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Cow(雌ウシ) (Gr.hJ bou:V)


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 「維持者Jとしての太女神が現実世界に化身するときに、最も普通にとる姿は、おそらく、白い、のある、乳を出す-雌ウシであろう。雌ウシは、今なお、インドではカーリーのシンボルとして聖なるものとされている。エジプトでは、母親ヘ(ウ)ト=ヘル〔ハトホル〕は天界の雌ウシとして崇拝された。その雌ウシの乳房から天の川が生まれ、身体は天空で、雌ウシは毎日、太陽を生んだ。ヘル〔ホルス〕-ラーがその太陽神で、ヘ(ウ)ト=ヘル〔ハトホル〕の黄金の仔ウシは、アロンやイスラエルの人々に崇拝された黄金の仔ウシと同じ神であった。「イスラエルよ、これはあなたをエジプトの国から導きのぼったあなたの神である」(『出エジプト記』 32: 4)。

 イタリアという名前は「仔ウシの国」を意味した[1]。この国も、また、乳を与える神がこの世に贈ったものであった。エトルリア人はその乳を与える女神をラトと呼ぴ、アラブ人はアラートと呼ぴ、ギリシア人はラトナ、ラダ、レートー、あるいはレーダーと呼んだ。この女神はラティウム(古代ローマの都市)を支配して、世界にその乳latteを与えた。

 ヨーロッパ Europeという名前は、白い-雌ウシとしての女神エウローペー Europaにちなんでつけられた名前であった。ギリシア人は、ゼウスが化身した雄ウシエウローペーと交合した、とした。エウローペーの名前はイーオーio()になることもあった。イーオーの名の彼女は、ギリシア・ローマ神話では、ヘーラーの好敵手となるが、父権制社会の著作者たちは競ってイーオーをさまざまに描くのがつねであった。これは、おそらし分割支配の原則にのっとったものであったと思われる。ヘーラー自身もイーオー(イオーニア人の祖)という名前になった。ピザンティウムの遺跡にある彼女の神殿では、その姿は同じく雌ウシで、があり、エジプトの雌ウシ女神と同様、三日月の頭飾りを着けていた[2]

創造女神としての雌ウシ
 へーロドトスによると、乳を与える母神ヘーラー-イーオー-ラトナはエジプトのプトー(下エジプト王国の古代の女王)と同じ女神であった[3]。エジプト最古の神託の神殿があるプトーの聖なる都市は、ギリシア人の間ではラトポリス(ラトの都市)として知られていた[4]。もちろん、プトーとかラトというのはヘ(ウ)ト=ヘル〔ハトホル〕、アセト〔イーシス〕、ムゥト、ネイ卜の別名にすぎない。こうした神々は、「万神の母親である太女神ラーを生んだ偉大なる雌ウシ……偉大なる女王、南部の女王、太陽を生み、神々や人間を創造した偉大なる者、原初の時代にテムを起こし、他に何もないときにも存在し、今あるものを創造したラーの母親である」[5]

 創造女神としての雌ウシは北欧神話においても、同様に、重きをなしていた[6]。北欧ではその名をアウドゥムラと言った。この女神は、また、プレイア、あるいは、パルキューレで、「どうもうな雌ウシ」の姿をしていた。半ば父権制的であった北欧神話は、巨人イミルがこの世界を創造したとして、イミルの身体と血が宇宙を造ったとした。しかし、この世に最初に創造された生き物はイミルではなかった。雌ウシの方が先で、イミルはその乳を飲んで生きたのである[7]

 これより以前の神話を見ると、宇宙は雌ウシの乳が凝固して形となったものであった。インドでは、今なお、多くの人々は、乳の海を攪拌して字宙ができたという創世神話を、文字通り、信じている[8]。日本の神話では、原初の深淵が最初の神々によってかきまぜられると、凝固して土のかたまりになった、という[9]。古代近東地方では、人間の身体も女神の乳を凝固させてできたものである、と考えられた。女神礼拝の儀式の1つが聖書にそっくり現れた。「あなたはわたしを乳のように注ぎ、乾酪のように凝り固まらせたではないか」(『ヨプ記』lO:10)。

 「雌ウシ」 cowの語源はサンスクリットのGau、エジプト語のkau、またはkau-tであった。ガウリィやカウリィといった女神名も女陰を表すタカラガイの貝殻を意味するものであった[10]。バラモンの再生の儀式では、大きな黄金の女陰か、または、雌ウシ-母親の像が用いられた。「ある人が重大な原因でそのカーストから追放されたときには、雌ウシの腹の下を何回かくぐって初めて、元のカーストに戻ることができる」[11]。エジプトの生誕の女神は、両手でその乳房を差し出して見せているが、きまって雌ウシの頭かをつけていた[12]。エジプト人の1人1人にその秘密の霊魂-名前(ren)を与える育ての母親として、その女神の添え名はレネネトであった。レネネトは「二重の穀倉(女神の汲めども尽きない乳房のことを言う)の女神」であった[13]。古代において乳を凝固させるために用いられたウシの酵素のレンネット膜(仔ウシの第4の胃の内膜)も、女神に捧げられた。

 古代ローマ人が好んで女神のエンプレムとしたものは「豊穣の」 cornucopiaであった。雌ウシので、地上のあらゆる果実がそこから出てくる。雌ウシは人類の乳母として尊敬された。そして、今日、 holy cow(「あれ」、「まあ」)という間投詞や、 sacred cow(神聖にして犯すべからざるもの)という皮肉をこめた軽蔑語として、なお、ウシのイメージが用いられているが、これは不注意もはなはだしいことである。


[1]Thomson, 50.
[2]Elworth, 183, 194.
[3]Larousse, 29.
[4]Herodotus, 106.
[5]Budge, G. E. 1, 457-58, 463.
[6]Turville-Petre, 256.
[7]Larousse, 248.
[8]O'Flaherty, 274.
[9]Campbell, Or. M., 467.
[10]Waddell, 404.
[11]Frazer, F. O. T., 220-22.
[12]Neumann,G. M., pl. 9.
[13]Larousse, 38 ; H. Smith, 24.

Barbara G. Walker : The Woman's Encyclopedia of Myths and Secrets (Harper & Row, 1983)



エジプト・神話〕 普通、雌ウシは乳を出すので、恵みの《大地》を象徴している。アケト女神はもともと神の示現、太陽の母である。ウシル〔オシーリス〕の密儀で神の身体は木製の雌ウシの中に閉じ込められていた。雌ウシが妊娠すると神は復活したのである。護符のアカトは聖牛の頭で表されたが、の間に太陽円盤を持ち、ミイラ化した死骸に「熱」を送り込むために使われた。この習慣は、太陽神ラーが初めて地平線に沈んでしまったとき、雌ウシの女神がラーを助けて朝方まで熱が消え失せないように火を送り込んだという民間信仰から来ている(MARA、79)。

エジプト・習慣〕 ウォリス・バッジ(BUDA、149)は、ナイル川の谷間に住むきわめて原始的な部族女性の習慣に着目している。彼女たちは、女神ハトホルを表す護符を身に着けていた。この護符は雌ウシの頭や長くて平べったい耳を持つ女の頭部の形をしていた。この耳は雌ウシの耳のように垂れ下がり、末広がりに子孫を増やすといわれた。

エジプト・美術〕 エジプトの万神殿でハトホル像は、雌ウシを象徴したさまざまな様相を示す。彼女は多産、豊穣、再生を表し、太母神で、天空に住む太陽の母、「汚れを知らない子ウシ」、さらに「母の雌ウシ」たる太陽神の妻である。彼女はエジプト王の乳母、来世における復活と希望のともしびである。というのも、「天空の摂政であると同時に天空そのもの、樹木の精霊だった」からである(J・ヨヨット、POSD中の美術、ハトホルの項を参照)。彼女は「いたるところにおり」、ギリシア人はそこにアプロディーテーの諸都市を重ね合わせて見ていた。彼女はやさしい微笑を絶やさぬ新妻、「歓喜と踊りと音楽の女神」である。この世に春が巡り来るたびに芽を吹く希望を来世に託した彼女がメンフィスやテーバイといったナイル川の左岸で「死者の山の守護神」になったのは、もっともなことだ。メソポタミアの《太母神や偉大な雌ウシ》も明らかに豊饅の女神であった。

シュメール・象徴〕 雌ウシをや豊餞に結びつけるシンボル表示は、シュメールでもっとはっきりしている。シュメールでは雌ウシの2本ので飾られる。また雌ウシは三日月で表される。星の出る夜は、「威厳に満ちた《雌ウシ》が君臨する。多産な《雌ウシ》は《満月》、その群れは《天の川》である」。ある地域でシュメール人は面白いことに光をにいる《雌ウシ》の乳が噴出するのだと考えていたらしい。

雌ウシの乳の白さは昇るの光のよう
天が笑ったおかげでたくさんの家畜小屋につながれたたくさんの雌ウシたちが
綱を解かれた。
そして、豊かな雌ウシの乳が
食卓に流れ出た。
 (M・ランベール、SOULより79-81)

ゲルマン・神話〕 「ゲルマン人の間でアウズフムラという乳牛は最初の巨人ユミルの最初の伴侶である。この雌ウシはユミルと同じように溶けた氷の中から生まれた。雌ウシは命の源、豊餞のシンボルである。……ユミルもアウズフムラも神々より前の動物たちである」(MYTF、40)。

インド・神話〕 同じような象徴的意味はインド・ヨーロッパ語族全体に広がっている。インドでは文字通りこうした象徴的意味がそのまま威力をとどめ、このためこの動物に対して抱く尊敬の念は今でも変わりがない。雌ウシは他のどの作品にも増して『ヴェーダ』の中でほめたたえられている。子だくさんな母親の原型として、雌ウシはそこで宇宙的で、神のような役割を演じている。

雌ウシは天、雌ウシは地
雌ウシはヴイシュヌにしてプラジャーパティ(造物主)
雌ウシの乳はサーディア神群(半神的存在)
と聖仙たちをうるおす。
……神の理法は雌ウシに宿る。

インド・象徴〕 雌ウシは恵みの雨雲である。風の霊(死霊でもある)が天空の動物を殺して食べてしまう。ところが、その前に剥いだ皮の中で動物はよみがえる。そのとき、恵みの雨が地上に降るのである。天の雨雲のシンボルである雌ウシは天に敗れるが、地上で立ち直る。雨によってたわわに実った食物のおかげである。だから雌ウシは天上の雄ヤギ雄ヒツジと同じ役割を演じている。これはスカンジナヴィア諸民族からニジェール共和国の沿岸にいたるさまざまな他の神話に共通して見られる役割である。

インド・埋葬〕 雨を包み込み、ためこむ機能にしばしば霊魂導師の機能が加わる。これはヴューダの伝承によく見られるが、それによると雌ウシは瀕死の病人の枕辺に連れていかれた。息を引き取る前に病人は動物の尾をつかんで、しがみついた。その後、死者は雌ウシたちに引かれ、黒ウシを従えた車に乗って火葬の薪置場に運ばれた。この1頭の黒ウシは生贄にされ、その肉が死者の上に置かれた。そして火葬用の薪の上に寝させられた死者は、その肉と一緒に動物の毛皮でくるまれた。……薪が燃やされ、参会者は合唱して天の川を通 り、故人を冥土へ連れていくよう雌ウシに祈願した(MANG、49-50)。

 ある異文によると、霊魂導師である雌ウシ(たびたびプチのないヤギに代えられた)は死者の左足につながれた。

 雌ウシは葬儀用の薪の山の下で生贄にされ、心臓などの急所の部分は慣例によって死者の上に置かれた。また腎臓は故人の手に託された。その間、参会者は詩の一節を誦した。

インド・象徴〕 ここで動物の「経惟子」がシンボルとして正確にどんな意味を持っていたのか、この点に注意しておかなければならない。というのも、この黒ウシは『ヴェーダ』に登場する「逃亡した雌ウシ」の化身に違いないからである。この雌ウシは原初の黎明期と関連しているのだが、『道徳経』(6章)に再度現れて「神秘的な女性」、「天地の源」である《女性原理》を意味することになる。『ヴェーダ』の中で「まだらの乳牛」は最初の両性具有者のシンボルである。一方、白ウシ(雌ウシが象徴しているものの文字通り完全な化身である)は、黒ウシ同様、儀礼の火である〈アグニホートラ〉と関係する。だが、〈アグニホートラ〉も言葉の儀礼、「雌ウシ」も『ヴェーダ』では神聖な儀礼の決まり文句である。ここにはウパニシャッドの象徴的意味の名残があるのか。厳密にいうと、雌ウシは〈禅宗〉のいくつかの聖典では《悟り》にいたる段階的なプロセスと結びつけられる。しかしながらこの場合、修行者は「ウシ飼い」でも、若きクリシュナ(ヴイシュヌ神の化身)に支えられた名前〈ゴーパラ〉(ウシを護る者)でもない。また雌ウシは、ヒンズー教でたびたび使われる光明の意味もない。雌ウシは人間の性(さが)と悟りの能力を表す。「雌ウシの家畜化を描いた10枚の絵」 は黒から白へ移行していくことで悟りの能力を段階的に示している。「白ウシ」が消えるときは、人間が内なる存在の限界から逃れでたときなのである(DANA、HERV、LIOT、MALA、SILI、SOUN、SOUL)。

 人々が考えていることとは裏腹に、この古いシンボルは、我々の記憶から完全に消え去ったわけではない。それはエコロジストの画家ウリブル(Nicolas Garcia Uriburu)の作品が証明している通りである。彼は最近「緑のウシ」を描いた作品の展示会を催したが、そこで彼は、産業文明の発展に脅かされている自然の素晴らしさをたたえた。
 (『世界シンボル大事典』)


画像出典:Encyclopedia Mythica: Image Gallery.
 このEncyclopedia Mythicaのサイトでは、この画像をアーピスの説明箇所に掲載しているが、アーピス雄ウシの形象であるはずだから、間違いであろう。