本来は「聖なる女」の意であり、Hagという語*は、ヘカウ(「力ある言葉」)を知っていた先王朝期母権制社会の支配者をさす古代エジプト語heqと語源が同じだった[1]。ヘクheqは、ギリシア語に入って、ヘカテーになった。ヘカテーは、「死者たちの女王」としての老婆(すなわちハグ)であり、地上においては一連の女賢者あるいは女大祭司となって顕現した。
Hagという語
『箴言』第8章で「知恵」をさしているヘブライ語はHokhmahで、この語は、古代エジプト語のheq-maa、すなわち、知恵・法律・呪文を司る冥界の母神ヘカ・マートから派生したものだった [2]。ギリシア・ローマにおける同族語hagiaは、「聖なる」という意味で、とくに女性的な英知の原理、すなわちHagia Sophia(「聖なるソフィア」)をさすのに用いられた。Sophia, Saint. 同様にイスラエルでも、haggiahは「聖なる日」のことだった。イスラエルの母権制時代に起源を有するユダヤの宗教文学は、その名をHaggadahと言われたことから判断すると、女性の賢人たちによって書かれたものと思われる。後世の父権制社会のラビたちは、この資料を「モーセの律法に反する」と宣言した[3]。
北欧では、ハグはヘカテーに相当する「死の女神」だった。例えば、「鉄の森」のハグがそれで、ハグの娘、あるいは乙女の相がヘルだった[4]。古期スカンジナヴィア語のhagiは、 「聖なる森」、「鉄の森」、「供犠の場所」を意味した。Haggenは、「ばらばらに切断する」という意味であり、饗宴に捧げる生贄は、手足を切断してばらばらにされたのだった。したがって、「ハグたち」は、生贄を解体して聖なる大鍋に入れ、生贄のはらわたの中に前兆を読みとったスキタイ人の家母長たちと同類の、供犠を司る巫女たちだったとも思われる[5]。古代スカンジナヴィア人はスコットランドに入植したが、そこでは動物の内臓からhaggis(「ハグの深皿」)がつくられた。19世紀になるまで、人々はハグメナ(「ハグの月」)という新年の祭りを祝った。このとき、人々は仮装して家々をまわり、菓子の施しを求めた。ある年代編纂者によれば、「(なぜかハグメナイと呼ばれている)大晦日の夜には、客も常連の仲間たちも、時計が12時を打ち終わるまでは別れ別れにならずいっしょにおり、12時が鳴り終わると一斉に立ち上がって、新年おめでとうと言いながら、お互いにキスを交わし合った」という。この風習は現在も残っている。しかし、当時のキリスト教の1牧師は、ハグメナは「家の中の悪魔」を意味すると言った[6]。
ハグの宿る石の像は、魔性のものとされた。有名な「スコーンの石」もそのひとつで、今もこの石は、イギリス国王の戴冠式の際に必ず使われている。スコーンの石は、昔は、ハグとハグの紡ぎ車、すなわち、「運命の車輪の女神」アリアンロードArianrhodを表していた。デンマークのバラッドによると、スコーンのハグは、「浅黒い肌を持ったエルフ(妖精)たち」の女王だったが、「汝、スコーンのハグよ、神妙に御影石となれ」というキリスト教の伝道者聖オラフの呪文によって、石に変えられてしまったという[7]。スイスのヘルヴェルティア地方では、キリスト教に改宗した人々は、「昔の私は女神だったが、今の私は何でもない者」という定式文句を唱えながら、自分たちの女神の住みかだった石を粉々に打ち砕くよう強制された[8]。
16世紀になると、hagは「妖精」と同義になった[9]。古高地ドイツ語では、賢女はハガッサ(すなわち、「月の巫女」)と言われた[10]。hagiologyという言葉は、今でも、聖なる事柄や聖人に関する研究という意味を持っているが、語源であるhagの方は昔と意味が変わってしまったのである。シェイクスピアでは、動詞haggedは「魔法をかけられる」という意味で使われ、名詞haggardは「タカ、貪欲な人、手に負えない女」などを意味した[11]。
死の女神としてのハグは、人間には自分の死にざまがわからないということを示すため、顔をヴェールで覆っていたが、この死の女神も解釈し直されて、「尼僧」をさすことがあった。これらのヴェールをかぶった女性たちのために、数々のキリスト教的な伝説が作り出された[12]。
Barbara G. Walker : The Woman's Encyclopedia of Myths and Secrets (Harper & Row, 1983)
[画像出典]
The Night-Hag Visiting the Lapland Witches
Fussli, Johann Heinrich (Henry Fuseli)
c. 1796
Oil on canvas
40 x 49 3/4 in. (101.6 x 126.4 cm)
Metropolitan Museum of Art, New York
ヴェールは西洋中世には〈純潔〉の擬人像の持ち物とされた。
アガタの聖遺物のヴェールは火山の溶岩流に対して不思議な効力を発揮した。
ウェロニカはヴェールでキリストの額の汗を拭った。
冥府から連れもどされたアルケスティスの顔からヴェールが取り除かれる場面がある。
リベカはイサクと出会ったとき、ヴェールで顔を隠した。
ルネサンスの寓意画では〈真実〉のヴェールを取り去る場面が描かれている。(ジェイムズ・ホール『西洋美術解読事典』)