聖書正典に取り入れられた、グノーシス派の太母。ラテン語はサピエンティア、ギリシア語はソピアであり、女の英知の霊。アプロディーテーのハトによって象徴されるソフィアは、かつて神の女性霊(神の力の源)を表していたが、これはちょうどカーリー-シャクティが、ヒンズー教の神々に活力を与える役割を果たしたのと同じである[1]。
『グノーシス派論』によれば、ソフィアは神の母、「父なる神が創造を開始する前に、彼が初めからその中に隠されていた、大いなる聖処女」であった。ソフィアはアセト〔イーシス〕-ヘ(ウ)ト=ヘル〔ハトホル〕と同一視されていた。アセト〔イーシス〕-ヘ(ウ)ト=ヘル〔ハトホル〕から発散する7つのエマネーション(流出)は、エジプト人1人1人に7つの霊魂を授けた。イレナエウスによれば、ソフィアはヘ(ウ)ト=ヘル〔ハトホル〕と同じく、 7つの惑星霊の母であり、この7つの霊の名前は、神を表し、呪カを持つ、秘密の名としてグノーシス派のパピルスの中で数えあげられていた[2]。
『クレメンスの法話』†では、ソフィアは全能の母、女王、英知の女神などと呼ばれていた。初期のグノーシス派キリスト教徒たちの主張によると、クリシュナとシヴァ、またはディオニューソスとゼウスと向じく、キリストと神はともにソフィアと同化して両性具有となった。「人の子は、妻であるソフィアと一体となり、大いなる光のうちに両性具有者として自らを顕した。男としての本性は『救世主』、万物を生み出すもの、と呼ばれているが、女としての本性は『万物の母なるソフィア』と呼ばれている」[3]。
『クレメンスの法話』
ギリシア語による文書で、誤って、 1世紀のあるローマ司教の手になるものとされたが、実際は4世紀末頃の名前のわからないあるキリスト教護教論者の作である。
グノーシス派のある創世神話によれば、ソフィアは原初の女性的な力であるシゲーSige (「沈黙」)から生まれた。ソフィアは男性霊であるキリスト、女性霊であるアカモトを生んだ。後者は元素と大地、次いで5つの惑星霊と一緒に、イルダバオト(「暗闇の子」)という名の新たな神を生んだ。この5つ惑星霊は後にエホヴァのエマネーシヨン(すなわち、イアオ、サバオート、アドーナイ、エロイ、ウラエウス)とみなされた。これらの霊は大天使、天使そして最後に人間を生みだした。
イルダバオトまたはエホヴァは人間に知恵の木の実を食べることを禁じたが、彼の母アカモトは自らの霊を蛇オーピスの姿で大地に送り、妬む神に背くことを人間に教えた。このヘビはキリストとも呼ばれ、彼は神の禁制にもかかわらず、アダムに知恵の木の実を食べるよう教えた[4]。
ソフィアはキリストに彼女のトーテム鳥であるハトの姿をとらせて、再ひ大地に送り、ヨルダン川で洗礼を受けている人間イエスの体内に入らせた。イエスの死後、キリストはイエスの身体を離れ天に戻った。ソフィアはイエスに精気から成る身体を与え、天空に置き、霊魂を集める彼女の手助けをさせた[5]。イエスはソフィアの夫となり、彼の栄光はこの聖婚によると説く者もいた。なぜなら彼は1つのアイオーン、 1つの下級霊、プレーローマ(「充満」)の「共通の果実」にすぎなかったからである[6]。
ソフィアはイエスの母でもあるとする者もいた。というのは彼女は、その霊がマリアの身体に入ってイエスをみごもらせた、光の乙女であったからである。ソフィアはまたエリサベツの身体に入り、洗礼者ヨハネをみごもらせた。ある説によれば、ソフィアと神との関係はメーティスとゼウスとの関係に等しい。すなわち、ソフィアは神の「精神」であった。しかしソフィアは男性社会である教会では受け入れられなかった。グノーシス派の創世神話における強大な3柱の女神は皆エホヴァよりも前に存在し、そのうちの2柱の女神は暴君であるエホヴァに対抗し、彼の禁忌を無効とし、人類を無知から救った。これは、パウロの教会(カトリック教会)によって魅力に欠けるとされた説である。
しかし、ソフィアは東方のキリスト教徒たちによって熱烈に崇拝された。彼女の最大の教会は、 6世紀にコンスタンティノープルに建てられ、世界の奇跡の1つであった。これが聖ソフィア Hagia Sophia 教会である。
太母に捧げたこの壮麗な建物に度胆を抜かれたローマのキリスト教徒たちは、この教会は下級の「殉教聖女」、聖ソフィアに献じたものであると主張した(この聖女の偽りの伝説には生没年も欠けていた)。処女にもかかわらず彼女は3人の娘の母であった。彼女たちも同じく「殉教聖女」であった(すなわち、聖フェイス、聖ホープ、聖チャリティ)。この伝説は、知恵 Wisdom が信仰 Faith、希望 Hope、愛 Charity を生むという言い習わしの擬人化によって生じたのかもしれない。聖人伝作者たちはこの言い習わしを文字通りにとり、 3つの徳と3人のカリスたち Charites を取り違えた。現在ではカトリック教徒の学者たちは、聖ソフィア教会は、聖女であれ、あるいは他のいかなる形をとるにせよ、太母に捧げたものではない、と主張している。彼らによれば、このギリシア語の教会名(Hagia Sophia)は文字通りには、「聖なる女の知恵」の意であるが、本当は「神の言葉の化身であるキリスト」を意味した[7]。
へブライの「知恵」文学はソフィア崇拝に多くを負っていたが、ソフィアは中世のへブライのカバラ主義に神のシェキーナーとして再登場することになった。しかし、『箴言』の第8章と第91草は、ソフィアの信奉者と神の信徒との間の初期の葛藤を明示している。第8章はソフィア崇拝の恩恵を熱心に説いているが、第9章は彼女とその、巫女たちを軽視している。
「知恵 Sophia は呼ばわらないのか。悟りは声をあげないのか。これは道のほとりの高い所の頂、また、ちまたの中に立ち、町の入口にあるもろもろの門のかたわら、正門の入口で呼ばわって言う、『人々よ、わたしはあなたがたに呼ばわり、声をあげて人の子らを呼ぶ。思慮のない者よ、知恵を得よ、愚かな者よ、悟りを得よ。聞け、わたしは高貴なことを語り、わがくちびるは正しい事を語り出す。……何故なら知恵は宝石にまきり、あなたがたの望むすべての物は、これと比べるにたりない。知恵であるわたしは悟りをすみかとし、知識と慎みとをもつ。……計りごとと、確かな知恵とは、わたしにある、わたしには悟りがあり、わたしにはカがある。わたしによって、王たる者は世を治め、君たる者は正しい定めを立てる。わたしは、わたしを愛する者を愛する、わたしをせつに求める者は、わたしに出会う。……わたしは正義の道、公正な道筋の中を歩み、わたしを愛する者に宝を得させ、またその倉を満ちさせる。……』」。
「『わたしの言うことを聞き、日々わたしの門のかたわらでうかがい、わたしの戸口の柱のわきで待つ人はさいわいである。それは、わたしを得る者は命を得るからである。……しかしわたしを失う者は自分の命をそこなう、すべてわたしを憎む者は死を愛する者である』」。
以上の引用は宣伝戦の一面を物語るものであった。別の面は第9章に示されており。そこでは神は女神崇拝を嘲笑している。
「知恵 Sophia は自分の家を建て、その七つの柱を立て、獣をほふり、酒を混ぜ合わせて、ふるまいを備え、はしためをつかわして、町の高い所で呼ばわり言わせた、『思慮のない者よ、ここに来れ』と。また、悟りのない者に言う、『来て、わたしのパンを食べ、わたしの混ぜ合わせた酒をのめ』と。……[しかし]主を恐れることは知恵のもとである。聖なる者を知ることは、悟りである。何故なら、わたし[神]によって、あなたの日は多くなり、あなたの命の年は増す。……愚かな女は、騒がしく、みだらで、恥を知らない。彼女はその家の戸口に座し、町の高い所にある座にすわり、道を急ぐ行き来の人を招いて言う、『思慮のない者よ、ここに来れ』と。……しかしその人は、死の影がそこにあることを知らず、彼女の客は陰府の深みにおることを知らない」[8]。
「町の高い所」とは神殿のことで、それ放、「女」は女神を指し、神の信徒たちのかなりの抵抗にあった。しかし彼女は中世においてもなお、グノーシス派哲学者たちの説く、宇宙に君臨する(女)神ソフィア-サピエンティア(「知恵の女神」)として存在していた。彼らによれば世界霊はソフィアの微笑から生まれた[9]。
Barbara G. Walker : The Woman's Encyclopedia of Myths and Secrets (Harper & Row, 1983)