イエスの一行が「最後の晩餐」の家に向かって凱旋の行進をしたとき、水がめを持った謎の人物が彼らを先導した(『ルカによる福音書』22: 10)。このさりげない記述の意味は、バビロニアの救世主-神ナブー(またはネボ)崇拝の儀式が明らかにしてくれる。救世主-神ナブーは、ユダヤ暦のイヤールIyyarの月の3日に、女神の森で自分が生贄にされる聖なる劇を行うため、行列をつくって出かけていった。聖職者たちがこの男神の婚礼の床を清め、「次に、神が寝室(すなわち墓)へ入っていく。翌日の 4日にはナブーの帰還が行われる」のだった。神に扮した男性は、水の入っているかめを持った人物につねに先導されており、この水の入っている器は、男神と畏怖すべき女神との結合を取り持ってくれる男神自身の精液の精霊を表していた[1]。
エジプ卜では、この水がめは「月の護符」メナトに相当し、メナトは、象形文字の表記法では、男根を表す細長い器から女性を表す胴の広いかめ(または壷)に注がれている液体として表現されていた。すでに第6王朝の時代に、メナトは、再生後における性的能力の復活を象徴していた[2]。キリスト教徒が天国での性行為を否定した(『マタイによる福音書』22 : 30、『マルコによる福音書』12: 25、.『ルカによる福音書』 20: 35)のに対して、エジプト人たちは、性を抜きにしては、天上での幸福もありえないと信じていた。「母親をみごもらせる者」として甦った救世主オシーリス〔ウシル〕でさえも、自らの「愛死」Liebestod*におもむくときは、メナトに先導された。このときのメナトは、「男性の器」(男根を表す水がめ)に入っている水だった[3]。
オシーリス〔ウシル〕もイーシス〔アセト〕も、それぞれ水の入っている器で表されたが、それは、交合に際して、ちょうど2つの器の水を1つの器に入れたときのように、両者が完全に融合することが願いだったからである。この考え方は、愛の神に祝福された性交というタントラのイメージと同じであり、そこでは、「水に水を注いだように」至福と空(くう)の融合状態が生まれた[4]。
同様のイメージが、さまざまな創世神話の基底にあった。アッシュールバニパルの「7枚の粘土板」に刻まれていた創世神話(『エヌマ・エリシュ』)もその1つである。そこでは、男性であり天界の海でもあったアープスーは、「冥界の海」の具現者である母神ティヤマートの海-子宮の中に、豊饒をもたらす水を雨と降らせた[5]。古代人は雨も精液の一種と考えていたので、神話に登場する天界の父神たちは、(たとえば、ユピテル・プルウィウスのように)雨の神とみなされる傾向があった。人々は、この天から降ってきて豊饒をもたらす液体を、精液と呼ぶべきか、あるいは尿と呼ぶべきか決めかねたので、天なる父は、ときには、ゼウスがダナエ(「大地」)を受胎させたときのように、尿に似た「黄金の雨」を産することがあるとした[6]。太古の時代に、「天界の父神」ウラノスは、豊饒をもたらす尿を生み出したのだった。
現在もインドでは、愛の精霊はかめに入っている水で表され、これが「聖像を代替する」役目を果たしている。「この水は、礼拝の儀式の間は、神の住まい、あるいは、神の『座』pithaとみなされる」[7]。サンスクリット語のpithaからは、ギリシア語の「ピトス」 pithosが連想される。ピトスは、デーメーテールをたたえたエレウシースの秘儀において、再生を意味していた「かめ」であり、このときデーメーテールは、「大地と海の女王」として、神々の肉体を呑み込んだのだった[8]。
プリュギアやサモトラーケー島におけるカビーリの信者たちの秘儀では、デーメーテール・カビリアが、「若い神」(ガニュメーデース、ディオニューソス、あるいはカビリオス)とともに崇拝された。「若い神」は水がめを持った男性の姿で登場し、母なる「壺」、「かめ」、「大なべ」、または「杯」に、水を注いだ。水がめを持った男性は、青年一般を表し、大きな方の器は、母親一般を表していた[9]。2つの器に礼拝を捧げたこの種の秘儀は、中東全域において聖劇に仕立てられ、水がめを捧持した男性は、自己の「宿命」への途上にある、供犠の死を遂げる「救世主-神」一般のシンボルになった。
Barbara G. Walker : The Woman's Encyclopedia of Myths and Secrets (Harper & Row, 1983)