シュメールの豊穣、愛、戦いをつかさどる太女神。アッカドのイシュタルに同じ。
天の神アン/アヌとともにウルクに主聖域をもつ。ドゥムジ/タンムズの配偶女神。バビロニア時代には、「暁の明星、宵の明星(金星)の女神」とされる。
古来数千年にわたってメソポタミア地方全域で広く信仰され、マッサト(「王女様」の意)、テリトゥ(「並外れたた強さ」の意)など多くの称号をもつ。随従は獅子。
以下、バーバラ・ウォーカーの説明。
太女神のシュメール名。イナンナは、シュメールを支配する女王として、王になる者すべてを自分の花婿にした。「聖婚」hieros gamosのさいの結婚讃歌では、イナンナは、「おお、我が女王よ、宇宙の女王よ、宇宙を包摂したまう女王よ、彼(王)が、御身の聖なる膝の上で、末永い日々をたまわりますように」と歌われた。イナンナは、ときにはその力を外敵に向けて発揮した。「我が女王よ、外つ国は御身の叫びを聞いて恐れおののく。……我が女王よ、御身の力はすべてのものを破壊する。……我が女王よ、大いなる男神たちでさえも、御身の前では、羽根をばたつかせた蝙蝠のように逃げてゆく」。伝承によると、アガダの都市は、イナンナがその神殿を見捨てたため、完全に破壊されてしまったという。「聖なるイナンナは、アガダの礼拝堂を見捨てられた。……聖なるイナンナは、戦闘の矛先をアガダに向けられた」[1]。
イナンナは、大地が持っている生命の血の源泉だった。彼女は、あらゆる井戸と河と泉を、彼女の「血」で満たした。豊穣の女神としてのイナンナは、彼女と同格のバビロニアの太女神イシュタルと同じように、自分の夫ドゥムジ(タンムーズ)を救うために、年に一度、冥界へ下っていった。イナンナは、ナンナ、ナナNana、あるいはアンナと称して、アッティスの聖なる処女母(virgin mother)、バルデルBalderの花嫁、さらにはキリスト教徒が「神の祖母」と呼んだ聖母マリアの母親などになった[2]。
ヒッタイト人は、イナンナのことをイナラスと呼んだ。ハッティ族の国では、彼女は毎年その処女性を回復し、プルリの祭のときに、聖王の花嫁になった。このプルリの祭は、後にユダヤ教に取り入れられて、プリムの祭†になった。聖王に選ばれた男性は、他から隔離されて、ひとりで女王の城または塔に閉じこめられ、定められた日時に殺された。これは、女神が土地を肥沃にするさいに、彼の血を役立てるためだった。聖王の嘆きを記した文章によると、王-殉教者は自らの短い栄光を遺憾に思っていたことがわかる[3]。
プリムの祭
ユダヤの祭。ペルシア在住のユダヤ人たちが、王妃エステルおよびモルデカイによって、高官ハマンの陰謀から救われたこと(→エステル記)を記念する祭日。アダルの月(現今の2月または3月)の14・15日。13日は断食日であり、夕刻(14日の初め)会堂に集まり、エステル記の朗読が始まる。ハマンの名が出るたびごとに会衆は呪いの言葉を叫ぶ。翌日は会堂での儀式のあと、貧者への施しなどがなされた。モルデカイの日ともいう。(『キリスト教大事典』)。
Barbara G. Walker : The Woman's Encyclopedia of Myths and Secrets (Harper & Row, 1983)
イナンナはニン・アン・ナに由来する言葉で、アンのニン(神、女神、主、妃)と解されている。この場合のアンの意味は、天または天の神アンで、イナンナは「天の妃」と理解されている。シュメール人自身もそのようにみていたらしい。これに対して、アンにはナツメ椰子の(実の)房の意味があるので、「ナツメ椰子の房の女王」のごとき意味に解することも可能である(ジャイコブセンの説)。(芹澤茂「各種の宗教儀礼〈メソポタミア〉」)