中世の魔女のトーテムはカエルだったが、それは古代の伝承がカエルをヘカテー(エジプトのへカト、天界の産婆の女王)と結びつけたためであった。エジプト人はカエルを胎児のシンボルとした。ヘカトの神聖な「カエルの護符」には「私は再生である」という言葉が刻み込まれていたが、これは初期キリスト教徒が模倣した生誕-魔法のもう1つの言いまわしである[1]。
古代ローマでは、カエルはウェヌス〔ヴィーナス〕に捧げられているが、ヘカテーはそのウェヌス〔ヴィーナス〕の1面でもあったウェヌス〔ヴィーナス〕の3部からなる女陰は3匹のカエルからなる3枚花弁のユリによって示されることがあった[2]。今日でも、ユリのような形をした紐でできた服の留め具はfrog(カエル)と呼ばれている。仕立て屋の昔話に、どの服にもきっちり9つのフロッグがいると語られているが、この話の起源をたどっていくと、肥沃のまじないとして9匹のカエルを示したバビロニアの円柱のしるし†にまでさかのぼれるかもしれない。これは九相の女神が妊娠中の9か月間を支配していることを示しているのである[3]。
円柱のしるし
文字が使われるようになったばかりのメソポタミアで発達した彫刻の型。円柱のしるしとは浮き彫りで人物像が彫られた小さい石で、湿った粘土の板の上を転がし、絵を写した。主題はほとんど魔法か宗教からとっていた。
Barbara G. Walker : The Woman's Encyclopedia of Myths and Secrets (Harper & Row, 1983)
〔一般〕 カエルは、さまざまな象徴的意味で用いられるが、おもなものは自然的環境、水と関係がある。
〔中国〕 古代中国では、カエルは、雨を降らせるのに使われたり、真似された。カエルは、青銅の太鼓の上に描かれていた。カエルは、雷を呼び戻し、雨を呼ぶからである。カエルは時折、ヒキガエルと混同されるが、月の動物であり、水、〈陰〉の要素と一致する。春分と秋分に、火(陽)の鳥であるウズラは、水生(陰)の動物のカエルに姿を変え、自然の基本リズムに従って、ウズラに戻ると考えられる。
〔インド〕 しかし、異なった視点とは多少関連はあるが、大ガエル(マハーマンドゥーカ)も、インドでは、宇宙の支えであり、暗く未分化の物質のシンボルである。そのため、カエルという名は、時折、〈マンダラ〉の64の仕切りにつけられる。その〈マンダラ〉は負けた〈アスラ(魔族)〉の身体といわれる。
〔西洋〕 西洋でも、カエルは、変態するために、復活のシンボルと考えられた。
〔ヴェトナム〕 南ヴェトナムの山岳民族にとって、カエルは、クモと同じ理由で、身体が眠っているときに旅をする魂の形態をとる。カエルを虐待することは、魂の持ち主を傷つけることにもなりかねない。
エリアス・エクディコスは、カエルを断片的で、分散した思考のシンボルとみなしたが、カエルは、人間社会で金銭上の苦労にまだ執着している修道士を「迷わす」。
〔ヴェトナム〕 この視点の名残は、ヴェトナム人の場合に見られる。ヴェトナム人は、とくに、飽きずに鳴く、ばかげたカエルの声を覚えておく。その声は、多くのイメージに富み、退屈で型にはまった教育のシンボルができた(BURE、DAMS、DURV、PHIL、PORA)。
〔インド〕 ヴェーダの詩人にとって、カエルは、春の最初の雨で肥沃になった土地を具現するように思える。カエルの鳴き声は、天が地上に約束した果実と富に感謝するものである。カエルの陶酔について言及があるが、それは「ソーマのブラーフマナ(僧職階級)や、桶を温めるのに汗をかく週番修道女」と形容される。カエルは、聖歌隊員、地母神の祭司である。『リグ・ヴューダ』のカエルへの賛歌は次のように終わる。
「なにとぞカエルが
ソーマ酒を搾るときに、
私たちに数百の雌ウシを下さり、
私たちの寿命を延ばして下さるように!」
冬の乾燥した数か月の間、大地は無言で、乾燥する。いきなり歌い出すカエルの歌は、復活の実現の現れ、1年の始まりを告げる自然の目覚めのしるしである。
〔日本〕 カエルには、座ってあえぐ習性がある。日本では、カエルは幸せをもたらすと信じられる。カエルを、ある場所から引き離しても、いつも出発点に帰るともいわれる。日本語の「蛙」は、「帰る」という意味でもある。カエルは、旅人の一種の保護者となった。お守りで、「身代わりガエル」と呼ぶ像を身につける人がいる。つまり、なにか災害が起これば、このカエルが、それを持っている人の身代わりとなるのである。日本で、多分、最も有名な、次の詩はこの象徴的意味を要約している。
「古池や 蛙飛び込む 水の音」
(芭蕉、1644-1694)。
〔エジプト〕 「オグドアド」、すなわち、世界の創造以前の基本的な4組、「8人のグループ」の中に古代エジプト人は、ヘビとともに、カエルを描く。ヘビとカエルは、「まだ生命組織のない世界の漠然とした力。原初の水から自然に生まれた被造物」(POSD、196)である。
(『世界シンボル大事典』)