鉄器時代の英国のケルト-サクソン伝説に登場するウマ-女神。おそらくクレータ島のレウキッペー(白い雌ウマ)、ウマの頭をしたデーメーテールおよび中央アジアのウマの神にもとづいている。エポナ崇拝は「スペインから東ヨーロッパと北イタリア、さらに英国へ広がった」[1]。アイルランド王は11世紀になっても白い雌ウマと象徴的な結びつきがあるとされた。 Horse.
Barbara G. Walker : The Woman's Encyclopedia of Myths and Secrets (Harper & Row, 1983)
「エポナ」という名前はケルト語の「馬」という言葉に由来する。エポナはケルトの馬の女神で、その図像表現は馬の象徴と強く結びついている。ローマ時代のあいだエポナは、ケルト世界全体で多くの碑銘や像が捧げられた人気のある神であった。この女神はとりわけガリアとラインラントで崇められていた。なかでもブルゴーニュのハエドゥイ族とリンゴネス族、東ガリアのメディオマトリキ族やトレウェリ族はとくにエポナを崇拝していた。しかしエポナ像はさらに広い地域から見つかっている。ブリテン、バルカン半島、北アフリカとそしてローマでさえも見つかっていて、ガリアの神としては珍しいことである。12月18日にはエポナがローマで正式に受け入れられたことを記念する祭りがあった。それに加えて古典の著作にもエポナの祭儀に関する叙述が残っている(例えば、ミヌキウス・フェリクス『オクタウィアヌス』XXVIII,7;アプレイウス『変身物語』III,27)。
エポナは紀元1世紀から4世紀頃にかけてローマ=ケルト社会の広い範囲で信者を集めた。重要な分遣隊はライン川とドナウ川の軍の駐屯地からやってきている。しかしそのほかの信者たちのグループは、エポナをブルゴーニュー帯の家や小さな岡堂のなかに奉っていた。エポナの神殿があったという唯一の証拠はブルゴーニュで見つかっている。アントラン(ニエーヴル県)の神殿跡には2つの銘刻があり、その1つがこの女神の聖域に捧げたものだった。
エポナ信仰でとくに興味深い点は、女神の造形にある。エポナはお供の馬(1頭でも複数でも)と必ずいっしょに描かれているのである。エポナの造形については、2つに大別できる。もっとも重要なのは雌馬に婦人用の鞍を置いて乗る女神像である。ブルゴーニュのケルト人の土地では、母馬の下で眠っているか、女神によって金属製の皿(パテラ)から餌を与えられる幼い馬の存在が特徴的である。もう1つの造形は、現在の独仏国境付近の地域でとくに好まれたものである。ここではエポナは2頭以上の馬のあいだに描かれている。ドイツのバイヒンゲンでは女神は忠順の意を表すかのように歩み寄ってくる3、4頭からなる馬の群れ2つに挟まれて立っている。同様のタイプのものがブリテンのエポナの像の1つにも見られる。英国ウイルトシヤーのもので、2頭の小馬(雄と雌)の間に立つエポナを刻んだ青銅製の小像である。女神は軛と穀物を盛った金属製の皿を持ち、そこから小馬に餌をやっている。
エポナ像の多くは豊穣と豊かな大地の恵みを象徴している。この女神は果物や穀物の籠を持った姿で表されていることが多い(例えばラインラントのカステルやルクセンブルクのグルハイムのもの)。ブルゴーニュの雌馬と仔馬の像はとりわけ興味深い。これらの例では仔馬はエポナの皿から食物を与えられるか(例えばオータンのもの)、母馬の乳を飲んでいる(サントネーのもの)。エポナの乗っているのが雌馬だという事実が重要である。ブルゴーニュのハエドゥイ族とリンゴネス族の治めていた国は馬の飼育で名高く、エポナはこの面での豊穣をつかさどっていた。それに加えてエポナと母神たちのあいだにははっきりとした関連性があるようである。ブルゴーニュのテイル・シヤテルで見つかった紀元3世紀頃のものとされる像は、エポナと母神たちに対する献辞が捧げられている。そしてアゴンダンジュ(モーゼル県)のエポナは3人の母神を模したかのように、3つの姿を持つ像として表されている。
エポナは水による治癒そして死とも結びつきがある。この女神はサント=フォンテーヌ=ド=フライマン(モーゼル県)やアルレー(コート・ドール県)といったガリアの泉の祠堂で崇められており、それらの場所ではエポナは水のニンフの姿に描かれている。またこの女神はよくイヌをともなっているが、これは治癒ないしは死のどちらかを反映しているのだろう。ルクセンブルクのアルトリエではエポナは1匹のイヌと1羽のワタリガラスとを連れており、ワタリガラスはとくに冥界の象徴である。ガリア南西部のアガサックでは、エポナは馬に乗ったネレイド(海のニンフ)として大理石の墓石に彫られており、メス近郊のラ・オルニュ・オ・サブロンの広い墓所では女神の像が何度も見いだせる。ある墓石では雌馬に乗ったエポナの背後に1人の男性の姿が彫られている。ここから人間の魂はエボナによって異界へと誘われているという解釈ができるだろう。この死後の生の図像はまた大きな鍵を持つエポナの姿とも関係している。ガナ(アリエ県)やブラン(ヴォージュ県)などでこのような例を見ることができる。この主題は家畜小屋の鍵を表しているものととることもできよう。しかしより深いところでは、この女神の天国や幸福な異界への門を開ける能力を表しているともいえる。ストラスブール近くのムシク=ヴィセンスに見られるエポナ像はマッパ(ナプキン)を持っているが、これについてはスエトニウス(『ネロ伝』22)が競馬をスタートさせるのに用いられたと述べている。マッパはエポナが人間の一生を通じての旅の出発をつかさどっていることを表しているのかもしれない。
エポナの象徴は複雑で多くの面をもっている。地中海世界の注釈者たちはエポナを純粋に馬と家畜小屋の女神として書き記している。ケルト人にとって馬は通商や交通、戦い、権力、威信、宗教など多くの点で非常に重要な存在である。ローマ軍に属するガリア人騎兵隊にはエポナ信者が数多くいた。エポナは馬とその乗り手の守護者とされていたのであろう。結局、馬の賢さと速さが騎兵の身の安全にとってはきわめて重大な関心事となる。そしてローマ化される以前のケルトの社会は首長と戦士たちによる身分制度に基づくものであり、その社会と部族の威信が彼らの上にかかっていたことも憶えておくべきであろう。馬はケルト人の信仰においても重要で、太陽と戦いをつかさどる力のある神々とも関連していた。しかしエポナ信仰は馬の象徴性のみが示唆するよりも、よりいっそう大きく深遠なものを有している。女性性を強調した姿や、馬という動物そのものが、エポナが豊穣の象徴であることを明白に示している。しかし鍵、マッパ、そして死との関連は、エポナがその信者たちを生涯にわたって、さらに来世でも守護してくれる女神であることも示している。エボナは馬と騎兵、そして馬を飼育する者たちの守護者であり、もうひとつの姿として生と死と再生の深遠な謎を写す存在でもある。(ミランダ・J・グリーン『ケルト神話・伝説事典』)