クリストス Christosすなわち聖王であり、毎年、エルサレムの神殿で生贄に供された。タンムーズにかしずく女たちは彼を、その母親であり花嫁でもある、自分たちの女神イシュタル・マリ、天の女王に捧げた(『エゼキエル書』8:14)。
タンムーズはディオニューソス・リーベルすなわちアドーニスのへブライ版で、ローマ人はタンムーズをユダヤ人の主神と呼んだ[1]。しかしタキトゥスの考えによれば、ユダヤ人はリーベル崇拝をやめた。なぜならリーベルが、「ユダヤ人の宗教が無味乾燥で卑しいのに対して、陽気で楽しい宗教を確立したからである」[2]。ユダヤ暦のある月名は今でもタンムーズの名にちなんで呼ばれており、彼は10世紀にいたるまでずっと崇拝されていた[3]。
タンムーズはユダヤ人がバビロンから取り入れたものであるが、タンムーズの起源はバビロンよりもさらに古い。彼は初めはシュメール人の救世神ドゥムジ(「唯一の息子」)またはダム(「血の息子」)であった。彼はその死に際して自らの血で大地を肥沃にしたので、「癒す者」、「救世主」、「天の羊飼い」と呼ばれた。彼は、昇天した死者の霊魂と考えられていた星の群の番をした。毎年、贖罪の日に、彼は「聖なる雌ヒツジ」の息子である仔ヒツジの姿で生贄に捧げられた。しかし彼が化身した動物は、もっと古い時代に行われていた人身御供の身代わりであると理解されていた。死んだ神を悼むある哀歌は、死の理由を修辞を尽くしてたずねている。
「なぜ彼らはドゥムジを、平原を支配するドゥムジを殺したのか。羊飼いであり、知恵を司る者、悲しみを司る者であるドゥムジをなぜ殺したのか。ブドウの木の女神はやつれ、仔ヒツジも仔ウシも生気がない。羊飼いである主はもはやこの世にない。天の女王の夫はもうこの世にはない」[4]。
この神が死んだとき、神殿に仕える女たちは儀式に則った号泣の声ululationsを上げたが、バビロニア人はこれをalalu、ギリシア人はhouloiと呼んだ。エゼキエルが言及しているのはこの声のことである。すなわち、エルサレムの神殿で女たちはタンムーズのために号泣wailしたのである(『エゼキエル書』8:14)。典型的な「号泣」はシュメールの聖典に出てくる。
「連れ去られた者を悼んで号泣が起こる。鳴呼、我が子は連れ去られてしまった。我がダムは連れ去られた、我がキリストは連れ去られた。彼が母に生み落とされた聖なるスギの木の立っている所から。号泣は植物のため、植物はもう成長しない。号泣は家とヒツジのため、これらはもう生み出さない。号泣は瀕死の夫婦、瀕死の子供たち、シュメールの人々のため、彼らはもはや生み出さない。号泣は大河のため、大河はもう洪水を引き起こさない。号泣は養魚池のため、魚はもう卵を生まない。号泣は森のため、ギョリュウはもはや成育しない。号泣は貯蔵所のため、ハチ蜜もブドウ酒も生産されない」[5]。
祭文のなかには、ドゥムジ-タンムーズに、ウシルまたはウシルシル(ともにウシル〔オシーリス〕の変化形)と呼びかけるものもあった。ウシル〔オシーリス〕もまた善き羊飼い、死者の「群れ」の番人であった[6]。タンムーズはエルサレムで行われる聖劇では中心的な位置を占めていたが、新約聖書では彼は、「タンムーズ」のギリシア語形であるトマスThomasの名を持ち、新しい「生贄として死んでいく神」に仕える単なる使徒の1人に変えられてしまった。
しかし1000年経った後でも、シリアの農民は相変わらず、穀物神タ-ウズの犠牲は豊作をもたらすためには不可欠であると考えていた。彼は残酷な扱いを受けた。すなわち刈り取り用の円形鎌で殺され、骨はひき臼で砕かれ、肉片は大地にばら撒かれ、女たちは彼の死を嘆き悲しんだ[7]。
より古い時代のすべての「救世主」と同じく、タンムーズは結局は、キリスト教の伝統のなかでは悪魔とされた。中世になると、彼は地獄の指導者格のデビルの1人としてリストアップされた。ヴァイアーの悪魔論では、タンムーズは地獄からスペインに派遣された大使となっているが、おそらく彼がまだスペインのサラセン人(ムーア人の支配下にあった数世紀の間住んでいた)に崇拝されていたからであろう[8]。
Barbara G. Walker : The Woman's Encyclopedia of Myths and Secrets (Harper & Row, 1983)
太女神は若き恋人をもっていた。シュメールのイナンナに対するドゥムジ、プリュギアのキュベレー・アグディスティスに対するアッティス、ギリシアのアプロディーテーに対するアドーニス、そして、アッカドのイシュタルに対するタンムーズである。