝授の中心を象徴した。

ギリシア〕 アテーナイのアクロポリスも、神殿を聖なる山の頂上に祭り上げるが、そこへは柱廊を通って行列しながら近づける。パンアテナイア祭の歌を、儀式の巡礼の行進に合わせて歌う。神殿を、平野に建てる場合、山は、中心の建造物と考えられる。これはアンコール・トム寺院のメール山の場合と同じである。

一般〕 アフリカやアメリカなど、あらゆる国、民族において、山は、神々の住まいとして示される。霧、雲、稲妻は、人間の振る舞いに対する、神の感情の変化を示している。

 聖書とキリスト教美術の伝承では、多くの例があり、要約して、ド・シャンポーとドン・ステルクスは、山の3つの主要な象徴的意味を引き出す。「山は、地と天の接合点である。A聖なる山は、世界の中心に位置し、世界のイメージである。神殿は、この山と同一化される」(CHAS、164?199)。

イスラム〕 イスラムの宇宙論では、カーフは、地上世界を支配する山の名前である。一般に、古代アラブ人は、大地は平たい円盤状の形をしていると考えていた。カーフ山は、乗り越えられない地域のために、大地の円盤と分けられる。大預言者マホメットによれば、それは渡り切るのに、4か月もかかる暗く広い地であるという。

 いくつかの記述によれば、カーフ山は、緑のエメラルドからできていて、天窄の緑色(我々ヨーロッパ人にすれば、青色)は、その照り返しに由来する。「別の異本の主張では、いわゆる〈カーフ〉山が立っているのは1つの岩の上であり、その岩は、一種のエメラルドでできている。その岩は、〈杭〉とも呼ばれている。神が、その岩を大地の支えとしたからである。実際、ある人々によれば、大地は、それ自身では支えられない。大地は、その岩のような支点を必要とする。カーフ山が存在しなければ、大地は、たえず揺れ動き、いかなる生物も、そこで生きることができないだろう」。

 ここでも、世界の〈中心〉、〈へそ〉の象徴的意味がまた見られる。同じ視点で、〈カーフ〉山が、世界のあらゆる山の〈母なる山〉と考えられることが非常に多い。「世界の山は、枝道や地下鉱脈によって、カーフ山と結びつく。神が、あるどこかの国を無に帰したいと思うとき、神は、枝の1つを動かすよう命令を下すだけでよい。そうすれば、地震が起きる」(ENCI、TII、「カーフ」の語)。

 人間が、近づけず、世界の果てと考えられたくカーフ〉山は、見える世界と見えざる世界の間の境界である。だれも、その背後に何があるかを知らず、神だけが、そこに生きる被造物を知る。

 しかし、とくに〈カーフ〉山それ自体は、伝説の鳥〈スイームルグ〉の生息する場所として知られる。このは、世界の始まり以来、存在しているが、〈カーフ〉山上でひっそりと孤独の内に引き籠もる。王や英雄が、意見を聞く、賢明な忠告者として、その山上で満足して生きている。・こののすみかの〈カーフ〉山に対して、「知恵の山」という詩でつけられた名前、象徴的には、「満足の山」という名前も、以上のようなことに由来する。

 〈カーフ〉山は、『千夜一夜物語』やアラブの物語の中でしばしば引用される。

 神秘主義の著作家は、一層秘教的な象徴体系を示している。マハムード・シャビスタリーの『神秘の花園』で、「スイームルグとカーフ山、それは一体何か」という問題が提起される(167?168行)。これに対して、ラーヒジーは、次のような注釈をして答える。「宇宙的な山としてのカーフ山は、心理的=宇宙的な山の中に内在される。スイームルグは、唯一絶対の自己同一性を意味する。こののすみかであるカーフ山は、〈人間の永遠の現実〉であり、この〈現実〉は、神の〈ハキーカ(真実)〉の完全なクラトファニー(力の顕現)の形態である。神(〈ハック〉真理)は、あらゆる名前と標章とともに、現実の中に公現するからである」(CORT、123?124)。

アフリカ〕 アフリカ人にとって、山は、しばしば神話上の生き物の形をとり、その役割を演じる。また、恐ろしい神々、霊、隠れた自然の力が訪れる場所の形をとり、その役割を演じる。山の音や歌は、神秘に満ち、俗人には、不可解である。秘密に満ちた隠れた世界である。山は、聖なるものが落ち着く場所の1つである。そこには、案内者(秘儀伝授者)抜きでは、入り込めず、あえてやれば、死ぬ危険がある。山は、秘儀伝授の欲望のシンボルとともに、その困難さのシンボルでもある(HAMK、24)。匠ケルト訝 ケルト世界では、山の一般的な象徴的意味は、ほとんど証明されていない。ただし、〈グウインヴリン〉「白い丘」というウェールズの神秘的な地名は、唯一の例外である。『ヒリールの娘、ブランウェン』というウェールズのマピノギでは、この場所は、ブランの首が、埋められた中心である。その首が掘り出されないかぎり、どんな侵略や災禍でも、それからブルターニュの島を守る務めを果たす。白は祭司の色だから、グウインヴリンは、く原初の中心〉しか表せない。話の細部は、ウェールズの物語の擬古趣味である。聖なる山は、〈孤立と瞑想の中心〉であり、人間が住む平野と対立する(LOTM、2、144-150;GUER)。

象徴・絵画〕 天にまで高く伸びる峰(中国絵画やレオナルド・ダ・ヴインチの作品、参照)は、単に美しい絵画のモチーフだけではない。峰は、太陽の神々のすみか、のより高度な特性、生命力の超意識の機能、世界を構成する原理の対立との戦い、大地と水、(下から上へ行く)人間の運命を象徴する。地域の活動の中心である山の頂は、(ルーヴル美術館にある有名な絵画(レオナルド・ダ・ヴインチのアンナ、マリア、子供)の岩の峰々のように、山の頂が、天に届いているのを想像してもらいたいが)、人間の発展の限界と超意識の心的機能を象徴する。この機能が、まさしく、人間を発展の頂に導くのである(DIES、37)。
 (『世界シンボル大事典』)


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